第23話 羽柴秀勝と明智光秀
「
と、秀吉が言った。
1581年(天正9年)2月。
播磨の姫路城内にある一室であった。
俺、秀吉、それに小寺改め黒田官兵衛。
この3人が揃っていた。
「その産出量は、年2000貫よ。小一郎に管理を任せておるが、やつめ、ちゃんと銀山の管理ができておる」
「小一郎は聡い男さ。そつなく仕事をしてくれる」
「この官兵衛もそう思います。着実な仕事をなさることについては、あるいは筑前どのより上かもしれませぬぞ?」
「言いよるわ」
秀吉はニコニコ笑って、
「か弱い弟と思っていたがのう」
「
「藤吉郎や官兵衛と比べるのが、そもそもの間違いなんだよな」
二人揃って化け物みたいな智謀の持ち主なんだから。
「なに、元はといえばカンナに鍛えてもらったのがよかったのよ」
「その言葉、本人に伝えておくよ。きっと喜ぶぜ。……それよりも、そろそろ本題に入ろう」
「ふむ。……そう、銀の話よな。この溢れる銀、三分の一は安土の上様に送るが、三分の二は我らがいただく。かといって、それは贅沢をするためではない」
「分かっているさ。次の城を落とすためだ」
「鳥取城ですな」
官兵衛がその名を口に出す。
山陰地方で、織田と毛利の勢力が激突するその地にある城郭。
この城は去年、秀吉が攻めて、三ヶ月の攻防の末に陥落させたのだが、再び毛利方についてしまった。
「手ぬるかったわい。わしのやり方が甘かったせいで、二度手間になってしもうたわ」
「次は完膚なきまでに、痛めつけねばならぬ、というわけですな」
「本意ではないが、やむをえまい」
秀吉は、低い声で言った。
やると決めたときの秀吉の、暗い顔と声音。
これは実際に目の当たりにしたものにしか分からない凄みがある。
若いころからそうだったが、近ごろはいっそうその恐ろしさを増してきた。
長年の付き合いである俺でさえ、背筋がぞっとするほどだ。
「それで弥五郎、官兵衛。鳥取城を改めて攻めるには、どうするがいいと思う?」
「「兵糧攻め」」
俺と官兵衛は揃って声を出し、それから互いに視線を交わしてニヤリと笑った。
秀吉も、ニコッと笑った。
「わしもそう思う。鳥取城は昨年、三ヶ月も戦ったために兵糧も銭も少ない。一気に落としたいところだが――」
「ここで攻めかかれば、
「そうすれば、のちのち毛利家の本軍と戦うときに困る。戦いはまだ続くのだからな。あえて包囲するだけの兵糧攻めが上策……」
「そこでよ、弥五郎。ただ兵糧攻めをするだけでは芸が無い。時間もかかろう。なにかもうひとつ良案はないか」
と、秀吉に聞かれて俺は、智恵――というより知識を披露した。
「鳥取城に残っているわずかな米さえ買ってしまえばいい。……鳥取の米相場はすでにカンナに調べてもらった。本来の相場よりも高い値段で米を買うといえば、鳥取城の城兵は米を売ってくれるさ」
「ほう、名案。しかし、そう簡単に売ってくれますかな?」
「俺の仲間には忍びや元泥棒がいるからな。その仲間たちを鳥取城に忍び込ませて、噂を流す。相場の何倍も売れるぞ、と。……そして鳥取近くの六斎市に、神砲衆の商人を潜ませて、実際に米を高く買えばいいのさ。買い取る金には、但馬の銀を使う」
「面白い。面白いのう、弥五郎! そりゃ上策じゃ。よかろう、小一郎に使いを出し、ただちに銀をこちらに送るように言っておこう!」
「お待ちくだされ、筑前どの。ならばこの官兵衛からも策をひとつ。鳥取城近くに住んでいる農民を追い立てて、鳥取城内に逃げ込むように致しましょう。そうすれば、いざ兵糧攻めというときに城内の人間が多いから、兵糧の消耗は余計に早くなり申す」
「おう、官兵衛。それもまた上策。よし、官兵衛の策も用いる。弥五郎、官兵衛、両人の策を持って鳥取を落とす!」
「弥五郎、話は終わったとね?」
同じ姫路城内で、伊与とカンナが待機していた。
「ああ、終わった。以前に俺が教えた通りの流れになりそうだ。カンナ、いずれ但馬から銀が届く。だからいまのうちに、証文買いで構わないから鳥取の兵糧を買い上げる手配をしてくれ」
「かしこまり。……ああ、それと、……例の米も送っておいたばい」
と、カンナが言ったのは、追放された佐久間信盛さんについてのことだった。
織田家から追放された佐久間さんはいま、高野山にいる。
もはや救うことはできない。俺の知っている史実通りなら、佐久間さんは来年1月に亡くなってしまう。
ならばせめて、少しでも楽にしてやりたい。
そう思った俺は、佐久間さんに匿名で米を送ったのだ。
山田弥五郎の名前で送って信長に見つかったら、厄介なことになるからな。
ただでさえ、佐久間さんをかばったことで、この件については信長は俺を睨んでいるだろうし……。俺たちだけならともかく、秀吉にも迷惑がかかりかねない。だから、こっそりとするしかないのだ。
「佐久間信盛を、こうまで助ける必要があるのか、とも思うがな……」
ぽつりと伊与が言った。
「できることは少しでもやっておきたいのさ。偽善かもしれないがな。……これから俺は鳥取城を兵糧攻めにする。ひどいやり方をするんだ。……ならばその反対に、少しくらいは人助けをしたい。なにより、……困っている人を、少しでも助けておきたいんだ」
俺なりの、罪滅ぼしのような行動なのだ。
さて、そのときである。
どすどすと足音が聞こえてきて、ガラリと部屋の引き戸が開いた。
「いよう、弥五郎、ここにおったか!」
秀吉だった。
「どうした。まだ話したりないことでもあったか?」
「いやなに、愚痴を言いに来ただけじゃ!」
秀吉は長い紙を手に持っていた。
手紙らしい。
「なんだそれは。誰から届いた?」
「又左(前田利家)からよ。今度、都で上様がやる馬揃えについて長々と報告してきおった」
「ああ……」
俺は伊与たちと笑みを向け合った。
この年の2月、信長は『馬揃え』を行う。
織田家の主立った武将たちが馬に乗って、きらびやかな格好をして町中を突き進むという、一種の軍事パレードなのである。
信長の他に、織田一族、さらに丹羽長秀や柴田勝家、明智光秀、前田利家らも参加する。
結論から言えばこのパレードは大成功で、都の民や公家衆、宣教師ヴァリニャーノ、さらにはときの正親町天皇まで見物して大喜びするのだ。
1月に信長が左義長を行い、爆竹を鳴らしながら大はしゃぎしていたことがあったが、あれに気を良くした信長が、光秀に命じて、馬揃えを行うことにしたのである。
「悔しい! わしも参加したかった!」
賑やか好きの秀吉は、心からそう言っていた。
「そうではないか、弥五郎。金ぴかの服を着飾って、都の公家や民を前にして、こう、ぐっと腕を上げて『わしこそ羽柴筑前守秀吉じゃあ!』って見せつけるのよ。これこそ出世の醍醐味じゃ。男の夢ではないか、弥五郎!」
「そういうものかな。俺はそこまで目立ちたいと思わないが……」
「つまらんのう! 本当は汝も馬揃えに出られたのじゃぞ!? 汝がその気になれば、伊与とカンナを従えて歓声を浴びることもできたろうに!」
そう言われて、俺はちょっとだけ、そうしたかったと思った。
俺を信じてついてきてくれた伊与とカンナに、スポットライトを当ててあげたいと思ったのだ。
だが、伊与は薄く笑って、
「……上様が天下を完全に掌握された日には、また馬揃えもあるだろうから、……そのときこそ私も出ようかな。なあ、カンナ?」
「ん? ……ああ、まあ、あたしは……弥五郎がおるなら、うん、出てもええけど。こんな髪やけんねえ、あたし。見世物になるごたるし……」
カンナにとって金色の髪は、まだ心のどこかでコンプレックスなのだ。
「そう言われたら私もそうかもな。女で刀を振るうものはいるが、数が少ない。ましてそれが都で馬揃えに参加するなど、笑い話にしかならない」
と、伊与が言ったが、すると秀吉が豪快に笑い飛ばした。
「それを言うならわしだって猿面よ。上様からはハゲネズミとまで言われたわ! はっはっは……。なんの、猿面の百姓や女侍、金色髪の娘が、そう、本当なら見世物同様だった我らが、立身出世を果たし、我らこそ天下人と名乗る。それこそが本当の下剋上じゃ。そうではないか、伊与、カンナ……。わしはそれがしたかったのよ……」
言われて、俺はハッとした。
俺はあまり、目立ちたくないという小心者な考えしか無かった。
だが秀吉は、もっと先のことを――そう、本来なら世間から笑いものにされていたような自分たちが天下人としてパレードに参加することで、世の変化をアピールしたかったのだ。
器が違う……。
俺は本当にそう思った。
ただ頭がいいとかそういうことじゃない。
秀吉は、考えていることそのもののスケールが違うぜ。
さすが、……豊臣秀吉だ。
「藤吉郎。……次がある。必ず、次がある。そのときこそ、俺たち4人で堂々と馬揃えに参加しようぜ。……いや、さらに次郎兵衛に五右衛門、あかりも入れて……」
「おう、そりゃあいい。ハゲネズミの百姓に炭売りの商人、女侍に金色髪、それに忍びと泥棒まで加わって、京の都で
秀吉はよほど愉快だったのか、その後、一分近く馬鹿笑いをしていた。
俺たちも笑った。そして、その日が楽しみになった。
次の馬揃えこそ、俺たち、みんなで……。
そう思ったのだ。
織田家の天下支配は着々と進行した。
馬揃えが終わった1581年(天正9年)3月には徳川家康が、武田勝頼の支配する難所、高天神城を攻略。これをきっかけに武田家は決定的に守勢に回った。
4月、信長の命令に従わなかった寺、槙尾寺が信長の家臣、堀秀政に焼き討ちされる。
7月、秀吉が鳥取城を包囲開始。10月攻略完了。
これには俺と官兵衛の出した作戦が大成功。しかし鳥取城の兵士たちは次々と飢え死に。心苦しい勝利ではあった。
8月、信長が諸国を巡っていた
かつて反乱を起こした荒木村重の家来が高野山に逃げ込んだので、信長は高野山にその家来の明け渡しを要求。高野山は拒否。これをきっかけに織田家と高野山は敵対状態に入り、高野聖の虐殺や高野山攻めに繋がってしまう。
これと同じころ、秀吉の養子となった信長の四男、羽柴秀勝(幼名、於次丸)は13歳となり、長浜城のまつりごとを見るようになっていった。
領内の見回りや、文書の発行などを、最初は秀吉と一緒にやっていたものを、次第に家来たちと一緒にだが、秀勝だけで行うようになっていったのだ。
信長にも秀吉にも似ず、どこか気弱な印象の秀勝だが、少しずつ、大人になっていったのである。
奇妙な逸話があった。
この年の8月、伊与が、その羽柴秀勝と共に安土城にやってきた。
秀勝から信長への業務連絡とあいさつ。そして伊与はその護衛を務めていたのである。
秀勝は、なぜか伊与を気に入っていて、
「伊与どのは、どうしてそのように剣の腕がたつのですか」
とよく尋ねていた。
伊与も秀勝を気に入り、刀の型をよく教えていた。
「正直、筋はそれほど良くないが……生真面目ではある。よき侍となれるだろう」
と、伊与は言っていたが……。
そんな伊与と秀勝が安土城内にいると、明智光秀が通りがかり、面識のある伊与にあいさつをした。そして、
「そちらの方は?」
と、秀勝を見た。
「はい、こちらは羽柴於次丸です」
「ああ、こちらは羽柴どののご養子……失礼仕った、明智十兵衛でござる。以後、お見知りおきくだされ」
明智光秀は、相手が信長の4男であり秀吉の養子であることを噂では知っていたらしい。
秀勝相手に、慇懃な態度をとった。秀勝は、ただ無言で頭を下げるだけだったらしい。
伊与としては、信長の息子であり秀吉の養子なのだから、もうちょっと堂々としていていいのにと思ったようだが、とにかく明智光秀と秀勝は、そのように出会ったのである。
光秀は。
例の冷たい目で、一瞬だけ、秀勝を眺めたあと。
ゆっくりと、その場を立ち去ったそうである。
本能寺まで、あと10ヶ月。
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