第12話 永禄の変・裏話

「立ち話もなんだから」


 ということで、俺たちと、足利義秋一行は、近場にあった廃寺の中に入った。

 義秋は、貴人である。寺の中でも最深部の、もっとも広い部屋に入り、俺たち織田家の面々はその隣の、さらにそのまた隣の部屋に待たされた。同室はならぬ、というわけだ。


 無理もない。

 義秋は、室町幕府第13代将軍、足利義輝の弟だ。

 本来ならば謁見さえ許されぬほど、俺たちとは身分が異なる。


 比較的、身分差の意識が薄い尾張国(というか織田弾正忠家)を中心に活動していたせいで、普段俺たちは、あまり身分差のことを意識しないのだが、しかしこの乱世にあっても、やはり身分の差は歴然と存在するのだ。


 さて、その義秋が別室でくつろいでいるころ、俺たちは和田さんと再会を喜び合っていた。


「山田うじ、いつ以来だろうか。最後に文をやりとりしたのはもう2年以上前か?」


「ご無沙汰でした、和田さん。もっと頻繁に連絡を取り合うべきでしたが、ついおろそかになってしまい申し訳ありません」


「なに、お互い様よ。自分も甲賀を出て各地を旅していたからな。――久助(滝川一益)とあかり、それに次郎兵衛は元気か?」


「皆、達者ですよ。久助は織田家で足軽大将の身分にまで出世しました」


 近況報告を交わし合う。

 俺と和田さんは、互いの息災を祝った。


 が。

 やがて話題は『例のこと』に移った。


「和田さんが、こうして左馬頭さま(足利義秋)と越前におられるのは、やはり永禄の変からの流れでありますな?」


「……無論、そうだ」


 和田さんは、重苦しい顔でうなずいた。




 ――俺と和田さんが、しばらく連絡を取り合っていなかったのには、わけがある。




 いまから2年前。

 すなわち1565年(永禄8年)、世間を震撼させる大事件が起きた。

 13代将軍、足利義輝が、殺されたのである。のちに、永禄の変、と呼ばれる政治的殺人事件であった。


 このころ、京の都を中心に、畿内を支配していたのは戦国大名の三好家だが、将軍の義輝はこれを嫌った。

 天下を支配するべきは、室町幕府であり、征夷大将軍の自分だ、と思っていた。義輝は三好家の専横を許さず、幕府の権威を回復させるために行動した。


 それが、三好家にはうっとうしい。

 そこで、三好家の中でも中心人物であった『三好三人衆』と呼ばれる男たち。

 すなわち三好長逸、三好政勝、岩成友通の3人は、義輝のいる二条御所に押し寄せ、ついに将軍を殺してしまったのだ。


「無念!」


 義輝は、みずから薙刀を手に取り、さらには刀を振るって抵抗を続けたが、衆寡敵せず。あえない最期を遂げたのである。




 義輝の死後、三好三人衆は、義輝のイトコの足利義栄あしかがよしひでを擁立した。

 これは傀儡かいらいである。義栄が将軍になることを、よしとせぬ者は多かった。

 いま俺の目の前にいる和田さんも、そのうちのひとりだった。


「もう10年以上、前になるか」


 和田さんは、遠い眼をして語った。


「義輝公が、政争の果てに近江まで流れてこられたことがあった。そのとき義輝公のお世話をしたのが、自分だった。……義輝公は名君であった。このような時代でなければ、立派な公方として世に君臨されていたものを」


 とにかく和田さんは、義輝を殺した三好三人衆を許せなかった。

 三好三人衆の思うままにさせてたまるか、と思った。

 そこで、


「三好三人衆をうち亡ぼし、義輝公の弟の、左馬頭さま(足利義秋)を次の将軍家にしようと画策しているところなのだ」


 和田さんがそう言うと、隣にいた細川さんがうなずいた。

 彼、細川藤孝ほそかわふじたか。足利将軍家の家来にして、戦国時代屈指の武人にして文化人。このひともまた、有名人だ。こんなところで出会うとはな。


「しかし、三好三人衆を亡ぼすといっても、簡単にはいかぬじゃろう?」


 藤吉郎が言うと、細川さんは、またうなずいた。


「我々は、左馬頭さまを守りつつ旅をして、いろんな大名に声をかけた。しかしどの大名も腰をあげぬ。近江の六角氏、若狭の武田氏、そしてつい先ほど、越前の朝倉氏にも声をかけたが……返事はおもわしくない」


「そうこうしているうちに、我々は襲撃された。三好三人衆が放った刺客が襲ってきたのだ。なんとか撃退はしたが……またいつ襲われるか」


「なるほど。それで我々のことを追っ手だと勘違いしたわけですな」


 半兵衛が、得たりとばかりに首肯した。


「乱世はいよいよ無明長夜。将軍家のお血筋である左馬頭さまがかようまで苦労なさるとは……」


「まったく、世の中は世知辛い。……自分は、六角さまには期待していたのだが、あの方もだめだった……」


 和田さんは暗い顔で言った。

 一時、和田さんは六角氏と関係をもっていたため、六角義賢が動いてくれるのではないかと期待していたようだが、やはり簡単にはいかなかったようだ。


 ともかく、そんなわけで、和田さんはしばらく流浪の身分だった。

 甲賀にもいなかった。俺としばらく連絡を絶っていたのはそういうわけだ。


「しかし、山田どの」


 細川さんが、目を細めて言った。


「和田どのから聞き及んでいるぞ。……左馬頭さま(足利義秋)をお救いになったのは、山田どのだそうじゃな。まったく手柄であるな」


「ほう……!?」


 半兵衛が、目を見開いた。


「山田どの。初耳でござるな。それはどういう話でござる?」


「いや、それは――」


 俺は頭をかきながら、半兵衛に向けて説明を開始した。

 ……こういうわけだった。




 言うまでもなく、俺は未来人だ。

 この時期、足利義輝が殺されることは、分かっていた。

 理由もなく、人が殺されるようなことは避けたい。歴史が変わることになろうとも、防げる殺人は防ぎたかった。


 しかし、どう動いても、どう考えても、いまの俺では三好三人衆の動きを止めて、足利義輝を助けることなどできなかった。

 例によって例のごとく、ああ、強くありさえすればと歯噛みしたものだったが――しかしそこで、ふと思った。待てよ、と考えた。


 義輝の弟、足利義昭。

 このまま彼を放っておいていいのか?

 史実では、永禄の変のあと、三好三人衆に命を狙われることになる足利義昭。

 彼を救わなければ、それこそ歴史が変わるが……これを放置しておいていいのだろうか。


 この世界は、俺が動かなければ史実通りにならない場面が多々あった。今回もそうなるんじゃないか?

 まさかとは思ったが、しかし念には念を入れよ、だ。……そう思った俺は、しかし遠い尾張にいるうえに、美濃攻めが多忙で動けないので、甲賀の和田さんに手紙を送ったのだ。和田さんなら、動いてくれる、と思ったのだ。


「独自に得た情報ですが、義輝公の弟君が奈良の一乗院におわします。三好の刺客はおそらく一乗院にも差し向けられるでしょう。和田さん、どうか守ってあげてくださいませ」


 俺が送った手紙は以上のようなものだった。


 はたして和田さんは、俺の手紙通り、動いてくれた。

 奈良の一条院にいた足利義秋を三好家の刺客から救い出し、やがて細川藤孝ら将軍家の家来と合流し――

 そしていま、流浪の旅の真っ最中、というわけだ。細川さんが言った『足利義昭を救ったのは山田弥五郎』という話は、そういうわけだ。




 ――そんな事情を、俺は半兵衛に話した。

 むろん、俺が未来人であることはたくみに隠して。


「むうう、なんという知恵者か。山田どの、貴殿はまったく大したものだな!」


「いやあ……」


 今孔明と呼ばれる半兵衛に褒められて、俺は照れた。

 すると隣にいた藤吉郎は「そうじゃろ、そうじゃろ」とまるで自分が賞賛されたように笑って、


「弥五郎の先読みは恐ろしいくらいなのじゃ。わしも最初、弥五郎が和田どのにふみを送ったと聞いたときはびっくりしたが、こうして結果が伴ったことを知ると、いやまったくさすがは山田弥五郎と思うわい。まったく弥五郎は未来から来た人間のようじゃな!」


「……未来……?」


 藤吉郎は何気なしに俺を褒めまくったのだが、半兵衛は未来というキーワードになにか引っかかるものがあったのか、ぴくりと片眉を上げる。……俺、そして伊与とカンナも眉を上げた。


「……あ、あーあーあー。そういえば、そろそろお腹も減ってきたねえ。夕餉ゆうげ(夕食)でも食べんかね!?」


 カンナが、良いタイミングで健全な提案をした。

 それで雰囲気が、変わった。夕食を摂ろうということになった。

 俺はカンナに、ありがとう、と目線で伝えた。彼女は微笑んだ。


「夕餉もよいが」


 と、そのときだった。

 和やかな空気が広がった室内に、ふいに声音が轟いた。


 声は、隣室から聞こえてくる。足利義秋の声だった。誰もがその場に平伏した。


「もう少し、話がしたい。……山田弥五郎。まずは大義である。和田伝右衛門から話は聞いておる。余を一乗院より救い出したるは和田伝右衛門じゃが、元はといえばそちが伝右衛門に指図をしたと聞いた。その智謀、見事である。褒めてつかわす」


「…………」


「山田弥五郎。忍びゆえ、構わぬ。口を利け」


「……はっ、ありがとうござりまする」


 義秋から言われて、俺は低い声で回答した。


「うむ。……ところで山田。余はいま、余のために力を貸してくれる大名を探し求めておる。しかし近江の六角、若狭の武田、越前の朝倉、いずれも頼りなし。……和田伝右衛門は、尾張の織田を頼れとよく申してくるが、しかし織田上総介は出来星大名。三好三人衆を蹴散らすほどの力はないと余は見ておるが、どうか」


「とんでもございませぬ」


 俺は、気持ち強めの声を出した。

 頭は、下げたまま。隣室にいるであろう足利義秋に向けてしゃべる。


「織田上総介さまは、本年8月に美濃の主城、稲葉山城を陥落させ、いまや日の出の勢い。なるほど昨年までの織田さまでは、三好三人衆と戦うのは困難だったと思われますが、しかしいまは違います。実の日ノ本一の大将ぶりでございます」


「ふむ、日ノ本一か。大きく出たものじゃが、上総介が強くなったのはよく分かった。しかし上総介は足利将軍家に尽くしてくれる男であろうか?」


「それも疑いございませぬ。織田さまは、左馬頭さま(足利義秋)のおん兄上、義輝公の知遇も得ており、またつい先日には今上の帝より使者まで参る身分でござる」


「なに、みかどから……!」


 義秋は、驚いたようだったが、事実である。

 1ヶ月前。すなわち1567年(永禄10年)11月。

 ときの帝である正親町天皇おおぎまちてんのうが、信長に使者を送ったのだ。


 使者は、立入宗継たてりむねつぐという男で、信長の美濃奪取をおおいに賞賛したうえで、


「帝は、織田どのを古今無双の名将として激賞しておられる」


 と告げ、


「今後も朝廷のために励み、美濃国と尾張国の内裏領復興のために励むように」


 とも伝えた。

 信長は平伏した。


 もとより織田家は、信長の父、信秀の代から皇室には好意的で、しばしば金銭や貢物を送っていた。

 皇室とつながりをもつことで、織田家の権威付けをしたかったのだろうが、信長もその父の方針を引き継いで、皇室にはよく貢物をしていた。1566年(永禄9年)の4月には、馬や太刀、さらに銭を献上しているほどなのだ。


 そういった日ごろの付け届けはもちろん、信長が美濃を攻め落としたことで、皇室はいよいよ、信長の存在を重要視しはじめたのである。織田信長の武名は上がる一方だった。


「帝からの覚えもめでたき、織田上総介でござる。きっと将軍家のために尽くしてくれること、間違いござらぬ」


「……ううむ!」


 そこで、ガラリと戸が開いた。

 義秋が、部屋に入ってきたのだ。俺たちは再び土下座した。


「山田弥五郎の言や良し。余が頼るべきは織田上総介である」


 義秋は、大きな声で言った。


「皆の者。余は美濃へ参る。織田上総介こそ、将軍家に夜明けをもたらしてくれる男じゃろう!」


「「「ははあっ!!」」」


 義秋の宣言に、細川さん、和田さん、そしてその仲間たちは改めて声を出し平伏した。俺たちもだ。

 しかし、10数年前、津島で酔っぱらっていた滝川一益、そこから繋がった和田さんとのパイプが、回りまわって将軍家と織田家を繋ぐことになろうとは。


 まったく不思議だ。

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