第21話 佐久間信盛、織田家を追放される

 1580年(天正8年)、8月。


 俺は安土にある山田屋敷の奥にて、伊与とカンナ、ふたりと一緒に菓子を頬張っていた。


「……んんっ。甘っ! 甘かぁ、それに口ん中で溶けていくごたるっ」


「久しぶりに口に入れるが……この甘みは本当に強烈だな。……金平糖こんぺいとう


「まったくだ。これがのちの世界じゃありふれた――ありふれすぎて、みんなろくに見向きもしなくなる懐かし菓子になるんだから、飽食の時代ってのは恐ろしいよな」


 と言いながら、かり、かり。

 俺も色鮮やかな金平糖を丁寧に食していく。


 この時代、甘いものはとにかく貴重だ。

 人々は、果物や蜂蜜、あるいは水飴などで甘さへの欲望を満たしていた。

 そんな時代において、甘み、舌触り、見た目、すべてにおいて最高峰の甘味とされたのがこの金平糖だ。


 信長の好物でもあるこの金平糖。

 先日、堺で交易をしたときに入手したもので、大部分は信長に献上した。

 だがひとつかみ、こっそり取っておいた俺は、こうして伊与たちと食べているというわけだ。


「あ~、また弥五郎が自慢ばしよる。よかね、美味しいもんをたくさん前世で知っとるお方は」



 カンナがじろっと俺を睨む。


「あんた、なして転生するときに金平糖を500個くらい持ってこんかったとね? そしたらさっさと金持ちになれたろうもん」


「無茶言うな。雷に打たれてそれどころじゃなかった」


「金平糖が好きなだけ食べられるような時代から、この乱世にやってきて、よくあのアワやらヒエやらの食事に耐えられたな」


「そこはあまり感じなかったな。我ながら不思議なことだが」


 まあ、12歳まではこの時代の子供、弥五郎として生きたからな。


「むしろ子供のころなら、カンナのほうが良い食事をしていたんじゃないか?」


「ええ~、どうやったかいな。昔すぎて忘れてきようけど、……そう、饅頭はよう食べよった記憶がある。甘酒が練り込んであったフカフカんやつでねえ。博多じゃ昔っから酒饅頭がよう食べられよったそうやけん、それやろうねえ」


「なんだ。それじゃ貧しい幼少時代を過ごしたのは私だけか。気の毒なことだ。その時代を取り返すために、いま金平糖を余分にいただこう」


「あ、ちょい待ち、伊与、ひとりでみっつも一気に! ど、泥棒っ!!」


 と、カンナが叫んだ途端に、


「……びっくりしたぁ」


 と、部屋の入り口から声がした。


「いきなり泥棒呼ばわりされたから、うち、なんかしたかと思ったよ」


「おう、五右衛門。……お帰り」


 いつの間にか、部屋に五右衛門が入ってきていた。

 そういえば、彼女には俺が未来人なことを打ち明けていないんだよな。

 そのうち言わねば、と思ったり、しかし秘密にしておいたほうがいいような気もしたり、複雑な気持ちなんだが。


「おいおい、なんだよ、うちに黙って自分たちだけ金平糖なんか食べて。うちにも寄越せよ」


「おお、取られた。哀れな私だ。幼いころの飢えをいま満たそうとしているのに」


「それほど飢えてなかったじゃないか。村の子供たちの中で誰より餅を食べていたのは誰だよ」


「うぐっ。……そんなことばかり覚えて……」


「はいはい、その話はもうおしまいよ、アンタたち。それよりも五右衛門、なんか話があるっちゃなかと?」


「そうそう。そのために夜通し駆けてきたんだからな。……弥五郎、アンタの言っていた通りになった。……本願寺が灰になった」


「「「……!」」」


 俺、伊与、カンナは、五右衛門の報告を受けて眉根を寄せた。




 1580年(天正8年)、8月2日。

 織田家にとって長年の宿敵だった石山本願寺は織田家と和睦した。


 事実上の降伏だった。

 荒木村重など、複数の反織田勢力が屈し。

 もはや本願寺には織田家と対抗する力がなかったのだ。


 本願寺の最高責任者だった教如きょうにょは、朝廷、そして織田家に本願寺を明け渡し、紀伊国(和歌山県)へ向かうことになった。このとき織田家の担当者は、ずっと本願寺を攻め続けていた佐久間信盛さんだ。


 ここでトラブルが起きた。

 本願寺勢力が退去した直後、石山本願寺に火事が起きた。


 夜につけられていたたいまつが、風に煽られて転倒。

 そこから火が燃え上がったというが――真相は定かではない。

 本願寺の残党が、本願寺を織田家に渡すまいとして最後に火を放ったという説もあり――


「もう、燃えた燃えた。ありゃちょっとした失敗じゃないね。誰かが明らかに火を放ったな」


「本願寺の残党か?」


「おそらくは……」


 五右衛門の瞳が光った。

 俺はため息をついた。


「こうならないように、佐久間さんに言っておいたんだがな」




 少し前に、俺は佐久間さんと都でばったり出くわしたのだが、これ幸いと俺は、


『本願寺が降伏したら、残党がきっと寺に火を放つ。お気をつけください』


 と告げておいたのだ。

 佐久間さんはそのとき、笑い飛ばして、


『まあ、火を放たれようが放たれまいが、本願寺はもう我らの長年の攻撃でボロボロよ。どちらでもよかろうが』


 そんなことを言っていた。

 それはそうなのだが、


『上様が良い気持ちをされません。最後の最後で、寺が燃え尽きた、などということになっては』


『縁起が悪い、と? ははは、上様はそんな縁起をかつぐお方ではない。わしはよう知っておる。若いころからの付き合いじゃからな』


『そうではなく……。本願寺のやつらめ、降参しておきながら、けっきょく余に心から降伏しておるわけではないのだな、と、お怒りになるかと……』


『そんなもの、当たり前の話じゃ。いくさに降伏しても、家臣や雑兵は相手に対して恨みを抱く――そんなもの、気にしておいてはキリがないぞ』


 佐久間さんはまた笑い、


『相変わらず山田弥五郎は心配性よ。本願寺が降参する。上様は喜ぶ。それだけよ。長年の敵が参ったというのじゃから、上様になんの不愉快があろうかい。……急ぐので、またな!』


 佐久間さんは、郎党を率いて行ってしまった。

 俺も小さく息を吐いて、神砲衆のみんなとその場を離れたのだが。




「やっぱり燃えたか……」


 本願寺がここで焼失するのは史実通りだが。

 この後に、起こる出来事を俺は知っているだけに。

 はい燃えました、では終わらせたくなかったのだ。


「五右衛門。佐久間さんから目を離さないでくれ。次郎兵衛と組んで見張り、動きを逐一知らせてほしい」


「そりゃいいが、どうしてだい。まさか佐久間信盛が謀反を起こすとでも?」


「そうじゃないが……。まあ、とにかく頼む」


「ふうん、まあいいか。承知。……ところでこの役目を終えたら、うちにも金平糖たくさんおくれよ」


「高い仕事代だな。……いいとも」


 俺はニヤリと笑った。

 五右衛門も笑った。




 事態は予想通り――

 というか予定通りになった。


 1580年(天正8年)、8月15日。

 佐久間信盛は、織田家を追放された。佐久間だけではなく、織田家の宿老だった林秀貞など複数名の家臣も放逐された。


 俺はその報告を、安土の山田屋敷内で商務を執っているときに、家来から聞かされた。


「そうか。分かった」


 俺はそのとき、人目もあったのでそれだけ答えたが――

 その日の夜、伊与とカンナを前にしたとき。

 カンナが尋ねてきた。


「あんたの言いよった通りになったけれど、佐久間さんはなして追放されたとね?」


「理由は複数あるんだが……『働きが悪い』『秀吉や光秀、勝家らと比べて特に悪い。池田恒興よりも悪い』『自分に相談にも来ない』『金ばかり貯め込んでいる』『先日、俺に口ごたえをした』……などなど」


「ずいぶん……多いな」


 伊与がぽかんと口を開けた。


「口ごたえなど……していたのか。佐久間様は」


「それはしていた。朝倉家と戦ったときに追撃戦をやったとき、神砲衆しかついていけなかったときがあっただろう? あのときさ」


「そういえば、そんなこともあったな。すっかり忘れていた」


「もう何年も前の話だからな」


 と言って、俺はそのときのことを思い出した。




「おぬしたちは、何をグズグズしておったか! 余の動きについてこられたのは、山田のみだ!」


「「「「「申し訳ございませぬ!!」」」」」


「追撃をすると余が命じておったのに、怠慢ぞ! それともおぬしたち、公方様がいなくなったことで増長しおったか!」


「しかし殿様、そうは申されますが、我々のような優秀な家来は、そうはもてますまい」


「佐久間っ! そちは口ごたえをするか。許さんぞ!!」


「殿様。いまはそれよりも、朝倉を追撃いたしましょう。このまま一乗谷を落とすことこそ、肝要かと存じます」


「山田の申す通りじゃ。さらに出陣する。目指すは越前、一乗谷城である!」


 …………。


「山田。よくぞ、わしを救ってくれた。礼を申すぞ」


「佐久間さん、あれほどお怒りの殿様に諫言をされるのは、無茶ですよ」


「分かっておる。じゃが、ああいうときは誰かが殿様の怒りを引き受けねばならぬ。あのままでいれば、殿様の怒りが丹羽にも滝川にも羽柴にも向かおう。そうすれば家中の団結にヒビが入るでなあ。それでも、ああまで怒られるとは、さすがにわしも驚いた。じゃが山田が取りなしてくれたから、あれで終わった。ほっとしておるわ。はっはっは……」




 ……佐久間さん。


 あの人は、確かに藤吉郎や明智光秀と比べると、ぼんやりしているように見えるときがある。

 しかしあの人はあの人なりに、織田家の宿老としての役目を果たしていた。

 少なくとも俺はそう思うんだ。


「明智光秀、だそうだよ」


 そのとき、室外から五右衛門の声が響いた。


「あんたの命令通り、うちと次郎兵衛は二人で佐久間信盛にずっとついていた。と同時に佐久間家の噂もずいぶん耳にした。……今回の家臣追放騒動、裏で糸を引いたのは明智光秀だってもっぱらの噂さ」


「明智が? ……なぜ……」


「さあ、理由は分からない。ただあの明智が、佐久間たち老臣団を追放するべしと、上様にずいぶん進言されたらしい」


「なんだと……」


 俺の胸がざわついた。


 明智光秀。

 なにかにつけて、俺とは少しばかり馬が合わない男。

 戦の天才。竹中半兵衛とも旧知の関係。…………。


 俺の転生を知っている人間が、この世界のどこかにいる。

 半兵衛は、そう言っていたが……。


「……明智……」


「どうする、俊明」


「……本当に佐久間さんが、明智の進言によって追放されたのであれば」


 それは俺にとって、なにか良くない未来を生み出す気がする。

 織田家にとっても。きっと。


 俺は、立ち上がった。


「どこに行くとね!?」


「上様に会いにいく。今回の件を問いただしにいく」


「いまからね!? それに……上様に問いただして、どうするとね!?」


「真実を確かめるまでだ。俺は佐久間さんが、追放されるほどの人だとは思えない」


「正気か、俊明。口ごたえをした佐久間様が追放されたのだぞ。そんなことをすれば、お前まで追放されかねないぞ」


「…………」


「そこで俺まで追放するなら、織田信長もそれまでだな」


 俺の言葉に、伊与もカンナもさすがに唖然とした。


「弥五郎。あ、あんた……」


「……大丈夫。それが本当に正しいことならば、上様は受け入れる度量のあるお方だ。先日の、官兵衛の息子――松寿丸の一件のようにな」


 松寿丸こと将来の黒田長政を、信長は殺すつもりだった。

 しかし長政は半兵衛がかくまうことで助かった。


 半兵衛は、信長の命令に反したわけだが、信長は怒らなかった。

 半兵衛本人が死んでいたというのもあるが、しかし信長は半兵衛の家族や親戚にはなんらお咎めをくださなかった。そして自分の失敗を認めたのだ。


 以前、秀吉も言っていたじゃないか。

 信長は本質的に優しい方なのだ、と。


 俺もそう思う。

 だから、俺の意見だって聞いてくれる。そう信じている。


「それに追放されたなら、もうそのときはそのときさ。昔みたいにイノシシ退治でも米の転売でもやって、またアワ・ヒエを食らいながら生きるまでだ。それとも伊与、カンナ。金平糖の生活が惜しいか?」


「「…………」」


 伊与とカンナは二人揃って、顔を見合わせた。


「ひゃあ、頑張るねえ。……びっくりだよ。あんた、佐久間さまとそこまで仲が良かったかい?」


「仲良しとか悪しとか、そういう問題じゃないんだ。……俺は行く!」


「待て俊明。だったら私も行く!」


「あ、あたしも。あたしも行くばい、絶対にっ!」


「おい弥五郎、うちへの謝礼の金平糖は――」


「台所にカステイラがある。それで我慢してくれ!」


「あいよっ!」


 場の空気とはかけ離れた、五右衛門のマイペースな応答を耳に入れながら、俺は屋敷を出て、安土城の天主へと向かった。

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