第17話 転生は是か非か
「久しいな、山田うじ、羽柴うじ。……おのおの方」
姫路城の裏手にある古寺に向かうと、和田さんは確かに待っていた。
「和田さん。お元気そうでなによりです」
「あまり元気でもないが……おかげで命、永らえておる」
和田さんは苦笑を浮かべた。
シワが増えた。白髪も多い。
この人もめっきり老けたな。
昔、津島で会ったころが嘘のようだ。
古寺にやってきたのは、俺、秀吉、伊与、半兵衛、小一郎の五人だけである。
近侍ひとり、従えていない。それだけ忍びでやってきたのだ。
無理もない。いまの和田さんは足利義昭についている立場なのだから。
「公方様はお元気かの?」
秀吉は、ちょっと皮肉っぽく言った。
和田さんは、口元を歪ませて、
「羽柴うじ、そういじめんでくれ。お前が公方様を嫌っているのはよう知っているが。……自分はいまでも、公方様と織田様がもう一度、両雄並び立つ姿が見たいと思っておる」
「無理でしょうな」
半兵衛がさらりと言った。
「数年前なら知らず、いまでは上様も、将軍家無き天下を作ろうとしておられる。……仮に足利の世を保ちたいと思うのであれば、公方様がみずから上洛され、ご子息を十六代将軍とでもされた上、ご自身は今度こそ出家して、二度と世俗と関わらぬ身の上にでもならぬと」
「…………」
決して親しい仲とはいえない、というか交流もさほどなかった上に、年下の半兵衛に辛辣なことを言われて、さすがに和田さんはむっとしたように押し黙ったが、……やがてため息をつき、
「そう言われると一言も無い。そして出家などなさる公方様でもない……」
と、半兵衛の正しさを認めた。
このあたりでも、やはり和田さんは昔より老いたと俺は思った。
足利義昭の隣など離れて、どこかでひそかに隠居でもされたほうがいいのにと思ったが、……それは和田さんから生きがいを奪うのと同義と思い、俺はその思いは口にせず、
「それよりも和田さん。公方様のことよりも話すことがあるのでは?」
「そうだ、山田うじ。自分は荒木摂津の件で話があって参ったのだ」
「荒木摂津の?」
「おそらく織田方では、荒木摂津がなぜ謀反を起こしたのか、分かっていないのではないかと思ってな。それを伝えに参った」
「汝なら分かるのかの?」
「荒木摂津の下にいる足軽頭の中に、かつて自分が従えた者もおってな。その足軽頭から流れてきた情報だ。……荒木摂津は、一言でいえば、織田様のまつりごとに不安を抱えておる」
「不安を?」
「うむ。……先日、織田様は上月城の尼子衆を見捨てたな? あれで荒木摂津は、織田方のやり方に不安を覚え始めたそうだ。……織田の縁戚でもない、尾張、美濃からの譜代でもない自分は、いずれ使い捨てにされるのでは、と……」
「それで毛利方についたわけですか?」
俺は、目を見開いた。
和田さんはうなずいた。
「毛利方は律儀というのが世間の評判だ。織田とは違う。毛利は譜代であろうがなかろうが決して見捨てはせぬ、と……。いや、実際にそうかどうかは問題では無い。世間の評判の問題だ。……荒木摂津は憤っておった。ここでか弱き尼子衆を見捨てるような上様ならば、いずれ我ら摂津衆も見捨てられるのでは、と。……織田にとって大事なのは尾張と美濃の連中だけで、他の国の人間は外様にすぎぬ、と……」
「そりゃ当然の理屈じゃろう。誰だって身内や若いころからの家臣団を大事にする。あとから来たものは外様じゃ。それが事実なら、荒木摂津、そりゃ少し強欲ぞ」
秀吉は口を尖らせた。
和田さんは、またうなずいた。
「強欲と言われたらその通りかもしれん。ただ荒木はそう感じたのだ。そしてこのように謀反をした。……小寺官兵衛も捕まえてしまった」
「官兵衛! そうじゃ、和田殿よ。官兵衛はどうした。捕まったといま申したが――」
「小寺官兵衛は、荒木摂津のいる有岡城に幽閉されておる。荒木摂津は小寺を家臣に加えようとしたが、羽柴を裏切るわけにはいかんと言って断ったそうだ。それで地下牢に入れられてしまったというわけだ」
「官兵衛……」
秀吉は、少し目を潤ませて、
「……それ見たことか! やつは裏切ってなどおらんかった! うむ、わしの人を見る目は確かじゃった! ああ、それにしたって官兵衛の馬鹿正直め、口だけでも家来になると言って逃げ出せばよかったものを! 官兵衛……!!」
「これで、官兵衛の息子を斬れという上様の命令にも従わなくてよいな、兄者」
「うむ!」
小一郎の言葉に、秀吉は嬉しそうにうなずいた。
秀吉が笑うと、場の空気がぱっと明るくなる。古寺の中に漂っていた、どこか緊迫した空気が一気に柔らかくなった。
「しかし荒木摂津は、なぜ官兵衛を殺さずに、閉じ込めているのだろうか……」
半兵衛が首をひねる。
俺は、微笑を浮かべて、
「荒木摂津の妻がキリシタンだからじゃないか? 官兵衛もキリシタンだ。同じキリシタン同士ということで、荒木の妻が殺すなと言ったんじゃないか? あくまで推測だが」
「ほほう、弥五郎。汝、よく荒木摂津の妻がキリシタンなどと知っておったな。わしゃまるで知らんかったぞ」
秀吉が感心したように言った。
俺は無言で笑った。例によって未来からの知識である。
秀吉たちがこのことを知らなくても無理は無い。荒木村重本人ならともかく、その妻の情報なんてそうそう知るはずもないからな。
「ともあれ官兵衛が裏切っておらんなら、わしの腹も決まった。官兵衛の息子は斬らぬ。上様からなんと言われてもな」
「それでこそ藤吉郎だ。俺ももちろん協力する」
俺と秀吉は目配せを交わし合った。
それから、和田さんに目を向けて、
「和田さん、情報をいろいろとありがとうございます。またなにかあったら教えてください」
「うむ、そうさせてもらう。命の恩人である山田うじのため、そして、……願わくば、足利と織田の融和のために」
和田さんは明るい声でそう言った。
だが、足利と織田の融和のために、といった言葉には、誰も、うむとうなずかなかった。
さてこの後、信長はみずから軍を率いて安土から出陣。
摂津の有岡城に、5万の兵を引き連れて押し寄せた。そこには、丹羽長秀や、さらに毛利水軍を打ち破ったばかりの滝川一益や、丹波国を攻めている明智光秀も合流していた。
信長はキリスト教の宣教師を使って、荒木村重の与力であった高山右近を説得。高山を荒木から引き離すことに成功。これとほとんど同時期に、中川瀬兵衛など、荒木村重についていた他の織田家臣たちも、続々と信長のほうへと戻っていった。
「我らは、信長に使い捨てにされるぞ!!」
荒木村重はそう言って、与力や家来たちを説き伏せようとしたが、その言葉は彼らには伝わらなかった。
無理もない。
このままだと使い捨てどころか、そもそも信長に殺されてしまう。
と、誰もが思ったのだろう。
木津川口の戦いで、織田の水軍が毛利水軍を打ち破ったのも一因だった。
織田信長、なお強し! 摂津の国衆はそう思ったに違いない。
ある程度、摂津衆が織田家に戻ったことを確認した信長は、ここに来て攻勢に出た。
織田軍による有岡城の攻撃が始まった。
「羽柴と山田も、こちらに援軍を寄越せ」
という命令が播磨に届いたので、秀吉はみずから3000の兵を率いて進軍。
その中には、俺の神砲衆50人も加わっていた。率いるのは伊与に任せた。
「次郎兵衛も有岡にいるはずだ。それと都に残した五右衛門にも合流するように文を出した。みんなで有岡を攻めてくれ。そして――」
「分かっている。小寺官兵衛を救うのだろう?」
伊与は自信ありげにうなずいた。
「さすが伊与だ。よく分かってくれている。頼むぜ、官兵衛をうまく助けてくれ。最悪でも安否だけは確認してくれ。上様に、『官兵衛は裏切っていない』と伝えたいんだ」
「承知した。私に任せておけ」
……と、そんなやり取りが出陣前にあったのだ。
有岡のことは、秀吉と伊与に任せるしかない。
俺は三木城攻めをしている羽柴の陣に残った。
なぜ俺がここに残ったかというと、秀吉本人が有岡に向かったからだ。
播磨の羽柴軍は小一郎が代将となったのだが、それだけでは不安だと言った秀吉が、俺に副将として羽柴軍を支えて欲しいと言ったのだ。
「小六兄ィは前線におるし、半兵衛は病身じゃ。頼む、弥五郎。汝が小一郎を支えてくれい」
「分かっている。こちらのことは任せてくれ。半兵衛のことも任せろ。間もなくカンナが薬を持ってこちらにやってくる」
と、これも出陣前の俺と秀吉のやり取り。
近ごろ、とにかく咳が多くなった半兵衛を助けるため、俺は伊勢に残っていたカンナに、商務をやりながら薬を持ってきてくれと伝えていたのだ。
2日後、カンナは約束通り、播磨にやってきた。
神砲衆の兵、30人ばかりと一緒に、である。
「お待たせ~! アンタの言うた通り、ちゃんと最高の薬を都で買うてきたばい!」
「ありがとう、カンナ。……俺も医学が分かればいいんだが、さすがに薬作りまでは知識がないんだ」
「アンタは武器も道具もさんざん作りよるんやけん、それでええやん。これで薬師まで務まったら、そら化け物たい」
「化け物呼ばわりはあんまりだぜ」
羽柴の陣中で俺とカンナはニコニコ笑いながら喋ったわけだが、陣中の視線がカンナに刺さっているのが分かる。
彼女の
俺とカンナは話をしながら、陣の奥に進む。
「とにかく長旅、お疲れ様。裏手に俺が風呂桶を作らせた。湯を沸かしているから、入りなよ」
「甘えさせてもらうばい。……ね、今夜は久しぶりに二人でゆっくり眠れるんやろ? ……や~ごろっ」
「いきなり耳元でささやくな! 何歳だと思ってんだ、まったく! ……早く入ってこいよ!」
「やん、冷たい。好かーん、もう。ええやん、いくつになっても夫婦で仲良ししたって~……」
ぶつくさ言いながら、カンナは奥に行く。
四十になろうというのに、その後ろ姿はまだ二十代後半くらいにしか見えない金髪の彼女を見送りながら、近くに人がいなくてよかったと思いつつ、俺は。
俺は、半兵衛の部屋に向かった。
六畳ほどの部屋。
寝具の上に、半兵衛は座り込んでいた。
「寝ていたほうがいいのに……」
そう言いながら俺は入室する。
「寝過ぎて、逆に疲れてきたのでござるよ」
半兵衛は微笑を浮かべた。
「それならいいが。……これ、薬だ。うちのカンナが持ってきた。胸の病や、咳の病によく効くはずだ」
「かたじけない」
半兵衛は俺が差しだした薬を、素直に受け取った。
かと思うと、また咳き込んだ。
「まったく嫌になる。いまこそ戦働きをせねばならんというときに、この体たらく」
「病なんだから仕方がないさ」
「若いころから、こうであるから嫌になる。もしも生まれ変わったら、次はもっと強い身体がようござるな。蜂須賀殿あたりのように」
いきなり生まれ変わりなんて言葉が出てきて、俺はギクッとした。
もちろん、半兵衛が叩いた軽口に過ぎないのだが……。
「……伊与に、官兵衛を助けるように言っておいた」
話をごまかすために、俺はまったく別の話題を口にした。
「伊与ならやってくれるさ。きっとな」
「……官兵衛といえば、以前、話したことがあるが……」
「なにを?」
「キリシタンの教えには、輪廻転生はないそうで」
また、俺はギクッとした。
「……ないのか」
調子を合わせる。
「左様。人間は死ねばそれまで。……と、キリシタンの官兵衛は言ってござった。……亡くなった人間はあの世に送られて裁きを受ける、と。……次が無いとは、キリシタンの教えは無慈悲でござるなあ。拙者は、……転生をしてみとうござる。病の身となったから、やもしれぬが……」
「半兵衛。もうしゃべるな。身体に障る」
「すまぬ。いや、はは、退屈だったのでござるよ。……いや、転生するならば次は人間ではないかもしれぬ。犬か猫か、畜生にでも変わるかもしれぬ。そう思うと、さて転生も是か非か分からぬ」
今日の半兵衛はいやに多弁だ。
しかし、理解はできる。一日中、あるいは何人も他人と喋らないと、喋りたくなるものだ。
俺だって前世のとき、病院に入院したときは、お見舞いが来るのを待っていた。退屈で、誰かと話がしたかったのだ。あれと同じだ。
ただ、話題が……。
俺は、話しにくい……。
「やはり人間がいい。そう、……はるか未来に生まれ変わり、この乱世の行方を見に参るか。あるいは過去も面白い。源平争乱の時代に舞い戻り、九郎義経の命を救うなどできたら面白かろう。歴史の流れを知っているのだから、相手が頼朝でも勝つことができようなあ」
「半兵衛、もういい。とにかく薬を飲むんだ。……飲むんだ……」
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