第20話 撰銭令公布

「明智殿とは、年も離れているが、同じ美濃の者同士、昔から交流がありました」


 明智光秀と出会った翌日。

 本圀寺の廊下において、俺が、光秀のことについて半兵衛に尋ねると、彼は涼しげな顔でこう言った。


「ゆえに織田家に推挙いたした。……足軽組頭の推挙など、いちいち知らせるまでもないと思い、木下どのにも貴殿にもお伝えせなんだが……それがなにか?」


「ああ、いや……別に。ちょっと気になっただけさ」


 事実、そんなに大した話ではない。

 半兵衛の言い分も、別に怪しいところはない、はずだ。

 ただ、明智光秀と竹中半兵衛。史実においては、あまり接点が見られないはずのこのふたりが、思ったよりも深い交流を持っていたことがやや意外だった。


「それよりも、貴殿。……木下どのもですが。今回の本圀寺の変、よくぞ事前に見抜けましたな。三好三人衆が公方様を襲うことを、よく予見しておられた」


「予見していたわけじゃない。出陣の準備を怠っていなかっただけだ」


 事実はむろん、未来を知っていたゆえの行動だが、それは明かさず模範解答を告げる。

 半兵衛は、しかし俺の答えに納得していないようで、口元こそ笑いながら、


「それは左様で。さすがは神砲衆の山田弥五郎どのですなあ」


 明るい声でそう言っていた、が。

 ――目は笑っていなかった。




「なんか、あのひと、あんたのことば、疑うとるごたる」


 数分後。

 半兵衛と別れた俺は、その様子を隠れて眺めていたカンナからそんな言葉を頂戴した。


「まさか弥五郎が、未来からの転生者だって分かったんかね?」


「さすがにそれはないだろうが、俺の動きをみてなにかを感じたのかもな」


 竹中半兵衛。

 智謀神の如しと言われた藤吉郎の仲間のひとり。

 その半兵衛と、疑い合うような間柄にはなりたくないが……。


 それにしても、その半兵衛が推挙した明智光秀。

 彼が昨日、俺に向けてきた暗いまなざし。あれはなんだったんだ? 分からない。ただなんとなく、旧知の俺を見ていただけだろうか?


「おおい、弥五郎」


 そのときであった。

 藤吉郎が、大きな声と共に現れた。


「ここにおったか、探しておったぞ。弾正忠さまがお呼びじゃ。はよう参れ」


「分かった、すぐ行く」


 俺はカンナをその場に残し、藤吉郎を従えて、信長の御前へと向かう。

 俺より数歩分、先を歩く藤吉郎の背中が見える。……数年前より、ずいぶん大きく見えるようになったその背中。武将として出世し、貫禄がついてきている。――明智光秀の登場は、このひとの今後に大きく関わっていく。光秀は俺に注目していたが、俺もまた、光秀の動きをよく観察しなければならない。


 なにせ、いまから13年後。

 織田信長を地上から葬り去る『本能寺の変』は、あの光秀によって起こされるのだから。




 信長からの呼び出しは、朗報であった。


「堺が矢銭20000貫を上納してきよった」


 信長は上機嫌だった。

 上座で、金平糖こんぺいとうをポリポリかじりながら俺たちに向かって語りかけてくる。


「三好三人衆の蜂起には、堺の商人衆の一部が絡んでいることが分かった。ゆえに余は厳しく堺を問責し、もはや焼き討ちも辞さずと伝えたのだが、やつらはそれによってビビりよったわ」


 珍しく白い歯を見せながら、信長はさらに金平糖を手に取った。

 1546年(天文15年) に日本に伝わり、いまでは上流階級の嗜好品としてそれなりに出回り始めている砂糖菓子だが、甘党の信長はいかにも美味そうにそれを食べている。


「その上、そちたちが先日出会ったあの茶人商人、千宗易が会合衆に向かって説いたのだ。もはや三好は見限り、織田につくべし、とのう。……あの宗易という男、面白い。あやつを我が陣営に取り込めたのは実によかった。藤吉郎と山田を堺に送り込んだ甲斐があったわ」


「ならば、堺はもはや織田の傘下と思ってよいわけですな! いや、めでてゃあことでごぜえます! いやぁ、さすがは殿様!! 天下一でござえます!!」


「おだてるなっ、ハゲネズミ!」


 信長は、げらげら笑いながら藤吉郎に向かって金平糖を投げつけた。

 ハゲネズミと呼ばれて、さすがの藤吉郎も一瞬虚を突かれた顔をしてキョトンとしたが、すぐに破顔し、


「ハゲネズミとはよかった。猿よりもすばしこくてよう働きまするからなあ、あっはっは」


「ふん、そんなにいいものかよ。そちがハゲで出っ歯ゆえ、そう呼んだまでじゃ」


 信長はいよいよ機嫌がいい。

 日本一の商都、堺が自身の軍門にくだったのがよほど嬉しいようだ。

 しかしそれにしても、ハゲネズミとはひどい。いや、確かに最近藤吉郎は、髪が薄くなってきたんだけども。まあ本人は喜んでいるようだが。


「ともあれ、堺は我がものとなった。これにて畿内の銭の流れは掌握したも同然。そうじゃな、山田?」


「はっ。――尾張津島と同様、堺の港は物の流れを司る町でございますゆえ」


 堺に運ばれてきた無数の兵糧、武具馬具防具に、数々の物資は、そこから船や陸送で近畿地方の町や村、城や砦に運ばれていく。

 その荷物の中身をチェックすれば、どの勢力になにが流れているか分かるし、それが分かれば敵の情報をすべてつかめるも同然なのだ。


「うむ、堺に集ってくる荷駄は、よくよく中を改めさせよう。三好の残党はもちろん、余にさからう大名や豪族にもどれだけ武器や兵糧が流れているか分かるからのう」


「ものによっては、その場で没収してしまっても良いと思います。それに抗議が来たならば、むしろそれを口実として織田への反対勢力を討伐するまで」


「言うのう、弥五郎。汝も乱世の商人臭くなってきたものじゃ」


 既に真面目な顔になっている藤吉郎が言った。

 俺は無言のまま苦笑いを浮かべる。これまた真顔になっている信長は、大きくうなずいた。


「しかし山田弥五郎の言や良し。堺、津島、熱田、さらに琵琶湖の大津に集う荷駄は厳しく臨検しよう。――山田、他になにか提言はあるか」


「俺などが申し上げるまでもなく、明敏なる弾正忠さまにはすでにお気づきのことかと存じますが――」


「くどい。世辞を申さず、はよう言え」


「はっ。……織田家の勢力がこれほどまでに膨れ上がった以上、ぜひともなさるべき政策がございます」


「ほう。なんじゃ」


撰銭えりぜに、でございます」


 その言葉を言っただけで、信長はすぐにピンときたようだった。

 再び、大きくうなずき、


「それについては、すぐにやろう」


 そう言って、俺と藤吉郎の前へと身を乗り出してきた。




 1569年(永禄12年)2月28日、織田信長、 撰銭令を公布。

 京の都に高札を掲げて、この法令を広く世間へと打ち出した。


 7か条からなるこの法令は、悪銭10種を3等級に分け、それぞれを良銭の2分の1、5分の1、10分の1という比率での通用を認めたものだった。――悪銭、とはいわゆる私鋳銭のことである。


 この時代、日本で貨幣として流通しているのは明(中国)から輸入した銅貨の永楽通宝えいらくつうほうだが、これとは別に日本で製造された銭も流通していた。ただしこちらは価値が低く、悪銭あくせんとか、ビタ銭とか呼ばれていたのだ。


 少しあとの話になるが、1608年(慶長13年)には、江戸幕府が私鋳銭4枚で永楽銭1枚と同価値と制定した(第一部第十五話「那古野城へ」参考)。しかしそれは、本当にあとの話。――信長が台頭し始めた時代、悪銭と永楽通宝はごちゃごちゃに使われており、しかも正式な為替レートが定められていなかった。店によって、悪銭3枚が永楽通宝1枚と同価値だったり、あるいは別の商人は悪銭7枚で永楽通宝1枚と同価値と判断したりしていた。


 そのレートを、信長は今回定めたのである。商業の現実を認めたうえで、レートを制定することで民衆の生活を安定させるのが狙いだった。これよりあと、信長はさらに、金銀のレートの安定や米による商取引を禁止するなど、経済面の政治を次々と実行していくことになる。


 このレートの決定や、銭に関する政策には、20年かけて各地で商売を繰り返してきた俺たち神砲衆の意見がおおいに働いたことは、言うまでもない。堺の会合衆えごうしゅうも、近畿地方の商取引の現状についておおいに意見したが、俺たち神砲衆も、尾張美濃から三河、遠江、信濃、近江、越前など各地をめぐり回ってきた自負がある。畿内だけでなく地方経済の実態も訴えながら、信長に実のある政策を実行するように訴えたものだ。


「我が領内において、銭は正しく巡り回るべし。それが天下万民の富貴に繋がる」


 信長は甲高い声音でそう告げた。

 織田政権による為替レートの安定は、悪質な商人を懲らしめ、誰でも安心して買い物ができるようにする、画期的なものだった。ここに、加納の町における楽市政策も加わって、織田信長の勢力下はおおいに商取引が活発化していくことになる。




 銭は織田政権を強化する。

 溢れた銭が、信長軍の人員と武具を増やしていくのだ。

 信長は、銭によって手に入れた軍事力をもって、さらに勢力を伸ばしていった。


 1569年(永禄12年)6月、但馬国の戦国大名である山名祐豊やまなすけとよが、かつて出雲国を支配していた戦国大名の尼子氏残党と手を組んで、出雲国を攻撃しようとたくらんだ。出雲をいま支配しているのは、戦国大名の毛利元就もうりもとなりだったが、元就は信長に書状を送った。


「尼子と山名には困っている。織田と毛利で挟み撃ちにして退治しようではないか」


 そういう内容だった。

 信長はただちに承諾し、藤吉郎に20000の兵を与えて出陣させる。

 藤吉郎はただちに出陣し、但馬の城を次々と落城させ、10日あまりで但馬国を攻略した。毛利氏の要請による出陣だったが、毛利元就はこの戦いに参加するスキもなかった。藤吉郎の速攻であった。


「20000もの兵を、即座に編成できる我が殿のすさまじさよ」


 藤吉郎はのちにそう言ったが、まったくその通りだ。

 信長の経済力と支配力は、おぞましいレベルにまで高まっていた。


 金は金を呼ぶ。

 力は力を呼ぶ。


 藤吉郎が攻め落とした但馬国には生野銀山という、銀が大量に産出される銀山があった。

 信長は銀山に代官を置き、直轄領とした。織田政権はますます銭を得ることになったのだ。


 さらに猛攻は続く。

 これまで織田家に支配されていなかった南伊勢。

 ここを支配していたのは戦国大名の北畠氏だが、信長はこの年の8月、80000もの兵を動員して、北畠氏の大河内城を包囲。ひたすらに攻め立てて、ついに北畠氏を下すことに成功した。


 こうまで勢いがあると、俺の出番などなにもない。

 この間、神砲衆は信長軍の兵站任務こそ受けていたが、前線に出ることはほとんどなかった。

 伊与は「つまらん。手柄を立てる機会がない」とぼやいていたが、俺は仲間たちが傷付く姿を見なくてよかったと思った。




 それにしても、もはや織田家に敵はない。

 誰もがそう思った。金と力を手に入れた信長は、このまま天下布武に、邁進していくことだろう。




 そう思われていた。




 信長のこの動きを、苦々しく思っている人物が、ひとり、この世にいたのである。




 室町幕府第15代将軍、足利義昭である。

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