第30話 徳川家康接待

「明智」


 信長は、足利義昭征討を申し出た光秀をじっと見つめて、


「そのほうの申し出、一考する。決まり次第、改めて下知をくだすゆえ、いまは竹千代(徳川家康)接待の役目に励め。……丹羽も下がってよいぞ」


「ははっ!」


 明智は一度、平伏して、その場を去った。

 丹羽長秀も一礼して、去った。


 俺と信長だけが。

 天主に残った。


「山田、どう思うか」


「義昭公の一件ならば、……殺さぬほうがよろしいかと」


「そう思うか」


「確かに狐のごとき公方様ではございますが、殺せば上様の名が汚れまする。実際に殺すのが明智殿であったとしても、世間は上様の意思だとみなすでしょう。織田家が、足利家から、天下を簒奪したと思われます。……かつての三好家のように」


「義昭公には悩まされる……。余は、義昭公さえしっかりとした公方であったならば、喜んで家臣の座におさまったものを……」


 信長の繊細な一面が顔を見せた。

 信長は嘘ではなく、本心からそう思っているのだ。

 俺は、わずかに顔を上げて、


「しかし、義昭公では世はおさまりません。この天下はあなた様でなければもう、まとめあげられません。だからと言って義昭公を殺すのは世間体が悪すぎる。……であれば上様、とるべき方法はただひとつ。毛利家と義昭公を、揃って配下とするのです。そして天下の座を、足利から織田へ、簒奪ではなく禅譲という形にしたように、世間に見せるのです」


「あの義昭公が、承知すまい」


「いえ、するのです。……俺のいた未来では、義昭公は藤吉郎の配下となりました。羽柴筑前の下座に座った者、上様の下座に座らぬ理屈がございましょうや」


「言うわ。……ふむ。あの藤吉郎ができたことを、この信長ができぬ理屈もあるまいな」


 信長は薄い笑みを浮かべた。

 さすがにプライドが刺激されたらしい。


「しかし山田、義昭公を我が配下にせいと言うのは、世間体が理由ではあるまいが」


「は。……」


 俺は、しばし目を伏せて、


「斬り捨てる時代を、終わりにしたいと……俺はそう思っています」


 自分の考えを述べた。


「この乱世は暴力と実力がすべての時代でした。その気風に乗っておのれが出世したことも否定しません。実力や殺害が必要だったこともあると思います。……両手が血に濡れたこの俺が言うのも、口はばったいとは思いますが――」


 ふと、俺の作った武器で亡くなった、あの青山聖之助さんや、熱田の銭巫女、さらに今川義元や武田信玄などの顔が浮かんだ。さらに、俺の出世の影で散っていった無数の敵たち――


「しかし、上様の天下が固まり始めたこの時代、もはやその時代は終わらせねばならないと思うのです」


「余が佐久間を捨てたことを、まだ恨んでおるか」


「恨んではおりません。ただ、そういう時代は終わらせねばならないと考えているのです」


「で、あるか」


「弱者の切り捨ては、長い目で見れば、国益さえ損なうと――」


 俺は、21世紀の日本が抱えている諸問題――例えば格差社会や少子化問題の数々――を頭に浮かべながら、言葉にした。


「藤吉郎は、毛利に義昭公、さらに上杉、長宗我部、大友に島津、伊達、さらに徳川家康様まで、殺さずに配下としていきました。……すべてがそうではなく、例えば関東の北条などは滅ぼすことになりましたが、それでも、すべてを滅ぼしはしなかった。上様も、そのような天下人になっていただければ……この山田弥五郎は、そう思うのでございます」


「余の手本が、藤吉郎か。この信長に、秀吉のごとくなれと申すか」


 信長は、じっと冷たい眼差しで俺を見た。

 まずい。さすがに言葉を生で言いすぎたか。俺は慌てて平伏したが、


「よい。……よかろう、藤吉郎は余から見ても見事な武将じゃ。未来の藤吉郎がそうして天下を一統したというのならば、余が意地を張っても仕方があるまい。……山田弥五郎の言や良し。聞き入れよう」


「はっ」


「義昭は殺さぬ。なんとしても余の下に引き入れよう。また天下の気風も改めるべし。……考えるまでもないことであった。ただ敵を討ち滅ぼし、頂点に立つだけが天下人の役目ではない。


 荒廃極まる人心を改め、争いなき地上を新たに作り上げる。頼朝とも尊氏とも違う、まったく新しい世界を作る。いわば天下創世。それこそが信長のやるべき天下布武であったわ!」


「ははっ!!」


「山田。余は死なぬ。新たなる日本を創りあげるために、これからも力を貸してくれ」


「ははぁっ!!」


 俺は改めて、信長に頭を下げたのであった。




 1582年(天正10年)、5月7日。

 毛利方の備中高松城を、羽柴秀吉軍が包囲する。


 包囲より少し前に秀吉は、高松城の南側に、土嚢どのうを用いた堤防を築きあげた。そして城に西側を流れる足守川をせき止めて、水を流し込み、城を水没させたのである。いわゆる『高松城の水攻め』であった。


 この土嚢代や、作業の代金は膨大なものがあった。

 そのためその代金は神砲衆が用立てたが、それでも「足りーん!」とカンナがわめき散らしたため、俺は堺に向かって走り、会合衆に頭を下げ、永楽銭20万貫を借金した。保証は、織田家がしてくれた。


 とはいえ、そのおかげで水攻めは実行された。

 ところで、水攻めの堤防を築き上げたのは高松城の近くに住む農民たちだった。

 その農民たちに手当を払ったため、彼らは一時的に富裕となり、高松城近隣には一時的だが現金が溢れた。一種のバブルである。


「そこで百姓の皆々様に、都から運んできた米や漬物、さらに反物、絹織物などを売りさばいたらえろう儲かったらしいばい」


 と、堺の宿屋でカンナが言った。


「売りさばいたって、誰が売ったんだよ」


「小一郎よ。あれもなかなか、がめつい男になってきとるよ。戦場で商いをやるんやからねえ」


「やつに商いを教えたのはカンナだろう」


 と、伊与が言ったので、カンナは軽く舌を出した。


「そやけどねえ、相手がものを知らん百姓やと思うて、高値で売ろうとしたらしいけん、藤吉郎さんに注意されたらしいよ。さすがにみっともなすぎる、織田家の名前に傷が付くからやめろ、って。せっかく儲かる機会なのに、って、ふみでぶうぶう言いよらすと」


「そりゃ藤吉郎の言うとおりだ。小一郎が、がめつすぎる」


 俺は大笑いした。


 そのとき、宿の中に五右衛門が入ってきた。


「うおーい。南蛮商館に話をつけてきたぞ。かすてーらも金平糖も買える。これを安土まで運べばいいんだろ?」


「ああ、徳川様接待のためだからな」


 俺たちが堺にいるのは、会合衆に頼んだ借金の件と、家康接待のための食品集めのためだった。


「よし、堺の仕事は終わった。安土に帰ろう」


「弥五郎、あんたも難儀やね。明智と対立しながらも、いちおう明智のために働くんやから」


「うん、まあ、それはそれ、ってやつだな。……家康の接待は信長の命令でもある。それなら俺は動くさ。……帰ろう」




 5月13日。

 俺は伊与たちと共に安土に帰ったが、すぐに信長に呼び出された。


「天下のことで相談がある」


「はっ」


「余は義昭公を下すことに決めた。しかしあの義昭公がそうそう余の配下になるとは思えぬ。そもそもやつはまだ、現職の征夷大将軍だ」


「そうでしたね。そして太政大臣が近衛前久公、関白が九条兼孝公」


「さすがによう知っておる。……そう、その将軍、関白、太政大臣の三職のいずれかに就くように、余は先月、朝廷より打診を受けておったのだ。即答はできぬと思い、放っておいたが……」


「お受けになりますか」


「そうすれば、義昭公を下すことに大義名分が立とう。しかし余が受ければ、やはり天下の簒奪とみなされるやもしれぬ。そこで余は、嫡男の奇妙丸(信忠)を、三職のいずれかに就けようと考えておる」


「……よろしいかと存じます。天下が織田の世襲となることが、これにて決まり、畿内の人心も安定することでしょう」


「山田は賛成か。天下の世襲は良くない、とでも言い出すかと思うたが。……はるかな未来では、政治を世襲で行わぬ道もあるというが」


「それも段階によりけりです。……まだ戦国の天下は完全に安定しておりません。そこで世襲ではないやり方を提示しても――例えば、上様のあとを柴田様や丹羽様が継ぐ、などと発表したら、それこそ天下の人心が混乱するだけでしょう。


 上様、ならびに殿様が天下をがっちりと定め、織田家の一門の方々が能力に応じてそれを支え、さらに羽柴、柴田、丹羽、池田、滝川、前田、佐々……といった重臣家が支えてい天下となるのが、現状、もっともよろしいかと」


「よかろう。余の考えとよう似ておる。……我が一門にもいろんな者がおる。嫡男の信忠はよき器じゃが、次男の信雄はどうにも頼りない。三男の信孝や四男の秀勝は少々ましだが、あれも重臣の支えがなければひとり立ちはできまいな」


「それも、これからですよ、上様。……俺がいた未来の徳川家は、主家の血筋が絶えぬように御三家という仕組みを作り、譜代は強い権限を有するが石高は少なく、外様は石高こそ高いが政治に関われぬ、といったようにして釣り合いをとっていました」


「ふむ。そのことは前に聞いた」


「徳川の仕組みを参考にすれば、今後、織田家の覇権は揺るぎないものとなるでしょう」


「藤吉郎の次は竹千代か。余はやつらを参考にしなければならんのか……」


「織田家あればこその羽柴と徳川ですよ。……そう、これは言っていませんでしたね。未来にはこういう歌もあるのですよ。『織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川』……」


「あの徳川が最後に食らうか。ますます歯がゆい」


「しかし最初に餅をついたのは織田様です。すなわち、戦国天下餅の一番槍はまぎれもなく織田家であると、未来でも認められているのですよ」


「おだておるわ。そちはいよいよ藤吉郎に似てきた」


 信長はニヤリと笑って、


「よかろう。余の腹はいよいよ定まった。三職には信忠を推挙する。義昭は織田家の下にする。そして――そうじゃな、棚上げしておった四国攻め、あれも三男の信孝に任せる。補佐は――丹羽五郎左が良かろうな」


「四国攻めを。……なぜ、三七様(信孝)と丹羽さんなのですか?」


「次男の信雄は昨年、伊賀攻めをやらせた。あまりうまい戦ぶりでもなかったが、家臣たちの支えもあってまずは成功した。ならば次は信孝よ。支えるのは、温厚なる丹羽が良い。明智は――」


 信長は首を振った。


「余の目指す天下のやり方に、もはやそぐわぬ」


「すべてを打ち倒していく、戦の天才、明智のやり方が」


「明智に任せれば、四国の敵をすべて滅ぼしてしまう。もはやそのやり方を余は必要とせぬ」


「ご英断と存じます。……しかしそうなると明智殿は、おそらく怒るでしょうね」


「……。これで本能寺に繋がるのか?」


「……おそらくは」


 四国攻めの仕事も、義昭征伐の仕事も、他の家臣がやる。

 さらに、信長の思想と明智の思想が噛み合わなくなってしまった。


 明智の立場が、本人のあずかり知らぬところで消えていく。

 それをやったのはこの俺なのだが……。


「……よかろう。明智がこれを不満に思い、謀反を起こすというならば、余がみずから受けて立つ。そもそも一家臣が謀反を起こすかどうかでいつもびくびくしているのも、余の性に合わぬ。


 山田、明智の動きに気をつけよ。

 余も気をつける。殺されはせぬ。

 そして明智がわずかでも不審な動きを見せたら、そのときは、……討つ」


「……はっ!!」




 5月15日、安土城に家康率いる徳川家の面々が到着した。


「よういらっしゃった、徳川殿」


 この日の信長は、妙に、家康相手にへりくだる。

 家康も、少し戸惑ったように、


「安土にお招きいただき、感謝の言葉もございませぬ」


 と、頭を下げるのだった。


 家康も昔より丸くなった。

 若いころは――そう、藤吉郎と一緒に今川領に潜入したときのことだが――あのころはなにかにつけてカッカしていた、火の玉小僧みたいな印象をもっていたが、もっとも家康も、もう40歳を超えた。落ち着きが出るのも当然だ。


「京の都に堺の南蛮商館、またこの安土城下の名物を取り揃えましてござりまする」


 明智光秀が現れて、徳川家の面々を相手に解説を開始した。


「徳川家の皆々様は、ぜひともおくつろぎいただき、名物珍味の数々をお楽しみいただければと存じまする」


「かたじけない、明智殿」


 家康は頭を下げた。


 料理が次々と運ばれてきた。

 近江名物の鮒寿司に、うなぎ、アワビ、ハモの料理。

 さらに鳥を焼いたものに、カニ、するめ。茄子の味噌漬け。そしてこの時代には貴重品だった椎茸の煮物まで。


 さらに家康の好物だった鯛の刺身が運ばれてきたが、これはなんと信長みずから家康の膳を運んだ。


「織田様、かようなことまで……」


「いやいや、構いませぬ。徳川殿には長年のご苦労と骨折り――この信長、感謝の言葉もない。これくらいはさせていただきたい」


 これはどういうことだろう――

 と、酒井忠次や本多忠勝など、徳川家臣団はお互いに目配せをしあっていた。


 だが俺には分かる。

 これは信長の、ただの好意だ。

 家康相手に、長年の苦労を感謝して、このような行動に出たのだ。


 家康も、察したらしい。

 目を細めて、「ありがたくお受けする」と答えた。

 それを聞いた信長は、嬉しそうだった。




 そんな家康の接待を、俺はひそかに中座した。

 意味もなくいなくなったわけじゃない。南蛮商館から購入したかすてーらや金平糖が、間違いなく家康の膳に出るか確認したかったのだ。予定ではこの後、甘味。すなわち食後のスイーツとして徳川家に出されるはずだ。

 

「弥五郎」


 声をかけられた。

 振り向くと、なんとそこにいたのは松下さんだった。


「松下さん。来ていたのですか」


「末席だけどね。この後は徳川家と離れて長浜に行く。駿河湾で獲れた魚を干したものを、長浜の市に届けるお役目さ」


「そういうことでしたか。……おっと、いけない」


 俺は松下さんとの雑談をいったん止めて、かすてーらの手配がちゃんとできているか、台所に向かっていき、確認した。


 大丈夫だ、問題ない。

 この後、ちゃんとスイーツは家康の前に出るはずだ。


「多忙のようだね。接待係は明智殿だと聞いたけれど」


「そうですが、自分が関わったところはちゃんと確認しておかないと不安で」


「相変わらず生真面目だな、弥五郎は」


「性分なんで、仕方ありません。……松下さん、かすてーらの余りが実はあるんです。こっそり食べませんか?」


「おお、いいね。いただこうか」


 俺と松下さんは、安土城の台所裏で、こっそりとかすてーらを二人で食べた。


「美味い。初めて食べるが、こんなに美味いのか、かすてーらは」


「絶品でしょう。……砂糖を使うと高値ですが、蜂蜜を使うことでもう少し安く作れるようになるはずです。うまくいけば、10年後にはもっと多くの人が食べられるようになるかも」


「夢のような世界だな。このかすてーらもそうだが、徳川様に出された珍味名産の数々。都や安土だけでなく、さまざまな国から集められた食品を楽しめるとは。昔では考えられなかった」


 松下さんはしみじみ言ったが、確かにそうだ。

 戦国乱世。野盗山賊。数々の関所。悪路に国境。


 昔の日本は、人が自由に動くことが難儀だった。

 だから食べ物もろくに動かず、みんな、もっと飢えていた。


 しかし信長は畿内を平定し、各領国の関所を廃止し、治安をよくし、楽市楽座を作り、ときには座を統制して、商いを活発化させることで、それぞれの国の物産がより活発に流通しはじめた。


 俺は先ほどの、信長と家康のやりとりを思い出す。


「これこそが泰平の醍醐味ですよ。このままいけば、みんながもっと幸せになれます。みんながお腹一杯にごはんが食べられる天下が来ます。上様と徳川様の手で」


「ずっとそうなったらいいな。そうすれば、また某と藤吉郎と弥五郎で、三人で語り合える日が来よう」


 松下さんは目を細めた。


 まったくだ。

 天下泰平は近い。


 誰もが求める幸福が、来ようとしている。

 俺と藤吉郎が、かつて求めた世界が。


 ……明智光秀。

 お前がこの世界を壊そうと言うのなら……。




 徳川家一行は接待が終わった翌日、堺に向けて旅立った。

 南蛮船も出入りするあの商業都市を、一度は目にした方がいいと信長が薦めたためだ。家康はそれを受けた。


 さて、まさにその日。

 信長は明智光秀に伝えた。


 四国は信孝と丹羽長秀が攻める。

 毛利家はこのまま秀吉が攻め、そして足利義昭は滅ぼさず、信長みずからが配下とするように動く、と。そのために信忠を三職のいずれかに推薦する、と。


 光秀は、叫んだらしい。


「では拙者は!」


 その叫び声があまりに巨大だったので、たまたま安土城に来ていた宣教師のルイス・フロイスが聞いてしまっていた。


「拙者はなにをすればよろしいか。四国のことも義昭のことも任せぬとおっしゃるか。ならば拙者は、明智家は――」


 それに対して。

 信長は答えた――



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