第19話 転生露見

「……未来?」


「うむ……」


 さすがの明智光秀も、半兵衛が発した突拍子もない話に面食らった様子を見せたが、半兵衛はさらに続けた。


 人は死んだあと、どうなるのか。

 転生するのか。するとしたら人間になるか。

 人間になるならば、遠い未来に生まれ変わるのか?


 否!

 過去に生まれ変わることもできるのではないか?

 そして山田弥五郎は、はるか未来からこの乱世に転生したのではないか。


 遠い時代の知識と技術をもって、この世界に――


「……そうだとしたら」


 明智光秀は、半兵衛の言葉を脳内で咀嚼しているかのように、まばたきを繰り返していたが、


「そうだとしたら、許せぬ話だ……」


「そう思われるか、明智殿も」


「無論」


 明智光秀は、うなずいた。


「山田弥五郎は、上様や我らをたばかっていたことになる。何年も、いや、何十年もの間……」


「山田弥五郎がいなければ、今日こんにちの織田家の繁栄はありえまい。しかしそれはそれとして、どうにも不愉快だ。あの男が、なにもかも知った上で上様や織田家を操っていたかもしれない、と思うと――げほっ、げほっ……」


「大丈夫か。薬を……」


「いや、大事ない。それよりも明智殿。拙者はいまから三木城に行く。最後の力を振り絞って、あの男に、山田弥五郎に問いただしてみたい。すべてを……」


「…………。……本音で言えば、この明智十兵衛、まだ貴殿のおっしゃること、さすがに理解が追いつかぬ。しかし竹中半兵衛の言葉は時として神仏よりも重い。……行かれるがよい、三木城へ。輿を用意しよう」


 明智光秀は、ただちに半兵衛の旅立ちの手配を始めた。

 光秀自身は「行きたいが、上様とお会いすることになっている」と言って、安土城に向かうと言った。


「その代わりに、必ず結果を教えてくだされよ」


「無論。……明智殿、貴殿とは親子ほど年も違うのに、ようこの半兵衛と仲良うしてくだされた」


「年など関係あるまい。智謀溢れる今孔明と語り合うのは百杯の酒より楽しかった。……いや半兵衛殿、最後みたいなことを言ってはならない。また会おうぞ」


「うむ……」


 しかし半兵衛には、この三木城へと向かう旅が、人生最後の旅になるという予感があった。




 1579年(天正7年)6月。


 三木城を包囲していた羽柴軍――

 その中に、この俺、山田弥五郎も加わっていた。

 大将は現在、小一郎が務めていた。秀吉本人は蜂須賀小六を連れて、西播磨へと向かっていた。


 これは播磨の隣国、美作国を有する戦国大名、宇喜多直家うきたなおいえを織田方に引き込む工作を行っていたからである。いわゆる調略だ。この手の工作は秀吉や蜂須賀小六の得意とするところであった。


 そんなとき。

 竹中半兵衛、およびその供が30名、到着した。


「竹中半兵衛が来た? 大丈夫なのか……」


 俺は半兵衛を出迎えに向かった。

 小一郎は他の役目を行っていたので、俺が半兵衛を迎えに行ったのだが――


 ……うっ?


 俺は一瞬、息を呑んだ。

 半兵衛は、もはや立つのもやっと、という風体だった。

 がりがりに痩せ細り、目だけが異様に爛々と輝いている。


 髪の毛は白髪まみれになり、見た目がまるで老人のようだった。

 俺は思わず、彼へと駆け寄り、


「なぜ来た。都で養生するべきだ」


「残酷なことを。……侍に向かって、寝床で死ねとは……。……竹中半兵衛、死ぬならばせめて戦場から往きたい。それに……」


 半兵衛は、俺の耳をふいにつかんで、……ううっ!?

 病人とは思えない力だ。い、痛い……痛い……!?


「貴殿と話したいこともある」


「なに?」


「もはや時間も少ない。はっきりと言おう」


「なんだと……?」


「山田弥五郎は、未来からやってきた男か?」


 ぞくり。

 背筋に悪寒が走った。


 声が出なかった。

 意外な発言だったからだ。

 半兵衛が俺を、なにやら訝しげな目で見ているのは知っていた。


 だが、まさかその事実。

 俺が未来人であることに気付くとは……。


「…………」


 いや、待て。

 半兵衛が転生を知るはずがない。

 カンだ。きっとカンでそう言っているに違いないのだ。


「……なんの話だ、半兵衛」


 俺はとぼけた。

 半兵衛は、ニヤリと笑って、


「その反応だけでも充分ではござるが」


「あまりに妙なことを口走るので、戸惑っただけさ」


「……なるほど、当然の話だが、証拠はない。あろうはずもない。しかし――」


 半兵衛は、そこで大きく、ぐらついた。

 ダメだ。俺はさっと半兵衛を支える。

 軽い。なんて軽さだ。もともと細身の男だが、ここまで軽くなるとは……。


「半兵衛、こっちだ」


 俺は半兵衛を抱きかかえると、羽柴軍の本営たる古寺の一室に彼を運び込み、それから半兵衛が連れてきた供の侍に、水と薬を用意するように伝えた。だが、


「薬はいらない」


 半兵衛はそう言って、


「それよりも山田殿。貴殿と話を。二人きりで」


「半兵衛」


「死に際の男が、頼んでいる……頼んでいるのだぞ、山田殿……」


「…………」


 俺は数秒間、黙ったが、


「分かった」


 そう言って、人払いをした。




 古寺の一室に、わらを敷いた。

 その上に座った半兵衛は、俺を見つめながら、


「証などはない……」


 先ほどからの話を続けた。


「しかし、そうとしか思えない。山田、弥五郎。……貴殿ははるか遠い世界から、この乱世にやってきた。大樹村の炭売りの息子に転生したのだ」


「また馬鹿なことを。俺はただの炭売りのせがれ……」


「で、あろうはずがない。……ただの炭売りに貴殿のようなマネはできぬ」


「断言するのか」


「この半兵衛が考え抜いたことでござる。……なるほど、村百姓から立身出世する者は確かにいる。羽柴どのがそうである。弟御の小一郎どのもそうである。貴殿のご内儀、伊与どのもそうと言える。だが貴殿は違う」


「違うとは……」


「この半兵衛の見る限り、貴殿の才は商人でも武士でもない。武具や鉄砲作りの才に長けている。それなのに貴殿は商人として武士として、ときに羽柴どのさえ上回る実力を見せる。妙なことである。……羽柴どのは大した男だ。あるいは上様さえ超えるかもしれぬ、恐ろしいまでの才覚人。……あの羽柴どのを、貴殿が超えるということは絶対にありないのだ」


「……馬鹿にされたもんだな」


「それがまことであるから仕方あるまい。……そしてもうひとつ、職人としてもおかしい。貴殿は職人としてどこかに弟子入りしたわけでもなく、突如として鉄砲の扱いができるようになったと聞く。ありえぬ話よ。伊与どのも、堤なんとかという流浪の侍から剣を習ったと聞くのに。……貴殿はどこで鉄砲作りを習った?


 貴殿の父親は、火縄銃こそ持っていたものの、ただの百姓だったと聞く。その銃がどこから流れてきたのかも知りたいところだが、その話は置こう。いまは貴殿だ。鉄砲を撃つだけならば父親から習えたかもしれんが、作ったり直したりはできんはずだ。


 お分かりか。

 貴殿はあまりにも不自然なのだ。


 才覚もなく、羽柴どのを上回る。

 経歴もなく、鉄砲を作り道具も作る。

 修行もせず、戦場を駆け回り武勲をあげる。


 それも、わずか十二だか十三だかの頃からと聞く。

 そんなこと、できるはずもない。


 前世の記憶や技術があれば、話は別だが」


「…………」


 俺は押し黙った。

 反論するのは簡単だ。


 俺はたまたま、火縄銃の直し方が分かったんだ……。

 武器作りだって、俺の発明だ。つまり……俺は天才だから、できた……。

 ……なんてことをほざけばいい。前世だの転生だのを話すよりも、まだしも現実的だ――


「話せぬか。……なぜ話せぬ?」


「…………」


「いや、話せばおかしい男だと思われるからか。確かに、俺は前世から知識を受け継いだ、などと話せば変人呼ばわりされるだけ。だから隠していたのか。……だが、山田どの、ここにいるのは死にかけの男。それも竹中半兵衛だ。貴殿がどれだけ妙なことを口走ろうと、受け止める頭脳と度量がある。


 ……げほっ、げほっ……。


 ……本当のことを申せ、山田どの。貴殿は。

 貴殿はどこからこの世にやってきたのだ……?」


 半兵衛はまた咳き込んだ。

 弱々しい瞳となった。いまにもこの世から去りそうだ。


 ふと、あの瞬間を思い出した。

 剣次おじさん。……


 この世を未練がましく恨み、強くありさえすればと願ったあの人の眼差し。

 目の前にいる半兵衛と、よく似ていた。


 顔も表情もまるで違うが、最後の最後に、この世にまだ言いたいことがあるとばかりの顔。とてもよく似ていた。……人生最後の輝きを俺は確かに見た。半兵衛は間もなく死ぬ。間違いなかった。


 俺はもう、隠せなかった。


「……参った」


 俺は半兵衛の手を取り、


「いかにも、俺は四百五十年以上未来の世界から、この時代に転生してきた男、山田俊明だ」


「…………おお……!」


 半兵衛の顔が、震えた。


「やはり……やはりなあ……!」


「ずっと隠していてすまなかった。あなたの言うとおり、口に出せば変人呼ばわりさえ、殺されるかもしれないと思ったので隠していた。……本当にすまなかった……」


「…………。……他の者も、知らぬのか……?」


「伊与とカンナは知っている」


「……羽柴どのは? 上様は?」


「知らない。誰も知らない。……そして、頭脳で俺の転生に気が付いたのも、あなたが初めてだ。竹中半兵衛」


「は――ははははは……!」


 半兵衛は愉快そうに笑った。


「そうか、それがしが秘密の一番槍か! ふっ、ふははは……。愉快だ。たまらなく。……竹中半兵衛、一番槍。織田信長も羽柴秀吉も出し抜いた。それがし、この瞬間だけは織田も羽柴も超えたわけだ。ははははは……!」


「半兵衛」


「ふ、ふ、はは、それにしても酷い。ここで貴殿の正体が分かるとは。き、聞きたい、未来の話を聞きたい。乱世はどうなる。乱世の先は? 四百五十年後は、いったいどうなって、げ、げほ、げほ、げほ、ほ、口惜しい……早く言え……そんな楽しそうな話は、もっと早く……う、げほ……!」


「すまない、半兵衛」


「ふ、ふはは、口ほどには、すまないと思っていないのだろう。それがしは間もなく死ぬ。誰にも貴殿の正体を口走ることが、できそうに、ない。いや言ったところで信用もされぬ、は、はは、ははは……。……貴殿は運が良かったな、ここに羽柴どのがいれば、もっと面白いことに……ふ、はは……」


「半兵衛、もう喋るな」


「いや、喋る! 最期まで喋る!! 山田弥五郎、いや俊明。……貴殿には――まず礼を言おう。貴殿のおかげで楽しい人生であった。貴殿のおかげで助かったこともある。


 しかし次に罵倒致そう! よくも、よくもこの半兵衛を十年以上もあざむき続けてくれたものだ。歯がゆいものだ。自分だけのものと思っていた我が人生が、何者かによって、都合がいいように操られていたとは」


「操ったつもりはない……」


「いいや、操っている。この世を自分にとって都合がよい世にするために、貴殿は多くの人間を操ったのだ。理由はなんだ。金か? 違うな。貴殿はそう金にはこだわっていない。名誉か? それも違うな。……貴殿は、貴殿は……」


「……ただ、自分のような者がひとりでも泣かぬ世にするためさ」


 俺は半兵衛の目を一直線に見据えながら、答えた。


「俺は前世で踏みにじられた一生だった。この乱世にやってきてからもシガル衆に踏みにじられた。……そんな世界はもう御免なんだ。そんな人生も、もう御免なんだ。……だから、だから、俺はこの世界を、少しでも良き世にしたいと思った。それが一人よがり、誰かを操ったと言われたら返す言葉もない。


 だが俺は、俺なりに、……そう、あなたから見れば愚かで、上様にも藤吉郎にも遠く及ばぬ大馬鹿者ではあるけれども、俺なりに考えた結果で、この乱世を終わらせようと力を振るっている。


 ……それだけだ……」


「…………」


 半兵衛は、無言。

 小さく息を吐き、その場にがくりとうなだれた。


「……なるほど」


 半兵衛は、何度か咳き込んだ。


「そういうことであったか。……ははは、……そういえばずいぶん昔、主君だった斉藤龍興にそれがしもいじめられたことがあった。いつかやり返してやりたいと思って、本当にやり返したが……そうか、そう言われたら、そうか……」


「半兵衛」


「……やっと、腹の中を見せてくれたな。山田、俊明……」


「半兵衛、薬を」


「要らない。飲んでも、もう効かん」


 半兵衛は、ぐったりと身体を横たえた。

 亡くなる。俺はそう思って、半兵衛に駆け寄った。


「最期にもうひとつ、聞きたい。……この乱世、最後の勝者は誰だ」


「……羽柴秀吉」


「かはっ!」


 半兵衛は、目を細めて、


「そうなるのか。どうしてそうなる? 織田家はどうなる? 聞きたい……だが、くそう……声がもう出らん……」


 声がかすれ始めた。


「山田俊明。それがしはもう、死ぬ。……貴殿はこれも知っていたのか? 知って……ふふ、いや、もうよそう、愚痴になる。……だが愚痴ついでに、これも最後にひとつだけ、教えてやろう」


「なんだ……」


「貴殿が転生した人間であることを、知っている者がいるぞ」


「……なに!?」


 そのとき、外で小雨が降り始めた。

 半兵衛は、口元を歪め、


「それがしが教えた。山田は未来から来た男だと。……誰に教えたと思う? ……ははは……これで先のことが少し分からなくなったな。……今孔明と呼ばれた男の、最後の罠よ。誰が知っているか悩みながら、生き抜いていくがいい。……それくらいは、仕返しよ……。一矢報いる、というやつよ……」


「半兵衛」


 俺は彼の名前を呼びながら、頭の中にグルグルとした妙な渦巻きができていくのを感じていた。


「なんでもかんでも、貴殿の思うとおりにはならんよ。……ただの嫌がらせになってしまったが、それもまたよし。……しかし……それがしは次はどう転生するのかな……」


「…………」


「武将か商人か大名か、それとも犬か猫にでもなろうか……。……これも礼を言おう。……転生がある世界だと知りながら死ねる。……少しばかり……楽しい気持ちで……」


「…………。……半兵衛……? おい、半兵衛!」


 俺は半兵衛の肩に触れた。

 まだ少しばかり温かい。だが生気が感じられない。


 死んだ。

 半兵衛はいま、亡くなったのだ。


「……半兵衛……」


 彼との思い出が走馬灯のように脳裏をよぎる。

 策士として呼ばれた彼とも、金ケ崎や信玄暗殺など、たくさんの戦いを共にくぐり抜けた。


 しかしまさか彼が、俺の正体を知って死ぬとは。

 そして、俺のことを誰かに伝えて亡くなった。


「……誰なんだ……」


 俺はいま、自分の人生が霧に包まれたような気がした。

 三木城周囲の羽柴陣に、雨が降る……。




 半兵衛の死は、すぐに安土城に知らされた。


「なに、半兵衛が……」


 信長は驚き、しかしすぐに、半兵衛の弟の竹中重隆を羽柴軍に送った。重隆は信長の馬廻りをやっていた人物だ。竹中家の家督や領土、その他もろもろの後始末をやらねばならないからだ。羽柴軍の中にいる竹中軍の采配も、代理としてやらねばならない。


「竹中半兵衛……」


 そのときちょうど、信長の御前に控えていた明智光秀が小さくつぶやいた。


「往ったのか。……しかし、最後に残した言葉」


 山田弥五郎は未来から来た。

 その言葉が心に残る光秀であった。


「山田、弥五郎、……俊明……」

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