第17話 会合衆、交渉開始

 1568年(永禄11年)10月18日。

 この日、足利義昭は室町幕府第15代将軍に就任した。


 新将軍の誕生。そしてそれを支える新たな権力者、織田信長の登場である。

 この前後、畿内の有力者たちはこぞって信長に取り入りはじめた。


 少し前の話になるが、この年の9月28日には、大和国の戦国武将、松永久秀まつながひさひでが唐物の茶入れ『付藻茄子つくもなす』を持って信長の御前に参上。信長は喜び、大和国の支配を彼に任せた。――のちに本能寺の変さえかいくぐり、大坂夏の陣のあと、大坂城の焼け跡から拾いだされることになる茶器であった。


 さらに信長は、摂津の石山本願寺に矢銭5000貫を求める。

 のちに信長とおおいに敵対する宗教勢力、石山本願寺だが、このときは素直に求めに応じた。

 もっともこの判断は、信長というより足利義昭の威光を恐れたのかもしれなかった。衰えたりといえど、幕府の権威はなお健在な時代でもあったのだ。




 さて、そんな信長に逆らう勢力がひとつ。

 そう、堺の会合衆えごうしゅうである。


「堺の町を運営する、会合衆。その数は36人。しかし、さらにその中でも特に有力なのが10人おって、これが会合衆を運営しとる。みんな乱世を生き抜いとるだけあって、筋金入りの猛者ばかり。商人といえどコワモテだらけと評判ばい。


 それにそれに、会合衆のことはエゴウシュウとみんな呼んどるけど、衆ができた最初のころはカイゴウシュウと呼ばれとったらしか。それがいつの間にかエゴウシュウに変化したって話ばい」


 京の都から堺に向けて進んでいく、神砲衆おれたち一行。

 メンバーは、俺、藤吉郎、伊与、カンナ、五右衛門。それに護衛として神砲衆の兵を20人ほど引き連れている。――その中にいるカンナが、会合衆についてのうんちくを披露していた。


「上総介さまが求めた矢銭は20000貫。会合衆はこれを突っぱねた。もとより権力者の支配を嫌がる町やけど、それ以外にも理由があるとよ。もともと畿内を支配しとった三好家と、堺の町は懇意やった。そこで堺は三好家に義理立てして、織田家に逆らっとるごたる」


「三好家との繋がりか。……なるほどな。しかしよくそこまで調べたな、カンナ」


「あたしやないとよ。調べたのは五右衛門。あたしたちが京の都におる間、畿内の情報をよう集めてくれよったけん」


「まあ、うち、どうせ暇だからな。……会合衆は濠を深くして浪人を集め、武器弾薬を買いそろえ、織田軍に抵抗する気配を見せている。それだけじゃない。平野荘とも手を組んで織田家に対抗しようとしている」


 平野荘か……。

 大坂にある荘園だな。

 この時代の商業都市としては、堺が有名すぎるので、後世にはあまり名前が伝わっていないが、しかしなかなかどうして、ちょっとした規模を誇る商業の町だ。


 堺と同様、町の周囲を竹と濠で囲んで砦のようになっている環濠集落で、さらに町の運営も7商家が合議で運営している。いわばプチ堺とでも言うべき場所だ。……そこと堺が結託するとは……。


「商いで金を稼ぎ、戦力を整えて権力者と戦おうとする。自分たちがやってきたことだが、いざ敵となるとけっこう面倒なもんだな」


「しかしよ、弥五郎。どれほど堅固な砦でも、ほころびが見えれば切り崩せるものよ」


 俺の隣にいた藤吉郎が、ニヤリと笑った。


「会合衆は一枚岩ではない。会合衆の中に、今井宗久いまいそうきゅうという男がおるが、このひとは我らの味方じゃ。今井殿は先月、我が殿のもとを訪れ『松島』という茶壷と、『紹鷗茄子じょうおうなす』という茶入れを献上した。これからは織田家の時代だと読んだのじゃ」


「ふむ。……もうひとつ深く読めば、賭けに出たってことかな。……会合衆36人のうち、35人が織田に反抗している中、たったひとり織田に通じる。勇気の要ることだが、この賭けに成功すれば、会合衆の中で今井宗久の発言力は極めて大きくなる」


「おう、さすがは弥五郎じゃな。わしもそう思う。今井宗久は織田家を利用して、さらに上にのしあがっていくつもりであろう」


「商人ちゅうんは、そういうもんやけんね。ええやん。おおいに織田家を利用したらよかたい。あたしたちもその今井さんを利用して、堺から銭をせしめるばい」


 俺、藤吉郎、そしてカンナの3人は基本戦略を共有した。

 今井宗久を使って、会合衆を屈服させる。それが俺たちの為すべきことだ。


「……どうも、この手の話は苦手だ。頭では分かるが好きになれない」


「伊与は腹芸が苦手だからねえ。かえすがえすも思うんだけど、よく弥五郎とくっつけたね。ほんと、若いころはさ、あのままカンナに全部取られるとばかりうちは思って――」


「その手の話題も苦手だっ! 真っ昼間から人前でなにを、昔の話を――」


「じゃあ夜に話そうか。桶狭間で散り散りになったあと、伊与と弥五郎がふたりだけでなにをしたのか、そろそろ詳細を教えてくれてもいいころで――冗談、はい冗談! ごめんなさい!」


 調子に乗っていた五右衛門がいきなり謝ったのは、伊与が無言で刀を鞘から抜きかけたからである。その動作には殺気がこもっていた。……こわっ。おーこわ。


「あっ、堺が見えてきたばい。……えへ。えへへへ」


「どうした、カンナ。なんでそんなにご機嫌なんだ?」


「だって、だって、堺って。……あたしたちの。えへへへへ」


 ……それで思い出した。

 堺は俺とカンナが、初めて接吻キスした場所だったな。

 ずいぶん前の話だが、改めて態度に出されると、……照れるな。


「……面白くない。まったくもって面白くない。なんだって弥五郎ばかり、そうもてるんじゃい」


「すねるな、藤吉郎。お前だって、もうねねさんという立派な奥さんがいるじゃないか」


「ねねしかおらん。伊与とカンナ、ふたりも恋女房をもっとるお前には負けるわい。……ああ、わしももうひとりかふたり、おなごが欲しいもんじゃのう……」


「いや、そりゃまあ無理だな。藤吉郎は顔がちょっと、まずすぎるよ。あはは」


「毒を吐くのう、五右衛門! 顔か。けっきょく世の中は顔か。むごいのう。もしもわしが天下人になったら、美男子はことごとく切り刻んで、海に流す法を作るぞ! うむ、そうする!」


「五右衛門、責任取れよ。お前のせいで日本から美男子が消えてなくなるぞ」


「あっははは、藤吉郎が天下人になったら、だろ? ないない、ないから、そういう話は、冗談でも!」


 げらげらと笑いまくる五右衛門。ふくれる藤吉郎。

 アホなやり取りをしているが、しかし誰もが、心の中では勝負モードになっていた。

 堺の門が見えてくる。――そう、俺たちはこれから、敵地に乗り込んでいくのだから。




 ……しかし、


「お引き取りください」


 堺の町に入り、会合衆の本拠地である北庄経堂におもむいた俺たちを待っていたのは、強烈な洗礼だった。


 北庄経堂の門前を守っている浪人風の男は、俺たちを決して中に入れようとしないのだ。


「織田家から使者は出しておったぞ。今日、堺にゆくからとにかく話し合いをしようと伝えていたはずじゃ」


 さすがの藤吉郎も、困惑顔だった。

 しかし俺たちがどれほど言っても、門兵は、


「聞いておりませぬ。お引き取りください」


 の一点張りだ。

 ううん、まさか会ってさえもらえず門前払いとはな。

 足利将軍家家臣、織田弾正忠家来の立場でやってきて、こうまでつっけんどんにされるとは。


「それでは、せめて今井宗久さんに取り次いでもらえませんか。今井どのは、我が主とも親しいのです」


 俺は努めて冷静にそう言った。

 しかし男は、首を振り、


「そのようなことは、それがしの役目ではありませぬ。お引き取りください」


 頑固な男だ。

 しかしこういう男に門を守らせるとは、会合衆め、こちらと話し合う気はまったくないと見える。

 今井宗久さんも、おそらく北庄経堂の中で他の会合衆メンバーによって、軟禁状態にあるんじゃないか? 俺たちと顔合わせができないように……。


「……やむをえない。みんな、いったん出直そう」


「この対応だけで、すでに焼き討ちものじゃぞ」


 仕方なく、北庄経堂の前を去った俺たちだが、藤吉郎は怒りを隠しきれない表情でうめいた。

 堺の町中は、大勢のひとで賑わっている。約10年前に来たときよりも、さらに行き交う人間の数と荷駄の量は増えていた。よく眺めると、日本人ではない、明(中国)や朝鮮の国民らしきひともいる。


「で、これからどうする? 北庄経堂の中に忍び込むってんなら、うちが手引きするけど?」


「そげなことしても、兵がやってきてつまみだされるのがオチたい」


「戦えというなら、誰が来ようと刀のサビにするまでだが」


「待て待て。今回の俺たちの目的はあくまで話し合いだ。物騒なことを言うな」


「うむ……。しかしとにかく会合衆と対面しなければ、どうにもならんのう」


 俺たちは、堺の町中でうーんと腕組みしたものだが――

 そのときであった。


「……もシ、もシ」


 甲高い、奇妙な発音の日本語が聞こえた。

 俺たちは揃って振り返る。するとそこには、ぼろぼろの衣服を身にまとった、赤毛の中年男が優しげな顔で佇立していたのである。


 南蛮人……?

 とっさに、俺はそう思った。

 赤毛と茶髪の中間みたいな髪の色に、色白の肌。

 わずかに青みがかった双眸に、高い鼻。そしてなによりも胸元にぶら下がった十字架。キリスト教関係者であることは、一目瞭然だった。


 その南蛮人の視線は、カンナに注がれている。


「おオ、東方の地で、かくも麗しき金色髪の女性に出会えるとハ。どちらのご出身かナ? ああ、なにもかもが懐かしイ……」


「ま、待て待て。いきなりなんだ。貴公はどこの誰なのだ」


 伊与が、南蛮人からカンナをかばうように立ちふさがる。


「おオ……デシュクルパ……ではなくて……ごめンなさイ……。ジパングで、ヨーロッパの国の方と出会えたのが……嬉しくて、つイ……」


 男は弱り切った顔だ。

 どうやら、悪い人間ではないようだが。


「ワタシ、ガスパル・ヴィレラ、いいまス。ポルトガルから、カトリックの教えを広めるためにこの国に参りましタ……」


 その名を、俺は知っていた。

  ガスパル・ヴィレラ。本人の言う通り、キリスト教の宣教師で、1556年(弘治2年)に日本にやってきた。その後、幕府の第13代将軍、足利義輝とも対面し、キリスト教を布教する許可まで得ている人物だ。


 しかし足利義輝が殺され、その庇護者を失ったガスパルは、京の都を追放されてしまう。

 それでもくじけないガスパルは、堺にやってきて、畿内を中心に布教活動を続けるのだが――


 そのガスパルがいま、俺たちの目の前にいる。

 カンナのことを、ヨーロッパの人間だと思って。


「あ、あのね、ガスパルさん。あたし、確かにこげな髪しとるけど、これはご先祖様にヨーロッパのひとがおっただけで、あたし自身は日本人なんよね。やから――」


「お、おオ――そうでしたか。それは……申し訳ござりまシェヌ。しかしそれでも、お前様の顔はとても懐かしク感じられる……。なぜでしょう、ナ。我が故郷ポルトガルには金色の髪の女性などほとんどおりませぬ、のニ」


 イングランドの血を引いているカンナと、ポルトガル人のガスパルでは、同じヨーロッパでも確かにずいぶんと顔立ちや血統が異なるはずだが、それでもガスパルは懐かしがる。……ヨーロッパの空気、みたいなものを求めているのだろうか?


「ねえねえ、おっさん。涙ぐんでるところ悪いけど、うちらも忙しいんだよ。用がないなら悪いけど、また今度に……」


 五右衛門が、ガスパルを追い払おうとする。

 するとガスパルも笑って、


「そうですカ。そうでございまシュか。そうでシュな。ワタシもお仕事がありましタ。これからエゴウシュウの方々と話をするのでしたナ。ではまた日を改めて――」


「「「「「エゴウシュウ!?」」」」」


 ガスパルが口に出したそのキーワードを、俺たちは聞き逃さなかった。


「が、ガスパルどのは、会合衆と知り合いなのか?」


 藤吉郎が尋ねると、ガスパルはキョトン顔をしながらも、深々とうなずいた。


「スィン……ああ……イエス……でもなくて……ハイ。ハイ、ですネ。そうでおじゃりますル」


 ポルトガル語と英語と日本語が微妙にまじりあうなあ。

 ともあれ、彼が会合衆と知り合いなのは確かなようだ。

 しかし、これぞ天の配剤。俺と藤吉郎は、視線を交わして、そしてニヤッと笑い合ったものである。




「……織田家の方はずいぶん強引なことをなさる」


 北庄経堂の中に入ると、10人の人間――

 すなわち会合衆の代表的なメンバーたちが揃っていて、こちらを睨みつけてきた。


「ガスパル殿、困りますな。キリストの教えにまるで関係ない方を連れてこられては」


「あ、あア、いエ。こ、これはすみませヌ。この方たちが、どうしてもみなさマとお話がしたイと申されましテな。悪い方とは思えませなんだユエにナ」


「もはや仕方ありますまい。こうなれば腹をくくろう。山田どの、木下どの、どうぞそちらへ」


 会合衆は、露骨に俺たちのことを嫌がりながらも、しかし来てしまったものは仕方ないとばかりに、ひとまず俺たちを上座へ誘導してくれた。……ひとまずの態度が慇懃いんぎんなのが逆に怖い。


 とにかく、こうしてガスパルと一緒に北庄経堂に入ることに成功した俺たち。――俺と藤吉郎だけ会合衆と同じ部屋に残り、ガスパル、伊与、カンナ、五右衛門は別室に移された。


「さて、改めまして、お初にお目にかかります。会合衆、津田宗及でございます」


 10人の会合衆の中にいた、かっぷくのいい男性が名乗った。

 さらに続いて、他の9人も名乗りをあげる。紅屋宗陽、塩屋宗悦、茜屋宗左、山上宗二、松江隆仙、高三隆世、油屋常琢――いずれも後世にまで名前が伝わる有名な商人たちだ。そして、


「今井宗久でございます。織田様のご使者の方とあれば堺の門前まで出迎えに行かねばならぬところを、ご無礼いたしました」


 この中では唯一の織田派である今井さんも、頭を下げてきた。

 しかし、顔色はあまり冴えない。会合衆の中でただひとり、野党状態の彼は、気苦労も尋常ではないのだろう。


 ……そして


「千宗易でございます」


 ……のちの千利休。

 堺の有力商人にして、茶人として巨大な足跡を日本史に残す男。

 のちの豊臣政権にて重きをなすが、しかし最後は秀吉によって殺される人物も、ここにいた。


「千宗易殿、よろしくお願いいたす」


 その秀吉こと藤吉郎は、笑みを浮かべている。

 この時点において、藤吉郎と千宗易は、まだ知り合っただけに過ぎない。

 しかしこの出会いが、また大きな歴史の流れに影響していくのだろう。きっとそうだ。


 ともあれ。

 はるか数十年後の未来よりも、まずはいま。


 俺は、このアンチ織田家な空気の中、会合衆と交渉しなければならない。

 矢銭20000貫を得るために。

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