第3話 竹中半兵衛登場

 いやに涼しげな、それこそ女性のような容貌の男だった。

 総髪の髪を、短い髷で結いあげている彼は、どこか遠くを見ているようなまなざしでこちらを見つめてきている。

 俺はいま、神砲衆の屋敷の一室で、伊与と次郎兵衛を従えた状態で、その人物と向かい合って座っているのだ。


 竹中半兵衛重治。

 21世紀にまで名前が残っている彼は、極めて知略に長けた武将……。

 神のごとき智謀をもって、豊臣秀吉の出世の手助けをした人間として知られている。城攻め、調略、なんでもござれの名軍師として、秀吉の片腕となってその覇業に貢献した武将だと……。


 もっともその評判は、後世の創作による部分も多く。

 じっさいの竹中半兵衛は、織田信長に仕えており、そこから秀吉の家来という立場に派遣された、いわゆる『出向社員』的な立場だったとされている。いわゆる名軍師としての評価や評判も、江戸時代などのちの時代の人々が後付けで定着させたと言われているのだ。というかそもそも、戦国時代に軍師という言葉はない……。


 ただし。

 出向であれなんであれ、彼が秀吉の部下として働いたことは事実だ。

 また優秀な人物だったことも間違いなく、秀吉の下で幾多もの功績をあげたのも嘘ではない。


 実際に。

 いま俺が生きている永禄8年(1565年)の時点でも、彼の知略は美濃や尾張でよく知られている。

 なぜならこういう話があるからだ。――彼は1年前まで、美濃・斎藤家に仕えていた。しかし、ある日、わずか16名の手勢で斎藤家の主城、稲葉山城を乗っ取ることに成功したのだ。


 昔から、斎藤家の主君、斎藤龍興さいとうたつおき(このころすでに、斎藤道三の子の義龍は病で死亡し、その子の龍興があとを継いでいると)と仲の悪かった彼は、一計を案じた。

 彼は稲葉山城に、わずかな供の者といっしょに入ったあと、病になったと嘘をつき、斎藤家の人間を油断させ、そしてその直後、電光石火のごとき素早さで、龍興の寝所に忍び込んで捕えて、そのまま彼を城から追放してしまったのだ。


 その知略、神のごとし。

 まさに『三国志』に登場する天才軍師、諸葛孔明のようだ。

 そう、竹中半兵衛重治こそ、現代に現れた『今孔明』である――


 と、人々は噂したものだ。

 彼の智謀が美濃や尾張で有名になったのは、そういうわけだ。

 だが竹中半兵衛は、その後、数か月間、稲葉山城を保有していたものの、やがて城を出て、元の主君、斎藤龍興に城を返してしまう。


 彼がなぜ、そんなことをしたのか。

 その真意は、誰にも分からなかったのだが――


「存外」


 俺と会うなり、竹中半兵衛はそんなことを言った。


「ひとが、集まりませんでな」


「……は?」


 彼がいきなりなにを言い出したのか、俺にはよく分からなかった。


「竹中殿。それは、どういう――」


「稲葉山城のことでござるよ。拙者、稲葉山城を乗っ取ったはいいが、拙者の味方をする者は美濃には案外いなかった。だから、あるじに稲葉山城を返して、拙者自身は姿を消したのでござる」


「……なぜいきなり、そんなことを……」


「いや、山田殿が、まさにそのことを聞きたそうな顔をしていたので、おしゃべりしたまで」


「…………」


「ではなかったか? 山田殿」


「……いや、おっしゃる通りです」


 確かに、竹中半兵衛がなぜ稲葉山城を捨ててしまったのか、それは俺としても気になっていた。

 21世紀においても、竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取り、かつ放り出した史実は伝わっているが、なぜそんな行動に出たのかは諸説あって、はっきりとした理由は分かっていなかったからだ。しかし、そんな俺の内心の疑問を一発で見抜くとは。


 竹中半兵衛。

 大した男だ、と思うと共に、初対面でいきなりそんな話題を出した彼にいささか面食らう。

 頭はいいが、人間との交わりに多少、難のある人物。それが俺の、彼に対する第一印象だった。なるほど、これでは美濃の武将も竹中半兵衛の味方はしないはずだ。


「ところで竹中殿。その竹中殿は、いかなるご用向きかな?」


 俺は、静かに問うた。


「『今孔明』として名高い竹中殿が、この神砲衆の屋敷に――ただ遊びに来たわけではないでしょう?」


「……無論」


 竹中半兵衛は、微笑を浮かべてうなずいた。


「拙者は山田殿に、ある話を持ってきたのでござる」


「ある話?」


「その通り。――そうそう、その話に入る前に、拙者はいま、浅井家に世話になっている。その事実を話さねばならぬ」


「浅井家……。浅井新九郎さまに?」


 浅井新九郎。

 いや、浅井長政といったほうが分かりやすいか。

 北近江を支配する戦国大名だ。のちに織田信長の妹、市姫を妻にもらうことになる人物だが、この時点ではまだ織田家とは関係がない。


「拙者は、その浅井家の家臣として、山田殿に会いに来たわけでござる」


「それはまた……。浅井様が、この俺に?」


「そう。……ずばり申し上げよう。山田殿。浅井様は、織田上総介様との同盟を考えておられる」

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