第6話 一夜城伝説、完成!

 年が明けた。

 1566年(永禄9年)の初頭である。

 柴田勝家と佐久間信盛は、織田信長の命令にて、それぞれ1000ずつの兵を率いて墨俣に向かっていた。


「権六よ。あの猿面冠者さるめんかんじゃの策は、まことに的中すると思うか」


 佐久間信盛は、ゆらりゆらり。

 馬上で、具足に包んだ身を揺らしながら、同僚に尋ねる。


「さてな。わしはどうも、ああいう小細工ごとを考えるのは得意ではない。よく分からん」


「分からん、では困るが。……どうにも俺には小賢しい猿知恵にしか思えんがな」


「いずれにせよ、殿のご命令ならば従うのみ」


「変われば変わるものよ。勘十郎さま第一、上総介さまお命頂戴だった権六が、よくここまで忠義者になったわ」


「昔の話はよせ、半羽介(佐久間信盛)。……それよりも我らのお役目、ちゃんと理解しておろうな」


「なめるな。それくらいは分かっておる」


 佐久間信盛は、うなずいた。


「墨俣で、せいぜい派手に暴れてみせよう。……斎藤の目をこちらに引き付けるためになあ」




「よーし、準備は万端じゃな。手抜かるなよ、お前たち!」


「「「「「おおっす!!」」」」」


 木曽川の上流である。

 坪内利定が、家来たちに向けて叫ぶ。

 彼らは、いま、俺たちの目の前で――イカダを組んでいた。


 その様子を、少し離れたところから見ているのは、俺と藤吉郎だ。


「イカダを使うことは考えていたが」


 と、俺は言った。


「まさかこんな策を用いるとは思わなかったよ。……大胆不敵というかなんというか」


「まあ、まあ。そう言うな、弥五郎。汝だって今回の策には賛成じゃったろうが」


「そりゃそうだがな。……ふう」


 ため息をついて、イカダの上を眺める。

 イカダの上には、荷物が載せられ、さらにその上には大きな布がかけられている。ゆえに、荷物の中身は見えない。

 そんなイカダの横では、一組の男女がやいのやいのと騒いでいた。


「ああっ、もう、こんなにたくさん宝ば用意することになってから。神砲衆うちはえらい出血やないね!」


「……すみません、カンナさん。兄が出世したあかつきには必ず倍返しをいたしますので……」


「ああ、そうしてくれんとさすがに困るばい。火薬だけでも準備するのはえろう手間やのに、刀やら具足やら金銀財宝まで用意させられてから! んもう、好かーん!」


「……すみません、どうも、はい……」


「アンタもアンタよ! すまんすまんって謝ってばっかおられても困るとよ!? 昔の弥五郎ば見よるごたる、ほんなこと!」


「昔の山田さん、ですか……」


「やけん、いちいち反応せんでよかとっ!」


 やたらカリカリしている博多弁の金髪女は、言うまでもなくカンナだ。

 今回の作戦に、ずいぶん金がかかったことについて腹を立てている。

 その横で、ぺこぺこしている気弱そうな男性は、


「小一郎め。思い切りカンナの尻に敷かれておるわ」


 と、藤吉郎が少し呆れたように笑った――

 そう、彼の名は木下小一郎。藤吉郎の実の弟だ。

 もともと尾張中村で百姓をしていた彼は、しかし藤吉郎が結婚したころから清州城にやってきて、藤吉郎の家来となっている。


 といっても、特に武勇に優れているとか智恵が働くとかそういうところは見えない。

 とにかく生真面目で穏やかな男だった。……そんな、侍としての長所がまだ見えない小一郎を見かねて、藤吉郎は、


 ――弥五郎。うちの小一郎を神砲衆で少し鍛えてくれんか。例えば金勘定のやり方など教えてくれたら助かる。勘定ができる人材は貴重じゃからの。


 と、そう言って、小一郎を去年から俺のところに預けている。

 金勘定ができる人材なら俺が欲しいくらいだが……。


 まあとにかく、そういうわけで預かった木下小一郎。

 いまはカンナの側に置いて、金勘定のイロハを教えてもらっている。


「やけん、そこの勘定のやり方は何度も教えたやないね! 大福帳を貸してみ! ここをこうこうこうして、……ほら計算が合うたろうが」


「あ、本当だ。すみません、カンナさん」


「やけんそういうときは『ありがとう』やろうもん! なしていつもいつも謝るとね! 昔の弥五郎やないっちゃけん! もう、好かーん!」


「…………」


 カンナの甲高い博多弁を聞きながら、俺は腕組みしていたのだが。

 やがて、藤吉郎に視線を向けた。


「俺って、そんなにいつも謝ってたかな?」


 藤吉郎は「さあの」と言いながら、くっくっと笑っていた。




 ――木下小一郎。

 のちの大和大納言豊臣秀長。

 豊臣政権の重鎮となる人物である。




 ――さて。

 ここから先は、俺こと山田弥五郎がのちに聞いた話だが。

 柴田勝家と佐久間信盛は、某日、墨俣に着陣し、トリデを築き始めた。対外的には「伊勢を攻める」と叫んでいたが、それが嘘であることは一目瞭然だった。織田家が墨俣を手に入れようとしている! 斎藤家はただちにそれに気付き、10000の兵を率いて墨俣へ向かったのだ。


 とにかく斎藤家の軍団は、墨俣に向かい、柴田・佐久間両軍と交戦した。

 戦いは、斎藤家の有利に進んだ。墨俣の地理に明るい斎藤家の兵は、織田の兵を次々と敗走させていく。

 いくさは、3時間ほどで決着がついた。――柴田勝家の隊がまず崩れ、さらに佐久間信盛の隊も退き始めたからだ。


「織田方め、今日は特にだらしがない。しっぽを巻いて逃げおったわ!」


 斎藤家の兵たちは、大笑いしたそうだが。

 しかし笑っているのは、柴田勝家と佐久間信盛もそうだった。


「半羽介(佐久間信盛)、よくやった。兵に損害も出さず、しかし絶妙によく戦って、うまく逃げられた」


「そうじゃろうが、権六。わしはこういうのは得意じゃ。伊達に『退き佐久間』と呼ばれとらんわ」


 佐久間信盛は、ニヤッと笑った。

 彼は退却戦については家中の誰よりも得意なのだ。

 そう、このいくさ、最初から柴田・佐久間両隊は適当に戦って逃げる役割。――すなわちオトリだったのだ。


 彼らが、あまりにも見事に逃げてしまったものだから、斎藤家の兵たちは悔しがった。


「勝ち戦ならば、ふつうは分捕るものもあろうに、これでは得るものがなにもない」


「織田方もあっさり逃げおって。雑兵首さえ獲れなんだわ」


「これではいくさに出てきた甲斐がない」


 と、斎藤家の兵たちは口々に、ある意味、贅沢な不満を述べていた。

 そのときだった。


「……ん?」


「なんじゃ、あれは」


「……イカダ……?」


 どんぶらこっこ。

 どんぶらこっこ。


 ……木曽川の上流から、イカダがいくつも流れてきたのだ。

 それも、大きな布をかぶった。


「伏兵か?」


 斎藤家の兵たちは当然、怪しんだ。

 しかし人の気配はまるでない。ただ、なにかが載ったイカダだけが流れてくる。

 兵士のひとりが、浅瀬に足を踏み入れて、そしてイカダに乗り込み、布を外した。――すると、


「おおおおおおっ!!」


 彼の絶叫は全軍に轟いた。

 すなわち、布の下には、刀や槍が眠っていたのである!


 彼のおたけびに従うように、他の兵たちも、次々に流れてくるイカダに群がった。すると、出るわ出るわ。布の下には、武器や具足、米に麦、さらには少量ではあるが、永楽銭や金銀財宝が確かに積まれていたのである。なんだこれは、なんだこれはと斎藤家の兵たちはいぶかしみつつも狂喜乱舞した。せっかくいくさにやってきたのに、ひと稼ぎもできず、意気消沈していたところにこれだ。天の恵みだ。金銀財宝が流れてきた!


「待て、者ども。これはなにかの罠じゃ」


 斎藤家の侍大将は、さすがに怪しんだ。

 しかし雑兵たちは止まらない。目の前にお宝があるのだから群がるのは当然だ。


 よこせ。

 よこせ、よこせ。

 これはオイラのものだ、いやオレのだ、いいや俺がもらう――

 斎藤家の兵たちは、ほとんど餓鬼と化していた。眼前にある道具を手に入れようと誰もが手を伸ばし、そして何十、いや何百と流れてきたイカダに群がる。




 そのときだった。




 どん!!




「おおっ!?」

「うわっ!?」

「ぎゃああっ!」

「あぐあっ!!」




 イカダに載せられていた荷物が、火を噴き、爆散した。

 群がっていた斎藤家の兵たちは、痛手を受け、なおかつ悲鳴をあげて仰天した。当然である。――刀が、金銀が、永楽銭が、爆発した!? なにゆえに!?


「いまだ、てめえら。かかれーっ!」


「首は獲り放題だ、いくぞっ!!」


 そのとき突如、叫び声が響いた。

 それまで近場に身を潜めていた、蜂須賀小六率いる津島衆と、堤伊与率いる神砲衆が飛びかかったのである。


「な、な、な、なんだ!?」

「織田だ、織田の伏兵だ! どこにいやがった!?」

「逃げろ、逃げろおっ!!」


 斎藤家の兵たちは、もはや阿鼻叫喚の大混乱だった。

 そこへ、さらに、


「権六、ゆくぞ!」


「おおとも。退き佐久間ばかりに功名させん! かかれ柴田も尾張に在りよ!!」


 逃げたと見せかけて、近場に潜んでいた佐久間・柴田の両軍も、津島衆と神砲衆に合流。

 軍全体が混乱していた斎藤家は、ここでますます混乱した。


 イカダはさらに流れてくる。

 今度はもう、誰も群がらなかった。

 しかしイカダは、誰が触らなくとも、やはり火を噴き、爆散するのだ。斎藤家は、完全に混乱した。なんだ、このイカダは。織田方はいったい、どんな道具を使ったのだ――


「次郎兵衛、ノロシを上げろ! 俊明に私たちの勝利を知らせるぞ!!」


「あいよっ、任されて!」


 伊与の指示で、次郎兵衛がノロシを上げる。


「……やったぞ、俊明」


 伊与は、高々と上がったノロシを見て、喜びの笑みを浮かべた。




 伊与が上げたノロシを見た俺たちは、それで勝利を知った。

 はるか遠くの木曽川上流にいた俺たち。ノロシは、はっきり言ってよく見えなかったが、


「おーおーおー、上がった、上がった。ありゃ間違いなく伊与のノロシだ」


 俺の隣にいた五右衛門が言った。

 彼女は目がいい。五右衛門が言うなら間違いない。


「藤吉郎、勝ったぞ」


「おう。……やったのう、相棒!」


 俺と藤吉郎は、がっちり手を組み合った。

 そこへ五右衛門と、新たな仲間である坪内利定もやってきて、笑みを浮かべる。


 すべてがうまくいった。木曽川水運を支配下に置く坪内氏の協力、滝川一益が口に出した埋火、敵の欲を刺激するための道具や財宝を調達してくれたカンナと小一郎、実戦部隊として動いてくれた柴田・佐久間の両武将に、伊与と小六の戦いぶり。そしてなにより、


「藤吉郎、見事な策だ」


 イカダを作って流し、その上に罠として財宝を置き、その財宝の下には埋火を仕込むとは!

 なお、その埋火がこの山田弥五郎特製の強力火薬であることは、言うまでもない。


「いやいや、神砲衆の財力と人材あればこそよ! わしこそ礼を言いたい!」


 藤吉郎は、カラカラと笑った。


「これで斎藤家は大きな打撃を受ける! 美濃もいよいよ織田家のものとなろうのう!」




 かくして藤吉郎の作戦は当たり、斎藤家はその兵力を大きく低下させた。

 西美濃の諸豪族は、斎藤家に見切りをつけ始め、織田家への帰参を開始する。

 墨俣は、そのための決戦場に過ぎなかったが――しかしこの戦いの数日後、行商人が墨俣を訪れたとき、その場に散らばっていたイカダの跡を見て、ふいに思ったらしい。


「ここには、城でも建っていたのか?」


 その話は、尾張の国中に伝わる。

 うわさはやがて変容し、藤吉郎が一夜でトリデを築いて斎藤家の兵を蹴散らした、という形になった。

 織田方にとって名誉なうわさであるため、信長もあえて否定せず――こうして、うわさは事実となって固まった。墨俣一夜城の伝説、ここに完成す!




「というわけで今回も大手柄! いやぁ、勝った勝った。ご褒美もずいぶんいただいたわ。感謝するでよ、弥五郎!」


「そりゃよかった。美濃攻めもいよいよ佳境だな」


 神砲衆の屋敷にて、俺と藤吉郎はお茶(これも高級品なのだが)をすすりながら、笑顔を向け合っていたが――そこへ、


「藤・吉・郎・さん?」


 怖い声が聞こえた。

 ぎくり、と藤吉郎は身を弾ませる。――振り向かずとも、その後ろにいる人物の正体はつかめたのだろう。


「神砲衆は今回えっらい出血したとよ? おおよそ3000貫。……殿様からご褒美をいただけたんなら……少しくらいこっちに回してくれるよねえ……?」


「カンナさん。正確には2996貫722文です。……内訳は、まず刀が250本……」


「せからしかっ! アンタ、いまはそういう細かことばいちいち、言わんでよかと!」


「……そんなぁ。いつも細かいところまで目を届かせろって言ったのはカンナさんで……」


「か、カンナ。汝ァ、弥五郎の女房になってから少し怖くなったのぉ。は、ははは……。いや、わしも実はここのところ、ちと物入りで……のう、小一郎?」


「のうもくそもなか! 藤吉郎さんといえどもお金の問題だけはきっちりさせてもらうけんね! このツケはぜーったい支払うてもらうっ!!」


「…………やれやれ」


「やれやれ~。あはははっ、やれやれやし~~~」


 どったんばったんとうるさい中、ゆったりとした笑みを浮かべたのは、伊与と樹の母娘おやこであった。




 1566年(永禄9年)、春の出来事である。

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