第18話 竹中半兵衛の遺言

 俺と半兵衛が会話を交わしていたころ、有岡城周囲では激戦が続いていた。

 信長軍が猛攻を加え、また荒木側の武将や足軽を引き抜きにかかっても、荒木軍は屈しなかった。


 その途中で佐久間信盛が、金銭を用いて敵兵を引き抜こうとしたこともあったが、誰も織田方に寝返らなかったという出来事もあったらしい。


 とにかく荒木方は、信長の想像以上に強かった。

 強すぎたために、信長は、


「あの小寺官兵衛が、荒木に智恵を貸している」


 と思ったらしい。

 それは違う、官兵衛は捕まっているだけだ、と、秀吉や伊与は主張したが、信長は考えを変えなかった。


「小寺は余の敵に回ったのだ。小寺の本家も毛利についたではないか」


 信長の言うところは事実だった。

 官兵衛の主家である小寺孫四郎は、このときすでに毛利家に味方をしてしまっている。


 小寺官兵衛の妻と父は、あくまでも織田につくと表明しているのだが、信長から見れば、その妻と父さえ怪しく見えるようで、


「播磨者は信用ならぬ。やはり官兵衛の息子は殺せ」


 と、正式に秀吉へ命令した。


「上様……」


 秀吉はその命令を聞いて、歯ぎしりした。……




「偽の首でしょうな……」


 官兵衛の息子を斬れという信長の命令が、三木城を包囲している羽柴の本陣にも伝わってきた。


 この場にいるのは俺とカンナと半兵衛、蜂須賀小六に羽柴小一郎といった面々だが、全員が半兵衛に視線を送った。


「蜂須賀殿。このあたりに病で亡くなった五歳か六歳くらいの子供がいないか探すのです。見つけ次第、多額の謝礼を差し上げて、その子供の首を戴けばいい」


「おう、承知した。しかし竹中殿、貴殿は、かつて官兵衛の子供を斬るべきだと言っておられたが」


「考えが変わり申した。官兵衛が裏切っていないと分かった以上、その息子を殺す意味は無い。これは上様の失策でござる」


「上様が失策、ですか」


 小一郎が目を丸くすると、半兵衛は微笑を浮かべ、一度、大きく咳き込んだあと、


「上様も人間。失敗もされよう。……それ、拙者は知らぬが、かつて上様は弟の信勝様に捕まったり、桶狭間で負けたりもしたそうではないか。しくじるときもある。それを全力で助けるのが家臣の務めよ」


「ごもっともです。そう言われたらそうです」


「しかし偽の首か。それであの上様を、ごまかすことができるかなあ?」


 蜂須賀小六は首をひねった。

 俺も腕を組んで考えたが、やがて言った。


「上様がご機嫌なときに首を差し上げれば、ごまかしやすくなるかもしれない」


「そりゃそうだが、いつ機嫌がいいかなんて分かるかよ」


「だから、珍しいものを差し上げればいい。そう、例えば南蛮の珍しい品物の数々とか」


「堺で買い求めてきますか?」


 小一郎が言ったが、俺は小さく首を振り、


「堺の南蛮物は、もう上様にとって珍しくない。遠いところのものがいい。……そう、例えば九州とか」


「どういうことでしょう。話が見えませんが」


「みんなは、耳川の戦いの結末をもう聞き及んだか?」


 ふいに、まったく別の話題が出たので、全員、ぽかんとした。

 半兵衛が、また少し咳き込んで、


「九州の大名、大友氏が、島津氏と戦って負けたそうで。その戦いを確か、耳川の戦いといったような」


「さすが半兵衛。耳が早い」


 今年の11月、九州で起きた大友氏と島津氏の戦い。

 この戦いは島津氏の勝利に終わった。

 これ以降、大友氏は勢力を弱め、九州は島津氏のものとなっていく流れになるのだが、


「その大友氏はこれから衰退していく。といっても、いきなり明日、あさってに滅亡するわけではない。しばらくはまだ踏ん張る。……その過程で銭が要る。そして大友氏は、古くから南蛮と交流がある。珍しい南蛮物を持っている……」


「あ、なるほど。つまり大友氏は銭がいるために、南蛮物をいくらか手放すやろうっち、弥五郎は言いよるわけね?」


「そういうことだ。大友氏から南蛮物だけでなく、貴重な武具や宝物も流出するはずだ。そこを買い求め、上様に献上して機嫌を取る。そこで官兵衛の子のニセ首の話題を出せば」


「話が通りやすくなるかもしれない。なるほど。……ごほっ、ごほっ……」


「半兵衛殿、そろそろお休みになったほうが」


 小一郎が気遣う。

 半兵衛は、穏やかに笑ってうなずき、自分の陣に戻ろうとした。

 だがその一瞬前に、俺のほうをちらりと見て、


「それにしても山田殿は、本当に博識で、先読みの才に長けておられる」


 温和な、本当に温厚なまなざしを俺に向けてきたのであった。

 俺は複雑だった。……半兵衛は俺になにかの感情を抱いているようだが……。

 まさか転生のことまで気付いていまい。と、思うのだが……。




 その後の流れは、俺たちが予想した通りになった。


 九州から瀬戸内海を通じて、じわりじわりと、上方へ流れついてきた財宝や南蛮物を、俺たちは急いで買い占め、有岡城から安土城に戻った信長に献上。献上の役目は俺がみずから務めた。


 信長はほくほく顔でそれらを受け取る。そのついで、といったふうに、官兵衛の子供のニセ首も信長に献上したが、信長は手を振りながら、


「殺したならば、それでいい」


 と言って、細かい首実検をしなかった。

 これで官兵衛の子、のちの黒田長政は助かった。

 子供は姫路や長浜に置いておくと、誰に見つかるか、しれたものではないので、美濃にある半兵衛の城、菩提山城に送られた。


「官兵衛本人を助け出すことができなかった。すまない」


 有岡城から戻ってきた伊与、五右衛門、次郎兵衛らは俺に向かって謝罪した。

 有岡城は容易に落ちない。そこで信長は、集めた軍をいったん解散し、いくらかの兵で有岡城を包囲する、いわゆる兵糧攻めの姿勢に転じたのであった。信長や伊与が、安土や三木に戻ってきたのはそういうわけだ。


「気にするな。……努力はしても、やはりこの世界は俺が知っている歴史通りになることが多い。おそらく官兵衛も、有岡城が落ちてから助けられるんだろう」


 俺は、伊与とカンナと三人きりになったとき、ひそかにそう言った。

 なにもかも、歴史の通りに。


 ならないこともある。

 和田さんのように、救える命もある。

 だが、大筋で言えば……。




 信長が上機嫌だったのは、献上された財宝だけが理由ではなかった。

 安土城の完成が目に見えてきたからだ。

 そして実際、完成した。


 1579年(天正7年)5月、安土山の山頂に天主てんしゅが完成。

 信長は、既にできていた二の丸、三の丸から、こちらに移住した。


 天主は高さ12メートルの石垣台の上に建ち、中は7階建ての堂々たるもの。

 外見は黒の漆塗りで、これは京都の金閣、銀閣が黒漆だったものを踏襲したものだ。


 さらに、建築の各所に朱塗り、金箔塗り、赤瓦など、虹のごとく煌びやかな色が並んでいる。中国の皇帝を意識したらしいこの天主は『唐様からよう』と呼ばれていて、信長が日本の皇帝になったかのような錯覚を、見る者すべてに与えた。


「この安土城は、いまからたった3年後に焼失する」


 と、安土城天主を見上げながら俺が小さくつぶやくと、伊与とカンナは目を丸くして、


「はあ、それはやっぱり本能寺のせいで? 上様の時代が終わるって、アンタ言いよったもんね」


「実に惜しい。これほど見事な城郭が。……本当に焼け落ちるなら、あの色瓦だけでも拾い、持ち帰れないものか? どう思う、俊明」


「ま、まあそれくらいは、できるかもしれないな……」


 この年になっても、伊与は変わり物を集めるのが大好きなのである。


「しかし問題は本能寺だ。いよいよあと3年だ。俺は、信長を殺したくはない。本能寺を防ぎたい」


 だが、できるのか……この俺に……。

 そもそも明智光秀がなぜ本能寺を起こしたのか。

 それが分からない以上、あとひとつ、動きようがないのだ。


 最悪、本能寺の直前になって、光秀個人を暗殺するしかないと思っている。

 だが、――俺の心に、また、あの女の声が響くのだ。


『あんたは結局、気に入らない人間をブチ殺しているだけだ』


 熱田の銭巫女。

 あの女の言葉が……。


 信長なら助ける。

 光秀なら殺す。


 ひどい話じゃないか。

 俺といまいち気が合わないとはいえ、光秀個人はまだ、俺にいきなり襲撃されるようなことはなにもしてないんだ。


 未来のためと言いつつ、……なにもしていない光秀を殺すなんて。

 悩む。……俺は悩んでいる。なお、悩む……。




 そのころ京の都、ある寺の離れで、竹中半兵衛は静養していた。

 もはや身体が戦場に耐えられなくなっていた。熱が下がらず、咳が出る。

 都には良い薬師がおり、薬もあるので、秀吉が半兵衛を都に送ったのだ。


 それでも具合は良くならない。

 一向に。


 ――半兵衛、なにか食べたいものはないか? なんでも送ろう。


 数日前、安土に向かう途中の山田弥五郎が、半兵衛のところに立ち寄り、そう言ってくれた。

 彼なりの優しさなのは理解できる。だが半兵衛は、


(まるで、拙者が死ぬことを知っているかのようだな)


 と、ふと思った。

 死ぬと分かっているからこそ、できる優しさ。


(完治を望む相手ならば、なんでも食べろ、とは言わないのではないか。病人に大食は禁物。それが分からん山田弥五郎でもあるまいに)


 ひねくれすぎか。

 そう思ったりもする。

 だが半兵衛は、やはり考えてしまう。


(山田は、先読みのできる男……)


 一日中、寝てばかりいるため、考え事だけを繰り返してしまう。

 それも、なにやら異様なほうに。健康なときには決して考えなかった発想が出てくる。


(あの男は常に先を読む。拙者の死も読んでいるのではないか。……そもそもなぜ、あの男はああも先を読めるのか。頭脳は聡明なほうでもなかろうに)


 ひどい毒舌だったが、半兵衛は昔からそう思っている。

 山田弥五郎は、せいぜい並の上出来くらいの男。信長や秀吉とは比べものにならない人間。

 ただ、手先は器用だ。武具作りの腕前も見事である。要するに、武士でも商人でもなく、職人気質の男なのだが。


(それが、時おり見せる異様な先読みの才。どこからあの智恵が湧いてくるのか)


 昔から、弥五郎の正体がつかめなかった。

 いまでもつかめない。つかめないまま、自分は死んでしまいそうだ。


(竹中半兵衛、この期に及んで考えることが、天下のことでも三木城のことでもなく、山田弥五郎のことだとは……)


 思わず、苦笑した。

 やはり自分は病んでいる。

 もう自分は、武将ではいられない。……そう思った。


(頑強な身体が欲しいものだ。30代で命、尽き果てるとは。せめてあと10年、現世にいられれば。だがそれも愚痴になる……)


 次こそは。

 輪廻転生したならば。


(強い身体を持って、弁慶と共に義経の片腕にでもなろうか。そうすれば、頼朝相手にでも勝てるだろう。なにしろ源平合戦の先の流れを拙者は全部知っているのだから――)




 ぞくぞくぞく。




 半兵衛の背筋に悪寒が走った。


 知っている? 先を知っている?

 転生し、過去に戻って、有名人のかたわらにはべり、先の流れを知って活躍。

 それでは、それでは、まるで――


「山田弥五郎……」


 すべての辻褄が合う。

 あの男に対して感じていた、違和感。


 弥五郎は、尾張の村の炭売りの息子だったと聞く。

 それは間違いあるまい。秀吉も伊与もそう言っていた。

 だがそれも、はるかな未来からこの時代の人間に転生してきたとすれば。


 まさか、まさか、あの男は、はるか遠い未来から……!?


「竹中様」


 そのとき、部屋の外から若侍が声をかけてきた。


「明智様がお越しです」


「明智? ……十兵衛、光秀……? ……通せ……」


 意外な人物の登場に、半兵衛はやや面食らったが、とにかく会おうと思った。


「久しゅうござる。都にいると聞いて見舞いに参った」


 入ってきたのは確かに明智光秀だった。

 顔や服が、ずいぶん汚れている。


「むさ苦しい格好で申し訳ない。ずっと攻めていた丹波の大名、波多野秀治はたのひではるをようやく捕らえることができた。実はいま、まさにその波多野を安土に送っていく最中でな。それゆえ、あまり長居もできぬが」


 光秀は戦場帰りらしく、やや興奮しているのか、早口で一気にまくし立てた。

 半兵衛は、やや呆けた脳で彼の言葉を聞いていたが、やがて細くなった両手の指を、明智光秀の手の甲に載せた。


「半兵衛どの。なにを」


「明智どの。これから言うことは、拙者の遺言。信じがたき言葉を吐くけれども、しかれども、……ああ、しかれども、病の熱に浮かされた妄言にあらず。ひとりの侍の真摯なる言葉と思うて、聞いてくだされよ」


「聞くとも。どうされたのだ」


「山田弥五郎、……俊明」


 半兵衛はさらに一度、咳き込んでから、告げた。


「あの男は、いまよりもはるかに遠い未来の時代から、やってきた者と思われる」


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