第2話 愛する娘の樹(いつき)ちゃん

「旦那様、お帰りなさいませ」「お帰りなさいませ」「お帰りなさいませ!」


「おう、帰った。土下座は無用、そのまま役目を続けろ」


 津島にある神砲衆の屋敷に戻ると、使用人たちが次々と平伏しようとする。

 それを、俺は手で押しとどめつつ、そのまま屋敷の奥へと歩いていく。


 屋敷の各所で、家来たちがあわただしく働いているのが視界に飛び込んできた。

 神砲衆の面々が、商務をとっているのだ。誰かが相場を調べ、誰かがその調査結果に基づいて交易をおこなう。と同時に、手先が達者なものは、俺から教わった炭団作りや連装銃作り、火薬作りに励んでいた。これらの道具も、交易の商品となる。――火薬や武器は、織田家に献上するものもあるけれど。


「いよう、お帰り。今回は長いこと外にいたね」


「五右衛門」


 屋敷の一室で、石川五右衛門が短刀を磨いていた。

 日焼けした、褐色色の肌がまぶしい。……出会ったころからあまり老けたようにも見えない彼女は、実際のところ、いくつなんだろう。一度訪ねたが「女に年を聞いて!」と怒鳴られてしまった。


「伊与とカンナは?」


「奥の部屋。あかりもいっしょだよ。いつきの面倒を見てる」


「3人がかりでか? 昼間からなにやってんだ、あいつら。神砲衆の仕事はどうした?」


「さっきまでやってたさ。伊与は衆の連中に刀の使い方を教えていたし、カンナは算盤の指導をしてた。あかりも料理人といっしょに炊事をしていたよ。いまやっとひと段落して、樹と遊んでやっているところなんだ」


「ん、そうか。それならいい」


「アンタもなんかおっさん臭くなったねえ。昔ならそんなことくらいで目を吊り上げなかったのに」


「……別に吊り上げちゃいないさ。俺はただ……」


「あはは、冗談だよ、冗談。そういうところでムキになるからおっさんだっていうのさ。……ほら、行きなよ。愛娘が待ってるよ?」


 からかい口調の五右衛門に、なにか釈然としないものを感じながら、俺は奥に進んでいく。

 奥の部屋から、女たちがきゃっきゃっと騒ぐ声が聞こえてきた。その中でもひときわ高い声。子供の声音が聞こえてくる。俺は、その部屋に足を踏み入れた。


いつき。帰ったぞ」


 手を挙げながら、口を開く。

 すると、室内にいた女性たちはいっせいに俺へと目を向けた。

 いまや俺の妻になっている、堤伊与に蜂楽屋カンナ。神砲衆の炊事・洗濯係の長、もちづきやのあかり。そして、


「ちちうえーっ!」


 黒髪を腰まで伸ばした、4歳くらいの女の子が、飛び跳ねるように俺の足にしがみついてきた。


「ちちうえ、ちちうえ、ちちうえや! ちちうえやし! おかえりなさい、おかえりなさい! あは、あは、ちちうえーっ!」


「い、樹。そんなにくっつくな、ほら。……危ないだろ、おい! 離れなさい!」


「いややしー。はなれんしー! ちちうえーっ!」


「樹。落ち着いて座りなさい。父上が迷惑しているだろう」


 伊与が、困り笑みを浮かべながら、樹を俺から引っぺがしてくれた。

 すると樹は、すぐにくしゃくしゃ顔を作り、


「ああああああーっ! ははうえが、いじめたあああーっ! びえええええ、うええんんんええええええん!」


 泣き出してしまった。あらら。……それにしてもでかい声だな、おい。

 するとカンナがぎゅっと樹を抱きしめ「ほらほら、泣かん泣かん。ええ子やけん泣かんよ? ね? 樹はつよいつよい」とぽんぽん背中を叩いてやる。


 すると、泣いていた樹はすぐに笑った。


「……えへ」


「あら、アンタ、もう笑ったとね。さっきのは嘘泣きやったと?」


「ちがうしー。ないとったしー。でも、いまはもうないとらんしー」


 樹はニコニコ顔をカンナに向ける。

 もう泣いていない。さすが子供だ。感情の幅が大きい。

 やがてあかりが、台所からおにぎりを持ってきた。樹の間食だ。樹は、喜んで、カンナの横で握り飯をぱくつきだした。


「まるでカンナの娘だな。母上は悲しいぞ」


 伊与が、口を尖らせる。


「あはは。あたしがいっちゃん、樹の面倒をよう見よったけんねえ。ね、樹。アンタ、あたしのこと好きやもんね?」


「うん。カンナ、いちばんすき。つぎにははうえ。つぎにあかり」


「……俺は何番目だよ」


「ちちうえはあかりのつぎ!」


 娘は残酷にも現実を言い放った。

 うう、お前、誰のおかげでそのおにぎりが食えてると思ってるんだ!

 ……なんてNGワードは、口には出さない。俺、ほとんど外で働いているからなあ。こうなるのもやむなしか。


 ――桶狭間の翌年。伊与が出産した女の子。つまり俺の娘。その名はいつきという。

 大樹村の樹からとった名前だ。4年前に生まれた娘は、母親譲りの長い黒髪と、吊り目気味の瞳が可愛らしい子供に成長した。


 もっとも、俺は外によく仕事に出かけるし、伊与も状況によっては俺にくっついてきたりするため、我が娘は屋敷にいるカンナやあかりがよく世話をやっている。樹が博多弁だかなんだか、よく分からない感じの喋り方になっているのはそのせいだ。


 とはいえ、なんだかんだでまっとうな子に育ってきてくれていると思う。

 カンナやあかりだけでなく、屋敷にいる神砲衆の家来たちや、たまに津島に遊びに来る藤吉郎や又左のおかげかな。


 家来といえば、ここ数年で俺の家来の顔触れや、人間関係にも多少の変化があった。

 まず、海老原村の八兵衛翁が流行り病で亡くなった。まあ、俺と出会ったときすでに70歳くらいの、この時代にしてはかなりのご高齢であったため、寿命の面もあるだろうが……。


 さらに大橋さんも亡くなった。

 永禄8年(1565年)、6月のことだった。

 死因はやはり病だったが、こちらも年齢がけっこういっていたので、寿命といえば寿命だ。この時期に亡くなることは知っていたのだが、高齢による病気が理由では俺にもどうしようもない。転生してからこっち、ずいぶんお世話になった方だけに、ショックだった。


 そして、長良川の戦いの直後に俺たちが保護した加藤五郎助清忠。

 そう、加藤清正の父親である彼も、病で死んだ。こちらはまだ38歳だった。

 彼についてはなんとか救いたくて、栄養のある食べ物を差し入れたり、上方から薬師を呼んだりしたが、やはり運命は変えられなかった。義父である鍛冶屋清兵衛といっしょに、鍛冶屋として俺を支えてくれていただけに、いろんな意味でその死は痛かった。


 その他――

 藤吉郎さんの幼馴染である一若とがんまくは、生まれ故郷の尾張中村に戻るといって神砲衆を去っていった。

 自称・聖徳太子を名乗っていたふざけた連中、山田五人衆も、それぞれの事情で神砲衆を離れることになった。


 こうして神砲衆は昔とは違うメンバーになった。

 少し、さみしい。しかし、仕方がないのだ。大橋さんが、昔、伊与とカンナに言ったんだっけ。いつまでも仲間同士でいるわけにはいかない、と……。


 新しく生まれる命や、出会いもある。

 しかし別の道をゆく者もいる。

 人生はこうしたことの繰り返しなのだろう。


「ところで俊明。藤吉郎さんはどうした?」


「ん? ああ、藤吉郎なら清州に戻ったさ。今回のお役目の結果報告だ」


「なるほど。……その顔だと、どうやら調略はうまくいったようだな?」


「おかげさまでな。坪内がこちらにつけば、美濃攻めもずいぶん楽になる。上総介さまもいよいよ本腰を入れて稲葉山攻略にかかれるってもんだ」


「落とせるかな? 稲葉山は。あの斎藤道三が作った名城だろう?」


「――落とせるさ」


 俺は目を光らせて言った。


「必ず落ちる。問題なく事態が進めばな」


 俺の言葉を、あかりはキョトン顔で聞いている。

 樹は手のひらにくっついた米粒をペロペロ舐めていた。

 伊与とカンナは、俺が転生者であることを知っているふたりは、俺のセリフの意味が分かったようだった。


 ――そのときであった。


「アニキーッ」


 甲賀の次郎兵衛の声が、飛び込んできた。


「アニキ、どこッスか。ここにいるンスか」


「おう、ここにいるぞ。どうしたー!?」


 姿は見せず、声で応じる。

 すると次郎兵衛は少し安堵したような声で、


「ああ、よかった。あのッス、アニキ。アニキにお客さんですぜ」


「お客? だれだ? 名前は聞いたか?」


「もちろんッス」


 次郎兵衛はそこで、ひょいっと部屋に顔を出した。


「ジロベエ! ジロベエだー、ジロベエがきたっ」


 と、樹が笑顔を見せる。

 次郎兵衛は薄い笑みを浮かべて手を振ったが、樹には近づかない。

 彼は子供があまり得意ではないらしい。樹はなついているのにな。……おっと、それで次郎兵衛が取り次いだお客さんとは?


「お客さん、竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはる、と名乗っておりやすぜ。斎藤家に仕えていた武将と同じ名前ッスけど、これ、本物ッスかねえ?」


 なに……?

 竹中半兵衛、だと……!?

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