第15話 月明かりの下、竹藪の中で

 その日の夜――

 雨が、シトシトと降りしきる闇の中にて。


 木下藤吉郎隊は、箕作城に向けて夜襲を決行した。

 その兵、2300。――いずれも、その手にはたいまつを持っている。

 たいまつの炎によって、世界はあかあかと昼間のように照らされていた。その中を、


「攻めろ、攻めろ! 敵は疲れているぞ、いっきに落としやがれィ!」


 蜂須賀小六率いる津島衆が、どんどん城へと押し寄せて、六角兵をなぎ倒していく。

 六角側の兵士たちは、誰もが驚愕した。


「この雨の中を夜襲してくるとは! しかも、あの雨の中で消えないたいまつはなんだ!?」


 仰天した六角兵の士気はだだ下がり。潰走を開始した。

 箕作城は、その夜、陥落した――




「水たいまつ、っていうのさ」


 箕作城陥落の光景を、山のふもとから見ていた俺は、隣にいる伊与とカンナに向けて解説した。


「たいまつの火をつける部分に、硫黄と石灰を混ぜたものを塗ると、水の中でも炎が消えないたいまつができる。……これは別に未来の技術でなくて、古代ローマでも使われているものだが……」


「それでも大したものだ。その水たいまつの存在を、とっさに思い出すのだからな」


 伊与は、腕組みをしたままうなずいた。

 俺は、微笑を浮かべ、


「……まあ、予想はできていたからな。この城を攻め落とすのに、藤吉郎がたいまつを使うのは分かっていた事実だし……」


「先のことを知っとる、ゆうんは便利なもんやね。……で、弥五郎。この戦いの勝利をきっかけに、織田軍は京の都に上洛するんよね?」


「ああ。箕作城が陥落したのをきっかけに六角軍は全軍撤退、散り散りになって、戦国大名としての六角氏は滅亡する。そして織田信長は足利義昭を伴って京の都に入り、いよいよ天下人としての第一歩を刻み始めるのさ」


「そして、そのあと――織田に従わない越前の朝倉氏を討つために出陣し、しかし近江の浅井長政が裏切る……だったな?」


 伊与が、確認するように史実を告げてくる。

 俺は、渋い顔をして首肯した。


「このままいけば、そうなるはずだ。……しかし」


「しかし?」


「俺としてはその流れは――避けたい」


「…………お市さまのことだな?」


 伊与が言う。俺は再び、うなずいた。


「稲葉山城を落とす攻城塔を作るために、お市の方は浅井家に嫁いだんだ。すなわち俺のためにあの方は浅井家に嫁入りしたことになる。ならばそんなお市の方が不幸になるような流れにはしたくない」


「責任を感じすぎ、言う気もするけどねえ。最終的に決めたのは上総介さまなんやし」


「かもしれないが、避けられる不幸は避けたほうがいいさ。……なんとか織田と浅井がぶつからないようにもっていこう。それが歴史を変えることになろうとも」


 ――そんなことを話していると、木下小一郎が駆け寄ってきた。

 箕作城、陥落の知らせだった。藤吉郎は城のてっぺんで「やったわ、やったわ、さすが弥五郎、知恵者よのう!」と転げるように大喜びしているらしい。

 藤吉郎がはしゃぎまわっている光景を想像して、俺は思わず苦笑した。




 俺が伊与たちに語った通り、六角氏はここで事実上滅亡した。

 六角氏の当主、六角義賢と義治は、今後数十年も生きるのだが。

 ……しかし戦国大名として返り咲くことは二度とないのだ。


 六角氏の兵も、ほとんど抵抗せず織田氏に降伏、もしくは逃散した。

 だがしかし。――六角氏の重臣、蒲生賢秀がもうかたひでだけは違った。

 観音寺城に立てこもり、柴田勝家軍と互角に戦いを続けていた彼は、箕作城陥落の知らせを受けると、観音寺城を脱出し、自分の城である日野城に立てこもり、1000人の兵士と共に、さらなる籠城戦の構えを見せた。


「このまま、一矢報いるもなく、ただ敵に蹂躙されるだけとあっては近江武士の名折れである。当方は残りひとりになっても抵抗を続ける所存である」


 蒲生賢秀の、愚直なまでの抵抗主義は、しかし信長の気に入るところとなった。


「蒲生の反骨、心地よし。武士とはかくありたきものよ。しかしそれだけに殺すは惜しい。……のう、山田?


「おっしゃる通りです。ここは説得するのが上策かと」


「で、あるな」


 ――そして蒲生賢秀は降伏した。


 蒲生賢秀の妹を妻にしている男、すなわち蒲生賢秀の義弟である神戸具盛かんべとももりが彼を説得したのだ。

 蒲生賢秀は、日野城を出た。わずかな供だけを連れて、信長の本陣に参上し、降参の意思を告げたのだ。

 信長はそれを喜び、


「そちほどの侍を家来にできるのは、予にとっても光栄である。今日のところはゆるりと休んで、疲れを取るがいい。……山田。蒲生に飯でも食わせてねぎろうてやれ」


「はっ!」


「山田どの。お久しゅうござる。……桶狭間の戦い以来でござるな」


 8年前、桶狭間の戦いに赴く直前、俺と話したことを、蒲生さんは覚えていてくれたらしい。


「お久しぶりです。どうぞ、我が陣でくつろぎ、湯漬けなど召し上がっていってください。……そうだ、へぼ五平という珍味も用意しておりますよ」


「それは楽しみ。……そういえば山田どの。今回の箕作城攻めでは、山田どのの作ったたいまつが活躍したと聞き及びます」


 信長の前から立ち去り、神砲衆の本陣へと向かいながら、俺たちは話す。


「山田どのは鉄砲や火薬にお詳しいとのうわさ。よろしければ、ぜひ今後、同じ織田家の侍として力になるべく、ご教示願いたく存じます」


「お安い御用です。俺にできることならば。……そうですね、まずは黒色火薬の作り方からお教えしましょうか」


 俺と蒲生さんは、笑顔で言葉を交わしながら歩みを進めた。


 ……蒲生さんは、この後、俺から教わった鉄砲や火薬の作り方を地元の職人たちに伝えた。

 腕のいい日野の鍛冶屋たちは、これより以後、鉄砲作りに汗を流す。そしてその鉄砲は、日野鉄砲として全国でも名高い存在となっていくのである。




 木下藤吉郎の本陣。

 その裏手にある竹藪の中で、竹中半兵衛はじっと、山田弥五郎の作った水たいまつを眺めていた。

 ……それだけではない。半兵衛の眼前には、これまで弥五郎が作った連装銃や、さらに壊れたリボルバーなども並べられていた。

 すべて、木下藤吉郎を通じて、手に入れたものだ。藤吉郎は「壊れたリボルバーなど、どうするんじゃ」と言って笑っていたが――


 やがて半兵衛の前に、髪の薄い痩せぎすの男が現れた。

 目が、吊り上がっている。尋常ではない空気をまとった侍である。


「よく、おいでなされた」


 半兵衛は、それだけ言うと、もうあいさつもせずに、その侍に向けてリボルバーを差し出した。


「貴殿は鉄砲に詳しい。……このリボルバーをやらを見て、どう思われるかな?」


「本朝(日本)の技術に非ず」


 と、はげ侍は断じた。


「かといって、唐天竺や南蛮国の鉄砲にも例を見ない。……恐ろしい技術で作ったものでござるぞ。この世のものとはとうてい思えぬ」


「鉄砲に詳しい貴殿が、そうまで言われるか。……ふうむ」


 半兵衛は、何度も何度も首をかしげる。

 山田弥五郎。……あの男の存在が、半兵衛には解せない。


 それなりに知恵は回る男。それなりに商才もある男。真面目な男。

 しかし、あの程度の人物ならば、正直なところ、はいて捨てるほどいる――というのが半兵衛の印象だった。


 すなわち山田弥五郎は、まずまず優秀ではあるが、しかし例えば木下藤吉郎や織田信長、あるいは柴田勝家や丹羽長秀といった一流の戦国武将たちにはとうてい及ばぬ人材である。


 あくまで『並の上出来』くらいの男であり、単純に武士としての実力ならば彼の女房である堤伊与や、あるいは商才ならばもうひとりの妻である蜂楽屋カンナのほうが上だと感じた。


 うわさでは、濃尾随一の商人ということだったが、それほどの実力やすごみを、半兵衛は、ここ数年の付き合いでついに感じなかったのだ。


(しかし……)


 そんな山田弥五郎が、ときとして、信じられないような冴えを見せる。

 はるか先のことまで見通したかのような行動をとったりする。

 そして、このリボルバーや、稲葉山城を落としたような攻城塔を作り上げる技術。


(分からぬ。凡人なのか、そうでもないのか。あれほど奥が見えない男は初めてだ)


 あの男は、なにかおかしい。かみ合わない。

 日ごろの行動や言動と、いざというときの知恵と技術が。

 その正体がつかめない。……つかみたい。知りたい。あの男は何者だ? それを知りたい。


 半兵衛は、強烈に欲が湧いた。

 知りたかった。山田弥五郎の底を。


「……貴殿」


 半兵衛は、はげ侍に向けて言葉をかけた。


「いまは浪人だそうですな。仕える主君をもたぬとか」


「いかにも。これでも一時は将軍家の末席を汚し、永禄の変以降は越前朝倉家にも仕官しましたが、どうにも居心地の悪さを感じ――再び出奔し、故郷の美濃に戻った由」


「そうでござったな。……では同じ美濃の侍として、半兵衛、貴殿を勧誘いたす」


「ほう……?」


「貴殿、織田家に随身されよ。……貴殿、斎藤家に親戚がおるとかで、上総介さまに仕えるのはいやだと申しておったが、もはやそんな時代ではない。上総介さまはいまに天下人になられる。……ならばいまのうちにかのお方に仕えるが上策。この半兵衛が推挙いたすゆえ、織田家に仕えなされ。……そして」


「そして?」


 はげ侍の目が光る。

 半兵衛は微笑を浮かべた。


「この半兵衛といっしょに、あの男を監視いたそう。……山田弥五郎。……あの男、必ずなにかある。時代を、世界を大きく変えるなにかが。……のう、半兵衛と共に時代を変えてみませぬか?




 ……明智十兵衛、光秀どの」




「…………山田……弥五郎……」




 半兵衛の旧友にして、鉄砲に詳しいはげ侍――

 明智十兵衛光秀は、じっと考え込む素振りを見せた。




 連日降り続いていた雨は、いつの間にか、まったく止んでいた。

 薄い雲の切れ間から、月の光が地上を照らす。

 竹藪の中の半兵衛と光秀。月光の下で、ただ無言――

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