第13話 上洛軍の兵站

 1568年(永禄11年)2月。

 三好三人衆の擁立する足利義栄あしかがよしひでが、正式に室町幕府14代将軍に就任した。

 義栄は、一昨年の1566年12月に、将軍就任の内諾を得ていたのだが、それから1年以上の時間を得てからの就任になる。


 遅い。

 が、これには理由がある。

 このとき、三好三人衆ならびに義栄は、大和国の松永久秀と対立し、戦闘を続けていたのだが、その分、戦費がかさみ、朝廷に献納する金子の量が減っていた。


「松永久秀に苦戦するがごとき男、まことに征夷大将軍として認めてよいものか?」


 と、朝廷はそう言って将軍宣下をずいぶん渋ったのだ。

 理屈はいろいろ言えるが、けっきょく朝廷は、金が欲しかったのだ。

 金のない人間は、力のない人間は、足利の血を引く人間であれ将軍にもなかなかなれない。

 まさに乱世、というより古今東西を通じた人間社会の真理かもしれない。……とかく世の中は、金なのだ!


 しかし時間は経ったが義栄は、とにかく将軍になれた。

 もっともその立場は弱い。将軍にこそなれたものの、三好三人衆には反対勢力も多いため、まだ京の都に入ることもできない状態だった。


 ならば、こちらにもつけいるスキがある。

 俺たちは足利義秋を、次の将軍にするために活動を開始した。

 越前と北近江を中心に交易を重ね、資本力を蓄えていた俺は、足利義秋の家来の細川藤孝と謁見を重ね、打ち合わせをしたうえで、信長に「足利義秋と対面すべし」と文を出した。


 信長は、前年の正親町天皇からの使者の流れもあって了承し、


「天下布武の大義のために、京洛の地に織田の旗を立ててみせん」


 と、返事をよこしてきた。

 また、その返事にはこうもあった。


「上洛の兵をあげるために織田氏全体の商業の収入をあげねばならぬ。山田はそのまま北方の交易を繰り返し、かつ北方の商業の実態を調べよ」


 俺と信長は手紙を出し合った。


「承りました。俺は、ここに留まりつつ、家来に命じて、北近江、加納楽市、津島の3点交易を部下に命じてより利潤をあげましょう」


「それでよし。また北方のみならず、これまで山田が得てきた諸国の物産と相場の情報を余に送るがいい。余はその情報を用いて加納の楽市と津島の港に采配をふるう」


 俺と信長のこの動き。

 これは、美濃加納と尾張津島の商業都市としての価値をより上昇させた。


 ここまではよかった。

 しかしこの直後、津島の権益を求めて、伊勢国の北畠氏が尾張に進軍の気配を見せるようになった。信長は立ち上がった。


「ちょこざいな北畠が。津島の権益を譲るものか!」


 信長は、伊勢に進軍した。

 このときの先鋒は、我が友、滝川一益だった。

 伊勢に実家のある彼は、知己も多く土地勘もあったため、先鋒としてはうってつけであった。滝川一益の活躍により北畠氏は敗退を重ね、伊勢の北部は信長のものとなった。


 そんな動きもあり、足利義秋が美濃にやってきたのは、この年の7月のことだった。

 春に義昭と改名した彼は、俺や細川藤孝、和田さんの案内で、やっと美濃にやってきたのだ。




 織田信長と足利義昭が対面したのは、1568年7月22日、美濃の立政寺においてのことだった。


「上総介、大義」


 上座に座った義昭は、下座の信長に向けて、胸を張ってそう言った。

 信長の後ろには、柴田勝家を中心に主だった織田家臣団がずらりと並び座り、俺や藤吉郎もその中にいた。


 細川藤孝と和田さんは義昭の家来として、義昭の左右に座っている。

 義昭は、先ほどの言葉のあとはなにも言わず細川藤孝に続きを任せた。

 貴人である。会話は、基本的にしない。顔を見せることさえ、本来はしないのだが――

 それでも今後、みずからの家来となっていく織田家の者たちの士気を上げるべく、義昭は織田家の家臣団の前に顔を見せたのだ。


 義昭が言うべき言葉を、代弁する立場にある細川藤孝は、室内をゆっくりと見回してから、信長に対して、自分たちを自国に招いてくれた礼を述べた上で、


「しかし織田殿、この立政寺もなかなかのものでござるが、我らがあるじはのちに15代将軍となられるお方」


 と言って、


「諸国にその威信を示すためにも、いま少し、次期公方にふさわしい屋敷を建立していただけるとありがたく」


 それは確かに、いまの義昭には必要な政治であったろう。

 流浪の身分である義昭だが、それゆえにおのれの身上を大きく見せる必要があった。


 この時代、貧乏な男についていく者はいない。

 ついていっても褒美にも恩賞にも預かれそうにないからだ。

 なるべく金持ちの家来になって、多くの報酬をもらおうとするのがこの時代の人間なのだ。

 そういう時代だからこそ、俺も金を稼いで成り上がったし、神砲衆にも良い家来が集まったのだ。


「無用でござる」


 ところで信長は、ぴしゃりと義昭の要望を断った。

 細川藤孝はもちろん、和田さんも、そして義昭ですらもこの発言には目を見開いた。

 将軍家に連なる人間の要望を、一顧だにせずはねつけるとは無礼ではないか、と思ったのだろう。――しかし信長には、理屈があった。


「ことしか来年には、もはや上総介は京の都に攻め上がるつもりにて、ならばこの美濃に将軍さまの豪奢な屋敷を建てるのは金と時間の無駄でござる」


 なんと、と細川藤孝は低くうめいた。

 小気味よい、信長の断言。彼は足利義昭をすぐに将軍にすると言ったのだ!


「大言なり、上総介」


 足利義昭は、思わず笑いながら言葉を発した。そして、


「しかし期待させてくれる。さすがは帝も認めし尾張の勇者よ。……ことしか来年、ふふ、そんなにも早く予を将軍にしてくれるか」


「御意。上総介に二言はありませぬ」


「素晴らしい」


 義昭はもはや、細川藤孝に任せることもせずみずからの口をもって信長を激賞し、


「大名とはかくありたきものよ。上総介の忠義と武勇に期待する」


「はっ!」


 信長は、平伏した。

 俺たちも、それに倣った。


「……大したものじゃな、我が主君は」


 俺の隣にいた藤吉郎が、小声で言った。

 俺は無言でうなずいた。……信長の言葉は嘘ではない。史実通りなら、いまからわずか2ヶ月後、ことしの9月には信長は京都に上洛を果たすのだから。




 さて。

 信長は、義昭と共に上洛(京都に上ること)をしたい。


 しかし美濃から京都に向かうには、途中、南近江がある。

 南近江を支配しているのは、かつて織田と同盟していた六角氏だ。

 いまは同盟は破棄したとはいえ、数年前までの交易仲間と戦うのは忍びなかったのか、信長は六角氏に使者を出した。


 使者は、和田さんである。

 彼もまた、もとは甲賀に住み、六角氏と協力関係にあった男だ。この人選は正しいと思う。


「帝と次の公方を助けるため、京の都に上りたい。六角氏もぜひとも協力あれ。桶狭間のときのように再び手を組もうではないか」


 信長は和田さんを通じて六角氏に呼びかけた。

 本質的に優しい男である信長の、本音だったと思う。

 ……しかし六角氏はこれを突っぱねた。


「我らが宿敵浅井長政の義兄となった貴殿と、なにゆえ手を組まねばならぬ。また義昭はいまの公方の敵であり、この義昭に従うのは天下の義に背くことになる」


 などと理屈だけは並べているが。

 要するに六角氏はいま三好三人衆とよしみを通じており、さらに和田さんの調べたところ、


「六角は、三好三人衆を通じて京や堺と交易を重ねている。これによって得ている利潤を手放しがたいのだろう」


 そういうことだった。

 ここでもやはり、金、金、金。

 世の中まったく金ばかりだが、とにかく六角氏は織田氏との和解を拒否。

 すると信長は、この報告を受けて、やむなしとばかりにうなずいた。


「ならば、いくさで六角氏を滅ぼすのみ」


 信長は、織田家臣団に向けて告げた。


「六角を滅ぼすのに、もはや苦労はない。我が方の兵力は、やつらの数倍である」


 これは事実だった。

 美濃と尾張、さらに北伊勢まで制している信長軍は、実に高い人気を誇っている。

 帝、ならびに足利義昭のためという大義まで帯びていることもあり、諸国から続々と浪人が、また農家の次男三男が家を飛びてて岐阜に集まっており、信長は彼らを次々と雇用したがため、織田家の単純な動員兵力は、もはや50000人にさえ達していた。織田家は交易と楽市によって経済力を得ている。それだけの兵を養う力も確かにあった。


 対して六角氏。

 観音寺騒動以来、実力を落とすいっぽうの相手。

 こちらの動員兵力は、どう多く見ても15000ほどだろう。

 戦えば織田家が必ず勝つ。信長の言葉は、正確な分析に基づいたものだった。


「来月にも南近江を攻める、左様心得よ」


 家臣団は平伏した。

 俺と藤吉郎もその場で土下座したのだが、やがて信長は「他のものは下がれ」と告げたうえで、


「藤吉郎と山田は残れ」


 と言った。




「準備を任せるぞ」


 その場に残った俺たちに、信長はそう言った。

 短いそのセリフで、しかし藤吉郎と俺は、すぐにその意味を悟った。


 信長は俺たちに、兵站をせよと言ったのだ。

 すなわち、補給について担当せよ、と言ったのである。


 信長の兵力は、なるほど50000もある。

 しかしその50000に、武器や防具を与え、かつ兵糧を食わせ、手柄を立てたときの金銀を用意しなければならない。

 いくさは、これが大事なのだ。人数を集めるだけならばたやすい。その人数に食料と武器を人数分与えるのが、なかなか困難なのだ。


 50000人の人間が、1日3食毎日食べる。

 しかもいくさをするならばとにかく腹も減るだろうから、兵糧はもしかして4食、あるいは5食分いるかもしれず、さてそれだけの食料を、仮に100日分用意するなら、どれだけの金が要るだろうか? どこから調達すればいいのか?


「それが分かるのは、近隣諸国をくまなく交易し調査してきた、そちたちだけじゃ」


 信長はそう言った。

 彼は、俺が諸国から送った手紙に書かれた情報に目を通したうえで、


「そちたちならば、いまの織田軍の兵糧のことを任せられる。むしろそちたちしかおらぬ」


 と、そう言ってくれたのだ。

 俺と藤吉郎は、平伏した。


「これまでのいくさと違い、南近江、そして遠く京の都にまで攻め上がるいくさよ。……尾張美濃、北伊勢など、本拠から兵糧を送れば済む、という距離ではない」


「「はっ」」


「準備はこの上なく整えねばならぬ。こたびのいくさの勝敗は、そちたちの双肩にかかっていると思え。藤吉郎、山田、任せたぞ」


「「はっ!」」


 信長の言う通り、これは俺たちにしか務まらない仕事だと思った。

 尾張、美濃、さらに三河や遠江や駿河、信濃に山城に堺に、近江に越前、若狭国にまで旅をしてきた俺たち神砲衆と藤吉郎だ。

 どこに行けば武具が、馬具が、防具が、兵糧が、火薬が、ちゃんと購入できるのか、どれほどの値段で買えるのか。俺たちは完全に把握している。神砲衆の面目を、この上なく躍如させるお役目をいただいた。


 信長の前を退出した俺たちは、岐阜の城下において、互いに深々とうなずきあった。


「やるぞ、弥五郎」


「無論。まずは岐阜城下の屋敷へ。……カンナに相談しよう」


「汝はまことに良い女房を持っておるわ。よし、ゆくぞ」


 俺と藤吉郎は、連れ立って歩き出した。

 信長上洛作戦が成功するか否かは、俺たちの手にかかっている。

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