第25話 商人ほどの者は俊明にあやかりたく存ずべし

「まったく、上様も弥五郎もわしをこき使ってくれるわい!」


 と叫んでいるのは秀吉である。

 天正9年(1581年)11月の淡路あわじ

 鳥取城を攻め落としたばかりの羽柴軍だったが、彼らは休む間もなく淡路平定戦に乗り出した。秀吉は寝る暇もない。


 とはいえ。

 秀吉は、口ではそう言いつつもどこか嬉しそうでもあった。

 今回の淡路攻めは、彼自身が信長に申し出たことだからだ。


 もちろん。

 この俺、山田弥五郎が秀吉と共に動いているのは言うまでもない。




 明智光秀の思想――有能こそ正義、無能死すべし――と言わんばかりの考えを俺は認められない。織田家が光秀の考えに染まっていくのも許容できない。ならば。


 ――藤吉郎。明智を追い抜いて、織田家第一の重臣となるぞ。


 先月、姫路城にやってきた俺は秀吉に直接そう言った。

 秀吉は驚きもせず、


 ――わしもそうありたい。しかし明智殿は上様のお気に入り。ウマも合っておる。それを追い抜くのは容易ではないぞ。


 ――鳥取城を攻め落としたのは見事だったじゃないか。兵糧攻めゆえ、後味はあまり良くないがな。


 ――わしも良くない。せめて落としたあとの敵兵は大事に扱いたいものよ。


 ――そうしてほしい。……その鳥取城を落としたことを、これから安土に行って上様に報告するんだろう? だったらその口でそのまま、淡路攻めを申し出てくれ。


 ――なるほど、淡路はまだ毛利方の敵がおる。それで先日からも、わしや官兵衛のところに淡路の豪族からよく便りが来るが、まだ攻めるかどうかは――。……ほほう弥五郎、汝もなかなかあくどいことを考える!


 ――あくどいとはなんだ……。智恵と言ってくれ。


 このとき秀吉が俺の肩を叩いたのは、意味がある。


 言うまでもないが、織田家の四国政策は明智光秀が取り仕切っている。

 だが四国と本州の間には淡路国があり、そして、その淡路国の岩屋城を持っている菅達長かんみちながは現在、毛利方なのだ。


 毛利攻めは秀吉に一任されている。

 すなわち、四国攻めを秀吉がやればそれは命令違反であり、明智の仕事を横取りすることになる。


 だが淡路の岩屋城攻めならば、敵は毛利の傘下勢力なので、これは秀吉の仕事になる。秀吉が信長に進言して攻め落とす分には明智も口出しできない。


 そして、淡路を秀吉が落として、淡路と羽柴家との繋がりを濃くすれば。

 自然と、四国政策を受け持っている明智は秀吉の顔色を窺わねばならなくなる。

 淡路を手に入れずして、四国に乗り込むことは難しいからだ。


 ――見事じゃぞ、弥五郎。わしが淡路を落とせば、羽柴家が四国にも口を挟めるようになる。上様も喜ぶ。明智もわしを無視できぬようになる。……ははは、汝、いよいよ頼りになる相棒よ!


 ――おだてるな。……おだてるには早い。まだ俺の話は終わっていない。上様にはさらに進言申し上げるんだ。於次丸様のことをな。


 於次丸は言うまでもなく、信長の四男にして秀吉の養子である。


 ――於次丸も、もう14歳になる。初陣をされていいころだ。上様に於次丸様の初陣を申し上げよう。そうすることで、織田と羽柴が強烈な縁続きであることを、上様や世間に知らしめるのだ。


 ――ほほう。淡路攻めと於次丸様の初陣を同じころにやることで、羽柴の家名をいっそう上げようというハラか。ますますもって恐れ入るわ。妙案、妙案! よし、そうしよう。わしに任せておけい!




 と、このような話し合いがあった。

 秀吉は、安土城の信長(このころ伊賀国を平定したばかりだった)に、淡路攻めと於次丸の初陣の話を行って、両方の許可を得た。このとき信長は、


 ――四国のことならば明智が詳しい。明智から援軍をそちにやろうか。


 と、何気なく言ったが、秀吉は笑って断った。


 ――いやいや、淡路ごとき小国に明智どのの手を借りるまでもありませぬ。ここはこの筑前守秀吉にお任せくだされ。1ヶ月もかけずに落としてみせますでよぉ!


 こういうときの断り方が、秀吉のうまさだ。

 いわゆる弁舌スキルだ。信長は思わず笑って、よし、ならば羽柴だけでやれ、と言うしかなかった。


 こうして秀吉は黒田官兵衛ら羽柴軍と共に、淡路に上陸。

 次々と敵を打ち倒していく。その中には伊与が率いる神砲衆100名も参加していた。

 秀吉は見事な手並みで、11月中に淡路を平定した。




 そのころ、俺はカンナと共に堺にいた。

 淡路に兵糧や武器を送るため、神砲衆の交易のためである。


「おう、神砲衆の旦那! じきじきに堺までお出ましですかい!?」


「ああ、ちょいと上様のお役目でね」


 堺にも、顔なじみが増えてきた。

 歩いていると声をかけられることも出てくる。


「ひそひそ(……南蛮人の女子がおったぞ……えらい美人だ……)」


「ひそひそ(ばか、お前さん知らんのか。ありゃ神砲衆の旦那のご内儀だ)」


 噂話が聞こえてきた。

 俺とカンナは、ちょっと笑った。


「久しぶりに、あんな反応されたごたる」


「織田家の勢力下ではもうカンナの顔見知りも増えて、金色の髪も珍しくなくなっていたからな」


「それにしても美人ち言われた。ふふふ。弥五郎、嬉しか? あたしみたいな美人が隣にいて嬉しか? どげんね? うふふふふっ」


「今さらだろう。カンナと歩いていて噂されるなんて、それこそもう何十回とあったことだ。慣れた」


「あー、そげなこと言う。好かーん、もう。そこですっと、嬉しいよって一言が出るだけで違うとにから、なしてそうあるんかな、もう~」


「カンナこそ、結婚して何年だよ、俺たちは。いつまでも若夫婦ってわけには――」


「あのう、もうし、もし」


「「……ん?」」


 小柄な、おそらく二十歳ほどの女性に声をかけられて俺たちは停まった。

 誰だ? 知り合いじゃないぞ。カンナも知らないみたいだが。

 女性は慌てて、何度も頭を下げて、


「申し訳なかことです、驚かせて。博多の言葉が聞こえましたけん、つい声をかけてしもうて。あたくしは筑前国博多の商人、佐藤伝右衛門さとうでんえもんの妻、つうと申します」


「……博多商人!?」


 俺とカンナは顔を見合わせた。

 おつうさんは、照れたように笑った。


「はい、どうも。……博多商人の妻でした、と言うほうが正しいのですが。先日の戦で、夫は亡くなりまして」


「……それは、……お気の毒に……」


「いえいえ、すみません、いきなり妙なことば口走って。あたくしは本当に博多の言葉を使う方が懐かしくなって声をかけただけです。……博多はもはや灰と化してしまいました。あたくしは郎党共々、命からがら逃げ出して、堺に流れ着いて……」


「博多が、灰……?」


 カンナは目を丸くした。


「九州の大名や豪族によって、博多が戦場いくさばになってしまっているのは聞いたことがあるが」


 と、俺が言うと、おつうさんは首を振って、


「戦場どころか、もうあそこは町ですらありません。肥前国(佐賀県)の大名、龍造寺隆信りゅうぞうじたかのぶがやってきて火を放ち、もう家も人もまるで残っとらんとです」


「そ、そんな……! 博多がそげんことになっとるなんて!」


 カンナはさすがに、顔をくしゃくしゃにした。

 俺も、自分の知識や想像をはるかに超えて博多が荒廃していることを知り、拳を思わず強く握る。


「それじゃあ、おつうさん。博多の商人はみんな堺に逃げて……?」


「ああ、いいえ。あたくしは知り合いが堺におりましたけん、こっちまで流れてきましたけれど、生き残りの博多商人は九州のあちこちに散らばっとります。特に肥前の北の山の中には、有力な商人たちもよう逃げておりますよ」


「有力な商人!」


 俺はその言葉を聞いて、頭がすっと冴えていった。

 思わず、おつうさんに迫る。


「おつうさん、改めて名乗ろう。俺は織田家の商人司を務める神砲衆頭目、山田弥五郎。こっちは俺の妻の蜂楽屋カンナだ。決して怪しい者じゃない。……もしよければ、上様に――織田信長様に博多商人の話を伝えさせてはもらえないか。きっと上様は、博多の人たちを守るために動いてくれる」


 俺の話を聞いたおつうさんは、目を見開いた。

 そして何度も何度もうなずくと、是非ともお願いします、と言った。

 それからカンナを改めて見ると、


「……あのう、以前、祖父から聞いたことがあります。博多商人に蜂楽屋という方がいて、そこの娘さんは眩しいほどの金色髪だった、と。……もしかして、あなた様が」


「おお。そげな人、たくさんおるとは思えんけん、あたしのことやろうね! ……博多商人蜂楽屋……久しぶりに聞いた響きばい。父親の顔、久しぶりに思い出したごたる」


 カンナは遠い目をした。

 カンナにとって博多は遠い遠い故郷だった。

 それがいま、繋がりを持とうとしている。


 俺や伊与は、もう故郷をなくしてしまったけれど。

 カンナにはまだ、繋がるべき故郷があるかもしれない。

 博多は燃えてしまっても、あるいはカンナの父親を知っている人間がどこかに。


 俺は心を燃やして、カンナのためにも動こうと思った。




「左様か、天下に名高き博多の町が、いまは左様になっておるか」


 安土城で俺と会った信長はそう言って、


「よかろう。そのおつうという女子を通じて、九州にいるという博多商人と連絡を取れ」


「ははっ」


「蜂楽屋を出せば、博多人も心を許してくれような。……待て、そういえば羽柴が筑前守であったな。……よし、博多人との交渉は以後、羽柴、山田、蜂楽屋を中心となって行え。毛利のことが済めば、次は九州のつもりだったが、これも羽柴家に任せようぞ」


「ありがとうございます!」


 俺は平伏した。

 これでいい。博多商人との繋がり。将来の筑前国への攻略任務。

 すべて、俺と秀吉が受け持った。織田家中の地位はますます上がる。


「――そういえば、羽柴から文も届いておったわ。於次丸の初陣の件、さらに備前の大名、宇喜多家が余の傘下になるという話であった。……よき働きぞ。まったく見事じゃ。年末に顔を合わせるが、褒めてやらねばのう」


「ぜひ、よろしくお願いします!」


 俺はまた平伏した。

 信長はニヤリと笑った。


 いいぞ。

 このまま羽柴が家中一番となれば、明智の思想にNOと言うことができる。

 そして信長の天下布武もいよいよ成るってわけだ。


「だが、もうひとつ……あとひとつ」


 俺は安土城から下城しながら、最後の策を練り上げていた。

 それは――




 天正9年(1581年)12月の暮れ。


「なんだ、これは……!」


 天主にいた信長ですら仰天した出来事が起きた。

 安土城の中から、門前町に至るまで大行列ができていたのだ。

 行列の誰もが、物を持っている。黄金に白銀に反物、米に屏風に南蛮品。


「誰かある。これはいったい何者の仕業ぞ」


「羽柴筑前様と山田弥五郎様の、歳暮せいぼだそうでございます」


 小姓が慌てて、信長の問いに答えた。


「歳暮。歳暮だと。……はっはっは! そうか、藤吉郎め、山田め、やりおったわ! はっはっはっは……!!」


 信長は豪快に笑ったと言う。


 その日、俺と秀吉は連れ立って登城。

 信長と対面し、笑いながら、お歳暮を持ってきたと告げた。

 信長はかつてないほど上機嫌で、


「かようなまでの歳暮を余は初めて見た。城内でも誰もが噂しておる。大気者どもよ。……どのようにして、これほどの物を買い集めたか?」


「はっ。津島、堺、長浜、京の都、さらにはこれまで神砲衆が出歩いてきたすべての町に改めて出向き、日本各地の名産をことごとく集めて参りました」


「ふ、ふっふっ、ははは……!! で、あるか。集めてきたか。集めてきおったか! ……藤吉郎!!」


「ははっ!!」


「これは全部、貰ってもよいのか!」


「もちろんでございます! この藤吉郎めが弥五郎と共に選び抜いた天下一の大歳暮。天下の主たる上様にことごとく献上いたしたく!」


「言うわ! 言うわ……!!」


 信長は嬉しそうに、なんと上座から降りてきて――

 俺と秀吉、ふたりの肩をばんばんばんと、何度も何度も力強く叩き、


「肝を抜かれた。久しいぞ、こんな感覚は」


「……はっ」


「余も感無量だ。……日本各地の、のう」


 信長は目を細め、


「見事じゃ。まさに古今無双の大歳暮よ。藤吉郎、弥五郎、そちらは大気者よ。……はっはっは、小者だった藤吉郎が、炭売りだったという弥五郎が、ここまでなるとは。天下一の大出世よのう」


 そして、言った。


さむらいほどの者は、秀吉にあやかりたく存ずべし。商人あきんどほどの者は、俊明にあやかりたく存ずべし」


 目頭が熱くなった。

 手が震えた。……そうだ。

 俺は信長に気に入られようとして歳暮を用意した。


 だが、考えてみれば恐ろしいことじゃないか。

 炭だの米だのを売り歩くのに必死だった俺が、いまや天下人のために天下一の大歳暮を用意できたのだ。


 そして天下人が、俺と秀吉を……。


「っ……。…………」


 秀吉は平伏したまま、肩をふるわせていた。

 泣いているのかもしれない。俺と同じ気持ちで。


「天下のことも来年にはおさまろう。おさめねばならぬ」


 信長は、静かにそう言った。


「我が大望であった天下布武もいよいよ成る。天下に静謐をもたらす。そのために、二人とも。……頼むぞ。……余はもっともそちらを頼りにしておる」


「「……ははぁ!」」


 俺と秀吉は揃って、みたび、平伏したものである。




 その年の暮れ。

 俺と伊与とカンナは、山田屋敷の一室にて集まった。


「博多の商人たちと連絡がついたばい。神屋宗湛かみやそうたん島井宗室いまいそうしつ。博多でも特に有力やった商人のふたりが、上様に会いたいち言いよる。来年、上洛するつもりやっち」


「ありがとう。そっちはそれでいい。……来年。問題は……」


「明智光秀だな。……藤吉郎さんと協力して織田家から明智の影響力を排するのに異論はない。……ただ、そうすれば、俊明。お前が言う本能寺の変は、だからこそ起こってしまうのではないか? 明智を排したことで、逆上した明智光秀が上様を殺してしまうのでは」


「そうなる可能性も、当然ある。……なるべく、そうならないようにしたいが、……明智は俺とは合わない。それがはっきりと分かったいま、説得は難しい。となれば、俺としては覚悟を決めた」


「と、言うと」


「本能寺は、……起きると考える。起きるが、信長を救う。つまり俺が信長を守るのさ」


「守るって、じゃあ明智が謀反を起こしたら、神砲衆が戦うとね?」


「そうなる。だがそれだけじゃない。俺の打つ手はもうひとつ」


 俺は一瞬、大きく息を吸って、吐いて。

 その言葉を口にした。


「上様に……織田信長に、打ち明けようと思う。俺が未来から来たということを。本能寺が起きることを。その上で、……手を打ってもらう」


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