第5話 藤吉郎の一夜策




 墨俣一夜城すのまたいちやじょう、という伝説がある。




 美濃を欲しがった織田信長。

 しかし美濃という国は広大で、なかなか攻略できない。

 信長は、気付いた。美濃を落とすには、美濃の西にある墨俣という場所にトリデを築いて橋頭保きょうとうほとし、そのトリデから兵を出撃させることで美濃を落としていくしかない。


 だが、美濃の墨俣は敵地の真っ只中。

 トリデを築く、といっても容易にできるものではない。

 築城作戦は、佐久間信盛や柴田勝家が挑戦するが失敗に終わる。


 そこで、木下藤吉郎秀吉が登場する。

 藤吉郎は知人であり野武士の蜂須賀小六と協力して、知恵を駆使し、たった一夜で墨俣にトリデを築きあげたのだ。

 藤吉郎はこの手柄によって織田家の中における地位を確固なものとする。そして墨俣城を築いた織田方は、この城から出陣して美濃に侵攻。斎藤家の主城、稲葉山城を陥落させた――




 ――これが墨俣一夜城伝説の簡単な流れだが……。

 事実は、多少、これとは異なる。


 墨俣が西美濃の重要な拠点であることは確かだ。

 12世紀後半には源平争乱の舞台のひとつになった。

 また、いま俺がいる時代から何十年も昔の15世紀後半には、当時の美濃の守護大名土岐氏の武将・斎藤利為が、墨俣にトリデを築きあげ、その城主となっている。


 さらに近くでいえば1561年(永禄4年)、そう桶狭間の戦いの翌年には、信長も墨俣に突入している。

 信長は木曽川と飛騨川を越え、墨俣を襲撃し、その場所に簡素なトリデを築きあげ、襲いかかってきた斎藤家の軍団と交戦したのだ。この戦いは、敵方の斎藤家が、十四条という村に陣を構えたため、『十四条の戦い』と呼ばれている。

 この戦いでは、我が友、佐々成政が特に活躍を見せ、池田恒興と共に稲葉又右衛門という敵将を討ち取る手柄を見せたのだが、しかしいくさ全体を眺めれば織田方の受けた損害も大きかった。信長は、墨俣のトリデを放棄して清洲城へと退却した。墨俣は再び斎藤家の領土となった。


 ……と、まあこの通り、墨俣は戦国以前からさんざん争いの舞台になってきた。

 そして、その場所にトリデや城郭が建てられたことも、何度もあるのだ。


 それだけ墨俣は、戦略上重要な拠点であり、激戦区なのだ。

 いくつもの河川が体内の血管のごとく入り乱れている墨俣地区。

 だがそれだけに水運を利用した交易にはもってこいの場所なのだ。

 墨俣を手に入れることは、西美濃を手に入れることと同義と言っても過言ではない……。




「その墨俣を、手に入れねばならぬ」


 俺と信長が会った数日後。

 小牧山城の一室にて、評定が開かれた。


 上座に信長が座り、さらに林秀貞、佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、滝川一益、佐々成政、森可成、などなど織田家の主要な顔ぶれが全員揃っている。

 さらに下座には、織田家への復帰が許された前田利家と、木下藤吉郎、そしてこの俺も座っている。


「浅井との交流のためにも、また我らの悲願でもある美濃国奪取のためにも、墨俣は絶対に必要じゃ」


「しかし墨俣を攻めれば、斎藤家が攻めてくるは火を見るよりも明らか」


 林秀貞が、落ち着いた声で言った。


「また4年前と同様、ひといくさなさいますか?」


「それでは十四条の戦いと同じ結果になるだけじゃ」


 信長が、静かに告げる。


「歯がゆいことながら、墨俣の地の利については、敵方のほうがよく知っている。無策で墨俣に飛び込んだところで、4年前と同様、痛み分けに終わるがやっとになる。それはしたくない。……いくさをするならば今度こそ、完膚なきまでに斎藤家の軍団を打ち破り、墨俣を完全に我らの領土としなければならぬのだ。――ゆえに余は、この一件をこうして衆議にかけたのだ。誰か、斎藤家の軍団に完勝できる策を思いつくものはおらぬか」


 難しいことを言う……。

 墨俣で斎藤家を打ち破る策、か。


 ここで伝説通り『墨俣に一夜で城を築きまする! そうすれば勝てます!』なんて言い出せば確かにカッコいい。

 しかし、現実はそうたやすくない。墨俣にトリデを築く作戦など、4年前、とっくに信長がやっているのだから。

 一夜城だろうが十夜城だろうが、トリデを築いたところで斎藤家は打ち破れないのだ。別の作戦が必要なのだ。


「山田。そちにはなにか、策はないか」


 信長が、じきじきに俺を指名してきた。


「敵方をさんざんに痛めつける、新たな武器や道具はないか。そう、例えばあの連装銃を超えるような……」


「……そう申されましても」


 この時期、連装銃は敵にあまり通用しなくなっていた。

 あの武器を初めて開発してからすでに10年以上。熱田の銭巫女が連装銃をコピーして作ったように、斎藤家も連装銃を作っていくさに持ってくるようになっていたし、連装銃の弾丸さえ防ぐ分厚い竹束の盾まで作られるようになっていた。また足軽や雑兵たちも、連装銃慣れしてしまい、出てきてもさほど驚かなくなってきていた。


 リボルバーやパームピストルは、さすがに俺にしか作れないが、あれは威力だけならば火縄銃とそう大差ない。

 銃刀槍にしたってそうだ。あれは便利な武器だが、それでも数や条件で勝る敵に対して、圧倒的に有効な武器とはいいがたい。


「焙烙玉も、斎藤家の軍団を殲滅できるほどのものではございませんし……」


「そうだ。焙烙玉と言やあ、――殿様」


 滝川一益が、信長のほうに向きなおって口を開いた。


「ここ数年、我が甲賀では、数で勝る敵に対して、埋火うずめびという策を用いることがございます」


「埋火? なんだ、それは」


「まず木箱の中に火薬を詰め、そして箱のフタの裏に、火をつけたままの小さな縄を貼り付けておく。

 そして、その箱を地中に埋めておくのでござる。


 やがて――


 敵が、攻めてくる。

 その敵が、埋められている木箱のフタの上に乗る。

 するとその敵の重みで、当然、フタは沈み込む。フタの裏に貼りつけられている火縄は、箱の中の火薬に触れて――


 あとは、どおん!


 ……木箱は爆発を起こし、敵兵はあわれあの世行き。

 と、こういう武器でございます。いわゆる罠ですな」


 我が友、滝川一益が説明する。信長はいちいちうなずいた。

 埋火うずめびという言葉でなので分かりにくいが、これはのちの世の、いわゆる地雷じらいと思っていい。この時代の忍者がよく使う罠なのだ。


「もし、敵の兵が木箱の上に乗らなかったらどうなるのじゃ?」


 五郎左さまこと、丹羽長秀が尋ねた。


「箱の中の火縄は、遅かれ早かれフタの裏からぽとりと落ち、けっきょくは火薬に引火。やはり爆発することになりまする。……その場合でも、敵方からすれば地べたがいきなり発火するため、その心理に与える影響は大きゅうござる」


「なるほど。その埋火とかいう罠、当たっても良し、外れても良しの武器というわけか。左様なもの、よく思いついたものだ」


「元はと言えば、ここにいる山田のおかげでござる」


「え。――」


 突然、名前が出てきたので俺は驚いた。

 滝川一益はニヤニヤ笑って俺を見る。


「もとはと言えば、お前が焙烙玉を甲賀に売りつけたからだよ。あれが理由で火薬の研究が甲賀でも進み、こういう武器が出てくることになったんだ」


 確かに、甲賀に焙烙玉を売ったのは俺だが……。マジか。

 まさかそのことが、忍者の罠のひとつ、埋火の発明に繋がるなんて。そういうこともあるんだな。


「その埋火とかいう罠、面白くはある」


 信長は、うなずいた。

 しかし笑みは見せていない。


「だがこたびの戦では用いられぬ。斎藤家の率いる兵はゆうに1万を超える。その1万に対して、効果を発揮するほどの埋火を用意するとなると、膨大な量の火薬が必要となろう。いま、織田家にそれほどの金銭のゆとりはない。また仮に用意できたとしても、埋火だけで斎藤家の軍団に勝てるとは思えぬ」


「はっ。ごもっとも」


 滝川は平伏し、すぐに引っ込んだ。

 信長の指摘が、道理だと思ったのだろう。

 事実、埋火では斎藤家には勝てまい。あれは少数対少数のいくさの場合や、あるいは山や森の中など、入り組んだ地形の中で戦闘する場合に有効な罠だ。斎藤家の大軍団相手に使える武器ではない――


「……いや」


 そのときだ。

 俺の横にいた藤吉郎が、ふいにつぶやいた。

 彼は、しきりに首をかしげながら、しかしブツブツとなにか言い始める。考えを整理しているようだ。


「そうでもにゃあぞ。その埋火とかいう罠。使い方次第では大きな武器になるやもしれん……」


「藤吉郎。なにか言いたいことがあるなら申せ」


 信長が発言をうながすと、藤吉郎は「ははっ!」と大きな声をあげ、


「畏れながら申し上げます。その埋火とかいう罠、やり方次第では1万を超える兵にも打撃を与えることができる武器になり申す!」


「な――」


「なんだと……?」


 滝川と俺は、同時に藤吉郎の顔を見た。

 埋火で1万の兵を相手にする? どういうことだ?


「どういうことじゃ。申せ、藤吉郎」


「はっ。……この策には、多少、準備がいり申す。そこにいる山田弥五郎を始め、何人かの人間の協力も必要となりましょうが、うまくいけば――」


 藤吉郎は、ニヤリと笑って告げたのだ。


「うまくいけば、斎藤家のつわもの1万。たった一夜でことごとく、墨俣にかばねをさらすこととなりましょう」


「一夜、じゃと?」


「左様。――墨俣におけるいくさ、一夜でケリをつけ申す!」


 木下藤吉郎。

 我が盟友ながら彼は、評定の間にて、いつものごとく、いいやいつにもまして、見事なまでの大風呂敷を広げてみせた――

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