第24話 山田俊明と明智光秀

 昔の夢を見た。

 足利義昭が京の都を去り、信長が天下人としての第一歩を歩み始めたころのことだ。


 信長のところに、多数の宝物が献上された。

 それは茶器であったり屏風であったり、刀剣であったりした。


 信長は目を細めて、それらの宝物を受け取りながら。

 ふと、ある屏風を見つめて、


「こういった見事な屏風を作る者には、なにか褒美をくれてやりたいものだな」


「褒美よりも、称号でいかがでしょう」


 そう言ったのは明智光秀だった。


「例えば見事な絵師には、絵師の天下一を認める。茶碗作りが見事な者には茶碗作りの天下一を認める。……といったように、お屋形様(信長)が各界の天下一を認めるのです」


「おう、そりゃいい。ついでに剣術の天下一、弓の天下一、囲碁の天下一なども認めていけばいいんじゃ。そうすれば賑やかじゃし――」


 と、手を叩いて光秀の発案に賛成したのは秀吉だった。

 秀吉はさらに続けて、


「――それに、織田家が各界の天下一を決めるとあれば、公方様に変わって我が殿が天下人だという何よりの証になるじゃろうて!」


「藤吉郎、出過ぎぞ!」


「ははっ、申し訳ございませぬ」


 と言って平伏しながらも、秀吉はさほど悪びれた風もなく、ちらりと俺を見て舌を出した。俺は苦笑しかできなかった。


 しかし信長は、光秀発案の各界天下一制度に魅力を感じたようだった。

 秀吉が言ったように、信長が各界の天下一を決めるのであれば、『足利将軍に変わって織田信長が天下人だという何よりの証』にもなるからだ。


 信長は天下一制度を定めた。


 そのころの夢だった。




 なぜ俺が夢を見て、過去を思い出したのかというと。

 1581年(天正9年)の8月、信長は畳刺(畳職人)の伊阿弥新四郎いあみしんしろうに天下一の称号を与えたからだ。伊阿弥は安土城の築城にも参加した名人だった。


 俺はこの伊阿弥とは、過去に2回しか会ったことがなく、さほど親しくはない。ただその出会った2回の両方で、畳の仕組みや鉄砲の作り方など、いわばモノ作りの話題で盛り上がったのを覚えている。伊阿弥は根っからの職人だった。


 その伊阿弥が天下一になった話を、俺は安土城内で信長付きの小姓に聞かされた。

 めでたい話だ。そう思って微笑んでいたのだが、そんな俺の前に、


「これは山田どの」


 と、現れたのが明智光秀である。

 相変わらず、にこりともせずに。

 小姓は光秀が苦手なのか、挨拶だけをしてさっさと去ってしまった。


 俺と光秀だけが。

 安土城内の廊下に取り残された。


「お久しゅうござる。ご内儀とは先日、お目にかかったが」


「ああ、伊与ですか。於次丸様に同行させたときのことですね」


「うむ。……伊阿弥新四郎の話は聞かれましたかな? めでたい話だ」


「聞きました。明智殿発案の天下一制度、うまく動いているようで」


「……何事も、実力ある者が評価されるのは良いことですからな」


 明智光秀は能面のごとき顔で、


「それでこそ天下は治まるというもの。思えばこの乱世も、実力なき者が上に立ったればこそ百年も続いてしまった」


「実力なき者とは、足利将軍家のことですか」


「左様」


 あまりにあっさりと言ってのけた光秀に、俺は少し驚いた。


「……明智どのは、もとは十三代将軍、義輝公にお仕えだったではありませんか」


「左様。だからこそ分かるのです。あれは、……そう、お人柄としてはそう悪い方でもありませんでしたが、まつりごとを行うべき立場の方としては思慮に欠けることの多い、悪公方わるくぼうでありましたな。――実力もないのに、三好と戦う道ばかりを選び、あのような末路と成り果てた」


「……辛辣ですね」


「辛辣にもなる。公方たる立場が無能なのは罪なのだ。おかげで天下の衆生が大迷惑である。立場ある人間は必ず有能たるべし。拙者はそう信じている」


「……明智どの」


 今日の光秀は妙に饒舌だ。

 ふだんは俺相手に、そんなに喋ることなんてないのに。


「山田どの。佐久間信盛の一件で、上様に食ってかかられたと聞き及びましたが」


「……!」


 俺はいきなり、佐久間さんの話題が出たので驚いた。


「誰から、そんな話を」


「上様ご自身から。……山田どの。貴殿の優しさは、人間としては一種美しいものと存ずる。しかし、程々になされるがよろしい。……佐久間信盛は、無能であるがために身を滅ぼしたのです。佐久間はその実力もないのに立場が上になりすぎた。で、あるがためにあのようなことになったのです」


 そこで俺は思い出した。

 佐久間さんの追放には、明智光秀が絡んでいるという説を。


「……明智どの。よもや、あなたか?」


「ん……」


「あなたが上様に進言したのか? 佐久間さんを追放せよ、と」


「そうだとしたら、なにか?」


 これまた、あまりにあっけなく認めたので俺は愕然とした。


「……山田どの。拙者の信念は先に述べた。天下は、立場は、実力ある者だけがつかむべきである。無能な人間が上に立つのは天下の大迷惑である。無能な人間が迂闊にも出世したならば、これは廃されるべきである。で、あるがゆえに拙者は上様に佐久間の排除を進言し申した」


「これまで共にやってきた仲間に、なんてことを!」


「拙者は佐久間信盛を仲間とは思うておりませんでな」


「……! ……明智どの。あなたは確かに凄い。頭もよければ戦もうまい。しかし、だからといって、そうやって他者を見下していれば、必ず痛い目にあいますよ! 次はあなたが追放されるかもしれない!」


「そのときは、そのとき。拙者もまた無能であっただけのこと」


 と、それだけ言うと明智光秀は、不思議そうな目で俺を見た。


「それにしても奇妙な御仁だ、あなたは」


「なにが!」


「貧しい立場から身を立てた者は、普通、もっと拙者のようになる。無能でありながら出世した者を見下すようになる。そう、あなたの盟友たる羽柴筑前もそういう一面がある」


「藤吉郎が――」


「ない、とは言えんでしょう。足利義昭を追放するときに一番、激しかったのは羽柴どのと聞いておりますぞ」


 それには反論できなかった。

 秀吉は足利義昭が嫌いだった。


 というより、光秀の言う通り、さほど能もないのに出世した者――

 特に名門の出身というだけで、収入や立場を得た人間を嫌悪している。


「……確かに藤吉郎にもそういう一面がある。だが、あなたほど冷たくはない」


「なるほど、羽柴どのは拙者ほどは冷たくない。……しかしそういう一面はある。そう、一面は必ずできるのだ。だが山田どの、あなたにはそれがない。……なぜ、あなたほど出世された方が、妙に敗残者に対して優しいのか? それが不思議だ」


 淡々とした口調の光秀。

 かと思うと、不意に暗い声音になり、


「山田どの。拙者の友人が先日亡くなったが、妙なことを口走っていた」


「妙なこと?」


「そう」


 明智光秀は、そのとき。

 わずかだが、視線を鋭くさせて言ったのだ。


「あなたが、遠い未来の世界からやってきた御仁だと」


「……!!」


 俺はさすがに指先が震えた。


「そうだとしたら、あなたの不思議なところは説明がつき申す。あの人間業とも思えぬ武具や道具を作る技。時おり見せる鋭い先読み。あなたが遠い遠い未来の世界から来た方だと思えば。……いかがなのですか?」


「…………」


「真偽は如何。貴殿の正体は」


 光秀の眼差しは、心を射貫くものがある。

 数々の修羅場をくぐり抜けてきた人間特有の瞳。


 並の人間ならば、この双眸に睨まれただけで心の内をすべてさらけ出してしまいそうな、そんな威圧感。


 だが――


「夢みたいな話を。どうして俺が未来からやってきたのです」


「…………」


「藤吉郎でも、あるいは久助(滝川一益)でも又左(前田利家)でも聞いてみたらいいでしょう。俺は12や13のときから津島で商いを始めた山田弥五郎です。未来から来た人間なものか」


「……大変失礼した」


 光秀は、すっと俺から目をそらした。


「拙者も疲れていたようです。これでは佐久間を笑えぬな。……さて、そろそろ次のお役目があるので失礼する」


「待った。明智どの」


「ん。……っ……」


 俺は光秀に近付いて、睨みつけた。


「佐久間さんを笑う――などという言葉、俺の前では二度と口にしないでいただきたい」


「…………」


「追放までしたんだ。もう充分だろう。それ以上、笑うなんて無慈悲なことは、この俺が許さない。……人間が人間を笑うなんてことは……」


 明智光秀は、俺の言葉を受けて、一瞬、絶句したあとに、


「承知した。先ほどの言葉は取り消そう。さすがに武士の行いとして見苦しいものであった」


「…………」


「では今度こそ、次のお役目へ」


「次のお役目とは?」


「四国攻め」


 光秀は、冷静な顔で言った。


「拙者、織田家が美濃のころから四国のことはすべて取り扱っておりましてな。……その四国を近ごろ、平定しようとしている大名がいる。長宗我部元親ちょうそかべもとちかという男でしてな。昔は上様に従っていたが、近ごろは刃向かうようになってきた」


「それをあなたが討つ、と」


「さて、どうなるか。上様のお考え次第でござるが、和戦いずれにせよ、四国のことは拙者がすべて受け持つ」


「あなたは有能ですからね」


「そういうことでござる」


 光秀は去っていった。


 思い切り嫌味を言ったのに。

 あっさりと認めやがった。


「……ふう……」


 光秀の眼光は凄まじいものがあったが、はねのけることができたな。

 まあ、俺も俺なりに修羅場を潜ってきた、ということかな。


 しかし、明智光秀。

 やつに俺のことを未来人だと言ったのは、恐らく竹中半兵衛……。

 そして光秀も、今回は引き下がったが、納得していないのは見ていたら分かる。


 光秀は、俺にとって不発弾のように不安な存在となった。

 未来人だということがやつにばれたら、どうなるのか。

 想像もつかない。恐ろしい。


 そして、もうひとつ。

 光秀――やつと俺は、初めて会ったときからソリが合わなかったが、ここに来てそれが露骨に表面化した。


 実力こそすべてというやつの主義は、俺とは根本的に合わないのだ。

 前世の無念を背負った俺にとって、光秀の発想と行動は許容しがたい。


「……だったらどうする、俊明……」


 俺は自分で自分に問いかけながら、安土城を去った。


 光秀は俺を未来人だと疑っている。

 いや、それはまだいい。もっと大事なのは、光秀と俺の思想が根本から合わないと分かったことだ。


 光秀のことが許容できない存在だと分かった以上。

 俺は――




 城下の山田屋敷に帰った途端、俺は馬小屋に赴いた。


「俊明、どこへ行くんだ?」


 屋敷内にいた伊与がやってきた。

 俺は答えた。


「姫路城だ。藤吉郎とカンナがあっちにいる。二人に会いにいく。伊与も来てくれ!」

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