第38話 安土城攻防戦

「五右衛門。明智と藤吉郎の戦いを、もっと詳しく聞かせてくれ」


「もちろん」


 五右衛門は肩で息をしながら、語りだした。

 その話は、俺が知っている秀吉と明智光秀の戦い――

 そう『山崎の戦い』とほとんど同じものだった。


「備中から大返しした羽柴軍は、大坂にいた織田三七様(信長の三男、織田信孝)に、丹羽五郎左様の軍勢と合流。さらに明智の与力であった高山右近や中川瀬兵衛も味方に引き入れた」


「あの中川瀬兵衛まで」


 和田さんが、一瞬だけ苦い顔をした。

 中川瀬兵衛はなにしろ和田さんを殺しかけた男だからな。

 とはいえ個人的な遺恨ではなく、そのときの事情があればこその敵対だったが。


 五右衛門の話は続く。


「羽柴軍は『逆賊明智を討つ』と声高らかに叫び進軍。味方の数をぞくぞくと増やし最後はおおよそ40000の兵となった。対する明智は13000。勝負は見えていた。……事実、羽柴軍と明智軍の戦いは羽柴軍の圧勝に終わり、明智軍は敗走した。多くの武将は斬られ、あるいは羽柴軍に降伏したが、斎藤利三は行方知れず。そして明智光秀も」


「行方が知れず、か」


「一度は死んだと思われていたよ。京の都の外にある、小栗栖という地の竹やぶの中で、落ち武者狩りが明智の首を獲った、というのさ。だがそれは明智光秀じゃなくて、明智の一族のひとり、明智秀満だったんだ」


「……なに!?」


 俺は思わず、頓狂な声をあげた。

 思わず、信長と視線を交わす。


 明智秀満が、小栗栖で落ち武者狩りにやられた? 明智光秀ではなく?


 俺の知っている歴史では、明智光秀こそ落ち武者狩りでやられて、明智秀満は明智家の居城、坂本城に戻って自害したはずなのだ。


 その秀満がもう死んだ?

 ならば、明智光秀はどうなった?


「石川、大儀であった。まず休め」


 信長は五右衛門をねぎらうと、


「……いったん進軍を止め、情報を集める。和田、甲賀忍びを放て。京の都、安土、坂本、さらに丹波亀山のこともよく調べよ。また、羽柴の軍にも使者を出せ。信長は生存、安土の南にて待っている、とな」


「ははっ」


 和田さんが本陣から出ていく。

 やがて信長は俺だけを連れて、本陣の裏手に向かう。


 俺と信長。

 ふたりきりになった。


「山田。そちから聞いていた話と、いささか情勢が異なる」


「俺にも分かりません。上様を助けたことで歴史が変わったのか、あるいは、そもそも本当の歴史がこうで、俺のいた未来に伝わっていた歴史が誤りだったのか」


「いずれにせよ現実はこうである。……とにかく明智は討つ。見つけだして、討たねばならぬ」


「ごもっとも」


「明智さえ討てば」


 信長は目を細めて、


「この騒ぎもおさまる。天下はいよいよ余のものとなろう。それだけに、奇妙を失ったのが残念でならぬ」


 嫡男、信忠の死は、信長の心に大きな影を落としたようだ。


「武勇に優れた、……自慢のご嫡男でしたからね」


「優れてなくとも自慢だ。我が子はみな自慢よ」


 信長のぽつりとした自白に、俺はハッとさせられた。


 その通りだ。俺にも子供がいるから分かる。子供たちは可愛い。それは能力が優れているとか、そういうことではないのだ。例えなにもできない我が子だったとしても、自慢の子供たちだ。


 信長も同じ気持ちなのだろう。

 武将としてでも、大名としてでも、天下人としてでもない、人間としての織田信長にはこれまで何度も触れてきた。


 今日もまた触れた。

 ひとりの父親としての信長に。


「山田。そちは肝心なところを隠しておった。余も聞くのが怖かった」


「は。それは……」


「余が死んだあと、羽柴や徳川の世になるとそちは言う。そのとき、子供たちはどうなる。三介は。三七は。於次は。……孫の三法師は? ……あまり良き未来にはなっていないのであろう」


「それは……人にもよりますが……」


「余はそれを防ぎたかった」


「上様」


「天下を明智に譲りたくはない。余もまた、死にたくはなかった。しかしそれ以上に、我が子たちを、我が孫たちを、守りたかった。悲しき運命から、な」


「守れますよ。明智を倒せば必ず守れます。上様のご家族も、天下布武の夢も」


「で、あるか」


 信長はようやっと、笑みを浮かべて、


「守る。織田のすべてを、余が守ろう。よいな、山田」


「はっ!」


 俺は頭を下げた。




 その日の夜、周囲に甲賀忍びを放っていた和田さんが、俺と信長に報告を届けてきた。


「安土城に、明智軍が侵入してござる」


「ふむ。落ち武者が城内の金品でも狙いにきたか」


 信長は、さもあろうとばかりに動じた様子も見せなかったが、


「それが、ただの落ち武者ではなく、明智十兵衛本人の模様で」


「なに。……詳しく申せ」


「はっ」


 和田さんが報告するには。

 明智光秀の居城、坂本の方面から、複数の船が琵琶湖に進出し、安土までたどり着くと、まだ城内にいた織田の雑兵を追い払って、入城したという。


 明智光秀本人は、馬に騎乗したまま船に乗ったため、近隣にいた百姓たちは、まるで光秀が馬に乗って湖を渡ったように見えたらしい。


「明智め。坂本では羽柴と戦えぬとみて、安土に来たか」


「しかし、なぜ明智は安土に来たのだろう?」


 伊与が首をひねった。

 すると、蒲生さんが言った。


「恐らくは……安土城にある武器が狙いかと」


「武器?」


「安土にあった金銀や芸術品の数々は、それがしが日野まで持ち帰りましたが、武器までは手がまわりませなんだ。……安土城内には鉄砲や火薬、刀に槍。……なによりも、山田どのが作った無数の兵器がございます」


「そういうことか。確かに安土城内には、俺が作った大砲や連装銃、リボルバーが置いてある。あれを使って逆転しようというハラか!」


「推測に過ぎませぬが……」


「推測であろうとなかろうと、明智が弥五郎の武器を持てば厄介ばい。少ない兵でも大暴れができるやないの」


 カンナが叫ぶ。

 すると、蒲生氏郷も若い声を出した。


「籠城でもされるとさらに厄介でございますな。安土城は織田家の居城であり、かつ天下の名城と世間に知られております。その城に何ヶ月も籠もられると、世間は明智光秀を天下人と錯覚してしまうかもしれません」


「時が経てば経つほど、織田家には不利になるということでござるな。謀反人をいつまでも始末できぬ織田家、後継者の奇妙丸さまを討ち取られた織田家、安土城を取られた織田家、という評判がたてば……。いかがされますか、上様、山田うじ」


「……和田。明智が率いている兵はいかほどだ」


「確たることは分かりませぬが、動かした船の数から推測して、おおよそ500」


「よし、その数ならばいまの余でも討てる!」


 信長はすっくと立ち上がった。


「このまま安土に向かう。やつが籠城の準備を整えぬうちに、また山田の武器を明智兵たちが使いこなせないうちに討ち果たすのだ。余がみずから、明智のこもる安土城を攻め落としてくれるわ!」




 信長を総大将として、織田信雄を副将、そして俺こと山田弥五郎に伊与、カンナ、五右衛門、さらに和田惟政さん、蒲生賢秀さん、蒲生氏郷ら、約4000の兵が安土城に向かう。


 安土に着いたのは、進軍を開始した翌日の昼だった。

 安土城の正門は閉じられていた。


「よし、かかれ!」


 信長がみずから叫ぶ。

 すると、兵たちがわっと安土の正門に向かって走っていく。――すると、だ。


 だんだん、だんだんだん!


 城内から複数の鉄砲玉が飛んできた。

 あの撃ち方は明智軍の撃ち方だ。

 情報通り、明智軍が安土城を占拠している!


 だんだん、だんだんだんだん……!


 無数の鉄砲玉が、飛びかかった織田軍を次々と倒し――


 は、しなかった。


「攻めるなよ。攻めるふりだけをしろ!」


 俺は叫んだ。


「火縄銃の射程の中に飛び込むな。あくまでも声だけを出して、攻めていく格好だけをしろ! ……よし。……上様、狙い通りです」


「うむ、ようした。次は甲賀忍びがうまくやってくれよう」


 と、信長が言った瞬間に、正門向こうから複数の悲鳴が上がった。


「よし、うまくいったな」


「作戦通りだ」


 俺と伊与はふたりで、前を見たままうなずいた。


 正門から正面突破するふりをして、敵の注意を引きつけつつ、和田さん率いる少数の忍びたちがひそかに城内に入り込み、正門の守りについている敵を倒す。


 単純な作戦だ。もし明智軍の現場に良い武将がいれば(例えば明智秀満や斎藤利三のような)策を看破される恐れもあったが、うまくいった。


「敵陣に人なしとみました」


 蒲生さんが短く言った。

 信長は「うむ」とうなずき、高らかに右手を上げた。


「よし、このまま正門を突破し、城内になだれこめ! 狙うは明智十兵衛の首ひとつ! 明智を討ち取った者には恩賞を望みのまま与えようぞ! ……かかれぇっ!」


「弥五郎、うちらもいこうぜ!」


「承知だ。殴り込む! いくぞ、伊与!」


「分かっている!」


 信長軍が、わっと安土城に向かって、今度こそ本当に攻め寄せる。


 安土城の正門が開いた。和田さんたちが開けてくれたのだ。信長軍はどっとなだれこみ、声を張り上げた。


 安土城は籠城向きの城じゃない。

 一度、門構えさえ突破すれば天主まで一直線のはずだ。


 倒す。

 明智光秀を見つけ出して、今度こそ!

 俺たちは一気に、安土城の内部を突き進み、天主へと向かっていった。


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