第21話 歴史を動かす決意
北畠氏の大河内城を下すにあたって、信長は足利義昭の手を借りた。
足利将軍家の命令によって、北畠氏は降伏する、という形にしたのだ。
こうすることで、信長が戦っているのは、あくまで足利将軍家のためであり、織田家の私戦では決してない、ということになる。……そこまではよかった。
こじれたのはこの後だった。
北畠氏が降伏するにあたって、信長は、自身の次男・茶筅丸(のちの織田信雄)を北畠氏の養子にするように画策したのだ。これにより北畠氏は事実上、信長の傘下勢力となったわけだが、義昭はこれを怒った。
「けっきょく、織田家の領地を増やすことに、足利の名前を使っただけではないか」
一理はある。
しかし信長にも言い分があった。
「足利将軍家を支える織田家の勢力拡大は、最終的には将軍家の勢力拡大に繋がるのです」
これもまた、一理はある。
信長は――あくまで織田家中にいた俺の見方になるが――足利将軍家をどこまでも敬っており、室町幕府を再興する意思をもっていた。かつて足利義輝から大名として認められたときの喜びを、信長は忘れていなかった。信長はどこまでも、足利将軍家のためを思いつつ織田家の勢力を躍進させようとしていた。
しかしそれは、やはり信長側の言い分だと思う。
義昭は、自分を置いてけぼりにして織田家が大きくなっていくことに、腹立ちを覚え始めていたのである。
岐阜城下にある、神砲衆の屋敷、その一室にて。
「これ以降、将軍家と弾正忠さまは対立の一途をたどるのだな?」
伊与が、小さな声で言った。
そのひざの上では、娘の樹が可愛い寝息を立てている。
部屋の中には、俺と伊与と樹しかいない。先ほどまではカンナもいたのだが、水を飲みたいと言って部屋から出ていった。
「いきなり対立するわけじゃない。足利将軍家と織田家は、当分は協力関係にある。……だが、北畠氏を下したあたりから、関係がぎくしゃくしはじめるのも確かだ」
「ふむ。……そして俊明の知っている史実では、弾正忠さまは、それでもなお織田家の勢力を伸ばそうとして越前の朝倉家に侵攻する。そこで浅井家が裏切って、織田家は窮地におちいる」
「そう、さらにその後、本願寺や甲斐の武田家まで織田家の敵に回るんだ。いわゆる『信長包囲網』だ。信長にとって人生で一番危うい時期で、徳川家康以外の近隣諸国がことごとく信長の敵になる。いよいよ信長はもうだめだと思われて――ついには足利将軍家まで信長を裏切るわけだ。――もっとも、最終的には、武田家は当主の信玄が病死して、浅井も朝倉も信長にやられ、信長包囲網は崩壊するんだがな」
「最終的に弾正忠さまが勝利するのであれば、俊明が協力する必要もあるまいが……」
「しかし俺は、何度も言っている通り、浅井家に嫁いだお市様が気になっている」
「……あの方を不幸にはしたくない、と」
「そういうことだ。だから俺としては、せめて浅井家が織田家を裏切らない流れにしたい」
「それで歴史が変わっても、か」
「……ああ、そうだ」
そこまで言うと、伊与はふうっと息をついた。
「俊明がそう決めたのなら、私はもうなにも言わないさ。協力する。浅井家の運命を守ろう」
「ありがとう」
「しかし、策はあるのか? 弾正忠さまに『朝倉を攻めるなら浅井にひとこと言え』というだけで、今後の展開を回避できるのか?」
「それなんだが、俺もさらに考えた。信長だけでなく、浅井家のほうにも手を打つつもりだ」
「どういうふうに?」
「昔、浅井家にいた竹中半兵衛がいるだろう。彼の人脈を使って、浅井家に働きかける。――交易をしてみないか、とな」
「交易……」
「そうだ。この山田弥五郎俊明と神砲衆が、浅井家のために交易をする。浅井の領土から得られる農産物や特産品を、この神砲衆が商ってやる、と請け負うのさ。……昔、遠江の松下嘉兵衛さんのために、硯を売って回ったことがあったけど、あれのスケールアップ版だな」
「すけーる、あっぷ……。大きくする、という意味だったな? 浅井家のために商売をやるのか」
「ああ。織田家を裏切らずにいれば、こんなに儲かるんだぞ、ということを教えてやるのさ」
すなわち、金銭的利益をもって浅井家を織田陣営につけておく作戦だ。
「とことん良い話にしてやるつもりさ。交易の儲けの9割は浅井家に納める約束にする」
「9割!? 松下嘉兵衛さまのときは、儲けは折半だったのに、そこまで浅井家にやるのか!?」
「そこまで貰えるなら、浅井家は神砲衆を、すなわち織田家を切れないだろ? 商売を勝手にやってくれて、しかも儲けの9割を貰える。こんなにいい話はないぞ」
「……弾正忠さまは、なんとおっしゃるだろう」
「それは大丈夫。すでに許可は得ている。『我が義弟の利益になるのだ。なんの異論もない』と言っておられた」
「さすがは弾正忠さま。器が大きいな」
「あの方はもとより優しいが、身内には特に優しいからな」
「ともあれ、これで方針決定か。次は浅井家のために商売をやるわけだな。さて、どういう商いをやるか」
「カンナともよく相談しないといけないよな。……しかしあいつ、遅いなあ……」
そんな話をしていると、噂をすれば。
カンナが、引き戸を引いて室内に入ってきた。
薄暗い部屋の中に、金色の髪がよく映える。
「よう、カンナ。待ってたぜ」
「俊明と商いの話をしていたところだ。次は浅井家のために商いをやるぞ。カンナの意見は――」
と、伊与が言ったそのときだった。
「ごめん」
「「え?」」
いきなり謝罪がきた。
なんだなんだ? 俺と伊与はキョトン顔になる。
「ふたりとも、ごめん。……いや、謝ることやないんやけど、でも、ごめん。たぶんあたし、しばらく商売の旅、できん」
「なぜだ? なにがあった、カンナ」
「……その……」
カンナは、突如顔を赤くして、もじもじし始めた。
そうかと思うと、上目遣いに俺のほうを、可愛らしく見つめてきて――
「赤ちゃんが、できたごたる」
…………。
「「はっ!?」」
俺と伊与は、ふたり揃って仰天した――
年が明けて、1570年(元亀元年)、1月。
岐阜城下から、神砲衆の一行が旅に出ようとしていた。
メンバーは、俺、五右衛門、次郎兵衛、竹中半兵衛、木下小一郎、さらに護衛兼荷物持ちとして衆の者が15人、ついてきている。
伊与とカンナは、あかりと共に留守番だった。
まだ、あまり膨らんでいないお腹をさすりながら、カンナは微笑を浮かべて、
「商いのことは、小一郎に任せとるけん」
「ああ、小一郎なら安心だ。カンナこそ、身体に気を付けろよ」
「うん。あかりも――伊与もおるけん、大丈夫よ」
伊与を岐阜に残すのは、カンナのためだ。
出産経験もあり、カンナとは気心も知れており、腕っぷしも立つ伊与ならば、いまのカンナを託せる。というより伊与が一番頼りになる、そう思ったのだ。
「しかし、いつかはこんな日が来る、とは思っていたが」
伊与は、ジト目で俺を見つめてくる。……俺は思わず身を退かせた。
「ついにカンナに子ができたか。なんだか不思議な気分だ。私たち3人に血の繋がりができるとは」
そう言われたらそうだ。
俺と伊与とカンナは、これで血族ということになる。
奇妙なのは確かだが……喜ばしいのもまた確かだな。
「亡くなった大橋清兵衛さまに言われたよね。あたしたちのどちらか、あるいは両方が弥五郎の奥さんになればちょうどいいって。……いよいよそうなってしもうたね」
「そんなこともあったな。……あれからもう15年になるか」
「大橋さん。……良い人だったな」
なんとなく、場がしんみりしてしまう。
いけない、これから旅立ちだというのに、こんな状態では。
風が、強く吹き抜けた。
チラチラと、雪も舞い始めている。
「いけない。伊与もカンナも、屋敷に戻れ。風邪を引くぞ。俺たちはもう旅に出るよ」
「そうだな。気を付けていけよ、俊明。なにかあったらすぐに文を送れ」
「あたし、頑張って赤ちゃんを育てるけん。弥五郎も頑張るとよ!」
伊与とカンナの励ましを受けて、俺たちはついに旅立った。
目的地には、北近江。小谷城である。
「竹中さま。我々が来ることは、もう浅井家の方にお伝えしてあるんですよね?」
小一郎が尋ねると、半兵衛はこくりとうなずいた。
「むろん、している。
「宮部継潤か……。名前は聞いたことあるぞ」
未来で知った知識だが、な。
いまは浅井家の家臣だが、のちに秀吉の家来となる人物だ。
豊臣政権でも重鎮のひとりとなる男だが、さて彼を通して歴史を動かせるか否か……。
「…………」
ところで竹中半兵衛は、旅の途中、俺の一挙一動を舐めるようによく観察してきていた。
やはりどうも、彼の動きが気になる。明智光秀の件といい、半兵衛は俺になにかを隠しているのか?
「小谷城が見えたッスよー!」
次郎兵衛が叫んだので、俺は思考を中断させた。
はるか遠くにそびえ立っている山脈、その中に小さく、城郭が見え始めていた。
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