第43話 清洲会議
ここからの話は、俺があとになって秀吉から聞いた話である。
「おのおの方、よう参られた」
尾張国、清洲城の本丸にて。
織田家の最古参にして、年齢ももっとも上の柴田勝家さんが、心から、諸将をねぎらうようにして言った。
柴田さんの前には。
羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興。
織田家の長老格である3人が揃っている。
彼ら4人は、かつて織田家の主城であった懐かしの清洲城で、織田家の今後について話し合おうとしているのだ。
いわゆる清洲会議である。
なお、織田家の長老格といえば、我が友滝川一益もいるのだが、彼は関東地方で敵対勢力と戦闘したあと、尾張に向かって退却中であり、会議には間に合わなかった。
滝川一益が生き残ったことについては、俺が事前に武器や兵糧を多めに送っていたこともおおいに功を奏したらしい。……友が生き残ったことを、俺はまず喜んだ。
なお、俺自身はというと、清洲城から少し離れた、やはり懐かしの津島、その大橋屋敷にてひとり、商務をとっていた。
神砲衆は織田家の重要な商人司であり、かつ俺自身も信長公から土地をいただいていた身分ではあるが、織田家の今後の話ともなると、正式な武士身分でないことが災いして、参加は遠慮することになった。
徳川家康に近い存在だと、自分では思っている。家康も、安土城内に徳川屋敷を設けられるほど、もはや信長公の家臣に近い状態だったが、家としては別であった。清洲会議には参加を許されていない。
「跡目について決まり次第、お知らせくだされ」
と、使者を通してそのように述べたあと、家康は、織田家の跡目については完全に沈黙した。
こういうときに、口を出さないのが家康の肚の物凄さじゃないか、と俺はひそかに思った。並の人間ならば、信長公との長年の付き合いを背景にしてあれこれ口を出してきたりするものだ。家康がその気になって出しゃばってくれば、柴田さんも秀吉も、そう露骨に拒絶はできないのだから。……しかし家康は黙した。本質的に腹の座った男なのだ。
さて、会議である。
柴田さんたちは、信長公と信忠の冥福を心より祈った。そして、
「さて、織田家の跡目であるが」
と、柴田さんは言った。
「これについては、論ずるまでもない。上様ご存命のころより、織田家の家督は嫡男の信忠公に譲られておる。ならば、その信忠公のご嫡男である三法師さまが織田家の跡目としてもっともふさわしいと存ずる」
「「「異議ござらぬ」」」
秀吉たちはうなずいた。
信忠の嫡男、三法師はこのとき3歳の幼児である。
それでも織田家の嫡流であることは疑いがない。織田家の跡目は三法師。これは誰もが認めるところであった。
問題はその次である。
「さて、そうは言っても三法師さまは3歳。元服なさるまでは、誰かが後見を務めねばならぬ。ならば、その後見は誰か。……これについては、三介様(織田信雄)と三七様(織田信孝)がそれぞれ自分こそふさわしいと主張しておる」
「あのお二人は、昔から仲が良くないからのう。しかしこんなときでも兄弟喧嘩とはのう」
丹羽長秀が、嘆息混じりに言った。
秀吉は沈黙していた。
池田恒興が口を開く。
「共に言い分はござるよ。
三介様のほうは、自分は次男で立場が上。明智征討でも上様のご命令に従い安土城で戦った。
いっぽう三七様は、上様からご命令を受けて、丹羽殿と共に四国征伐をするための軍勢を任された。上様からの信任が厚かったのは自分だと言いたい。そのうえ、羽柴殿と共に山崎の戦いに参加したのは自分であり、自分も明智征討の手柄がある、と……」
「……しかしなあ、三介様はなあ……」
柴田さんが、あごひげをかきむしりながら言った。
三介こと織田信雄の評判は、そもそもあまり良くない。信忠や信孝と比べて、決断力や器量が一段も二段も劣るというのが、織田の諸将の見立てであった。それは俺自身も、安土城の戦いの前に感じたことだ。信雄は軍を率いてやってくるのがずいぶん遅かった。
「まあ、決して、悪いお方ではないのだが」
池田恒興が、信雄をフォローするように言ったが、柴田勝家は首を振り、
「だから困るんじゃ。この乱世に善人すぎるというのは、よそからつけこまれるだけ、利用されるだけの存在になってしまう。それならば儂は、三七様が三法師様を支えるほうが良いと思う」
「ならば、三介様は?」
丹羽さんが問うた。
柴田さんは、目を伏せて、
「いまは亡き、信広様のようになっていただければ良いが」
ここで名前が出た信広とは、信長公の兄、織田信広のことだ。すでに故人である。(俺は、遠目で見たことがあるが話をしたことはない)
信長公の兄ではあるが、母親が側室の立場だったので(信長は正室)織田家の後継者となれなかった。それが不満だったのか、信長公に一度は反逆したが、鎮圧され、許され、それからは信長公の兄でありながら忠臣であり続けた。
「
丹羽さんが、懐かしむように言った。
舅どの、といった理由はただひとつ。
織田信広の娘が、丹羽さんの正室だからである。
信広はその後の戦いで討ち死にしてしまったが、その信広のように、織田信雄も三法師と信孝の忠臣となってくれたらというのが柴田さんの考えだった。
しかし、池田恒興が大きくかぶりを振った。
「こうも仲が悪い弟のために、三介様が尽くすとは思えませぬよ。それこそ、反乱――勘十郎信勝さまのようになりかねませぬ」
「……ん。……うむ」
信長公に反乱した織田家の弟、勘十郎信勝のことになると、柴田さんは二の句が継げず押し黙ってしまう。なにせ、その信勝に与してかつて信長公に反乱を起こしたのは柴田さんだからだ。
「……筑前殿。先ほどから黙りこくっておられるが、貴殿のご意見やいかに」
「そう。羽柴殿のお考えを伺いたい」
丹羽さんと池田恒興が、揃って秀吉に尋ねた。
秀吉は、それでも少し沈黙していたが、やがて顔を上げ、
「三介様と三七様が、お二人で三法師様をお支えされるべし。わしはそう思う」
「お二人で? ……そんなことができるものか。あっちが立てばこっちが立たず。喧嘩別れとなるのは火を見るより明らかじゃぞ、筑前」
柴田さんが声を荒らげる。
秀吉は、そんな柴田さんの目をじっと見据えて、
「柴田様のおっしゃることも、ごもっとも。しかし、これしか道はございますまい。三介様を立てれば三七様はご謀反なさるかもしれず、またその逆も然り。ならば三法師様を頂点にいただき、三介様と三七様が揃ってお支えする――という形にしておき、そして実際には我ら4人が死に物狂いで織田家を支える。この形がもっとも道理に合うのではござらぬか?」
「死に物狂いとは簡単に申すことよ。我ら4人はこれからも、天下布武のために諸国に遠征する立場となろう。となれば安土には誰もおらぬことになる。織田家の方々同士で内輪揉めをするやもしれず……」
「そうまで柴田様が心配されるのであれば、我らの身内にして織田の身内を、安土に置くも良し」
「身内。……?……」
「そう、例えばわしの養子となった於次丸秀勝。これは言わずもがな、信長公の血を引いておられる。
さらに丹羽殿のご嫡男である鍋丸どの(丹羽長重)――これはお母上が、先ほど名前があがった信広様の娘御でござったゆえ、織田の身内でもあり丹羽家の身内でもある。
池田殿のお母上は、信長公のお父上、信秀公の側室であったと聞く。池田家は家まるごと、織田の身内のようなもの。池田家から誰かが安土に入るのもまたよろしかろう。
……このようにすれば、はるか遠くからでも安土の織田家をお支えすることも可能かと筑前は存ずるが」
「おいおい、ならばわしはどうなる。柴田家だけが織田家と縁遠くなってしまうではないか」
「さあて、それでござるが、柴田様。ここで筑前に腹案がござる。……柴田様は、信長公の妹御、お市の方はお好きか? いや、好きか嫌いかを論じている場合ではござらぬな。はっきり申し上げましょうぞ。柴田様とお市の方が婚姻なさればよろしかろう。そうすれば、ほれ、柴田と織田は縁続き。柴田様は信長公の義弟ということになるが、如何?」
「な……」
秀吉の突然の提案に、柴田さんはさすがにぽかんと口を開けたのであった。
清洲会議が白熱しているころ、俺は津島の町のど真ん中にて、伊与と共に、大きな石の上に腰かけていた。
川から流れてくる風が心地よい。
海が近いためか、ほんのりと潮の香りがするような気がした。
「会議はどうなっただろう」
伊与が言った。
「うまく言っているさ。藤吉郎はああいう会議で自分の論法に相手を引きずりこむのが大得意だ。……それに、事前に丹羽さんと池田さんを自分の仲間に引きずり込むよう、話をつけているとも聞いた」
「話を。……根回しをしたということか」
「そういうことだ。清洲会議までの数日の間に、黒田官兵衛が中心となってお二方に話をしたと聞いている。……会議の流れがどうなろうとも、最終的には羽柴藤吉郎の味方をされるべし。そうすれば丹羽も池田も加増、恩賞は思いのまま、と説得しているはずだ。
丹羽さんも池田さんも、明智征討のときに藤吉郎の味方をしている。心理的にもずっと羽柴の味方だ。ならば会議でも羽柴についてくれるさ」
「恩賞の約束ひとつで、あの丹羽様や池田様が、あっさりと藤吉郎さんの味方をしてくれるだろうか?」
「してくれるだろう。藤吉郎は於次丸様を養子に迎えている。だから、羽柴家がどれほど栄達をしようとも、それは織田の一門への忠義ということになる。……その上、恩賞まで貰えるのなら、断る理由はない」
「……なぜ、柴田様は抱き込まぬ? 皆で仲良く、というわけにはいかないのか?」
「…………。……そりゃまあ、柴田さんが藤吉郎についてくれて、すべて一丸となれるなら、それに越したことはないと思うが」
俺はぼんやりと、空を見つめながら、
「あの二人は手取川でも喧嘩をしているからな。それに」
「それに?」
「柴田さんよりも、藤吉郎のほうかな。問題は……」
「……藤吉郎さんの……?」
と、伊与が柳眉を曲げたとき、
「弥五郎! 伊与~! ここにおったとね!」
カンナが金髪をなびかせながらやってきた。
手にはなにか持っている。真っ白な塊だ。これは?
「あ、これ。小田原の特産品、ういろうばい。最近津島のほうにも小田原商人がやってきて、いくらか卸していったそうよ。美味しいばい。食べてみらんね?」
「こんなものまで津島に出てきたのか……」
伊与はカンナからういろうを受け取りながら、ぱくつきはじめ、これは美味いと小さく叫んだ。
俺も倣う。ういろうを食べる。確かに美味い。……小田原、つまり関東のほうから商人がやってきて、津島の商人と取引を行っている。昔を考えると本当に、人々の交流が盛んになったものだ。
「あ、それと弥五郎」
「ん?」
「大橋さんの屋敷にあかりが来とるばい。それと、五右衛門と次郎兵衛も明日には来る手はずよ」
「そうか。あかりとも久しぶりだな。……予定より少し遅れたが……まあ、仕方ない。よし、大橋さんのところに行くか」
本来ならば、清洲会議の前日に全員集合するつもりだったが、電話もない時代、完全に予定通りにはいかないのが常だ。俺は怒りもせずに、大橋屋敷に行くことにした。
「屋敷に行って、明日まで休もう。みんな、ずっと動き続けているからな」
「俊明。あかりたちを集めて、どうするつもりだ?」
「うん。……伊与たちには言っておいたほうがいいな」
俺は、みずからの決意を告げた。
「……あかり、五右衛門、次郎兵衛。……3人に、俺が未来人であることを告げようと思う」
「「…………」」
伊与たちが、表情を険しくさせた。
「……本気ね?」
「本気だ。……前に五右衛門からも言われていたんだ。落ち着いたら、すべてをうちらに話してほしいって。……だから話す。……本来ならもっと早くに打ち明けるべきだったと思うが……」
「……そうだな。あかりたちには……もっと早く、話すべきだったかもしれない」
「すべてを話す。俺たちの未来。俺の決意。俺のやりたいこと、やるべきこと、すべてをあかりたちに……」
「……弥五郎。……あたしはなにがあっても、弥五郎を信じて、最後までついていくけんね」
「私もだ。命尽きるまで、俊明と共にゆく」
「……ありがとう」
俺は、伊与とカンナを引き連れて、
「行こう」
大橋屋敷へと向かった。
砂利塗れの路上を、一歩一歩踏みしめながら進んでいく――
「ようし、それでは話はまとまった。柴田様とお市様のご婚姻。あら、めでたや! 三法師様をお支えするのは二人の叔父御、三介様に三七様、これまためでたや、実にめでたや! そして我ら4人の宿老陣が今後も織田家の御為に、いっそうの忠義を尽くし尽くし、また尽くし、織田という名の大樹をお支え致すこと。決まり決まり、大決まり! あらあら、実にめでたやめでたや、大めでたや!
柴田殿、丹羽殿、池田殿。
我ら4人、これからも仲良う織田家を盛り立てて参りましょうぞ!
ああら、めでたや!!」
秀吉は満面の笑みで手を叩き、清洲会議がまとまった喜びを全身で表現した。
柴田さんは、まだ語り足りないという思いがあるのか、ちょっとだけ複雑そうに。
丹羽さんと池田さんは、目を細めてウンウンうなずき、しかし言葉は発しなかったという。
清洲会議はこうして終わった。
織田家の今後の体制がどうなるか決定し、婚姻の話までまとまった。
織田家と各宿老の家はこれからも一丸となって、天下布武に向けてまい進すると決まったのである。
先ほども述べたが、すべては、この会議から数日後になって、俺が秀吉から聞いた話である。秀吉は、清洲会議がいかに朗らかに、かつ綺麗にまとまったかを語り尽くしたものだった。
だが秀吉は、さんざん語り尽くしたあと、俺に向けて、低い声で耳打ちした。
「織田家はもう
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