第18話 成り上がり、想いを語る
空気は、決して良くなかった。
アンチ織田家のムードが、漂いまくっている。
それでも俺たちは、会合衆を説き伏せねばならない。
「天下は今後、ふたたび足利将軍家を中心に回る!」
俺よりも、よほど弁舌の才に優れている藤吉郎が、懸河の弁をふるいだした。
「そしてその将軍家を支えるのが我が主、織田弾正忠でござる。いまよりわずか10年前、尾張半国の主でしかなかった我が主君は、その後、今川義元を破り斎藤龍興を倒し、さらには南近江の六角家をも一月と経たず踏み倒し、京の都に上洛し申した。この武勇、この知略、まさに往年の清盛にも義経にも勝り申そう!」
流れるような口上である。
「さればこそ、会合衆の方々に申し上げる。いまこそ将軍家と織田家にお仕えなされ。時代は変わる。応仁以来の乱世は、公方様と織田家によって終わるのでござる。その覇業を手助けなされ。そうすれば堺と会合衆の雷名、必ずや後世まで残りましょうぞ。日ノ本千年の歴史に名を刻む栄誉を思いなされい」
「木下どの。我々は後世の名誉より、いまの損得ですわ」
津田宗及が、会合衆を代表するかのように口を開いた。
「何十年何百年も先のことなど、いまの我々にとってはどうでもいいこと。それよりもいまこの瞬間の利潤こそ、堺の儲けこそが会合衆の望み」
「あいや、ごもっとも、ごもっとも。それもごもっとも! 津田どの、この藤吉郎秀吉、ようその言い分、分かり申す。先ほどの話はあくまで名誉の話。ここから先は実利の話」
「実利……」
「左様。……おのおの方。われわれ織田家は会合衆に矢銭を求めておりまするが、これは死に金にはなりませぬぞ。実にとんでもない儲け話になるのでござる」
「それはどのような?」
「なんの、簡単な話。我が主弾正忠は、これからも将軍家に逆らう各地の逆賊どもを次々とこらしめるつもりでござるが――こらしめるためには武具が要り申す。馬具が兵糧が、
「…………」
「どうじゃ、これならば、矢銭20000貫を提供するとしてもそれはいっときのこと。20000貫はけっきょく、会合衆が用意した兵糧や武具を買うために使われるのでござるよ。これならば堺は損はせぬ。どころか、おおいに儲け、さらには将軍家のために尽くしたという名誉も手に入り申す。儲け話とはそういうことでござるよ!」
藤吉郎は、カッカッカッと陽気に笑った。
その笑い声には、あたりを和ませる力が確かにあった。
もとより織田家側の今井宗久はもちろん、他の会合衆メンバーもわずかに微笑を浮かべた。
しかし。
津田宗及は、なお渋い顔をして、
「それは織田家が今後も勝ち続けた場合にのみ、言えることではございませんかな?」
冷静な声音で言った。
「矢銭20000貫を提供したあと、半年、1年経たずに織田さまが京の都から追い出されるという仮定もございます。……なるほど織田さまは名将のご様子、とは存じますが――いまは京を追い出された三好家も、元より武勇に優れた方ばかり。さらに言えば、織田さまが倒された斎藤龍興さまや、六角義賢さまも、大名の座は追われたもののまだ健在。虎視眈々と逆襲の機会をうかがっておられると聞きます」
「おっ、さすがは堺にそのひとありと謳われる津田宗及どの。乱世の情勢にお詳しいですのう!」
「茶化さないでいただきたい。……いずれにせよ、今後も織田家が勝利し続けるとは限りませぬ。である以上、20000貫もの銭を差し出せというご命令には、会合衆としては賛成いたしかねる」
「……ううむ! さすが津田どの。大したご見識じゃ。いや参った、さすがじゃ。のう、弥五郎?」
さすがの藤吉郎も、津田宗及の鉄面皮には参ったらしい。
一度退いて、俺に助けを求めてきた。俺は「いやまったく」と小さな笑いを浮かべてから、
「津田さん。……お初にお目にかかります。神砲衆の山田弥五郎と申します」
慇懃に、あいさつをした。
津田宗及は、「津田宗及でござる」と改めてあいさつをしてから、
「津島の山田弥五郎どののご活躍は、我が耳にも入っておりました。変わった武器や道具を作って大儲けされているとか」
「天下の会合衆の方にお褒めいただき、ありがたく存じます」
実際、お世辞混じりであろうとも津田宗及に賞賛されると悪い気はしない。
まだ大樹村の小僧だったころ、健在だった両親と会合衆について話した記憶がよみがえる。
あのころの俺にとって、じつに巨大な存在であり、そして神砲衆のモデルにもなった会合衆と、こうして対等の立場として話をすることになろうとは……。
感慨深い。
そう思った。
が、それはそれとして俺は話を続ける――
「津田さん。織田家が今後も勝ち続けるという保証はない、とのお話、まことにごもっともと存ずる。……だがだからこそ、俺は会合衆に銭を出していただきたい」
「どういうことですかな?」
「織田家が勝ち続けるかどうか分からない。……というのなら。皆々様。……むしろ発想を逆にしていただきたい。――会合衆の力で、織田さまを勝たせ続けるのですよ」
そのひとことに、会合衆のメンバーの何人かの顔付きが変わった。
「我らの力で、織田様を勝たせ続ける?」
津田宗及は、低い声で問うてきた。
俺は首肯する。
「金を出し、武具を揃え。……さらにそれだけではない。堺ほどの町ならば、大小さまざまに有益な情報を手に入れることができるでしょう。その情報を織田家に提供するのです。そうすれば、織田家は敵と戦うときもこの上なく有利に戦っていける。それ、敵を知りおのれを知れば百戦して危うからずと
「……ふうむ。……我らの力で織田様を……」
千宗易が、独りごちるように言った。
かと思うと彼は、柔らかな笑みを俺に向けた。
「なかなか、男の性根をくすぐるお言葉ですなあ、山田どの」
すると、唯一の織田派である今井さんが、いまこそとばかりに口を開いた。
「そうでござろう、宗易どの。お武家さまの王道を、銭の力でお助けする。商人として、いや乱世に生まれたひとりの男として、これほどの痛快ごとはない。……将軍家と織田さまを、我らの力で勝利させるのだ。そして儲けを得ていくのだ。会合衆の未来はこれしかない」
「しかし、そう簡単にいきますかな」
山上宗二が言った。
彼はなお、俺の理屈に懐疑的な表情で、
「銭の力でお武家さまをお助けする。話だけ見れば確かに痛快ではござるが――」
「俺はそれをやってきました」
俺は、おごそかに告げた。
場の雰囲気が、しんと静まる。
「津島に本拠を構え、武具を作り道具を用立て、さらには兵糧も準備して、ときには情報をも提供し、織田さまの勝利に貢献してきました。……むろん俺だけの手柄ではないと思っていますが、しかし多少の自負はある。俺は、神砲衆は、商人として織田さまに貢献してきた。……それが天下のため、そして自分たちのためにもなると信じて」
「これはまことでござるぞ、おのおの方。山田弥五郎と神砲衆は、常に織田弾正忠さまに貢献してきた。いまの織田家があるのは、神砲衆の手柄、極めて大でござる。……このこと、我が主に問い合わせても構いませぬ。事実でござるゆえな」
藤吉郎が、援護射撃をくれた。
俺は照れくさくなって、ちょっとはにかんだが、すぐにまた話を続けた。
「昔から、織田さまは必ず伸びると思っていた。ゆえに、力を貸した。……が、だからといって必ず勝つという確信があったわけではありません。今度ばかりは織田さまもダメか。そう思ったことは何度もあった」
これも事実だった。
未来を知っている俺は、織田信長の成功が分かっている。
だがしかし。……俺の知っている史実とはまるで異なる展開があったことも、また事実だ。
自分で言うのもなんだが、俺が動かなければ織田信長はいまごろ、とうに滅びていたと思う。
「それでも俺は、織田さまに賭けた。賭け続けてきた。それでいま、ついに織田さまは上洛された。将軍家をお助けするという名誉を伴って」
「山田どのは、なにゆえそうまでして、織田さまに賭けたのですかな?」
津田宗及は鋭く問うてきた。
俺はちょっと考えた。……なにゆえか?
織田信長だから。豊臣秀吉の主だから。……それもあるが、それだけじゃない。さっきも思ったが、信長が負けると思ったことなど何度もあったのだ。それでも俺は逃げなかった。その理由は――
「お人柄、ですかね」
「ひとがら?」
「そう……」
俺は本音を言った。
「弾正忠さまには、優しさがある。貧しいもの、飢えたもの、か弱きものに対してこの上なく慈悲の心をもっている。……ゆえに、俺は思ったのです。……こういうひとに、天下を征してほしいと。こういうひとに、万民のまつりごとを見てほしいと。……だから俺は、織田さまに、賭けた。……あの方は、男の一生を捧げるに足る殿様です」
「……それほどの殿様ですか」
千宗易が言った。
俺は再び、うなずいた。
「あの方は本物です。――天下を征し、戦国乱世を終わらせるのは、織田さまをおいて他はないと、そう信じております」
「乱世を終わらせるとは、ずいぶん大きく出たものよ」
山上宗二が、少し呆れたように言った。
「織田さまが優れた大将なのは分かり申した。その覇業を助けよという言い分も、理解はできる。……しかし、なあ。乱世を終わらせる、とまで言われると……話が大きすぎますわ。のう、津田どの」
「……その通り。……乱世を終わらせるとは……まだやっと、尾張、美濃、伊勢、南近江、そして都のあたりを征しただけの大名が……」
「そこに我ら会合衆が参加したからといって、天下制覇とはさすがに話が大きすぎる……」
会合衆たちが、ざわめきだした。
今井さんと千宗易だけが、沈黙を保っている。
織田家を助けるだけでなく、天下統一まで話に出されると、さすがの会合衆も眉に唾をつけたくなるのだろう。
その気持ちは分かる。
だが、俺はさらに言った。
「力を合わせれば、それもできるでしょう」
「あっさりと言ってくれますな。会合衆と織田家が手を組めば、天下一統もなると?」
「夢ではありません」
「なぜ、左様に自信満々なのか、理解できかねる」
「俺の今生が、ずっとそうだったからです」
「今生……?」
「津田さん」
俺は、津田宗及に目を向けた。
「俺の経歴を、どこまでご存知ですか」
「山田どのの? ……津島で武器を作り財を成したとだけ……」
「分かりました。では皆々様に申し上げます。……この山田弥五郎は、つい20年ほど前まで、尾張の片隅の炭売り小僧でしかありませんでした」
語りだす。
すると、隣で藤吉郎が小さくうなずいた。
「我が神砲衆は、ほんの20年前まで存在すらしていなかった。……ここにいる木下藤吉郎と、俺、山田弥五郎の小さな誓いから始まった。……天下に安寧をもたらそう。そのために織田弾正忠さまにお尽くししようと……。
それにしても貧しかった。――あのころは1束20文の炭を売り、蔵の片隅に転がっていたアワヒエを喰らい、小さな宿で
それが仲間と共に成り上がり、いまや織田弾正忠家の御用商であり、こうして天下の会合衆と会談している。自分でも驚いているほどです。……しかしこれはすべて、自分ひとりの努力ではありませんでした。藤吉郎に、織田家の方々、それに妻や仲間との協力のもとにここまで来られたのです。
……協力すれば、力を合わせれば。
ひとは、ここまで大きくなれる。
俺はそれを、経験として知っているのです」
「…………」
会合衆は、黙りこくっている。
「俺のような身分卑しき者でさえ、誰かと力を合わせてここまで来られた。ならば将軍家と織田家と会合衆、これだけの方々が力を合わせればどれほどの仕事ができましょう。天下の統一とて夢ではない。俺が言っているのは、そういうことなのです」
「…………」
「織田と会合衆、協力し合い、乱世を終わらせる。そうすることで、堺も会合衆も、日ノ本全土も、より大きく豊かになるのです。……そのためのご決断を! ここにおられる方々はみな俺より聡明な商人の皆々様。向こう1年の利益もけっこう。しかしそれよりも、向こう100年、いえ1000年の我が国の繁栄のためにどうするべきかのご決断もまた大事。それが分からない皆様ではないはずだ。どうか、……どうかご協力を!」
「…………」
会合衆たちは――黙していた。
お互いに顔を見合っている。どう返答するべきか、誰もが迷っているようだった。
俺と藤吉郎はもうなにも言わなかった。言うべきことは終わった。損得を語り、未来を語り、展望を語り、信念を語った。これ以上、なにを言うべきことがあろう。――あとは、会合衆が俺たちを、織田家を、信じてくれるかどうかなのだ。利害に聡い商人同士のやりとり。だがだからこそ、究極的には、信用がものを言う。俺と織田家を、信じて共に、天下のビジネスをするのか否か? そういうことだ。
「いや、どうも」
津田宗及は、頭をかいて、
「……山田どののお気持ちはよく分かり申した。……炭売り小僧から出世なさったお方の言葉、確かにあなたの言葉には重みがある。……その言い分には真実味がある」
しかし、と彼はそこで言葉を切って、
「20000貫もの銭。そして今後の天下についての話。……さすがに話が壮大すぎて、この場で即答はできかねまする。……ゆえにお二方、今日のところは」
「おうさ、帰りましょうかの」
藤吉郎は笑顔で立ち上がった。
さすがに退きどきを心得ている。
ここでさらに粘っても事態は変わらないことを、よく分かっている。
俺も、その場に立ち上がった。
「会合衆の皆々様。良きお返事を期待しております」
「はい。それでは今日のところはここで……」
俺と藤吉郎は、会合衆に笑みを向けてから、その場を立ち去ることにした。
言うべきことは言った。……さて、彼らはどう反応するか……。
伊与とカンナ、それに五右衛門とガスパルは、屋敷の玄関口で俺たちを待っていた。
ガスパルは、別室ですでに用件を済ませたらしい。俺たちといっしょに北庄経堂を出るようだ。
「どうやったね、弥五郎。会合衆との話は。うまくいったね?」
「さあな。ただ言うべきことは言ったよ。うまくいくかどうかは返事待ちだ」
「その場で返事を受け取らなかったのか、俊明」
「そりゃ無茶じゃろう。合議で町の運営をしとる連中じゃ。即答などできようはずもない。……ここはいったん退くしかあるまい」
「ワタシのほうも、返事まちでござル。キリストの教えを広げるのニ、お金が足りませぬゆエ、エゴウシュウの方々に助けてほしかったのですがナ」
「あんた、金の無心のために来てたのかい。度胸あるねえ」
俺たち5人は、北庄経堂の近くに待機している神砲衆のところへ向かっていく。
ガスパルが俺たちといっしょにいる理由は特にないのだが、まあ困っているなら飯くらいおごろうかと思った。
彼のおかげで、ひとまず会合衆と会談することができたんだからな――と、そう思ったときだった。
「おおい、山田どの、木下どの」
声がした。
振り返ると、今井さんと千宗易が走ってきている。
「今井さん、宗易さん、どうされたんですか」
「どうもなにも、おふたりがどこを宿にしているのか聞いておかねば、こたびの一件、返事もできませぬ」
「おっと、そうだった。それもそうじゃ。こりゃ迂闊じゃった」
藤吉郎が頭をかいたが、そもそもまだ宿は決まっていないんだよな。
まあ金さえ出せば、宿くらいはどうとでもなるだろうが……。
「ところでお二方。……今日のお話はなかなか面白かったですぞ」
そう言ったのは、千宗易だった。
「天下を一統する。その覇業を助けるのが商人の道。……気宇が実に壮大でよろしい。宗易、感服いたした」
「そ、そうですか?」
伝説の茶人――
と呼んでも差し支えない人物、千宗易に褒められるとは思わなかった。俺は照れた。
「まことでございます。……山田どの、木下どの。会合衆の決定については、まだ決まっておりませぬが、しかし宗易個人は確かにお二方に感動いたしました。……よろしければ、今後も親しく交わりたいものでございますなあ」
「おう、宗易どの。それはこちらこそ頼み申す。いや、これだけで堺まで足を運んだ甲斐はありましたわい。のう、弥五郎?」
「ああ、まったくだ……」
藤吉郎と千宗易の組み合わせを見て、多少、複雑な気持ちが胸をよぎる俺だったが、ひとまずこの場では俺は笑顔を浮かべたものだ。
千宗易、のちの利休。
茶人として多大な功績を日本史に残し、やがては豊臣秀吉のブレーンのひとりとなり。
木下小一郎こと豊臣秀長と並んで、豊臣政権の重鎮となる人物。
しかしその最期は――
秀吉の命令で、腹を切ることになる。
千宗易こと利休が、なぜ秀吉に切腹を命じられたのか。
その理由は、21世紀になっても、よく分かってはいないのである。
「どうかの、弥五郎。ガスパル殿と宗易どのを、殿に引き合わせてみようかとわしは思うのじゃが」
「織田さまにですか。それはありがたし。わたしも木下どのたちの話を聞いて、織田さまに興味をもったところです」
「ワタシも、オダのトノサマに会えるでごじゃりマスルか? オダさまはデウスの教えをどう思われますかナ?」
こうして、千宗易とガスパルを交えた俺たちは、ひとまず堺を離れて京の都に舞い戻り、信長に彼らを引き合わせることになったのである。
今日この日の出会いと話し合いは、歴史にどう影響を及ぼしていくのか。……それは俺にも分からない。
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