第39話 天主炎上

「っ……すごい臭いだな……!?」


 安土城内を天主に向かって突き進んでいく俺たちだったが、そこへ強烈な腐敗臭が襲ってきた。伊与も眉をひそめる。


「魚が腐ったような、生臭い臭いだ」


「なんでこんな臭いが、安土城を……」


「濠のほうから漂ってきてやがる。明智の野郎、腐った魚だか肉だかを濠の中にブチ込んだのか?」


 五右衛門が言う通り、この臭いは濠からきている。


 俺はふと、逸話を思い出した。


 明智光秀が徳川家康の接待をしたが、そのときに出た鯉料理が腐っていたので、明智は信長に叱られた。明智は思わずカッとなって、その腐った鯉を安土城の濠に投げ入れたという……。


 いくらなんでも明智光秀が幼稚過ぎる逸話なので、後世の創作かと思っていたのだが――とにかくその話を連想するほどの臭いなのだ。


 そのときだ。

 ばばん、ばばん、ばばばんっ……!!

 バンッ!!


 鉄砲玉が何発か、俺たちの目の前に撃ち込まれた。


 明智兵が鉄砲で俺たちを狙っている。

 それも俺が作って安土城に置いた連装銃だ。

 どこから狙ってきている!? と、一瞬、思って、


「そうか、分かった」


「なにがでござる、山田うじ」


「この臭いの意味ですよ、和田さん。明智はこの臭いで火薬の出どころをごまかしているんです」


「おお、なるほど!」


 和田さんも、すぐに俺の言葉の意味を理解したらしい。


 敵がどれほどの鉄砲や火気、爆薬を使っているかは、漂ってくる火薬や硫黄の臭いである程度、察することができる。


 だが明智は腐敗臭を垂れ流すことで、火薬の臭いをごまかしたのだ。自分たちがどれくらい鉄砲を持っているか、また、どこから俺たちを狙っているかをごまかすために。


「さすが山田うじでござるな。そこまで敵の思考を読み取れるとは」


「なに、大したことはありませんよ。そしてこんな小細工に堕するとは明智十兵衛、いよいよ進退窮まったとみえる」


 俺は、先ほど飛んできた鉄砲玉が城壁にめり込んでいるのを見た。


 あの鉄砲玉のめり込み具合と角度を見れば、どこから発射されたか分かる。


「そこだ!」


 俺はリボルバーを取り出すと、あさっての方向に向かって狙撃した。


 すると、短く、小さく、ぐぇっという声が聞こえてきた。はるか遠くにいた狙撃兵が俺の銃でやられたのだ。


「ど、どこを狙ったのでござる、山田うじ」


「あそこの塀の向こう側です。わずかですが、隙間が見えるでしょう。敵はあの隙間からこちらを狙ってきていたのです。そこを撃ちました」


 俺は百メートル以上離れている城の塀を指さした。


「まさか、山田うじ。あのわずかな隙間の中に鉄砲の弾丸を撃ち込んだのでござるか? この距離から!? なんという、なんという……」


「大した腕よな」


 信長の声がした。

 振り返ると、確かに信長がそこにいた。

 信長みずから、この前線にまでやってきたのか。


「鉄砲天下一とは、まさに山田弥五郎のためにある言葉よ。伊達に神砲の二文字を背負っておらぬ」


「ありがたき幸せ。それよりも上様、このような策を用いるあたり、明智兵の数も士気も低いと俺はみました」


「それがしも山田うじと同心でござる。鉄砲兵さえ気をつければ、明智の安土城、今日中にも攻め落とせましょうぞ」


「で、あるか。よし、ならばただちに攻め落とすべし。我が居城、安土を取り戻す!」


「「ははっ!」」


 俺と和田さんは、揃って大きくうなずいた。


 そして、家来たちと共に天主に向かって一直線に進んでいく。石段を駆け上っていく。

 道がジグザグになった。どこからか、また鉄砲弾が飛んできた。飛んできた方向で、敵の位置が分かる――「そこ!」――俺は再び狙撃して、敵兵を倒した。倒した手ごたえがあった。そして、


「俊明、私が一番乗りをもらうぞ!」


「伊与、任せた!」


 伊与が先頭を切って、安土城内に突入した。

 左手に二の丸、右手に三の丸、まっすぐ行けば本丸がある。

 本丸の向こうには天主である。


「明智は天主にいるのか? 分からんが……」


「軍を分けて攻める」


 信長が言った。


「蒲生の手勢は二の丸を、神砲衆は三の丸を攻めよ。余は三介の軍を率いて、本丸から天主を攻める」


 信長みずからが本丸と天主を――

 と思ったが、安土城の天主を一番知っているのは信長だ。

 大胆なようで、一番合理的な判断かもしれない。――それに、


「余がみずから天主を取返し、姿を見せてこそ、明智の謀反が失敗したことを天下に知らしめることに繋がろう」


「ごもっとも」


 信長の言う通り、混乱状態にある織田家中や天下を再び信長のもとにするには、信長健在を万人にアピールする必要がある。そういう意味でも信長自身の進撃は意味がある。そう、あると思うが、


「しかしながら上様、また明智兵が鉄砲で狙い撃ちしてくるかもしれません」


「道理である。ならば山田と和田、余に供をせい。三の丸を攻めるのは堤に任せよ。よいな」


 信長みずからの言葉に、俺と和田さんは揃って「ははっ」と頭を下げた。伊与も下げた。

 話し合いはまとまった。ならばとばかりに、全員が武器を構える。年配の和田さんが、自然と一歩前に出て、


「では、おのおの方、よろしいか。手はず通りに」


「承知しました」


「よろしゅうござるとも」


 俺と蒲生さんが、揃って答えた。


「では、突入!」


 わっと、織田全軍が行動を開始した。

 蒲生軍が二の丸を攻める。明智兵が登場した。蒲生氏郷が、見事な采配で切り返した。蒲生郡は優勢である。


 伊与が、神砲衆と甲賀忍者を率いて三の丸を攻める。五右衛門も一緒だ。少し遅れて、カンナが「しゃあしい、しゃあしい」と言いながら地面に落ちた武器や鉄砲玉を回収していくのが見えた。あの武器も、なにかの役に立つかもしれない。無駄な動きではない。


 あとは――俺たちだ。


「ゆくぞ。余に後れを取るな!」


「「ははっ!」」


 信長、俺、和田さん、それと、あまり発言しないが織田信雄もいる。

 織田軍の本隊が本丸に殴り込んだ。明智兵が刀を持ってわっと登場した。

 和田さんが、踊るように刀を振り回し、次々と雑兵たちを切り捨てていく。


 相変わらず、濠から漂ってくる臭気はたまらないが、それでも自軍の優勢に俺は少し気を良くした。


 いける。

 勝てる。

 このままいけば安土城は取り返せる。明智を倒せる!


 しかし明智光秀、やつはいったいどこにいるんだ?

 不思議に思いながらも、次々と出てくる明智兵を、俺は和田さんたちと一緒に撃ち倒していき、ついに本丸を奪還した。


「あとは天主じゃ。三介、本丸の後始末はそちに任せる。余はみずから天主に乗り込むぞ!」


「わ、分かりました。父上、気を付けてください」


 信雄は俺たちを見送った。

 俺たちは、何度も登った安土の天主を突き進む。

 先頭は和田さん、さらに織田の兵が続き、俺も進み、信長が真ん中。後からさらに織田兵がついてくる。その数はおおよそ、200人――


「物陰などを調べながら進め。明智十兵衛が隠れているかもしれん」


 和田さんの命令が下り、誰もが室内を調査しながら進んでいく。

 だが敵はもういなかった。しいんと、静まり返っている。


 人気はなく、悪臭だけが漂う安土の天主。

 異様な空気に包まれていた。怪物でも出そうな気配だった。


 しかし。

 怪物にも明智兵にも出会うことはなく、俺と和田さんと信長、それに兵たち――天主の最上階は決して広くはないので、ここまで登ってきた兵は10人ほどだが――は、実にあっけなく、天主の頂上までたどり着いてしまった。


 琵琶湖が見えている。

 風が天主の中を吹き抜ける。

 良い心地だ。


「明智はいないのか……?」


 俺は独りごちた。


「やつは、いったいどこへ――」


「ここにいるぞ」


「「「っ……!?」」」


 突然の声に、俺も和田さんも、そして信長も振り向いた。

 かと思うと、だんだん、だんだん、と猛烈な音が響き渡り、織田の兵たちが倒れていく。

 そして、「ぐあっ!!」と、和田さんまでもが倒れこみ――


「和田さん! ……明智、きさま……!!」


 睨みつける。

 明智光秀がリボルバーを構えていた。

 しかも、両手に構えている。二丁拳銃というわけだ。


 銃口はむろん、こちらを向いていた。


「……俺の作ったリボルバーだな。……返せよ、それ……」


「お断りしよう。こんな便利なものを渡せんよ」


「明智。なにが望みだ」


 信長が問う。

 明智は、くっと笑った。


「いまとなっては、上様、そして山田弥五郎。ふたりを殺すことしか頭にない。……我が謀反は失敗せり。我が野望も潰えたり。となればせめて、天下人織田信長と、未来人山田弥五郎を打ち倒し、歴史に名を残すのもまた一興」


「たわけたことを」


 信長はわずかに、腰を低くさせ、刀に手をかけようとする。

 俺も、リボルバーを持っている。手をだらりと下げているため、すぐには撃てないが、しかし撃とうと思えば、明智よりも早く――


 すると明智が、


「動くな!」


 と短く叫んだ。


「動けば撃つ。……動くなよ。……上様、あなた様には、見苦しい最期ではなく、織田信長にふさわしい終わり方をしていただきたいもので」


「どこまでも自儘なことよ。……明智、そちがリボルバーを撃ち放った瞬間に、余の刀と山田の鉄砲もまた動く。そちは反撃もできぬ間に倒されるであろう」


「上様の言う通りだ。この山田弥五郎、早撃ちにかけてはいささか自信がある。動けば瞬時にキサマの喉笛を撃ち貫けるぞ」


「どうかな。……ところで上様、山田。……二人ならば、おそらく天主までじきじきに乗り込んでくるとこの明智は読んでいた。そしてその読みは当たった。嬉しゅうござるなあ。ぞくぞくするほど、嬉しゅうござるなあ。……気づかなんだか。安土を包んでいるこの異様な臭い。なんのための臭いと思うたか? ふ、ふ、ふ、は、は、は。はははは……!!」


「なに……?」


 猛烈に嫌な予感がした。

 明智はなにか企んでいる。

 なにか策があるのだ。しかしこの状況でどんな策が――


 そのときだった。


 ぼおおおぉ……!! おぉおおお……!!


「な、なに!?」


「炎、じゃと?」


 俺と信長は思わず声をあげた。

 明智が、馬鹿笑いを始めた。

 天主の間が、瞬時に、大量の炎に包まれたのだ。


「ははははは、この通りだ。先ほど、拙者が火をつけた。その炎が、天主にまわりおった。ははははは!」


「馬鹿な。いくら木造の天主でも、こんなに早く炎が……」


 と、言いかけて俺は気が付いた。

 油のにおいがする。


 明智め、天主にあらかじめ油を撒いていたな!?

 だからこんなに炎の広がりが早いんだ!


 濠から腐敗臭を漂わせていたのは、鉄砲兵の位置や数をごまかすためだけじゃなかった。天主に撒いた油の臭いをごまかすためだったのだ。俺と信長がここまで来ることを、明智は見込んで――


「だめだ、上様。逃げましょう――」


 だぁん!


「逃がさんよ」


 明智は、弾丸を一発、ぶっ放した。


「上様も山田もこれで終わりだ。拙者も死ぬ。死ぬのだ。はっはっは、愉快じゃないか。一代の風雲児織田信長、みずから築き上げた安土城の天主で焼け死ぬ。見事な終わり方よ。天下すごろくの上がりとしては上出来だ! あっはっは、安土城は終わりだ。信長も終わりだ。拙者も終わりだ。――山田弥五郎、おぬしも終わりだ! あっはっはっはっは……!!」


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