第4話 墨俣への道
「ほう?」
俺は片眉を上げて、竹中半兵衛の顔を見返した。
「浅井様が、上総介様と同盟を?」
「左様」
「しかしそれは難しい」
俺は、淡々と言った。
「ご承知と存ずるが、織田家は桶狭間の戦い以来、南近江の六角家と
もともと浅井家は、六角家の傘下にいた。
浅井長政も、六角義賢の一文字をもらって浅井賢政と名乗っていたほどだ。
しかし、いつまでも六角の傘下にいることを嫌った浅井家の家臣は、若き当主である長政と共に立ち上がり、六角氏と戦った。永禄3年(1560年)8月に起こった『野良田の戦い』だ(第三部第二十一話「同盟、織田氏と六角氏」)。
この戦いで、浅井長政は六角義賢をさんざんに打ち破った。
その結果、浅井家は北近江における覇権を確かなものにし、六角家は逆にその勢いをおおいに衰退させてしまったのだ。
――この戦いの裏には、桶狭間の戦いが多少影響している。
第二次桶狭間の戦いの直前、俺と藤吉郎の活躍により、織田家と六角家は同盟し、その結果、六角家は織田家に援軍を出し、被害を出した。その被害は思ったよりも大きかった。そのため六角家は、浅井家に対して存分に備えることができなかったのだ。
「同盟とは対等の関係のことを言う。我らが織田家に援軍を出したように、織田家も我らに援軍を出すべきだ」
と、『野良田の戦い』の直前、六角義賢は織田家に対してそう言ってきた。
もっともな言い分である。しかし当時の織田家は、桶狭間の直後で、援軍を出す余裕などなかった。
そこで信長は、丹羽長秀を大将とした援軍500人を出すことは出したが、
「あまり急ぐな。ゆっくりと行き、なるべく手を抜いて戦え」
と、長秀に向けてそう指示を出した。形ばかりの援軍というわけだ。
長秀はその命令を守り、うまく手を抜いて戦った。六角側に手抜きがバレないように、しかし織田家への損害は皆無に等しいという、ある意味見事ないくさぶりだった。このあたりの器用さはさすがの米五郎左である。
これは冷酷なようだが、戦国大名同士の同盟などそういうものだ。
もっとも信長に言わせると、
「六角家への援軍の謝礼は、余と神砲衆が出した矢銭10000貫で済んだはず。それ以上を求められても、困る」
ということらしい。
確かに桶狭間の戦いの援軍の謝礼として、織田家と神砲衆は六角家に10000貫を提供していた。
そういう意味では、織田家と六角家との関係は充分に対等だったのだ。
とにかくそういうわけで、野良田の戦いは浅井家の勝利に終わり、そしてそれ以来、六角家と浅井家は敵対状態。犬猿の仲が続いている。
その六角家と、織田家。
現在でもいちおう同盟は続いている。
俺と藤吉郎が坪内利定に説いたように、両家は尾張と南近江の物産を交易させ、おおいに利益を得ている。
「で、ある以上、織田家があえて六角家と同盟を破り、浅井家と同盟をする理由はないと思われるが」
「左様、六角家と織田家はいま蜜月の仲。交易を繰り返して両家共に利潤を得てござる。
竹中半兵衛は、汗ひとつ流さず涼しげにくちびるを動かした。
「明敏で知られ、かつ甲賀衆とも繋がりが深い山田殿ならばご存知であろう。六角家の家運には、衰亡の兆しが見えていることを」
「……なにを証に左様なことを?」
「観音寺騒動」
竹中半兵衛がそう言うと。
――俺は黙した。
いまから2年前の永禄6年(1563年)10月、六角家は『観音寺騒動』と呼ばれるお家騒動を巻き起こしている。
例の野良田の戦いで、浅井長政に敗北した六角義賢はその権威を失墜させた。その結果、義賢は家の実権を息子の
義治は、若い。
彼に対して、従わない老臣も出てきた。
義治は、その老臣たちを殺害。粛清してしまったのだ。
自分に従わない人間はこうなるぞ、と脅しをかけたわけだが――
しかしその結果は裏目に出てしまった。
家臣団は義治に不満をもち、一時的に六角義賢・義治父子を観音寺城から追い出す始末。南近江は一時、騒然となった。
この騒動は、桶狭間の戦いのときに俺たちと共に戦った、蒲生賢秀のとりなしもあって、いちおう事態は収束に向かった。
しかし六角家が、往年ほどの勢いをなくしたことはどう見ても明らかであった。
竹中半兵衛の言うことは分かる。
織田家はもはや六角家を見捨てて、浅井家を取るべきだと言っているのだ。
一理はある。南近江を征する六角家とは、交易によって利益を得ている関係とはいえ、そのうまみもいずれは消える。まして六角家そのものが衰えているのだ。同盟を続けるメリットは、桶狭間の戦いのころより薄れていると言える。
だが、しかし――
「竹中殿。衰えたりと言えども六角家は大大名。南近江や京の都との交流も深い。……その六角との同盟を破ってまで、浅井と手を組んで、織田家になにか益がござるかな?」
「視野を広くもちなされ、山田殿」
「――とは?」
「我が浅井家は、越前の朝倉家と極めて親しい間柄」
「……ふむ」
それは知っている。
越前国(福井県)の朝倉家は、浅井家とは祖父の代から同盟を結んでいる。
「されば山田殿。浅井家と織田家が同盟をすれば――越前の朝倉・北近江の浅井・尾張の織田の3国を通じて多大な交易ができ申す。朝倉家からは北陸の物産を回してもらい、織田家は東海の物産を北陸へ送る。それでまた、これまでとは違う交易のうまみができ申す」
「……ほう」
「さらには山田殿。北陸の朝倉氏は京の都とも交流をしている大名家でござる。ゆえに浅井・朝倉と関係を結べば、京の物産を確保することもでき申す」
よくもまあ、そこまでサラサラと口が動くものだ。
竹中半兵衛。さすがに頭は回る。……それに、なるほど、浅井家と組めば、その同盟国の朝倉家とも自然交流することになり、北陸や京との物産交易も可能になるか。そうすれば織田家は、そして俺たち神砲衆は広大な商圏に手を出して、利益を得ることができる。
……悪い話じゃないかもしれない。
俺はそう思った。六角家とは距離を置き、浅井家と手を結ぶべき時期か。
織田信長と浅井長政。
史実で義兄弟になるふたりだが。
まさかここでこういう流れになるとはな。
「やはり最終的には史実に繋がる、か」
「ん? 山田殿、いまなんとおっしゃった?」
「いや、独り言でござる。……竹中殿のおっしゃること、誠にごもっとも。さっそく上総介様に進言申し上げてみよう」
「左様でござるか」
竹中半兵衛は、やはり女性のような麗しい笑みを浮かべた。
「さすが、尾張津島にその人ありと、天下に名高い神砲衆の山田どのでござるな。貴殿ならば拙者の言葉もきっと理解してもらえると思い、こうして突如押しかけたのでござる」
俺ならば理解できる、か。
持ち上げられたものだ。それにしても竹中半兵衛、知略といい行動力といい弁舌といい、さすがなものだ。その智謀、さすがに今孔明だな。
「――なにせ世の中は、言っても分からぬデクの坊のような輩が多い。拙者の言葉を聞いてもなにがなにやら、理解できない大馬鹿者が、死体にわきまくるウジのごとくおりますからな」
……その毒舌癖さえなければ、なおいいのだが。
俺は苦笑した。なるほど、この性格では美濃を征することもできなかったわけだ。
というわけで俺は、竹中半兵衛を津島の屋敷に逗留させたまま、伊与を護衛に引き連れて、すぐさま清州城に向かった。しかし、
「殿様は、小牧山のほうにおられる」
と、清州にいた柴田勝家に言われて、ああそっちか、と向かう先を変えた。
いま、信長は美濃攻めのため、主城を、清州よりも北方にある小牧山城に移している。
とはいえ、清州が尾張国の中心のひとつであることに変わりはないため、清州でやる仕事も多い。そのため、清州にいることも多いのだが。
小牧山城に到着したころには、もう夜になっていた。
それでも、火急の用があると取り次ぎに言ったところ、信長はすぐに俺に会ってくれた。
「山田。そちは、子供に会うために津島に戻ったのではなかったのか。相変わらずの女房連れで、忙しいことだ」
信長は、妙に機嫌良く俺に会ってくれた。
俺の背後にいる伊与に、からかいの視線まで送るくらいだ。
伊与は、わずかに笑みだけ浮かべて平伏した。俺もまた頭を下げたが、すぐに面を上げ、
「それが、ただちに申し上げたい事柄ができまして」
そう言って、すぐに竹中半兵衛から持ち込まれた浅井との同盟話を口にしたものだ。
すると信長はすぐにうなずいた。
「理にかなっている」
観音寺騒動以来、六角家に多少、見切りをつけ始めていた信長は、浅井との同盟話に魅力を感じたようである。
「余も常々、六角家とは手切りに致そうと考えていた。しかし南近江との交易の利潤も捨てがたい……。だが、浅井家、朝倉家と通じて北陸や京との交流が続けられるのであれば、願ったりである」
「左様。俺もそのように思います」
「だが、山田。いまのままでは浅井・朝倉との交流はままなるまいぞ」
「それは。――」
信長に言われて、俺ははっと気が付いた。
なるほど、南近江の六角家とは交流はたやすいが、北近江の浅井家と盛んな交流をするには、美濃の西側が邪魔である。西美濃を制圧しない限り、織田家と浅井家は活発な交流できないだろう。
「西美濃でござるな」
俺が言うと、信長は無言のままうなずいた。
「西美濃を落とせば、浅井との同盟話もよかろう。西美濃さえ手に入れば。――幸い、そちと藤吉郎が例の坪内をこちら側に引き込んだゆえ、木曽川の水運は我が手中になったも同然である。あとは西美濃をどう攻めるかという話になってくる」
無口な信長にしては、今夜は多弁だった。
きっと俺たちが来る前から、西美濃を攻めることをずっと考えていて、脳が興奮していたに違いない。
「西美濃には、ひとつ、ある拠点がある」
信長は、そうも言った。
「その拠点さえ落とせば、西美濃の他部分はもはや枝葉よ。放っておいても勝手に枯れ果てる。その拠点とは」
「上総介様、俺にも分かります。西美濃の中心にして、北近江の浅井とも交流を盛んにするためには、ある一か所の拠点が必要となる」
「ほう、ならば山田。その拠点がどこか、同時に言ってみようではないか」
信長は、茶目っ気を含んだ声で言った。
もとより悪童だった彼は、時として家来や若者と遊びのようなことを、いまでもやりたがる。
俺は笑顔を浮かべ、うなずき。――そして、信長と共にその拠点の名を口にした。
「「
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