第四部 太閤昇竜編

第1話 坪内利定調略

 永禄8年(1565年)、初秋。

 木曽川沿い、すなわち尾張・美濃の国境にある城、松倉城において。

 俺こと山田弥五郎と、相方の木下藤吉郎は、いきなりピンチだった。


 侍数人に囲まれて。

 槍と鉄砲を突きつけられている。


「この、猿面と銭ゲバめ」


 数人の武士の中央にいた男。

 ひげもじゃの、しかし若々しい、20代半ばほどの武士は、憎々しげに俺たちを睨みつけている。


「言うにことかいて、なんということを言う。……儲け話、じゃと?」


「左様、左様」


 木下藤吉郎は、この状況でもニコニコ顔だ。


「わしらは、貴殿に素晴らしい儲け話を持ってきたのでござるよ。なあ、弥五郎?」


「左様……」


 俺は静かにうなずいた。

 そして、相手の武将――この松倉城の主、坪内利定つぼうちとしさだを静かに見つめる。


「よろしいか、坪内殿。ご存知の通り、我ら織田家は桶狭間以来、南近江の六角家と昵懇じっこんの仲。特に商いにつきましては実に盛んに交流を重ねてござる。我が神砲衆が作りあげた数々の武具や、尾張の特産品をあちらに売り、逆に六角氏からは上方の産物や名物が次から次へと送られてくる。これらの商いによって、尾張と南近江はいま、たいへんな好景気に沸いてござる」


「それがどうした。儂には関係ない」


「左様なことはねえでしょう、坪内どの!」


 木下藤吉郎は、満面の笑みで叫んだ。


「木曽川を用いた水運業で活発に儲けてなさる坪内どのだ。わしらの話が分からんはずはない!」


「そう、木下殿の言う通り。……坪内殿。貴殿は木曽川を根城にして、美濃各地の物産を交易して儲けておられる。その坪内殿が織田家に帰参すれば――」


「尾張の織田家、南近江の六角家、さらには木曽川の坪内家の三大家で、次々と交易を重ねることができる! そうすれば織田は儲かる、六角も儲かる、そして坪内殿、貴殿ももちろん、ますます儲かる!」


「む。――」


「そして松倉城の大将である坪内殿が儲ければ、ここにおられる方々もまた儲かりまする。ではございませんか? おのおの、松倉衆――」


 俺は静かに事実を告げ、周囲を見回した。

 俺と木下藤吉郎に槍を向けていた、坪内利定の家来たちは、チラチラとお互いの顔を見合う。

 坪内利定自身もまた、俺の言葉に心動かされたようだった。――そう。彼は、美濃の斎藤家に所属している豪族だ。木曽川を用いた水運業と交易で利潤を得て、大きな力を有している美濃屈指の豪族のひとり。彼を織田方に引き寄せるのは大きな戦略効果を持つ。


 ゆえに、俺と木下藤吉郎は、ふたりがかりで。

 そう、敵地の真っ只中にたったふたりでやってきて、彼を説得しに来たのである。

 織田家に来ないか、と。織田家に来れば、儲かるぞ、と……。


 坪内利定は、ううん、とうめいた。

 そしてしばし、思案するふりを見せてから、首を縦に大きく振った。……すなわち織田信長の家来になる、と言ったのだ。




「わっはっは、あの者、ついに折れたのう」


「利を説いたのがよかったのだ。これは効くよ。儲け話が嫌いな者はいないからな」


 松倉城から清洲城に戻る途中だ。

 俺と、相方の藤吉郎は、ふたりでげらげら笑っていた。

 周囲には、神砲衆の兵が数人。藤吉郎さんの家来が数人。護衛として付き従っている。

 彼らは普段、こうして俺らを守ってくれている。しかし今回のように、敵を寝返らせる工作のときだけは、


「ふたりだけのほうが、敵が警戒しなくてよいゆえな」


 という藤吉郎の考えで、ふたりだけで敵地に乗り込んでいたのであった。




 永禄8年(1565年)。

 織田家は、美濃の斎藤家を攻略するため、あの手この手で攻撃をしかけている。

 ときには戦を仕掛け、ときには調略の手を伸ばし。


 4年前に、斎藤家の当主、斎藤義龍が死に、その息子の斎藤龍興さいとうたつおきが死んでからこっち、織田家は美濃をひたすら攻撃してきた。その結果、美濃各地の豪族は少しずつ、しかし確実に織田家の傘下に入っていった。


 その動きの裏には、俺と藤吉郎、ふたりの活躍があったことは言うまでもない。

 俺たちは、ときには利を説き、ときには脅し、ときには金を渡したりして、大小の勢力を織田家に加えていった。


 そして1年前には、斎藤家家臣、竹中半兵衛たけなかはんべえが稲葉山城を乗っ取る事件まで起きる。

 竹中は、数か月で稲葉山城を捨て、いずこかへと逐電したが、しかしこの事件は斎藤家の屋台骨が緩んでいることを内外に示した。美濃はさらに大きく揺れた。このタイミングで織田信長は、俺と藤吉郎に坪内利定調略を命じた。その結果は――ご覧の通りだ。


「さて、わしは上総介さまにこたびのことを報告に参る。汝も来るか?」


 清洲城が見えてきたころ、藤吉郎が言った。

 与えられた任を無事にこなせたゆえか、とても上機嫌である。


「いや、俺は津島にいったん戻るよ」


 俺は、薄い笑みを浮かべて答えた。そうか、と藤吉郎は笑った。

 桶狭間のあと、前田の又左(利家)から「山田、お前は堅苦しくていけねえ。もうそろそろ長い付き合いなんだし、互いに俺汝の言葉遣いでいこうや」と言われ、俺はそれ以降、又左にはいわゆるタメ口をきくようになった。その結果、藤吉郎も「又左にそういう話し方をするなら、わしにだってそれでよかろう!」と言ったので、俺は彼に対してもいわゆるタメ口で話すようになったのだ。


 なんとなく、自分が変わってきた気がする。

 もう転生してから14年。前世のことも、少しずつ忘れてきた。

 こうして俺は、身も心も戦国時代の人間になっていくのか。


 それもいい。

 なにせ俺には――


「もうずいぶん、子供の顔を見ていないからな。そろそろ帰らないと、子供に顔を忘れられてしまう」


 ……もう、子供もいるのだから。


「そうか。うらやましいのう、子供がおって。わしもねねも励んでおるのじゃが、これがなかなか子宝に恵まれん」


 そうそう、藤吉郎は、いまから4年前。

 つまり桶狭間の戦いの1年後に、あのねねさんと結婚したのだ。


 いや、もうすごいアタックぶりだった。

 何度も何度もねねさんのところに通い、デートを繰り返し、褒めたり押したり贈り物をしたり。

 それでもなかなかうまくいかず、めげかけた藤吉郎に、俺は言った。


「きっともう少しだよ。ねねさんと藤吉郎は絶対に結ばれる。あと少しだけ頑張ってみようや」


 その結果が結婚だ。

 なんというか、恋のキューピッドを果たした。

 と、いっていいんだろうなあ、これ。


「まあ、こればかりは天からの授かり物よ。ゆっくり焦らずやっていくしかないわいのう」


「……ですね」


 いろいろ複雑な気分で俺はうなずいた。

 とにかく俺と藤吉郎は清洲でいったん別れた。

 俺は神砲衆の家来たち数人を引き連れて、津島に向かう。


 ……可愛い我が子に会うために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る