第19話 明智光秀の瞳
俺と藤吉郎は千宗易とガスパルを連れて、いったん京の都へ戻り、信長のいる本圀寺にやってくると、彼らを信長に引き合わせた。
「堺から、矢銭の確約は取れなんだか」
信長は少し渋い顔をしたが、しかし宗易やガスパルと話をしていると、次第に機嫌を良くしていった。
信長はガスパルから南蛮の話を聞くことを好み、また宗易からは茶器を献上されますます上機嫌となった。
宗易は、商人として名を成した人物で、特に三好家と昵懇になることで富貴となった男だが、言わずもがな茶人としても名の知れた人間である。この時期からすでに、宗易の茶人としての実力は実に天下一品で、信長はそれをおおいに尊んだ。
「これからも、余に、茶の湯を教えてくれ」
こうして宗易は信長との知遇を得た。
「木下殿、山田どの、感謝いたす。織田様とご縁を結ぶことができた」
信長の御前から退出したあと、宗易はニコニコ顔であった。
織田家に心服しきったとは言えない会合衆だったが、少なくとも彼は信長派となったようだ。
しかし、俺たちが堺から連れてきたもういっぽうの人物、ガスパルは、
「…………」
沈んだ面持ちであった。
キリスト教の布教許可をはっきりと信長からもらえず、南蛮の知識を提供するだけの結果に終わったこと多少を不服としたようだ。
「無理もありませんよ、ガスパル殿。弾正忠さまはやっと都に上洛されたばかりで、まだキリストの教えについて考える余裕はありません」
「異国の教えを広めること、勝手に許可すれば、公方様(足利義昭)もご立腹になるであろうしの」
俺と藤吉郎は、揃ってガスパルを慰めたが、彼は小さく笑うだけだ。
「やはり地道に、布教していくしかないようでごじゃりまするナ」
「……うちのカンナと話していくといいですよ。少しは懐かしいでしょう」
とは言ったものの、本物の欧州人でないカンナと話したところでどれだけ気が晴れるか。
ガスパルはちょっと笑うと、首を振り、しかし「これからもドゾよろしク」とだけ言ってから、俺達の前を去っていった。
ガスパル・ヴィレラは、この後も日本で活動をするがいまいちうまくいかず、来年インドに渡り、そして3年後に病気で死亡するはずだ。
末路が病死である以上、その運命は俺でもおそらく変えられない。せめて「健康に気を付けて」と、そういうのがやっとだった。
キリスト教の布教について、ガスパルは志半ばにして日本を去るが、しかしその代わりにルイス・フロイスがこの翌年に信長の前に登場。キリスト教の布教許可を得ることになる。
――とにかく、こうして俺と藤吉郎はいったん京の都に戻ってきたわけだが、本圀寺の中において、俺たちはある人物とばったり再会した。
「いよう、山田弥五郎に、木下藤吉郎。久しぶりだな。オレのことを覚えてるか?」
20代後半の青年侍。
生真面目そうな面立ちをした彼は、しかし薄い笑みを浮かべている。
俺と藤吉郎は、いっしゅん虚を突かれたが、しかしすぐに彼のことを思い出し――
その場に平伏した。
「お久しゅうございますっ、松平さま。……いえ徳川さま!」
「ご無沙汰しておりました」
彼は、かつての名を松平元信。
いまは徳川家康という名前で、信長の盟友である。
言うまでもなく徳川幕府の初代将軍である。――かつて若年のころ、今川義元の人質兼家来であった彼は、桶狭間の戦いにて義元が倒されたあと、今川家と縁を切って大名として独立した。
その後、元より面識のあった信長と、戦略上の利害が一致したこともあり同盟を締結。織田家が北や西へと勢力を伸ばしていく間、松平家は東へと進出。かつての主家であった今川家と
かくして、いまでは立派な大名となった家康だが、俺と藤吉郎とは若いころにひと悶着があった。
今川領にスパイとして潜入していた俺たちと、当時の松平家は若干の交流があった。
だが今川義元が、俺たちの正体を看破し――俺たちはほうほうの体で今川領を脱出した、ということがあったのだ。
「徳川さま。あのときはずいぶん、ご迷惑をおかけしました」
「なに、こちらこそあのときは、おぬしたちを救ってやれなくて悪かった。……といっても、あのときのおぬしたちは殺されても当然ではあったが」
「へ。それを言われるとわしらも痛いところでございますなあ!」
俺たち3人は、笑い声を飛ばし合う。
「しかしまさか徳川さまが、ここにおられるとは思わんかったですわ」
「ふむ。まあいろいろとな。……公方様へのご挨拶もむろんだが、織田殿と話すこともあったゆえな」
家康はそれだけ言うと、やはり笑って、
「これからは、織田と徳川の人間として、共に足利将軍家に尽くし天下布武に邁進していこう」
すると家康は、すっと右手を差し出し――
藤吉郎の肩を、ぽんぽんと叩いた。
ありがたき幸せ、もちろんですとも。――藤吉郎は涙を流さんばかりにして喜んだ。
やがて家康は俺の肩もポンポンと叩いてから、その場を近習と共に去っていったわけだが――
後の歴史を知っている俺としては、いささか複雑な気持ちで藤吉郎秀吉と徳川家康のやり取りを眺めていたものだ。
「……いやまぁ、歴史は変わる可能性があるけどな」
「なにをぶつぶつ言っとるんじゃ、弥五郎」
「いや、なんでもないさ」
例えば織田と浅井の決裂を俺は防ごうとしている。
それが成れば、歴史は必ず変わる。……変えてしまえる。この俺ならば。
その後、織田家の軍団は信長も含めて一旦岐阜へと引き上げた。
長い間、本拠を留守にしているわけにはいかないからだ。
京の守りは、細川藤孝や和田惟政さんに任せた。
「山田うじ。なかなか席を共にするいとまもないが、達者でな」
「和田さんも、お元気で」
長い友人である和田さんと別れ、俺も岐阜へと戻ることになった。
で、数日かけて、岐阜の屋敷に戻ると、
「父上ええええええええ!
母上ええええええええええ!!
お帰りなさあああああああああい!!
ひゃっほおおおおおおおおおおお!!」
いきなり、娘が俺に抱きつき抱きつき、続いて伊与にほおずりほおずりを始めた。
「ただいま、
「うん! あかりおばちゃんにいっぱい遊んでもらった!」
「おばちゃんはよしてよ、おばちゃんは……」
樹はあかりに面倒を見てもらっていたのだが、このテンションの高さはどこから来たんだろう。誰に似たんだろう。うーん。
「うふふーーーーーー!
母上! 母上! 母上のうえっ! うえうえうえっ!」
「樹、少し落ち着け。……恥ずかしいぞ」
「や! 恥ずかしくなんかないっ! はーはーうーえー! うふふふふふっ!」
樹はぴょんこぴょんこと飛び跳ねて、伊与に懐きまくっている。
見た目は本当に昔の伊与にそっくりなんだけど、中身はまるで違うなあ……。うーん、うーん。
「……子供がおるとよかねえ」
俺たちの後ろで、カンナが暗い声を出した。
「あたしだって家に帰ったのに、樹は弥五郎と伊与ばっかりやん。あーあ、さみしか。さみしかさみしか」
「そうひねるなよ。あかりや屋敷の者が出迎えてくれただろ」
「あかりたちじゃつまらん。……ねえ弥五郎、あたしも子供が欲しか」
すねながら、うつむくカンナは、……可愛かった。
「ねえ弥五郎、今夜はあたしの番やけん、部屋に来てくれるよね?」
耳元で、そっと囁かれる。
俺は思わず赤面して、小さくうなずいた。
家に帰った瞬間、こんな話題が出てくるとは……。うーん、うーん、うーん。
まあそんなわけで俺たちはいったん岐阜に戻った。織田家全体が、ひとまずの小休止といったところだった。
「しかし、まだまだ、やるべきことはある。……次の動きは、あれだ」
翌年。
1569年(永禄12年)1月5日、信長によって倒されていたはずの三好三人衆が、勢力を復活させ、京都本圀寺の足利義昭を襲撃した。
「三人衆め! 性懲りもなくやってきたか!」
1月6日に報告を受けた信長は、正月気分を打ち砕かれたとばかりに激怒。
出陣の命令を下すと同時に自ら馬に乗って、京都に向かって進軍した。
その横に付き従うものはわずか数騎。
電撃的な出陣だったが、 その信長に直ちに付き従ったのが、
「弾正忠さま!」
「お供しますわ!」
俺と藤吉郎、それに神砲衆のメンバーであった。
「山田と藤吉郎か! 早いな!」
信長は驚いて、目を丸くした。
「常に出陣の準備は整えておりますので」
俺はさらりと言った。
信長はうなずいた。
「さすがじゃ。よし、ついてまいれ。逆族どもを成敗する!」
「「ははっ!!」」
……もちろん、この日の出陣を俺は知っていたので、あらかじめ藤吉郎と共に準備を整えていたのだ。
これによって藤吉郎と俺の覚えは一層めでたくなったことは言うまでもない。
本来なら3日かかる行程を、俺たちはわずか2日で走破した。
1月8日に本圀寺に到着した信長は、 しかし敵の姿が見えないことに気づく。
「三好三人衆はどうなったか」
京に残していた家来に尋ねると、三好三人衆は、京に残った織田家の防衛軍が撃破したという。
「三人称に比べれば京の兵力は少数であったはず。よく撃退できたものだが、采配を振ったのは誰じゃ?」
信長が問うと、そこにいた和田さんが答えた。
「それは織田家の明智十兵衛でございます」
「明智……?」
「この者です、弾正忠さま」
そう言って、和田さんが白い顔の男を連れてきた。
年は40前後だろうか。綺麗に禿げ上がった頭が印象的な、陰鬱な表情をした人物だった。
この男……明智光秀……!
俺は目をわずかに見開いた。
覚えているぞ。かつて足利義輝の家来で、京都にやってきた信長を宿まで迎えに来た男だ。
俺ともわずかだが会話を交わした。そして連装銃を見せたことがある。
三好三人衆との戦い、すなわち本圀寺の変において明智光秀が歴史の表舞台に登場したのは俺も知っていたが まさかここで登場されるとは!
「そのほう、明智十兵衛……。確か昔、将軍家に仕えていたものと記憶するが……」
かつて光秀と会ったことがあるのは、信長も覚えていたようだ。
「それがいつの間に、我が家中におったのだ?」
清洲城のころは、家中の足軽・小者に至るまで、信長と顔見知りだったものだが、織田家も組織が巨大化し、下級の武士ならばもはや信長と顔も合わせたことがない者が増えている。
「竹中半兵衛殿の推挙によって、足軽組頭として仕官しておりました」
「足軽組頭じゃと。……その身分で手柄を立てたと申すか」
「明智十兵衛の働きは見事でございました。鉄砲を使っては敵を次々と撃ち殺し、崩れかけた味方の兵をまとめては鼓舞して反撃し、しまいには当家の足軽大将でさえ十兵衛の指示に従うほどでございました」
和田さんが解説する。
すると信長は大きくうなずき、
「和田が言うならば間違いあるまい。十兵衛、その働き、見事なり。そちをただちに当家の足軽大将とする」
「はっ、ありがとうございまする」
さほど驚きも喜びもせず、光秀は頭を下げた。
その景色を俺たちはじっと見ていたが、やがて俺の横で、
「半兵衛め、いつの間にあんな男を織田家に引き入れたのじゃ」
藤吉郎が、小さく独りごちた。
まったくだ。半兵衛も織田家の直臣だから、足軽組頭の推挙くらいは行う自由があるが、それを俺にも藤吉郎さんにも一言も言わないなんて、なんていうか、水臭いな。
それとも、光秀と竹中半兵衛。
変わった組み合わせだが、なにか裏があるのか?
「……ん」
「…………」
なんだ……。
光秀は、じっと俺のほうを見てきている。
俺のことを覚えているのか。……いやしかし、それにしても、いやに俺のことよく見る。……なんだっていうんだ……?
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