第8話 お市の方、嫁ぐ
1566年(永禄9年)の8月29日、美濃国の河野島で信長と斎藤龍興の間でいくさが起こった。
いわゆる
そうこうしているうちに、信長はさっさと小牧山に撤退。
斎藤軍も退却し、この戦いは死傷者も出ず、いわば引き分けの戦いとなった。
この結果には、俺こと山田弥五郎の進言が多少、影響している。
「織田と浅井の接近を、斎藤側に気取られてはなりません。殿様みずからご出陣し、斎藤の目を引き付けていただきたい」
「木曽川は近いうちに必ず洪水を起こすので、本格的な争いにはならずに終わります。死人が出ないうちにさっさと引き上げるがよろしいと存じます」
信長は俺の進言を採り入れ、うまく斎藤軍の目を河野島に引き付けてくれた。
その間、俺はなにをしていたか。
北近江の国友村にいたのである。
藤吉郎、伊与、カンナ、五右衛門、それに数名の護衛を引き連れて、
「山田殿。よう、ここまで参られた」
竹中半兵衛と会っていたのである。
初秋とはいえ、暑さは厳しい。だというのに彼は汗ひとつかかず、涼しげな顔である。
「あなたが、木下藤吉郎どのですか。おうわさはかねがねうかがっております。――うふっ、木綿のようにいかなるときでも役に立つ、『木綿藤吉』としてその名は諸国に鳴り響いておりますな」
「やあ、竹中殿。木綿藤吉のあだ名は知っておるが、できれば『金銀藤吉』とでも呼ばれたいものじゃった! 金銀のほうがいついかなるときでも、それこそ唐天竺や南蛮に参ったところでも、きっと役に立ちおろうが。――のう!?」
藤吉郎と竹中半兵衛は、初対面からずいぶんなれなれしく――
しかしさわやかな秋風が吹き抜けるような空気でやりとりを交わす。
物語の中において、竹中半兵衛は豊臣秀吉の軍師として知られる。
それは誤りで、竹中半兵衛は秀吉の軍師ではない。のちに信長の家来となった竹中半兵衛は、出向という形で秀吉の部下になったに過ぎない。――しかし半兵衛が智謀にあふれる人物なことは間違いなく、秀吉の大事な部下だったことも史実である。その史実通りというべきか、藤吉郎と竹中半兵衛はずいぶんウマが合うようだった。
さて、俺たちがこの村にきたのは。――
稲葉山城を攻め落とすための新兵器を作るため、そのヒントがないか、やってきたのである。
国友は鍛冶の盛んな土地だ。ここに来れば、なにか面白いものが得られるのではないかと思ったが、
「さて、神砲衆の山田殿が見て面白いものがあるかどうか」
竹中半兵衛は、首をひねった。
「なるほど、この村には腕のいい鍛冶はいる。しかし山田殿が作ったような連装銃やリボルバーのような、思わずひざを打つような新しい武器はござらぬよ」
「まあ、まあ、半兵衛。……この弥五郎はわしらとは違う目をしている男。その弥五郎が村中を見学いたせば、新しい発見があるやもしれぬ。ここはひとつ村中を見せて回ってくれい」
いつの間にか藤吉郎は、竹中半兵衛を呼び捨てにしていた。
竹中半兵衛のほうが年下とはいえ、初対面でなんとなれなれしい。……とはいえ竹中半兵衛も、別に嫌そうな顔も見せず、にやにや笑っている。
「木下藤吉郎殿。あれは面白いお方ですな」
村を見て回っているとき、竹中半兵衛は、俺に向けてヒソヒソ声で言った。
「いかにもお調子者のあわてんぼうに見えて、発言や行動のひとつひとつにスキがない、実に抜け目なきお方。おつむの出来も実にやわらかい。――先ほど少し話したのですが、この国友の土地は鍛冶だけにあらず、琵琶湖の水運をもっと活かして交易をすればなお儲かる、と木下殿は言うのです」
「――ほう」
「木下殿はこうも申された。――わしが浅井の殿様ならば、小谷ではなくこの国友一帯に城を構える、と。このあたりのほうが交易にもまつりごとにも、いくさをするにも心地が良い。だいたい山城はもう古い。我が友、山田弥五郎がこのあたりに広めた連装銃や銃刀槍などの新兵器によって山城の防御力はもはや過去のものとなり果てた。新時代の城を築かねばならぬ、と」
「…………」
「その戦略眼は見事です。とても足軽大将の意見とは思われぬ。一国一城のあるじさえ務まるお方でしょうな」
竹中半兵衛に向けた藤吉郎のセリフ。
これはのちに実現する。この国友村の一帯はのちに、藤吉郎が支配し、長浜城と名付けた城まで築くのだから……。
その日の夜は、村はずれにある寺に泊まった。
「弥五郎、この村でなんか面白い発見はあったね?」
俺の隣で、身体を横たえているカンナが問うてくる。
藤吉郎、それに伊与と五右衛門は別室で眠っている。
この部屋には俺と彼女だけだ。
「強烈な発見はないな。腕のいい鍛冶屋はいたが、どれも普通の槍や刀、火縄銃ばかり作っている」
「そら残念。せっかく北近江まで来たっちゃけん、なんか面白いものが見つかったらよかったっちゃけどねえ」
「カンナのほうは、なにか面白いことがあったか?」
俺と藤吉郎、そして竹中半兵衛が村を回っている間、カンナには、伊与と五右衛門を護衛につけて北近江を回らせた。
将来、交易をするために必要な相場調査や物産調査をさせたのだ。
「いまのところは、こっちも特に……。ただ思うた通り、若狭や越前との交流が盛んな土地やけん、この北近江を拠点に日本海側の町と濃尾平野の町の相場を調べて交易を繰り返せば、いつものように儲けることはできるち思う」
「そうか。だったらそっちは任せる。藤吉郎の墨俣策を手伝ってから、ふところが寂しいからな。交易をして儲けないとな」
「承知。あと越前と若狭のほうも調べておきたいねえ」
カンナは、白い歯を見せて笑った。
もう二十代後半になる彼女だが、少女のようなはにかみ顔は相変わらず無邪気で可愛い。
というか彼女は顔付きも、豊満すぎる肉体のラインも、流れるような金髪の輝きも、二十歳のときからほとんど変化が見られない。これほどずっと若々しいのはすごいと思う。……これは伊与もそうだけどな。あっちは出産までしているのに。
とにか交易についてはカンナに一任すれば問題はないだろう。
問題は新兵器だ。稲葉山城を攻略するほどの武器。斎藤軍が所持している銃刀槍さえこっぱみじんに粉砕できる、新しい道具。なにかないか。そう、例えば昔の連装銃のような……。
「ひとつの鉄砲で3発の弾を発射できる連装銃。……あの要領で、……あの武器を使えば、あるいは……」
俺の中で、カチャカチャと。
パズルが出来上がっていくような感覚が走る。
それは大規模な兵器。これまでのいくさを一変させるほどの。
しかしそれだけに――
「人間が足りない」
と、俺は断じた。
「新兵器の案はできた。だが作る人間が不足だ。俺だけではさすがに……津島の鍛冶屋の力を借りても……」
「弥五郎。なんか考えよるようやけど、作る人間やったらこの国友村の鍛冶屋さんに手伝ってもろうたらいかんと?」
「この村の鍛冶屋に? しかし、それは……」
浅井領の国友村の鍛冶屋を借りるのは、さすがに難しいだろう。
いかに織田と浅井が友好ムードとはいえ、それはいくらなんでも。
「いちおう、上総介さまに相談してみたらいいやない。なんでもアンタひとりで却下せんでから。案を思いつくのがアンタの仕事なら、それを実現するために政治を動かすのが上総介さまの仕事やろうもん」
「……それもそうか」
カンナの一言がありがたかった。
彼女の言う通りだ。アイデアが思いつき、しかしそれが政治的事情で実現できないなら――できるように、信長に働いてもらうべきなのだ。それが、上に立つ者の役目なのだから。
「ありがとう、カンナ。俺、上総介さまに話してみるよ!」
「……えへ。えへへへ」
カンナは、いきなりニコニコ笑い出した。
「な、なんだよ、いきなり」
「やっと弥五郎が笑ってくれた。せっかく今夜はあたしの番やったとに、ずっと仕事の話ばかりして、つまらんかった」
「……ああ、それで」
「もう仕事の話はおしまいでよかろ? ……ぎゅーっち、してくれる?」
上目遣いに、彼女がこちらを見つめてくる。
ふいに、初めて出会ったときの彼女を思い出した。
尾張の路上で、ならず者たちに襲われていた金髪の少女が、いまは俺の腕の中。その事実に、なにか抑えがたい感情が俺の中に湧き出してきて、俺はカンナを、両腕でぎゅっと抱きしめた。あたたかな感触と、ほんのりとした女性の香りが俺の鼻腔をくすぐった。
もはや言葉はいらず、自然のことが行われた。
それから尾張に戻ったあと、俺は信長に拝謁し、国友村での一件を話した。
かの村の鍛冶技術は一流であり、鍛冶屋たちを浅井家から借り受けることができれば、稲葉山城を落とすだけの武器が作れる、と俺は言った。すると信長はうなずき、
「で、あるか。ならばその工夫、してみせよう」
「はっ。……できますか、浅井領・国友村の鍛冶屋を借り受けること」
「造作もない。朗報を待て」
信長はクールな表情のまま、そう言った。
やがて、1か月が経ち、2か月が経ち、3か月が経った。
季節は冬になり、その間、俺たち神砲衆は、竹中半兵衛の協力もあって北近江や越前との交易を繰り返し利潤を得始めていたわけだが、そんなある日、信長が家中の主だった人間を清州城に集めた。
小牧山ではなく、清州である。
そのことに意味があるのかどうか、首をわずかにかしげながら、俺と藤吉郎は登城したのだが、
「ア。――」
「……これは」
藤吉郎は目を剥き、俺も不意をつかれて驚いた。
なぜなら、織田家家臣が結集した評定の間。その上座に座る信長の隣には、凄まじい美女がいたからである。
すっとした目鼻立ちに、艶めいた黒髪。年齢は二十歳前後だろうか。
高い上背に、しかし全身から発される空気はちっとも威圧的でなく、春の桜花のように穏やかだ。
気品がこの上なく漂っている彼女のことを、俺は知らない。見たこともない女性だったが、しかしその顔立ちは確かに似ていた。
そう、織田信長に似ている美女だった。
「我が妹、市である」
上座の信長は、高めの声で言った。
「市はこのたび、浅井家の新九郎長政殿に嫁ぐことになった。来年には祝儀を行う予定じゃ」
「…………」
お市の方は、無言である。
ただ、ほんのりと両頬が染まっているように見えた。
「よその国へと嫁ぐ前に、皆の者には市の顔を見せたかった。ゆえに、我が身内が勢ぞろいしている清州に集まってもらったのじゃ。……これで余と新九郎は義兄弟。織田と浅井、両家の絆はますます深まる。余は浅井のために協力を惜しまぬし、浅井もまた、余のために協力を惜しまぬであろう」
信長はちらりと、俺の顔を見た。
そして、確かに目を細めた。国友村の鍛冶屋の一件、これにて解決、とばかりに。
――よいのですか?
俺は、視線で問い返した。
新兵器のためとはいえ、それで妹を大名に嫁がせるなど、話が大きすぎる。
――大事の前の小事じゃ。稲葉山を落とすのは織田家にとって父の代からの悲願。……織田家のためならば市も喜んで嫁にゆこう。
信長も、視線で答えを返してきた。
その回答に、この上ない戦国大名らしさを感じる、俺。
その上で俺は、自分の献言のせいでお市の方の運命を決めてしまったことにどうしようもない後ろめたさを感じていた。……だって、なぜなら、お市の方は、今後……。
「来年には必ず稲葉山を落とす。者ども、左様心得よ」
信長の甲高い一声に、俺を含め家来衆は全員平伏した。
土下座しながら、俺は思った。……俺の動きでこうなった以上、お市の方を不幸にはしない。絶対にだ。そうしなければいけないのだ。絶対に。
お市の方。
信長の妹にして浅井長政の妻。
しかしのちに浅井長政は信長を裏切り、この兄と妹は引き裂かれる。
さらにその後、お市の方は柴田勝家に嫁ぐが、その勝家も豊臣秀吉と争うことになり、これに敗れ、お市の方は死亡する。
このお市の方の娘こそ、豊臣秀吉の側室となる淀殿である。
----------------------------------
「戦国」2巻について、いまイラストレーターのKASENさんといろいろ打ち合わせをしている段階です。4月中にはおそらく動きをお知らせできますので今しばらくお待ちください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます