第9話 稲葉山城攻略戦(前編)
1567年(永禄10年)8月1日、小牧山城の織田信長は吼えた。
「ときは来た。今日こそ稲葉山を落とす」
信長は、尾張中からかき集めた10000の軍勢を率いて、稲葉山城に向けて進軍。そのまま城下町に火をかけて、城を丸裸にしてしまった。そしてそのまま、城をぐるりと取り囲んだのである。
なるほど、確かにときは来ていた。
斎藤家の重臣、稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就という、『美濃三人衆』と呼ばれている重臣たちは、すでに織田家に寝返っていた。この工作には、浅井家の竹中半兵衛が裏で動いていた。織田・浅井同盟に基づいて、彼は暗躍していたのだ。
その竹中半兵衛。
浅井家から『援軍』という形で織田軍の中に加わっている。
「援軍というには、あまりにも少ない数でござるが」
と、竹中半兵衛はにやにや笑いながら言った。
なるほど、竹中半兵衛が率いている兵は近習わずか数人ばかりで、軍とはとても呼べない数だ。
「なに、拙者や浅井家が手を貸すまでもない。この程度の城、上総介さまが容易に落としてしまうでしょう」
竹中半兵衛は、くすくす笑った。
「なにせ拙者は10数人で落とした城でござる。10000の兵を率いる織田様なれば、落とせないほうが嘘でござる」
実にイヤミっぽい。
上から目線でもある。
こういうところが、なるほど、竹中半兵衛は知恵者だが、人の上には立てない人間だと思わされる。
その半兵衛の声を、聞いたわけではなかろうが、信長は実によく動いた。
稲葉山城に押し寄せたのが8月1日だが、その翌日の2日には、城の四方に兵を集めて柵を作り、完全に囲んでしまったのである。この早さには、この日、本陣にやってきた『美濃三人衆』も肝をつぶし、
「なるほど、桶狭間で今川義元を破っただけはある」
と、それぞれ大きくうなずきあったものだった。
――しかし。
「この城、やはり容易には落ちぬ」
2日の夜、織田家の本陣に、主要メンバーだけを集めた秘密軍議において、信長は低い声で言った。
柴田勝家、佐久間信盛、丹羽長秀、滝川一益、佐々成政、前田利家といった顔触れは、小さく首肯する。
むろんこの場には、俺と藤吉郎もいた。
「山田」
信長は、俺を見た。
「例の新兵器は、確かに完成しているか」
「はっ。できております」
ことしの初めから、国友村の鍛冶屋たちの力を借りて作り上げていた武器は数日前に完成している。
ゆえに信長は『ときは来た』と叫んだのだ。
「あの兵器があれば、稲葉山城も即日で陥落しましょう」
俺は自信を込めて言ったのだが、信長はじっと黙っている。
なにか不満でもあるのだろうか? そう思って怪訝顔を作る俺だったが、そのとき、
「失礼いたす」
そう言って、本陣の中に入ってきた男がいる。
それは丹羽兵蔵さんだった。かつて京の都で、いっしょにひと暴れした人物だ。あれ以来、俺と顔を合わせることは少なくなっていたが元気そうでなによりだ。
「稲葉山の物見、してまいりました」
丹羽さんは、信長の命令で敵城を視察してきたらしい。
「斎藤家の兵の数は、およそ5000。その士気はなお旺盛。城の各拠点に兵をすきまなく配置しておりまする。城門は固く閉ざされており、力攻めで落とすのは容易ではないと思われまする」
「で、あるか。――兵蔵、ようした。下がってよい」
「はっ」
丹羽さんは、すぐにその場を去った。
「……と、いうわけじゃ。古来、士気旺盛の城ほど落ちにくいものはない。まして稲葉山は我が舅、斎藤道三の手がけた名城である。山田の新兵器を用いても一昼夜では陥落すまい」
「…………」
俺は黙した。
信長の言う通り、稲葉山城を落とすのは俺の新兵器だけでは難しいかもしれない。
あともうひとつ、策が必要なのだろう。あとひとつでいい。策略が……。
「……城内に忍び込むのは、いかがじゃろうな?」
そのとき、藤吉郎が言った。
「城内に? ……稲葉山にか?」
柴田勝家が言うと、藤吉郎は大きくうなずいた。
「稲葉山城内に潜入し、火を放って敵を混乱させ、さらにその混乱に乗じて城門を開け放ちまする。そうして城の防御が弱まったところへ、弥五郎の新兵器を使えば、要害稲葉山といえど陥落は必至。……
「馬鹿なことを。侵入すると気軽に申すが、あの堅牢で知られた稲葉山城にどうやって侵入するのじゃ」
佐久間信盛が、藤吉郎の意見にダメ出しをする。
すると藤吉郎は、ニヤリと笑い、俺のほうに目を向けた。……なんだ?
「汝の家来には、侵入することにかけては達人がおるではないか」
「達人? ……あ」
「そう、あの者じゃ」
「稲葉山城に潜入!? ウチがかい!?」
神砲衆の本陣である。
柵を構え、その上に幕を張ることで簡易的なテントのようになっているその場所で、すっとんきょうな声をあげたのは、石川五右衛門だった。
泥棒の娘にして、彼女自身も抜群の盗人である五右衛門。
彼女ならば、稲葉山に潜入することができる。藤吉郎はそう言ったのだ。
「いや~、しかし……あの稲葉山城だろ? 忍び込めるかなあ……。いくらウチでもさあ……」
「頼む、五右衛門。織田家のため弥五郎のためわしのため、ひとつ働いてくれ。汝の腕だけが頼りなんじゃ!」
「って言われてもなあ。ウチだって死にたくねえし……」
五右衛門はガリガリと、短い髪をかきむしった。
そんな彼女を見守る、俺と藤吉郎。それに伊与、カンナ、次郎兵衛といった面々。
かと思うと、ちらり。――五右衛門は、本陣の片隅で腕組みしている竹中半兵衛に視線を送り、
「なあ、半兵衛さん。アンタ、一度稲葉山城を落としたんだろ? こんな乱暴な策じゃなくて、もっとなにか、別の上策を提案してくれよ」
「策ならばござるが」
竹中半兵衛はにやにや笑って、
「それでよろしいのか? なるほど拙者が知恵を貸せば稲葉山のごとき小城は一刻で落ちるが。……ふふん、音に聞こえた織田家の軍団や神砲衆もその程度なのですかな? 拙者の力がなければ稲葉山は落とせないと? ふふ、ふふふふ……」
「頭に来る野郎だな、おい! ケンカ売ってんのかい!?」
「よせ、五右衛門。相手は他家の方だぞ」
伊与が五右衛門を制止する。
五右衛門は鼻息を荒くしながらも、とりあえず落ち着いた。
「他家の人間がなんで
「神砲衆は
「めしのうまいまずいで泊まり場を決められちゃたまらないよ、まったく」
五右衛門は、なおブツブツ言っていたが、やがて、
「……分かったよ。稲葉山に潜入してみるさ」
「おおっ、汝、やってくれるか!」
「やらざるをえんだろ、この状況じゃ。……忍び込んで火を放ち、城門を開ける? 無理難題を言いやがって……」
「その無理が通れば、稲葉山は落ちる! いや、ありがとう、五右衛門! 汝は日本一の大泥棒じゃ! 義賊さまじゃ!」
「褒めるのは全部終わってからにしてくれよな。……しかしどうやって忍び込むかなあ。あの稲葉山になあ……」
五右衛門がぶすくれた顔で、しかし頭を回転させはじめたときだった。
「おおい、猿ゥ。おるかあ」
でかい声が聞こえた。
全員が、そちらに顔を向ける。
すると本陣の中に入ってきたのは、蜂須賀小六と、木下小一郎。……それにもうひとり、目の細い青年だった。
「なんじゃ、小六兄ィに小一郎。それと……誰じゃ、そっちは?」
藤吉郎が、青年に視線を送る。
青年は、温和そうな目で、しかし予想したよりは低い声で告げた。
「自分は、
「堀尾、茂助ぇ……?」
「へっへっへ、猿よ。聞いたぞ、稲葉山に潜入する策を立てたってな。……その策には、この茂助がきっと役に立つぞ」
小六は、にやにや笑いながら言った。
「こいつ、父親は岩倉織田氏に仕えていた侍だったんだが、いまは浪人の身だ。美濃や尾張で猟師をしながら生計を立てていたらしいんだが、先日、オラの家来になりたいってやってきた。なかなか見どころがありそうだったんで、しばらく台所飯を食わせていたんだが。――おい茂助、あとは自分でしゃべれや」
「はい。……自分は、この稲葉山のあたりでもさんざん猟をしておりましたので、稲葉山城の
ほう。――という空気が本陣全体に広まった。
俺も、目を見張った。堀尾茂助。諱は
「さっすが小六さん!(バン!) よか男を連れてくるやない!」
「ごっほ! お、おい
「なんば言いよっとね。昔、津島でアンタに絡まれたときのほうが、絶対ずっとびっくりしたけん!」
「また古い話を持ち出しやがって。……若気の至りだ。悪かったって思ってるよ、あんとき絡んだことはよ!」
小六の、そのコワモテからは想像もできないような情けない声音が発せられ、本陣では笑いが広がる。
とはいえ、これで絵は描けたようだ。……堀尾茂助の先導で、五右衛門が稲葉山城に忍び込み、城を混乱させる。そして俺の新兵器を使って城を攻撃する! 決まりだ!
「みなさん、ごはんができましたよー」
そのとき、あかりが登場した。手には大きな鍋を持っている。
おお、と誰もが声を上げる。――この夜は、戦場だというのに楽しい夜となった。神砲衆からは俺、伊与、カンナ、五右衛門、あかり、次郎兵衛。さらに藤吉郎、小一郎、小六、竹中半兵衛、堀尾茂助といった面々が共に鍋をつついた。腹が減ってはいくさができぬ。明日からの作戦に向けて、俺たちはおおいに飯を食らったものである。
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