第29話 安土の天主で爛々と

 4月。

 俺は安土城下の自宅にて、商務を執り行っていた。

 毛利攻めをしている秀吉、北陸で上杉景勝と戦っている柴田さん、まだ関東に残っている滝川一益らに、兵糧や武具、弾薬を送る手配をしていたのだ。


「尾張の米と三河の味噌を、津島の港から堺、さらに姫路方面に送る、と。逆に姫路の町で買い集めた革や紙、染め物を津島へと送る、と……」


 筆を走らせ、手紙を書く。

 手を叩く。男がやってきた。

 手紙を渡す。男は急いで山田屋敷を出ていった。


「これでよし。……と、次は駿河から送られてきた木綿か。松下さんからだな。……と思ったら樹からの文も届いているじゃないか……」


 先日の甲斐攻めからこっち、俺はずっと信長に貼りついていたので、せっかく駿河にも出向いたのに樹と会う時間もなかったので、こうして文通である。


 内容は大したものではなかった。

 駿河に来られたのに会えなかったのは残念です、お母様にカンナ様に、牛神丸にもよろしく、とある。


「しかし、父親相手にこういう気遣いができるようになるとは、あいつも大人になったな……」


「あー、弥五郎が独り言ば言いよる。年食ったねえ、あんた」


 博多弁が室内に響いた。

 俺は手紙を見ながら、ふんとうめいた。


「独り言くらい言わせろ。朝からずっと一人で商いなんだ」


「なんね。一人でブツブツ言いよったら、変な人ち思われるから、教えてやったんに。好かーん、もう」


「用件はなんだ? 亭主の独り言に文句を付けに来ただけか?」


「冷たあ。旦那様に会いに来るのに用がないといかんとね? ますます好かーん。……はい、これ。博多の神屋さんから文が届いとったと」


「お。博多商人からか」


 博多商人である島井宗室、神屋宗湛の2人と、俺たちは手紙でやり取りを繰り返していた。

 俺が博多商人とのパイプを築き上げることで、秀吉とも繋がりを作り、織田政権下における羽柴家と山田家の地位をより高めようとする作戦のひとつだった。


 島井宗室、神屋宗湛の2人もまた、信長とお近づきになりたかったようで、渡りに船とばかりに俺たちと手紙のやりとりをするようになった。――そして、


「ふむ。5月には神屋さんたちが上洛されるそうだ。上様にお目通り願いたい、と」


「よかったやない! これで織田家と博多との繋がりもできるし。あたしも博多の人とやっと会うことができるし!」


「そうだな。カンナにとっては遠い遠い故郷だもんな」


 津島で商売を始めてからもう30年になるが、博多と繋がるまでこんなに時間がかかるとは思わなかった。


「博多から手土産も持ってくるそうだ。織物や反物、それに明や南蛮の産物。……上様がまた喜ぶぞ」


「毛利家を下して、博多と商いができるようになったら、織田家の領内がますます便利に豊かになるばい」


「そうだな。甲斐や信濃にまで、博多の産物を届けられる日も近い……」


 武田家を下した信長は、甲斐と信濃、両国の関所をただちに撤廃した。

 さらに嫡子の信忠とも協力して、道路を整備し、橋の修理や建設にも取りかかり始めている。


 そして織田領や徳川領から、余っている食料を旧武田領に回したため、甲斐や信濃の領民は飢えと無縁になった。


 特に塩を安価で供給したのは大きかった。

 信長の領土は海に面しているところが多く、塩はすぐに手に入る。

 甲斐、信濃は常に塩不足であったが、信長が大量に塩を送ったために塩不足が解消したのである。


「このまま、上様の天下が続けば、万民が幸せになれるたい」


「そうだな。…………」


 と思いつつ俺は、もしも本能寺が起きたときのための用意を進めていた。


「カンナ。羽柴軍に銭を送ってくれ。藤吉郎が間もなく備中高松城を水攻めにする。銭がいくらあっても足りないはずだ。……と同時に、姫路城にもこっそりと、金銀を隠しておいてくれ。その金は、万が一のときに役立つ金だ」


「……本能寺が起きたときのために?」


「……まあな」


 ――さらに。


 先日、甲斐攻めをしたときに松下さんと出会った俺は、彼を通じて徳川家に手作りリボルバーを20丁、献上した。本能寺が起きたとき、家康は堺の町を見物していたはずで、そこから命からがら三河へと退却をするのだが、そのときのためにリボルバーはあったほうがいい。


 さらに俺は、次郎兵衛を通じて足利義昭の下にいる和田さんとも連絡を取った。


「なにも聞かずに、手伝ってくれないか。6月の始めに、配下の甲賀忍びをなるべくお借りしたい。そして、さるお方をお守りして甲賀にお連れしたい。むろん、謝礼はお支払いする。なにもなくても、お支払いする。……ただしこのこと、くれぐれも義昭公には露見しないように」


 和田さんは、「恩人たる山田うじの頼みならばなんでも引き受けよう」と手紙で言ってくれた。余計なことを聞いてこないのが本当に助かった。手紙の最後には「久助(滝川一益)によろしく」とのみ記されていた。


「久助か。そうだな、あいつにも連絡をしておかないと」


 俺は関東にいる滝川一益にも、なにかあったらとにかく生命を大事にという手紙を送り、こちらにも護身用のリボルバーと、南蛮鉄を使って作った胸当てを送っておいた。本能寺が起きたら、滝川一益も敵に追われて窮地に陥るからだ。


 そのときだ。

 伊与が部屋に入ってきて、


「俊明。明智家の料理人が来ているぞ」


「明智の料理人が……? なんの用だ?」


「徳川様の接待に鯉料理を出すそうだ。その料理に使う味噌や塩が欲しいが、分けてもらえまいか、と。神砲衆ならば良い品を持っているから、と……」


「なんだ、そんなことか。……いいぜ。台所なり蔵なりに入って、良いものを持っていけと伝えてくれ」


「分かった」


 伊与は去っていった。

 徳川家康の接待か。そうか、もうそんな時期か。

 家康が来るのは来月のはずだが、もう明智は準備を進めているんだな。


 明智光秀。

 現状、謀反の兆しはまるで見えないが……。


「……弥五郎。……本当に明智光秀は謀反を起こすんやろうか……」


「そのはずなんだがな……」




 4月の末。

 天主に信長、俺、明智光秀、丹羽長秀の4人が集まり、家康接待の件や、博多商人上洛の件について話をしていたが、そこへ信長気に入りの家臣、森成利もりなりとし――通称は乱。信長は若い頃から『蘭丸』というあだ名で呼ぶことが多いが――その森がやってきて、声をあげた。


「備中の羽柴殿より急ぎの使いが参りました」


「羽柴から? 申せ」


「はっ。羽柴殿、備中国、毛利方の冠山城を攻略! 300人余りの敵兵を討ち取ったとのこと。また続いて、同じく備中国の宮地山城を攻撃中。黒田官兵衛殿、蜂須賀小六殿の活躍により落城寸前とのこと。――さらに、毛利方の上原元祐うえはらもとすけを調略。味方に引き入れたとのことでございます!」


「上原を……!?」


 明智が呆然とした。

 すると丹羽長秀も、驚いた表情で、


「上原元祐といえば、毛利元就もうりもとなりの娘婿だった男。すなわち毛利の一門でございます。それが我が方に下ったとは……!」


「報告はまだございます」


 森は、さらに続けて、


「瀬戸内の海を根城として活動している、能島のしま来島くるしま塩飽しわくの海賊たちも次々と、当家への帰属を申し出てきたとのこと。……これで瀬戸内の海の半分は、完全に上様のものとなりました!」


「なんと。見事だな、羽柴筑前……!」


 丹羽長秀は、明るい笑みを浮かべ、


「我が苗字、丹羽の一字を与えた男だが、これはもう完全に抜かれてしまったな。はっはっは、妬む気持ちも起きん。筑前守はまったく、古今無双の名将よ! のう、森乱」


「はっ。……羽柴殿は、わたくしが上様の側近だけを務めていたころから、大手柄を次々とお立てになるお方で、まったくいつも驚かされます」


「はっはっは、それはな、森乱。筑前の吹聴癖よ。やつはいつも、自分の手柄を上様だけでなく、周りの人間にも大げさに吹きまくる癖がある。しかしこたびは紛れもなく大手柄よ。……山田、相棒のそなたも鼻が高いであろう」


「まったくです。今回ばかりは吹きに吹いても構わないと存じます」


 俺は丹羽さんの言葉にうなずいた。

 まったく秀吉は、丹羽さんの言うとおり、誰も彼もに自分の功績を吹きまくる。だから信長の側近は戸惑うことも多かったし、滝川一益や佐々成政のように生理的に合わないという人間も出てきてしまうのだが……。


「侍ほどの者は、秀吉にあやかりたく存ずべし、よな……」


 そのとき信長が、ニヤリと笑って言った。

 その一言で、秀吉の大手柄が公式に認められた。


 年末に俺と秀吉に向けてのみ発した言葉ではなく。……丹羽、明智、森といった織田家の家臣たちの前で出した言葉だからだ。


「…………」


 明智は、無表情に戻っていた。

 ただ、あまり面白いとは思っていなかったようだ。

 信長が秀吉を完全に賞賛したのは、自尊心の強い光秀からするとあまり愉快でないのは当然だが、


「上様」


 その明智が口を開いた。


「……なんだ?」


「恐れながら。羽柴殿が毛利を攻め滅ぼしたあかつきには、この明智十兵衛は毛利領に派遣してくださいませぬか」


「なに? ……何故じゃ」


「公方様のことでございます」


 足利義昭の話題だと?

 明智は急に何を言い出すのか……。


「拙者、申し上げるまでもなく、足利将軍家には義輝公の時代から忠誠を誓っておりました。将軍家には繋がりがあり申す。……ならば、その死に水を取るのも、かつての家臣の役目」


「なにが言いたいのだ。はよう申せ」


「はっ、それでは。……上様に逆らいし悪公方わるくぼう、足利義昭を、この光秀の手で討ち取りとうござる!」


「なに!?」


「羽柴殿は世に知られた公方嫌い。義昭を攻めれば、義昭もその家臣たちも死に物狂いで抵抗し、こちらの損失も大きいことでしょう。……また上様自らがお攻めになれば、世間は上様のことを公方殺しと呼ぶでしょう。


 そこで拙者でござる。拙者ならば義昭の周りにも知己が多い。敵は油断するはず。……そこを攻めまする。……そして公方を打ち倒す。公方殺しの烙印は、この明智だけが受けまする! 上様がお手を汚してはなりませぬ!」


 明智……。

 すごいことを言う。

 まさか、ここで義昭殺しを公言するとは。


 秀吉に手柄を取られたのが悔しいのは分かるが、ここで義昭討ち取りに名乗り出るとは。


「明智。そちにできるのか。公方を殺す役目が」


「できまする。……いまにして思えば、あの無能が15代将軍になったことは天下の不幸。義昭が将軍にならなければ、あの元亀時代の相次ぐ苦戦もなく、織田家の諸将が無駄死にをすることもなかったのです」


 森成利が、そっと顔を伏せてくちびるを咬んだ。


「無能は罪でござる。無能が天下を支配したからこそ、この永遠とも思われる戦国乱世が100年も続いたのでござる。……いまこそ完膚なきまでに足利の血筋を絶やすとき。無能をいまこそ完全に滅ぼし、上様が天下の秩序をお作りになるときがきたのです」


「……で、あるか」


「上様。この明智に義昭攻めを。武田攻めでは兵を使わなんだゆえ、この十兵衛の下には10000の兵が元気いっぱいでございます。徳川様の接待が終われば、ただちにこの明智が出陣いたしまする。……上様、どうか、お下知を!」


 明智の目が、爛々と輝いていた。

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