第20話 織田信長、破竹進軍
1579年(天正7年)、7月。
陸奥国の
これは二重の意味を持つ。
ひとつは、中央最大の権力者たる信長に取り入るため。
もうひとつは、東北の特産品を畿内に送ることで商取引を行いたいためだ。
我が地方にはこういう品があるので、中央で買ってはくれないか……。
という気持ちを込めて送ってきたのだ。つまり見本を送ってきたわけだ。
阿曽沼広郷などは、他の勢力と戦争中だったのに、わざわざ山伏に変装してじきじきに安土までやってきたという。それほどまでに織田家と結びつきを得たかったのだ。
「山田、どうだ、これらの品は」
俺は安土城に呼び出され、信長からじきじきに特産品について質問をされた。
信長自身は、東北の品にはあまり興味を示さず、ただ東北から送られてきた鷹だけはずいぶん気に入ったようで、カゴの中の鷹を愛おしそうに眺めていた。
鷹は雪のように白く、信長はその白さが珍しかったようで、ずっと笑顔のまま鷹を見つめていた。
「陸奥の酒など、見るべきものもありますが、あまり高値で売れそうなものはありませんね」
「そうか。しかし、あまり
「はっ。……ところで上様、先日、徳川家より注文があった南蛮銅の具足300が、完成致しました」
「おう、出来たのか」
信長は目を細めた。
少し前の話だが、俺の娘の樹が嫁いだ駿河の絹屋さんを通して、徳川家が俺に具足の注文が来たのだ。
その注文があった具足300を俺と部下は、力を合わせて作り上げたのだ。
堺で仕入れた南蛮の鉄を用いた具足である。並の刀剣や鉄砲玉など跳ね返してしまう、強力な具足だ。
「良いことだ。これで徳川の守りも固くなる。山田、手が空いたなら、織田の分も南蛮具足を作れ」
「はっ」
俺は平伏した。
織田家は堺を抑えている。
南蛮の品々が次々と入ってくる。
大友氏の衰退と共に、九州で取られていた南蛮品が畿内に来るようにもなったので、余計にだ。
優れた質の南蛮品。
そこに朝鮮、明国の品も加わっている。
織田家はそれらをどんどん独占して、より冨を稼ぎ、またよりよい武器や防具を作り上げたり買い上げることができる。そうすることで織田家と徳川家はさらに強くなっていくのだ。好循環である。
ところで。
徳川家の傘下にいる駿河国の絹屋さんは、もちろん俺の娘の嫁ぎ先なのだが……。
俺はいま、思い出す。娘の祝言が行われたあの日を。
――樹の祝言は、半年前に津島で行った。
俺、伊与、カンナ、あかり、五右衛門、次郎兵衛など神砲衆の面々が津島の大橋屋敷に揃い、絹屋の人たちと共におごそかな祝言をあげたのだ。
娘がついに結婚をする。
俺はそのとき、さすがに感極まって、少し泣きそうになった。
「わしも樹の祝言には行きたかったが、行けそうにない。すまんのう、弥五郎」
秀吉からそんな文が届いたことが嬉しかった。
樹の相手となる我が婿どのは、細身ではあるが誠実そうな青年だった。
俺はこのとき初めて会ったが、彼ならば樹を幸せにしてくれるだろうと思った。
そして祝言のあと、駿河国へ旅立っていく娘を、俺と伊与は無言で見送ったのだが――
「俊明。津島まで来たのだ。帰りにあの場所へ行かないか」
「あの場所?」
「大樹村だ」
異論はなかった。
そういうわけで俺と伊与はその後、二人で大樹村の跡地にやってきた。
尾張国の片隅にある山間の小さな村で、野盗集団シガル衆に襲撃されて以来、ついに復興することなく、いまではただの荒野のようになっている。
あのときの痕跡は、秀吉と共に天下を誓った大樹だけである。
「あれからもう、30年近くになるか」
「ずいぶん遠くに来たものだな、私たちは」
長い黒髪を風に揺らしながら、伊与が言う。
「拝もう。……そして伝えよう。俺たちのことと、樹のことを」
「ああ……」
俺と伊与は、ふたりで大樹に向けて伏し拝んだ。
俺は心の中で伝えた。……この時代における俺の両親よ。お久しぶりです。
この通り、なんとか無事にやっております。娘もこのたび祝言をあげました。
これからも、どうか我々にご加護を。あの世から見守っていてください。人生の最後まで、おのれの志を果たすために生き抜く覚悟でありますから……。
――貴殿が転生した人間であることを、知っている者がいるぞ。
半兵衛の最期の言葉が、ふと脳裏をよぎった。
「どうした、俊明」
「いや……」
胸の中に芽生えた、小さな嫌な予感を振り払うように、俺は笑顔を作り、
「なんでもない。……行こう。……次の戦いが待っている」
そう言って、伊与を連れて荒野をあとにした。
誰が知っている。竹中半兵衛は誰に、俺の転生を告げた?
秀吉? いやまさかな。……小一郎か? それとも……。
明智光秀。
半兵衛と親しい様子だったあの男の名前まで浮かんだ。
まさか。……いや、しかし、もし俺が転生者だと光秀が知ったら……。
……どうなるんだ?
相変わらず、我ながら悩み深い性分で嫌になる。
しかし悩みは尽きないのだ。半兵衛の最期。娘の幸せ。そして強くなる織田家に、天下の行く末。
本能寺まで、あと丸3年もない。
織田家の天下はいよいよ強固となってゆく。
1579年(天正7年)、8月。
徳川家康が、正室である築山殿と嫡男の松平信康を殺害した。
理由は不明。一説には、築山殿たちが敵である武田勝頼に通じたからともされている。
もしかしたら、そういうこともあったかもしれない。
築山殿は家康と不仲で有名であり、さらに信康も、信長の娘と結婚していたが、その娘とは不仲であったと聞く。そういった感情的な不満が高まり、ついには武田家と内通する、と、そういうこともあったかもしれない。そういうことでもない限り、妻だけでなく長男まで殺害するとは考えにくい……。
この築山殿事件について信長は、
「徳川家の問題だ。家康の判断に任せる」
と言って、介入しなかった。
それは道理であった。
結果、家康は妻子を殺した。
それは家康自身の意思であったが……。
その心の中に、信長への配慮はなかっただろうか?
いまや天下人となった信長。その信長の娘と不仲になってしまった我が長男。
ここで処断しておくべきだ、という冷徹な判断はなかっただろうか?
分からない。
安土にやってきた松下嘉兵衛さんとも少し話をしたが、
「某もよく分からないんだ。気が付いたら若様は切腹されていた……」
と、暗い顔で答えるのみだった。
ともあれ、信長自身が意図せずとも、周囲は信長の顔色をうかがう。
時代はそれほど、織田信長のものとなり始めていた。このころになると徳川家は、形こそ対等同盟だが、事実上、織田家の傘下勢力となっていた。
1579年(天正7年)、9月。
有岡城が落ちた。城主の荒木村重は家族や家来を置いて城を脱出。行方をくらました。
そして城の地下牢に閉じ込められていた小寺官兵衛は、織田軍によって救助された。顔面土まみれ、全身は傷だらけ。生きているのが不思議なくらいの様子だったという。
官兵衛の話を聞いた信長は、おおいに焦り、
「官兵衛は寝返っていなかったのか。しまった。やつの息子はもう殺してしまったぞ。官兵衛に会わせる顔がない……」
と、冷や汗を流したらしい。
だが、死んだ半兵衛が官兵衛の息子をひそかにかくまっていた話を聞いて、
「余の命令に逆らったか、半兵衛。……しかしようした。半兵衛自身も死んでしまっているのであれば、罪には問えんな……」
と、胸をなで下ろしたそうだ。
官兵衛自身も、手当を受けながら、人質だった嫡男、松寿丸(黒田長政)が半兵衛によって助けられたことを知り、
「ありがとうござりまする。ありがとうござりまする。……拙者、織田様のため、羽柴様のため、竹中殿のため、これからは死ぬまで、忠義を……」
と、涙を流しながら何度もうなずき、
「……山田弥五郎どのにも、謝らねば。せっかくご忠告をいただいておったのに、この体たらく……。山田どの、すまぬ……」
俺に対しても謝っていたという。
ひとまず、こうして荒木村重の反乱は終わった。
小寺官兵衛も救助された。
さらにこのころ、関東の大名、北条氏政が信長、家康と同盟を結んだ。
氏政は武田勝頼と現在敵対していたため、武田の敵である織田、徳川とも手を組んだのだ。
同盟の際、徳川家の面々は俺が作った南蛮銅の具足を着込み、
「これぞ天下に名高き神砲衆の山田弥五郎が作った具足」
と言って、北条方に自分たちの力を見せつけたという。
これは北条方が、信長のことばかり気にしていたため、徳川家としても、
「織田の顔色ばかり見るな。我々も強いぞ」
と主張するために行ったものだという。
織田と北条ばかりが目立ち、徳川の存在感が薄れてはたまらんと思ったのだろう。
俺の具足は、戦いそのものばかりではなく、こういうときにも役だったのだ。
秀吉も活躍を続けていた。
このころ、交渉中だった中国地方の戦国大名、
さらに、2年がかりで兵糧攻めをしていた三木城を攻略。
播磨国の他勢力も次々と下していき、ほぼ攻略を完了させた。
播磨を手に入れた秀吉は、次は隣国の但馬だとして、弟の小一郎に攻略の任を任せた。
但馬攻めを始めようとする小一郎の軍に、大量の兵糧と武器、そして南蛮胴具足を、俺が送りつけたのは、言うまでもない。
そして1580年(天正8年)、
織田家は長年の強敵だった石山本願寺を、事実上、下した。
石山本願寺にとって味方だった荒木村重や三木城の別所氏は共に敗亡し、さらに毛利家は制海権を織田水軍の鉄甲船に奪われて以来、本願寺を助けにくることはできない。八方塞がり、四面楚歌。そんな表現がピッタリだった。
信長はひそかに朝廷を利用した。
時の正親町天皇を通して、本願寺に講和を持ちかけたのである。
戦況不利のうえ、天皇まで出てこられてはもはや本願寺も抵抗できない。
ここで石山本願寺は、織田家に対して事実上の降伏をしたのである。
信長の勝利であった。
天下はいよいよ信長のものとなりつつあった。
織田家に抵抗できる勢力は、すでにこの時点でなくなりはじめていた。
このままいけば織田信長の天下は揺るぎない。そう思われていた。
だがこの年の8月。
看過できない事件が、織田家中にて巻き起こったのである。
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