第42話 旧明智領制圧

『戦後』が始まった。


 備中から大返しをしてきた羽柴軍により、首を討ち取られた明智軍の将兵は、おおよそ3000。


 その3000の首実検を行い、討った者を褒め称え、後日の加増や恩賞、感状の発行を約束する。場合によっては、その場で金銀や米を分け与える。


 その金銀が不足しているので、秀吉は俺に助けを求めた。

 俺は五右衛門や次郎兵衛に頼み、急ぎ、各地の神砲衆拠点から銭や商品を持ってこさせたのである。


 ところで秀吉は忙しい。

 安土からすぐに京の都に戻ると、再び首実検を行い、また手柄を立てた諸将と対面し、ねぎらいの言葉をかけ、また恩賞を約束したりしている。朝から晩までずっとだ。


「兄者、ひとりで無理をするな。わしも手伝う」


 多忙すぎる兄、秀吉を思って、小一郎はそう申し出た。

 ところが、秀吉は大きくかぶりを振り、


「だめっ! わしがやる!」


「なんだよ、駄々っ子みたいに。明らかに手が回ってないから、わしも手伝うと言うておるのに」


「手伝いはだめなんじゃ。これだけはわしがやる。……分からんか、小一郎」


「え……」


「ここでわしが出しゃばらなければ、手柄は三七どの(信長の三男・織田信孝)に持っていかれるぞ」


 その通りだった。


 明智光秀の軍を倒したのは、羽柴秀吉軍が中核である。

 それは間違いないが、その羽柴軍を手伝ったのは、信長の三男である織田信孝と、織田家の重臣である丹羽長秀さんであった。


 いかに秀吉が功労者とはいえ、ここで秀吉が一歩下がれば、世間は、秀吉が明智を討ったのではなく、信長の遺児である織田信孝が討ったのだと思うようになる。主導権が信孝に移行してしまうのだ。血筋とはそれほどに強い。


 秀吉としては、ここで恩賞を与える役目を自分だけが務めることで、織田の旧臣や世間に向けてアピールをしなければならなかったのだ。すなわち、


「これから、お前たち家臣団に恩賞を与えるのは羽柴秀吉である。お前たちの主君は織田ではない。羽柴である。……」


 と、秀吉は言っているのだ。


 秀吉はすでに信長公死後の天下を、自分が動かしているつもりでいた。俺にはそれが分かった。いや、少々目端が利く者ならばすぐに分かったことだろう。かつて和田さんと戦ったあの中川瀬兵衛も、明智死後の秀吉の態度や動きを知り、


「筑前め、はや天下取りの顔をするか!」


 と、苦々しげに叫んだと言う。

 秀吉は確かに、天下取りの顔をしはじめていた。


 とは言え、いまなお健在の織田家勢力を完全に無視しているわけじゃない。

 織田信孝に対して、秀吉はあくまでも慇懃いんぎんに、


「三七様。いまは織田家が混乱してござるゆえ、家臣への恩賞も、天下の采配もいっときだけこの筑前が務めまする。どうか誤解のないように」


 と、手もみをして、機嫌をとっている。


 織田信孝も愚鈍ではない。

 秀吉の態度があまりに分かりやすいので、不満にも思ったようだ。


 しかし信孝は、明智討伐の大功労者である秀吉をむげにもできず、またそもそも、信孝自身が諸将に与える恩賞や金銀を持ち合わせていないこともあって、


「よきにはからえ」


 とだけ、答えたとされる。

 丹羽さんも「いまは筑前のよきように」と言って、秀吉の行動を容認した。

 秀吉は「ありがたき幸せ。それでは羽柴筑前の思うがままに!」と答え、さらなる行動を開始した。


 秀吉は、みずからは京の都を動かぬまま、黒田官兵衛や蜂須賀小六らの腹心を使って、大津に軍を向けた。そして、潜伏していた明智光秀の重臣、斎藤利三を捕らえると、京都の六条河原で斬首。


 さらに秀吉は、織田家臣の中でも秀吉と懇意だった堀久太郎を中心とした軍勢を編成し、明智家の居城であった坂本城を攻めた。羽柴・織田の連合軍は坂本城に残った明智光秀の一族や家臣団を撃滅。坂本城を落とす。続いて、近江や美濃で動いていた旧明智勢力に向けても軍勢を差し向け、これを壊滅させた。


 明智光秀の反乱から、わずか半月あまり。

 明智の一族と旧臣は、ことごとく滅び、あるいは降伏して織田や羽柴の傘下となった。




「謀反人の家にふさわしき末路なり」


 と、そうこぼしたのは、明智の反乱から逃れて三河に戻った徳川家康だった。


 これは後になって、松下嘉兵衛さんから聞いたことだが――


 家康は三河に戻ったあと、「幼きころより世話になった我が兄、吉法師どののかたきを討つ!」と、珍しく若いころの友情を叫び、畿内に向けて進軍。しかし明智光秀が死んだことを知ると、自国に戻り、先ほどの言葉を口にしたのだ。


 その後、家康は、


「織田のことは織田に任せる。織田家の今後が決まり次第、知らせてくだされ。徳川はそれに連れ添うまで」


 とだけ言って、織田家から少し距離を置いた。




「藤吉郎の動き、まさに神速なり」


 俺は思わず、そうこぼした。

 坂本城の近くにある古寺である。

 俺は、伊与、カンナと、家来衆50人を連れてこの寺にやってきていた。


 俺は秀吉の依頼を受けて、坂本や大津など、旧明智勢力が支配していた商業地に進出していた。銭を生み出すこれらの土地を、神砲衆に制圧させて、金を手に入れようというのだ。


 坂本にも大津にも、かつて商用で来たことがある俺は、坂本までやってくると、坂本と大津の商人たちに手紙を出し、


『今後は神砲衆と商いを行うように。みだりに本性の分からぬ連中と付き合わぬように』


 と、伝えた。

 文面こそ丁寧だが、中身ははっきり言って脅迫状である。俺は自嘲気味に苦笑した。


「やっていることが阿漕あこぎだ」


 しかしいまは、この暴力的制圧が必要なのだと自分に言い聞かせた。

 商人たちも、自分たちの次の動きをどうするべきか迷っていたところへ連絡がきたので、渡りに船とばかりに、改めて神砲衆との交流を行うと通達してきた。


 俺はひとまず満足し、古寺の奥でごろんと寝転がる。

 まだ明智戦の傷が完治していない。横になると、身体が一気に楽になった。


 目の前には伊与とカンナしかいない。

 いないが、品物は積まれてある。


 坂本や大津の商人たちが、付け届けとして送ってきた反物や衣服、毛皮の数々。ついでに言うと隣の部屋には味噌や塩、蕎麦に豆など食材が置かれてある。バラエティ豊かな贈り物である。


「これで坂本、大津は俺たちのものになったも同然、か」


「すなわち、藤吉郎さんのものになった、と」


 伊与が言った。

 俺は苦笑いを浮かべて、


「まあそうなんだが、そこが微妙なんだな。……神砲衆は織田の傘下であり、羽柴の盟友。それは誰もが知るところだが、いちおう独立勢力でもある。……だから、坂本や大津を俺たちが制圧しても、羽柴秀吉の独断専行にはならないわけだ」


「なるほどねえ。明智家が治めとった坂本を、いま藤吉郎さんが手に入れたら、旧織田家臣からの反発が出てくるやろうけど、弥五郎が手に入れるんやったら、いちおうそれは弥五郎の自由ってことになる……」


「俺と藤吉郎が結託して動いているのは、誰の目にも明らかなんだけどな。それでも名目上は別勢力だ」


 秀吉はそこを計算したうえで、俺に商業地の制圧を依頼したし、俺もそれを引き受けた。

 そして、坂本や大津から出てくる商いのあがりを、俺が羽柴家に矢銭として献金するのも、また俺の自由というわけだ。


 阿漕だ。

 まったく、阿漕だ。


「俺たちのやることは、しばらくは決まりだ。坂本、大津の完全掌握。ならびに、……まあいつものことだが、商いを行い銭を稼ぐ。坂本や大津に集まっている品々を買い集め、買った品々を遠方に送り、高値で売りさばく。そして藤吉郎にその銭を渡す。そういう流れだな」


「少し前まで、信長公のことばかり口にしていたお前が、変わったものだな。上様がお亡くなりになった途端に、また商いか」


 伊与がやや皮肉っぽく言った。


「そう言うなよ。情勢が変わったんだ。信長公の生存を考えて動いてきた俺だが、それは叶わなかった。ならば、……まずは昔からの誓いを守る。天下の大将軍、羽柴秀吉と共に商人として戦う。そう切り替えた」


「そらまあ、いつまでも落ち込んでいても仕方なかし、切り替えたのは、よかばってん……」


 カンナでさえ複雑そうな顔で、


「はっきり言って、藤吉郎さんはこれから、織田家の天下を自分のものにするんやろ? ……いくら明智光秀を倒したとはいえ、織田家の天下を藤吉郎さんが継ぐのは、よかことなんやろうか。そらあ、そういうのが現実、それが世の中っちゅうたら、それまでなんやけども」


「おう、久しぶりにカンナの博多弁を聞いた気がするぞ。そうだ、筑前の島井さんと神屋さんにも文を送らないといけないな。もう筑前に帰り着いているよな?」


「ちゃかさんとよ、弥五郎! 好かーん、もう! ……あんたが藤吉郎さんをあくまでも助けるんなら、あたしはなんも言わんけど。……でも、織田家の人たちがこれからどうなるのかと思うと、複雑な気持ちになるんよ」


「弱い人々の助けになりたいと、常々言っている俊明が、これから天下を失おうとしている織田家の人々だけは助けようとしないのか。そういうことだろう、カンナ?」


 伊与が、冷静な声で言う。

 カンナは「……うん」と、少し膨れたような顔でうなずいた。

 俺は寝転がり、天井を見つめたまま、


「無論、できるだけのことはするさ。少しでも、不幸になるひとが少なくなるように、な……」


「……まあ、そりゃ、そうやろうけど……それはそうやろうけど……」


「俊明。いい加減に話せ。いま考えていることをすべて、私たちに――」


「いや。確かにいま、俺には考えていることがある。けれど、それはまだ完全にまとまったわけじゃないんだ」


 言いながら起き上がった俺は、カンナの後ろに積まれてある反物を見て、


「都の反物だな」


 と言いながら立ち上がり、反物を手で触り、さらに隣室との間にあった引き戸を引くと、桶に入れられた味噌や、袋に入った塩まで味見した。


「おう、濃い味だ。こっちは若狭の塩で、こっちは三河の味噌だな。俺も味だけで食べ物の産地が分かるようになってきたぞ。どうだ」


「どうだ、って……」


 カンナはいよいよ呆れ顔である。

 なんの話をしとるんよ、と言いたげだ。

 俺はちょっと笑って、


「坂本や大津の人たちは、こんな味の味噌や塩を口にしているんだな」


「俊明、いい加減にしろ。もったいぶるにもほどがある――」


「申し上げます!」


 伊与が叫んだとき、部屋の外から声がした。

 俺の家来のひとりだ。


「羽柴様より使いの者が参りました。いま、別室に待たせております」


「分かった。すぐに会おう。だいたい用件は分かっている」


 おそらく、清洲会議のことだろう。

 織田家の後継ぎを決める会議、清洲会議。


 羽柴秀吉、丹羽長秀、さらに柴田勝家と池田恒興を加えた4人で、織田家の後継ぎを誰にするか話し合う会議である。史実通りならば、それが今月の27日に尾張、清洲城で開催されるのだ。


「その会議のことで使いが来たに違いない。すぐに会うさ。しかしその前に、伊与、カンナ」


「なんだ」


「安土にいるあかり。それと五右衛門、次郎兵衛にも連絡をして、今月の26日に尾張、津島に集まるように伝えてくれ。……大事な話があるんだ。俺たちが集まり、話をするのなら、やはり津島がいちばんだ。


 俺たちにとって、すべての始まりの場所だからな……」


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