第10話 稲葉山城攻略戦(後編)

 稲葉山城に潜入する、いわば決死隊のメンバー。

 これには、五右衛門と堀尾茂助のほかにも、数名、選出しなければならない。ふたりだけではさすがにこの役目は果たせない。


 話し合いの結果、乱波らっぱ働きを得意とする蜂須賀小六以下数名の津島衆。

 さらに神砲衆からは甲賀の次郎兵衛が加わり、そして、その上、


「わしも行く」


 と、藤吉郎が叫んだ。

 これには、まず木下小一郎が反対した。


「織田家の足軽大将たる兄者に、万が一があったらどうする。ここは自分が行く」


「へえ。小一郎、アンタ、怖くないん?」


 カンナが、少しからかうように言った。小一郎はちょっと笑って、


「もちろん怖いですよ。だけど仮にも侍となった以上、こういうことも覚悟の上なので」


「……ふうん。アンタ、思ったより男やったんやねえ。見直したばい」


「カンナの言う通りじゃ。小一郎、汝がそう言ってくれるのは嬉しい。だが、ここはやはりわしが行く」


 この決死隊は、小六ら津島衆と、五右衛門ら神砲衆が集合した烏合の衆であり、誰かがまとめなければならない。

 そしてそのまとめ役は、両衆に顔が効く織田家の家臣の自分しかいない。だからわしが行く、藤吉郎は言うのである。


「それに、ここでひと働きすれば、上総介さまの覚えはますますめでたくなるゆえな」


 藤吉郎はにっこりと笑って言った。

 俺は無言で、彼を送り出した。稲葉山城を落とすのに、木下藤吉郎が搦手から城に忍び込んだという逸話を知っていたからだ。止めても無駄だし、それになによりも、藤吉郎たちの実力を信じていた。


 やがて藤吉郎たちは、堀尾茂助の先導で、稲葉山城の搦手へと向かっていった。

 その後ろ姿を見つめながら、あかりが心配そうにつぶやいた。


「こういうとき、滝川さまもいてくれたら心強いのに」


「いや、久助(滝川一益)は藤吉郎とウマが合わないからな。ここにあいつがいたら、集団がまとまらなくなる。あの顔触れで正解なのさ」


 それに滝川一益も、すでに信長にその実力を認められ、いまや足軽大将として300人の兵を率いている身分なのだ。

 こんな乱波らっぱ仕事を、もはや単独でやることはないだろう。イノシシ退治をしていたころとは違うのだ。


「俊明。私たちは、私たちのやるべきことをやろう」


 伊与が言った。

 俺はうなずき、伊与とカンナを引き連れて新兵器の準備にかかった。




 ――ここから先は、俺がのちのち藤吉郎や次郎兵衛に聞いた話だが。


 昼の間に道を進み、やがて夜になったころ、藤吉郎たちは稲葉山城の裏手の山を登り始めた。

 長良ノながらのみち、と呼ばれる、断崖絶壁の山を、闇の中、一心不乱に登るのである。


「なんちゅう崖じゃ。義経の鵯越ひよどりごえでもこうまではなかったろう」


 藤吉郎はそんなことを愚痴りながらも、しかしその声音はむやみに明るかった、という。

 崖を登りながら笑いまくる藤吉郎を見て、五右衛門は心配そうに言った。


「藤吉郎さん、あんた、恐怖のあまりおかしくなったんじゃないのかい」


「おかしいと言えば、最初からずっとおかしいのよ。尾張中村の百姓がふとしたことで織田家に仕え、そこからずっと命がけを続けておる。うふ、正気ではとてもやれんのう」


「なんだ、おかしいって自分で認めちまうのかい」


「五右衛門、そう言うなら汝もずいぶん妙な女よ。たまたま出くわした弥五郎の仲間になってから、もう何年じゃ。10年以上、いっしょにおって、さらにこんなお役目まで果たして。まともな女とは思えぬ」


「それもそうだ、あはは。でもまあ、仕方がないねえ」


 五右衛門は、けらけら笑った。


「ウチがウチでいられるのは、神砲衆の中にいるときだけだからね。世間のどこにいったって、あそこほど気軽には息ができねえさ」


「分かる気がしやすよ。言っちゃなんだが、甲賀じゃアニキのところほど息がつけねえ」


 次郎兵衛が言った。


「女でも、忍びでも、泥棒でも、金髪でも。みんなが仲良しこよしでいられるのは津島の神砲衆のところだけッスよ」


「違いないねえ。それもこれも弥五郎の器がでっけえからだが。なんだってあいつは、どんなやつでも衆の中に溶け込ませるんだか」


「アニキ自体もずいぶんおかしいッスからね。妙な鉄砲作ったり、やたらめったら物知りだったり」


「それも、違いねえ。誰よりも、弥五郎が一番妙だね!」


「――大した人望じゃ」


 藤吉郎は、汗を垂らしながら、しかし笑みは崩さず、つぶやいた。


「我が相棒ながら、やはりあやつは大した男よ。泥棒や忍びにここまで慕われるとはのう」


「その弥五郎と友達付き合いを10何年も続けている藤吉郎さんも、大した男だよ」


「藤吉郎のアニキ。……うちのアニキと、ずっと仲良くいてくださいよ」


「言うまでもない」


 藤吉郎は、笑った。


「わしとあやつは一蓮托生。なにがあろうとも共に王道を歩むつもりじゃ。……無論、ここにいる者たちもの」


 その言葉に、集団の士気はぐっと上がった。

 いま、自分たちは王道を歩んでいる。目に見えないなにかのために動いている。そんな気持ちになったのだ。


 と、そのときだった。

 ……ズルリ!


「うおっ!」


 藤吉郎は、岩肌をつかみ損ねた。

 その小さな体が、地べたに向かって落ちようとする。「猿!」「藤吉郎のアニキ!」と、小六と次郎兵衛が同時に叫び――


「よっ!」


 しかし藤吉郎を助けたのは、五右衛門だった。

 藤吉郎の二の腕を、彼女はがっちりとつかんだのだ。


「す、すまぬ、五右衛門。助かった!」


「へへ、貸しひとつだねえ、藤吉郎さん。そのうち飯でもおごってくれよ?」


「なんの、なんの。……そうさな、わしが城持ち大名にでもなったら、城だって汝にくれてやるわ!」


「ありがたいねえ。その日を楽しみにしているよ。……未来の大大名、木下藤吉郎さまよ!」


 藤吉郎と五右衛門は、ニヤニヤ笑い合った。


 やがて夜の間に、集団は崖をのぼり、そして夜明け、霧が山上に立ち込めるころ、城の搦手にまでたどりついた。

 稲葉山城の塀が、眼前に見える。五右衛門、次郎兵衛、堀尾茂助、蜂須賀小六以下津島衆、そして藤吉郎本人が、塀を乗り越えると、そこには誰もいなかった。あまりに険しい崖の上にある塀なので、誰も警戒していなかったのだろう。


「よし、そこかしこ埋火を仕掛けよ」


 藤吉郎が指示した。

 墨俣攻略戦のときに使った、時限爆弾的な仕掛けだ。

 時間が経過すると同時に火が噴きあがる仕組みになっているその武器を、藤吉郎たちは稲葉山城のあちこちに配置した。


「猿、こちらはよいぞ」


「同じく。五右衛門にぬかりはないぜ」


「次郎兵衛も、埋火を仕掛けたッス」


 そう言って、再び搦手に集合する決死隊。

 藤吉郎は、無言でうなずいた。さすがに緊張の色が顔に走っている。


「これで、うまくいくはずじゃ」


 あとは城内に潜んでいた。


 ――やがて時間が経過すると。




 ごう!


 ごうう!


 どおん!!




 城の各所で火がのぼり、さらに山田印の爆薬までがさく裂した。

 誰だ、誰だ、火事だ、火の不始末か、いや敵じゃ、と城内は混乱に陥っていく。


「よし、成功だ! ……猿!」


「おう、小六兄ィたちのおかげよ! さあ、弥五郎、うまくやってくれよ……!」


 藤吉郎は、物陰に潜んだまま、城の外にいる俺たちの動きをじっと待った。




「……煙のにおいがする」


 いち早く、城内の異変に気が付いたのは俺だった。

 伊与もカンナも、煙には気が付かない。しかし俺には分かった。

 これは火薬。それも俺が調合した火薬のにおい。風にのって、かすかに感じる……。


 岩の上に座っていた俺は、しかし即座に立ち上がり、決断した。


「藤吉郎たちがうまくやった! いまこそ稲葉山を攻める! カンナ、例の新兵器をいますぐ組み立てろ! 伊与、お前は上総介さまのところに向かって、報告を!」


「「合点!!」」


 ふたりの妻は同時にうなずいた。




 ガラリ、ガラリ……。

 よっつの巨大な車輪をつけた、木製四階建ての塔が、ゆっくりと織田の本陣から登場し、稲葉山城へ向かってゆく。


「お、おい、なんじゃ、あれは」


やぐら……? やぐらが、動いておるのか?」


「なにか、鉄砲のようなものがとりつけられておるが……?」


 斎藤家の兵たちは、ざわついた。

 俺たち神砲衆は、なお塔を前へと進めていく。

 塔の一番上、四階部分の前方には、かつて熱田の銭巫女を倒したときに使った射石砲――を、さらにひとまわり大きくさせた、黒光りする大砲が取り付けられている。


 ――攻城塔こうじょうとうと、いう。

 車輪を付けた移動型の塔を、城に隣接させることで、城門を無視して直接城に乗り込んで攻めることができるこの兵器は、古代から中世にかけてヨーロッパで流行した。


 しかしこの兵器は、日本では流行しなかった。

 理由はいろいろあるが、ひとつには、田畑や湿地帯、さらに河川が多く、なおかつ道路事情が劣悪な日本ではこの兵器の運用が難しかったからだろう。


 しかし俺は、この塔を分解して、複数の材料にして――そう、例えば塔の壁は複数の木を横並びにしてまとめた、イカダのようにしておき、それを戦場まで運ばせることで道路事情の悪さを無視した。その上、材料をばらしておくことで、敵にこの兵器の存在を悟らせないことにも成功した。

 

 そして、その各イカダを、組み立てるだけですぐに塔にできるようにしておいたのだ。

 各イカダには、かつて銃刀槍を作ったときのように、木製ソケットを取り付けておいたので、組み立ては容易だった。

 ばらしておいた攻城塔を、神砲衆は1時間も経てずに組み立てることができたのだ。


 攻城塔こうじょうとうは、ゆっくりと進む。

 その塔のてっぺんには、信長と、前田利家、そして俺が立っていた。


「よくもまあ、こんなもんを組み立て式にしやがったもんだ」


「で、あるな。……この動く櫓が突然出てくるだけでも、敵に与える心理的な影響は大きい。山田、ようした」


「はっ、ありがとうございます。しかし、この攻城塔の力はこれだけではありません。……国友村の鍛冶屋と共に作り上げた大砲の威力、とくとご覧あれ!」


 俺は、塔のてっぺんにとりつけた大砲の、射撃準備を始めたのだ。

 攻城塔こうじょうとうに大砲をとりつけたものは、いまから15年前の1552年にはロシアですでに登場しているが、この時代の日本には存在しない。――それだけに、


「効果は抜群! ……いけええええっ!!」


 どおおおおおおおおん!


 大砲が、砲弾を発射した。

 鉄の砲弾を、勢いよく天に向かってぶっぱなしたのだ。

 射石砲よりもさらにパワーアップさせた、鉄の弾丸で、稲葉山城を攻撃するのだ!




 しゅ、っ、があああぁん……!


「うおおっ!?」


「な、なんだこりゃあ!」


「て、鉄の塊が、降ってきたぁ!?」


 稲葉山城は、ますます大混乱におちいった。

 ただでさえ火事で混乱していたところに、空から鉄の弾丸が降ってきたのだ。

 数名の兵が、弾丸に直撃して死んだ。他の兵は完全にパニックになった。天高い山城である稲葉山城だ。まさか上から砲弾が、まるで雷のように降ってくるとは、誰も思っていなかったのだ。――斎藤家の侍大将たちですら!


「も、もうだめだ。あんな化け物みたいな武器が出てきたんじゃ、もうだめだ!」


「ありゃきっと、神砲衆の山田弥五郎の武器だぞ。あいつはいつだってとんでもない武器を作ってくる!」


「ダメだ。もう逃げよう! 斎藤家は今日こそおしまいだ!!」


 稲葉山城から、兵が次々と脱走する。

 その光景を見ていた藤吉郎は、ニヤリと笑い、


「ようし、弥五郎、でかしたぞ。五右衛門、例の合図を!」


「合点!」


 五右衛門は、逃げ惑う兵たちをかき分けて、稲葉山城の城門に取り付く。

 そしてかんぬきを外して、城門を外からでも開けられるようにしたうえで、竹でできた竿さおを立てた。

 竿の先端には、ヒョウタンが取り付けられている。――それが合図だった。




「兄者の合図だ!」


 稲葉山城を包囲している織田軍。

 その中にいた小一郎が叫んだ。その声を受けて、伊与が吼える。


「いまこそ勝機。神砲衆、突っ込むぞ! 稲葉山城を落とす!!」


 伊与が率いる神砲衆が、真っ先に城へと向かっていく。

 続いて、木下小一郎が率いる木下衆の足軽たちが突っ込んでいった。

 城からの抵抗はなかった。混乱しているのだ。俺は攻城塔こうじょうとうの上で大砲を操作し、的確に城の中へ鉄砲弾をブチこんでいく。そのとき、わあっと声が上がった。柴田勝家、丹羽長秀、佐々成政、滝川一益といった織田家の面々が家来と共に城へと殴りこんでいくのだ。


「勝ったな」


 攻城塔こうじょうとうの頂点に立っている信長は、低い声で言った。

 俺と前田利家は、無言のうちに視線を交わし、目をお互いに細め合ったものである。




 稲葉山は、こうして落ちた。

 1567年(永禄10年)8月15日のことである。


 美濃国は、信長のものとなった。

 信長にとって、美濃を手に入れるのは、父・織田信秀依頼の宿願であった。

 また義父・斎藤道三の築き上げた稲葉山城を手に入れるのは、よほどこみ上げるものがあったのか、稲葉山城に入城したときの信長は、無言のまま、しかし珍しく、少年のように両頬を紅潮させていた。


 城主の斎藤龍興は船を用いて、伊勢方面へと逃亡した。

 彼は今後も信長への抵抗を続けるが、歴史の表舞台に再び登場することはなく数年後に死ぬ。

 斎藤道三以来、3代続いた美濃の大名、斎藤家はこうして滅び、織田信長は躍進した。稲葉山周辺は、これまで井ノ口という名前だったが、岐阜ぎふと改名したのはこのときのことだ。


 桶狭間の戦いから7年。

 さらに言えば、父信秀の死から16年。

 かつてうつけと呼ばれた男は、父でさえなしえなかった濃尾平野制圧を果たしたのだ。




「……見事だ」


 稲葉山陥落の光景を見ながら、竹中半兵衛はつぶやいた。


「尾張のうつけ。……なにがうつけなものか。大した手腕と度量だな。だがそれ以上に、あの木下藤吉郎と山田弥五郎。あのふたりの息の合いようも素晴らしい。しかし山田弥五郎……。あの男の作った城攻め櫓は……。彼はいったい何者なのだ……?」


 半兵衛の目が、きらりと光る。

 油断の色など、まったくない瞳であった。

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