第16話 天下布武仕置き始め

 南近江の六角氏を下した織田軍は、その後、岐阜に残していた足利義昭を呼び寄せ、安土町の桑実寺くわのみでらにおいて合流。

 そして1568年(永禄11年)9月26日、ついに入京を果たしたのである。


 京都周辺にて、なお勢力を保っていた信長の敵対勢力――三好三人衆などは、なお抵抗の意思を示したが、しかしこれらの諸勢力も織田軍によって次々と打ち破られる。

 このころ、室町幕府の第14代将軍である足利義栄あしかがよしひでが病によって死亡したこともあり、反信長勢力は完全に士気を喪失。散り散りになってしまった。


 かくして信長と足利義昭は、威風堂々と京の都を我がものとしたのである。


「御父織田弾正忠どの」


 足利義昭は喜んで、みっつしか年上でない信長のことを父と呼び、幕府の管領か副将軍の職を与えようとした。

 が、信長はことわった。


「家柄が釣り合いませぬ」


 なるほど、室町幕府の管領や副将軍になるには、相応の家格が必要である。

 その点、たしかに出来星大名の織田家ではとうてい釣り合わない。


 しかし、その前例を無視してでも義昭は信長を厚遇しようとしたわけだが、信長はあくまで固辞した。

 後世のイメージとは異なり、信長はじつに古例をよく守る。のちに足利幕府を滅亡に追いやった男だけに意外なようだが、信長はあくまで世間の秩序を回復させたいと思っていたのだ。


「それが、余の天命と思っている」


 信長は、家臣団の前で言った。


「今生において、余の果たすべき役目は、天下布武てんかふぶである。足利家のもと、武力をもって天下に安寧をもたらすことが余のやるべき仕事である」


 天下の安寧あんねい

 と、信長はさらりと言ったが、その安寧とは果たしていかなるものか?


 俺には分かった。

 信長は、かつての藤吉郎や、あるいは徳川家康のような存在を産みたくないのだ。

 あるいは大樹村を焼きだされた俺や伊与、父親を殺されたカンナのような、悲しい存在を生み出さぬ天下にする。


 それが信長の想いだった。

 このひとには、そういう生来の優しさがあった。


「天下に秩序をもたらす」


 信長の行動は、すべてこの信念から出ていた。


「義昭公をお助けし、この乱世を終結に導くのだ」


 虹のような夢だった。

 しかし俺は、その夢が夢でないことを知っている。

 織田信長はこの乱世を安寧にみちびく人物なのだ。その行動に間違いはない。


 ――だが、しかし。

 京の都にのぼった直後、俺はひとつだけ、信長に言った。


「越前の朝倉氏を攻めるときは、くれぐれも北近江の浅井家に相談されてからになさいませ」


 信長の妹であるお市の方が嫁いだ先、浅井家。

 歴史が順当に進めば、浅井家は織田家を裏切り、お市の方は夫と別れる悲劇を味わうことになる。

 その未来だけは避けたかった。お市の方とはさほどの面識もないが、しかし俺の動きによって彼女が浅井家に輿入れしたのは事実なのだ。彼女を不幸にすることだけは、したくなかったのだ。


「どうか、上総介さま。山田弥五郎、たってのお願いでございます」


「分かっている」


 信長は、俺のことを不思議そうに見ながら言った。

 浅井家と朝倉家は親しい。ゆえに、この信長が浅井家に相談もなしに朝倉を攻めるはずがないではないか。彼の目はそう言っていた。




「――やけど弥五郎。浅井家と織田家が同盟したままやったら、未来は、あんたの知っとるものにならんのやない?」


「未来を変えるつもりなのか、俊明?」


 信長の前から下がった俺は、カンナと伊与からそう質問された。

 俺は、数秒の間を置いたうえで、うなずいた。……歴史はもう、変えてもいい。

 織田信長と浅井長政が手を取り合って、天下を泰平に導く未来もいいじゃないか。

 藤吉郎秀吉の出世物語も、本来の史実とはずいぶん異なるものになるだろう。……そうだとしても構わない。


「俺はそう決めた。だから俺を信じてついてきてくれ、伊与、カンナ」


「あんたがそう決めたなら、いいっちゃけど……」


 それでもカンナと伊与は、嫌な予感がする、とばかりにお互いに目配せをしあったものだ。

 予感がするのは俺も同じだ。だが、それでも変えてみせる。悲劇はこれ以上、見たくないのだ。




 上洛後、信長は周辺の敵対勢力と戦いつつ、いくつかの政治を行った。

 例えば領内の関所の撤廃だ。これまで勢力下にあった尾張、美濃に加えて伊勢や南近江など、複数の国の関所を撤廃した。

 かつて、俺と藤吉郎が三河に旅をしたとき、不自由に感じた数々の関所。これが撤廃されたことにより、信長領の物流は格段によくなり、人々の生活も向上した。分かりやすく言えば、例えば食べ物がない寒村に食糧をすぐに届けることができるようになった。飢えた民は、信長の政治に感謝した。


 また、京都の治安も回復させた。

 一銭でも金を盗んだり、婦女子に暴行したものは斬り捨てる。

 信長はそう命じた。そして、それを実行した。道ゆく女性に乱暴をしようとした足軽を、たまたま近くにいた信長が発見し、これをその場で切り伏せたのだ。その足軽は織田家の足軽だった。しかし信長は容赦しなかった。これ以降、畿内の治安は劇的に向上し、戸締りをしなくても良いといわれるほど、盗人や追いはぎの類が消えた。



 さらに、足利義昭に許可を得て、近江国の大津に代官を置いた。

 商いがたいへん盛んな土地の大津である。ここに代官を置いて織田の直轄領とすることで、土地の利益を税として徴収し、莫大な富を得ることになった。


「万事、山田のおかげじゃ」


 京の清水寺にて宿泊していた信長は、俺に向かってそう言った。


「三河を旅し、関所の不自由を余に教えたのはそちじゃ。富の大事さを余に教えたのもそちであり、また悪人には厳罰を与えるのも神砲衆に倣ったものじゃ。余の政策は、山田弥五郎に教えられるところ、大である」


 信長は目を細めて言った。

 なるほど、言われてみれば俺の行動や報告は、信長の政策に影響を確かに与えていた。


 厳罰主義も、神砲衆に徹底させたものだ。10数年前に神砲衆を立ち上げたときから、盗みやいじめなどの悪事を働く人間を、俺はただちに追放してきたし、罪の大きさによっては処刑もしてきた。その結果、神砲衆は決して盗みやいじめ、追いはぎの類をやらない集団となり、その名声は畿内にまで鳴り響いていた。


「余ではなく、山田が天下人になっても面白いのう。なかなか、良いまつりごとを行うのではないか」


「とんでもない。俺には、例え政策を思いついても実行する力に欠けております。このようなまつりごとを行えるのは、上総介さまならではでございます」


「世辞を言うか」


「本音でございます」


 じっさい、どれほど良い政策を思いついても、それを実行する力に欠けているのでは意味がない。

 多少の知恵や知識など、なにほどのことがあろう。良き政治を現実に行う勇気と人徳、そして決断力と実行力こそが、天下人には求められているのだ。


「ところで山田。そちは、以前、堺に行ったことがあったの」


「はっ。もう10年ほど前になりますが、確かに参りました」


「その堺がのう、余に逆らう気配を見せておる」


「逆らう……といいますと」


「うむ。そちも知っておろうが、堺の町は会合衆えごうしゅうという有力商人の集まりによって運営されておる。……その会合衆に、余は命じた。『幕府再興のために、矢銭やぜにを差し出せ』とのう」


「…………」


「堺の商人どもは、がめつく金を稼いでおる。この世の春とも言うべき富裕さである。それほどの銭があるならば、少しは天下のために使うべきじゃ。そう思うて、銭を出せと伝えたのじゃが」


「突っぱねてきたでしょう?」


「その通りじゃ。『我ら堺の商人は、どこの家来でもない。織田様はむろん、幕府の家臣でもない。で、ある以上、矢銭などビタ一文払わぬ』と――すごい剣幕で我が使者を怒鳴りつけたそうじゃ」


「会合衆といえば、誇り高いことで有名ですからね」


「いずれにせよ、今後の天下は公方(足利義昭)と織田家で切り盛りしてゆく。会合衆が何様であろうと、これには決して逆らってはならぬ」


「しかし現実には、逆らっていますよ」


「そこでよ、山田。そちの腕を見込んで命ずる。堺の町へおもむいて、矢銭をただちに供出するよう交渉して参れ」


 また、とんでもない無茶な仕事が回ってきた。

 信長が、堺に矢銭を求めた話は有名だが……。

 まさかその仕事を、俺がやることになろうとは。


「そちひとりとは言わぬ。藤吉郎もやろう。おぬしたちふたりならば、うまく処置してくれるであろう」


「はっ……」


「期待している。堺の欲張りどもを、よく説き伏せて参れ」


 信長の、微笑を浮かべつつも恐ろしい命令。

 俺はとにかく平伏して、その命令を受けるしかなかった。



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最新話更新、たいへんお待たせしてしまい申し訳ございません。

ブログのほうではお知らせしていましたが、体調不良や家族の引っ越しなどに伴って多忙の極みでございました。

また更新をしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。


また「戦国」の第2巻、カバーラフが届きました!

http://blog.livedoor.jp/suzaki_syoutarou/archives/79493808.html


こちらも動きがございますので、どうぞ今後とも、続報をお待ちくださいませ。

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