第28話 武田家滅亡
「山田。山田はおるか。――」
「はい、ここに!」
信長に未来のことを打ち明けてから、俺は安土城天主に呼び出されることが激増した。
無理もない。なにしろ未来人だ。俺が信長の立場でも話を聞きたがるだろう。
「よし、よう来た。今宵も思う存分、語り明かそうぞ。――堤と蜂楽屋も、構わぬ。余の下へ参れ」
「はっ」
「はいっ」
そして伊与とカンナも、俺と共に信長の御前に登場することが多かった。
言うまでもなく、この二人は俺の転生を知っているからであり、これは信長に言わせると、
「余と堤と蜂楽屋は、山田から未来を知った者同士。いわば朋友というわけだな」
ということらしい。
信長から朋友扱いを受けて、伊与たちは恐縮した。
若いころから知っている仲とはいえ、伊与たちと信長の面識回数そのものはそう多くないし、特に交流が深かったわけでもない。それでも、未来を知ったという一事だけで、信長は伊与たちと共にありたいと思ったらしい。
「光栄の至りだが、上様と夜話を共にするのは緊張する……」
「分かるよ~。でもあたしは大分慣れてきたとよ。上様、
天主から下城しているときに、カンナは笑いながら言ったものだが――
とにかく俺は信長の求めるままに、未来のことを語り尽くした。
それにしても信長は伊与たちと違い、とにかく未来の話を貪欲に欲した。
信長が特に好んだのは幕末から太平洋戦争の敗戦あたりまでの流れで、なぜそうなるのか、世界はそのときどうだったか、武器や道具はどうしてそう進化したのか、農商業や物流はどう流れているのか、飛行機とはなにか、鉄砲はどうしてそう進化したか、民主主義とはなにか、幕末に活躍した面々の子孫は昭和に入ってからなにをしているのか、織田家や徳川家の子孫はそのときなにをしているのか――などなど。好奇心が無限に湧いてくるようで、俺は答えるのが大変だった。それでも知っていることは可能な限り、話した。
「徳川の時代に、外国との交流を極端なまでに減らしたことが、のちのちの日ノ本にまで響いているように思えるな」
信長は、小さな声でそう言った。
「次郎三郎(家康)本人は南蛮の文化にも興味を持つ、頭の柔らかい男なのだが、その子孫たちが国を閉ざすほうに向かうのか。余には、進取の志に欠けるように思えてならぬが……今度、次郎三郎には堺の見物でもするように勧めてみよう。なにかしら、未来の日ノ本に影響を与えるかもしれぬ」
信長はほとんど独りごちるようにそう言ったが。
俺は、少し慌てて、
「上様。徳川家の時代になるということは、上様が――織田家が天下の表舞台から消えてしまうということですよ」
「――おう、そうであったな。……どうもいかん。話があまりに巨大であるゆえ、他人事のように考えておった。……そうであった、ふむ……」
信長は、珍しく髭を撫でながらそう言った。
さすがの信長といえど、情報をまだうまく処理できていない感があるな。
それでも俺は連日連夜、信長と会っては話を繰り返した。
もっとも。
あえて、話さなかったこともある。
例えば、史実において秀吉が信長の娘を側室にする話や、信長の三男・信孝が秀吉に殺されてしまう話など――
明らかに信長の感情が乱れそうな話は、いまはまだ話さないほうが得策だと判断し、黙っておいた。
なんでも正直ならいいってもんじゃない。
伊与たちにもそう言っておいた。
それに。
もし本能寺の運命を回避できれば、秀吉が天下を取ることは恐らくないんだからな。
そうなれば、側室も子殺しもへったくれもない……。
――逆に言えば、信長が亡くなれば、恐らく史実のように世界が進み、秀吉は信長の息子を殺すことになるのだが、……なぜ、そうなるのか。
答えは簡単だ。信長の息子は秀吉の天下取りに邪魔だったからだ。
と、頭では理解できる。……しかし、あの藤吉郎秀吉が、信長が死んだからといってただちに織田家の面々をいきなり支配下に置いて天下取りに動き出す姿が、少なくとも俺には、感情的にあと一歩理解できないのだが……。
そして。
肝心の明智光秀について信長は――
「話はよく分かった。明智が謀反を起こすこと、嘘ではあるまい」
と、俺の話を信じてくれた。
俺は思わず、「おお」と笑顔になったが、
「ただし、だ。だからと言って、明智をただちに斬ることもできぬ」
「……。なぜでございますか?」
「織田家第一の功労者である明智十兵衛を、まだ罪もないのに処断はできぬ。まして、反乱の理由さえ分からぬようではな」
……そう。
それなのだ。
本能寺の変。あの謀反を明智が起こした理由は後世でも謎である。
明智はなぜ信長を殺したか?
怨恨、野心、朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説、さらには秀吉や家康が黒幕という説など、さまざまな説が江戸時代から飛び交っていたが、確たる理由は分からないままだ。
「それが分からぬ以上、余とて対処のしようがない。……仮に十兵衛本人を処罰するとしても、理由がなければ、その後に明智家の面々が必ず余に弓を引こう」
「明智家が……」
「明智家の重臣、
そう話していて俺も気付いた。
本能寺の変は、明智光秀が信長を殺した事件だ。
しかし、光秀個人が怒り狂って信長を斬ったわけではない。
明智家の軍団が、信長を襲撃して殺害したのだ。
となれば、光秀個人だけではなく、明智左馬介秀満や斎藤内蔵助利三といった、明智家の重臣たちの意思も当然入っている。……いくら光秀個人が「信長を殺す」と言っても、明智秀満たちが反対をすれば、当然、それは通らないだろう。
明智家の重臣たちが「信長討つべし」と決めるなにかがあったのだ。
だからこそ、明智家は万を超える軍勢で信長を襲ったのだ。
その理由が俺には分からない。
分からない以上、信長も――光秀を処断はできない。
と、理由は分かるが、
「佐久間さんや林さんとは、ずいぶん違うのですね」
俺は言った。
「佐久間さんたちのときは、あっさりと追放したのに」
「やつらには罪があった。佐久間は怠慢、林はかつて余に逆らった。……特に林などは、あの勘十郎信勝に組したこと。いかに昔とはいえ、あれがどれほど絶望的な状況だったか、余がどれほど危機に陥ったか、山田、そちならばよく知っておろうが」
「はっ……」
「柴田権六ほど、のちの働きが良いわけでもない。で、あるからこそ林は追い出した。……そして、佐久間や林――やつら自身やその家臣団は余に逆らうまいという確信があった。……現に、追放をしても佐久間家の軍団は謀反の兆しさえ見せなかった。……ゆえに、安心して追放ができた……」
「佐久間家が、謀反をするような軍団ならば追放はしなかった、と?」
「それほどの気概があれば、余はむしろ見直しておった」
「…………」
「山田。明智のこと、むろん、気をつける」
と、信長は言った。
「少ない人数で領内を動くような真似はせぬ。信頼できる供の者も増やそう。やすやすと十兵衛に殺されはせぬわ」
「……はっ」
「それに余とて無策ではない。心配をするな。……明智のことは心に留めておく。……余は殺されぬ。天下布武は必ず、この信長が成し遂げるゆえな」
明智光秀のことは心に留めておく。
その言葉に、嘘は無かった。
2月から始まった武田攻めにおいて、信長は明智軍に出陣の命令を下さなかった。
嫡男の織田信忠や滝川一益、さらに徳川家康などを中心とした軍で武田家を攻めた。その数は総勢で6万にも達していたため、あえて明智軍を動員せずとも良かったわけだが、光秀本人は、少人数でもいいから軍を率いて戦いたかったらしい。
だが信長は、光秀に軍を出すことを認めなかった。
「奇妙丸(信忠)に次郎三郎、滝川もいる。余分の兵は要らぬ」
ということだったが、信長自身が明智光秀の動きを警戒していること、俺の目には明らかだった。
かくして織田軍は甲斐の武田勝頼を倒すために進軍を始めたのだが、その軍の中には俺と伊与、カンナ、そして神砲衆300人も加わっていた。神砲衆は今回、信長本陣の護衛として軍に加わっている。
これもやはり、信長が俺を信頼し、明智に対して警戒をしているからの配置だろう。
明智に謀反の兆しがあれば、ただちに処断。
そういうことなのだろうが――
「……ならば、早く斬るべきではないか?」
甲斐へと向かう道中、伊与は小さな声で俺に言った。
「いかに明智が重臣とはいえ、謀反を起こすと分かっているならば、ただちに斬るべきだ。……明智の家臣団もここにはいない。戦のどさくさに紛れてやるという手もあるぞ。それなのに」
「物騒なことを言うな、伊与は。暗殺なんて口にするようになったのか。怖い、怖い」
「茶化すな。……上様らしくないと思っているのだ。あの英明果断で知られた上様が、なんて動きが鈍い。処断が嫌ならば、口実を設けて、あの黒田官兵衛のように安土城内に幽閉をしてもいいものを」
「伊与の言うことも、もっともだ。……だが俺にはむしろ、実に上様らしい動きに見えるがな」
「……? なぜだ……」
「明智に対して警戒をしながらも、同時に、明智がなぜ謀反を起こすのかを見極めようとしている。そして、……できるならば、謀反を起こさない未来にしたいと、そう考えておられるのだろう」
「なにを。……それは、いくらなんでも甘すぎる――」
「甘いのさ」
俺は断じた。
「いつだって、上様はお甘い方なのさ。藤吉郎でさえ言っていたことさ。甘い。優しい。天下布武を口にしながら、いざというときはいつだって甘い。昔からそうだ。謀反を起こした弟の勘十郎だって一度は許した。
敵対していた斎藤龍興や、信長包囲網を敷いた足利義昭だって追放で済ませた。佐久間さんや林さんのことだって、……嫌なやつだと思ってからも、けっきょく、追放するまでに何十年とかけた。
そうだろう。上様が本当に、人間に対して残酷残忍であるならば、林さんなんてもっと昔に殺されていたはずなんだ。……そういう方なんだ。
よく思い出してくれ。伊与だって最初は、仕方が無いとはいえ織田信長軍と敵対していただろう? 又左(前田利家)と戦った萱津の戦いさ。……考えてみれば、上様ほどのお方が、そこを見逃すはずがない。上様がその気になれば、伊与を追放することもできたはずなんだ。……かつて、余に敵対した女だ、と言ってな。そうじゃないか? それこそ口実なんて、なんとでもなるのだから」
「それは……それは、そうだが……」
「もちろん上様はそんなことはしない。そんなことをする意味もない。けれども、……やっぱりあのお方は寛大で、優しいから――」
だから俺は、信長を殺したくはない。
本能寺の運命を回避したい。そう思ったんだ。
例え歴史が変わろうとも。親友、秀吉が天下人になれないとしても。
藤吉郎と同様に、俺も信長が好きなのだ。
武田征伐は、おおよそ二ヶ月で成った。
織田軍は武田の領国に侵入して次々と武田勢を攻撃、攻略。
徳川家康も、武田勝頼の親族であった穴山梅雪を説得して降伏させる。
そして1582年(天正10年)3月11日。
武田勝頼は滝川一益の攻撃によって自刃。これにより武田家は滅亡した。
織田家にとって、長い戦いだった。
俺にとっても、あの川中島で信玄を見て、信玄本人を暗殺して、……武田家とはずいぶん長い因縁があったが、それが滅びたことに感無量の思いだった。
「弥五郎。ついに武田を倒したな!」
「松下さん!」
武田攻めが終わった直後、織田軍と徳川軍が合流したのだが、そのとき俺に真っ先に声をかけてきたのが、徳川軍の中にいた松下嘉兵衛さんだった。
徳川家中にいながら、羽柴家中、山田家中と交流、交易を行う役目を果たす松下さんだが、対面するのは久しぶりだ。俺は松下さんと再会を喜び合い、
「あの川中島から何年だ? 長い長い戦いだったな」
「二十何年ですね。あのときは確か飯尾さんもいました」
「いたな。……あの方も、悪い方ではなかった。……武田勝頼も、きっと、悪党ではなかったと思うのだが、武運が尽きた。これも乱世の習いというわけだ」
松下さんは、武田勝頼が亡くなったという田野の地に顔を向けて手を合わせた。
俺も合わせた。……宿敵がついに世を去ったこと。喜びと同時に、どこか寂しさも感じていた。
「――松下さん。徳川様はどこに?」
「本陣で上様と会っているはずだ。我々も行こう」
俺と松下さんは、連れ立って、織田の本陣へと向かった。
織田の本陣には、信長、信忠、家康が揃い、さらに明智光秀や滝川一益、石川数正といった面々も揃っていた。
「よう、山田。お前さんも来ていたな。会えるかどうかと思っていたが、会えてよかったぜ」
滝川一益が、嬉しそうに駆け寄ってきた。
俺も、彼の肩を叩き、
「聞いたぞ。大活躍だったそうだな。恩賞がどれほど巨大か、いまから楽しみだろう?」
「まあな。……しかし、土地や城よりも、できればオレは茶碗が欲しい。上様が持っている名物のひとつでも貰えれば、泣いて喜ぶんだが」
「酒飲みの久助が、茶碗を所望か。なるほど、これは世も変わる」
「言いやがるぜ」
滝川一益は、ばんばんと俺の肩を叩いた。
そのときだ。
小者たちが、次々と酒や食べ物を運んできた。
勝利の酒宴というわけか。
それまで談笑していた信長と家康がもっとも上座に座り、俺たち家臣団は次々と、用意された席に座った。一瞬、石川数正と目が合った。彼とも長い顔なじみだ。数正はわずかに目礼し、俺もそれを返した。彼ともあとで話がしたい……。
「皆の者。これまでよう働いてくれた。戦場ゆえに大したものも用意できなんだが、いずれまた美酒を用意し、血を吐くほどに飲ませてやろう。……いまはまず、勝利を祝おう! 今日はおおいに飲み騒げい!」
「「「おおっ!!!」」」
信長の言葉を聞いた諸将たちは、盃いっぱいに酒を注ぎ、飲み交わした。
下戸の信長でさえ、酒に口をつけていた。俺もそうだ。今日ばかりは酒を飲んだ。
織田と徳川の家臣たちは、今日ばかりは日ごろのことを忘れて、幸せいっぱいの表情で酒を飲んでいた。俺も、松下さんや久助、さらに石川数正らと酒を飲み、塩を舐め、梅干しをかじった。はるか遠くで、伊与とカンナも揃って酒を飲んでいた。まさに宴そのものであったが――
「上様、本当におめでとうございまする」
そのときだ。
明智光秀が、信長に近寄っていき、声をかけたのだ。
「憎き武田勝頼の滅亡。まさに本懐を遂げられましたな。拙者も長年、骨を折り、苦労をした甲斐がございました」
「苦労?……骨折り?」
信長は、突如、酒を飲むのをやめて、じっと明智の瞳を見つめ、
「……そちがどのような苦労をした? この武田攻めにおいて、明智、そちがどのような骨折りをしたのだ? ……言ってみろ……」
信長は、小さな笑みを浮かべて尋ねている。
……明智に揺さぶりをかけたのだ。
謀反を起こすような不満が、いまの明智にあるのか否か。
信長は冗談っぽい口調で、しかし明智の心を読もうとしている――
「……そう改まって言われると、困りますが」
明智は、めずらしく苦笑いを浮かべながら、
「確かにご活躍されたのは、殿様(信忠)であり、徳川様であり、滝川殿でございますが、この明智とて、朝廷と公家衆を相手にいささかの手柄有り、と自惚れておりまする……」
「…………」
「…………」
二秒か、三秒か。
奇妙な沈黙が、信長と明智の間に流れたが、
「……で、あるか。ふむ、左様であったな。余も失念しておった。確かに、明智に手柄有りであった。……見事じゃ、十兵衛。安土に戻った際には必ず褒美を渡そう!」
「ははっ! ありがたき幸せ!」
明智光秀は頭を下げ、そして信長の盃に酒を注いだ。
信長は、その盃を一見もせずに、ぐいっと飲み干した。
下戸である。
信長の顔は、すぐに赤くなった。
しかし、声にはいささかの乱れも見せずに、
「よう働いた、明智。今日はおおいに飲むがよい」
「はっ」
明智光秀はもう一度頭を下げてから、場を離れた。
信長はひとりになる。目の前にある餅を手に取り、かぶりついていた。
すぐに家康が現れて、信長の話し相手となった。
「……なんか、妙だったな。上様と明智は、なにかあったのかい?」
俺といっしょにやり取りを見ていた滝川一益は、なんとなくキョトン顔のまま、白湯をグビグビと飲んでいた。松下さんは「まあ、酔っているんだろう、上様も」なんて言っていたが。
信長と明智。
二人の間に流れた微妙な空気。
しかし明智は、とても謀反を起こす気配がない。
ここから本当に、本能寺へと繋がるのか? ……。
その後。
信長は徳川領内を通り、帰国。
その途中で、家康から猛烈な接待を受けたため、「次は余が徳川殿をもてなす」と言った。
その言葉通り、春には家康が安土城へやってくることになった。
そのとき、家康の接待を受け持つ係は、接待作法に明るい明智光秀と決まった――
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