第29話 強さの頂を目指して
今川義元の周囲には、ざっと見て300ほどの兵が集っていた。
数こそ少ない。
しかし見たところいずれも一騎当千。
屈強な兵たちが集合して、義元を守っているようだ。
さすがは東海一の弓取りと、その旗本にいる連中だな。
それに比べて俺たちは、実は人数だって義元の周囲より少ない。
信長軍2000人は戦場中で散り散りになっているため、いま信長の周囲いるのは敵の半分、150人くらいだろう。
だが、俺たちは突撃した。
桶狭間山の、坂の上に陣取っている今川義元の本陣に向けて。
「かかれ、かかれ! かかれーぇ!」
信長の下知のもと。
一心不乱に坂を登る。
今川義元を倒す。ただそれだけのために。
「尾張の弱虫どもが、治部を襲うか! 笑わせるな! うつけどもを返り討ちにしてやれい!」
義元の声が聞こえた。
すると今川軍が、襲いかかってくる。
俺は、鉄砲を撃ちまくり、銃弾が切れてはまた別の銃に持ちかえて、次から次へと敵に向かってぶっ放した。戦った。
戦いながら、ふと、いま義元が言った『弱虫』という言葉が心に響いていた。
ここにいる者たちは。
俺も含めて誰もが、弱さを抱えていた。
日々うつけと呼ばれ、馬鹿にされ、やがては田楽狭間で一度今川軍に敗北し、おのれを卑下していた織田信長。
けんかに弱く、何度も人生で辛酸をなめ、それでもなお天下のためにと立ち上がり、俺と黄金色の誓いを結んだ木下藤吉郎。
酒に溺れ、津島で魂を疲弊させていた滝川一益。
兄と自分を比較して、しょせんおのれは冷や飯だと自嘲していた佐々成政。
拾阿弥を殺し自分の弱さに嫌気がさしていた前田利家。
織田信勝に味方して、自分の弱さを心から悔いていた柴田勝家。
生まれ故郷を野盗に焼かれ、心が壊れかけるまで強さを求めていた堤伊与。
世の中すべてを敵だと思い、人間不信が骨の髄にまで染み込んでいた蜂楽屋カンナ。
父親が泥棒で、そのことをコンプレックスに抱えていた石川五右衛門。
そして。
そして――
『そうだよな。強くなりたいよな、叔父さん。……強くありさえすれば、俺だって……。』
『今度こそ幸せを手に入れてくれ。そしていつか、本当の強さを身につけてくれ。……頼むよ。負けたままで終わらないでくれ。おれたちのような人間でも、強くなれるんだ。勝者になれるんだ。幸福を手に入れることができるんだって、それを証明してみせてくれ――』
「証明、してやるさ」
負けたまま終わらない。
俺は、織田家は、敗北したまま終わることを選ばなかった。
立ち上がることを選んだ。今川義元。強さの頂にいる弓取りを相手に、もう一度戦うことを選んだのだ。
――
一度だけ、出会ったことがある、あの男。今川義元。
強かった。肌で感じた。今川義元は、恐ろしかった。威圧的だった。
そうとも、彼は強い。めちゃくちゃ強い。うらやましい。泣けてくるほど、強い。俺は、そんな人間になりたかったんだ。……きっと、ずっと、前世から。
今川義元。
あんた個人には、恨みなんかない。
だけども、あんたを倒さなければ、織田家は救われない。
そして俺たちも、前に向かっては進めない。強さの頂点にいるあんたを亡ぼさなければ、俺たちは未来に羽ばたけないのだ。
「今川、今川、今川。……今川ぁ!」
「倒す、倒す、倒す。倒す!」
「かかれ、かかれ! かかれ、かかれぇ!!」
餓鬼のごとく、織田軍は義元の旗本に飛びかかっていく。
二度、三度、四度、五度。義元の護衛をつとめる者たちが、何度切り捨て、叩き伏せようとも、信長軍は退かなかった。
「なんじゃ、こやつらは……」
義元の顔に、かすかな恐怖の色が浮かんだ。
何度攻撃してもまったく逃げない、ただ襲いかかってくる信長軍。
義元は、あまりのしつこさに驚き、辟易し、そして恐ろしさを感じているようだった。
きっと誰もが、俺と同じ思いだったんだと思う。
人生で何度かはぶつかる、この壁を乗り越えなければ自分は前に進めないという、直感的な障害。
それを、俺たちは、今川義元に見いだした。強さの
――やがて、
「治部ーぅ!」
津島衆のひとり、服部小平太さん。
彼が、義元の護衛をひとり斬り捨て、そこからついに義元の前に飛び出したのだ
「今川治部、お覚悟!」
「こしゃくな、下郎!」
義元は、刀を抜いて振りかざした。
服部さんのひざが、切られた。服部さんは、その場に倒れこむ。
しかし信長軍は、まだ終わらない。さらに続いて前田さんが、丹羽さんが、伊与が、武具を構えて突撃し、義元と交戦を開始する。義元はさらに、刀を振り回した。前田さんと丹羽さんが、斬撃を食らってその場に倒れる。しかし続いて、伊与が義元に飛びかかった。
「おんなまでもが、来るというのか!?」
「神砲衆、堤伊与。冥土までこの名を覚えておけ!」
「堤っ!? おのれ――」
伊与が義元に一撃を加えた。
義元の左肩に、切っ先が命中したのだ。
続いて伊与は義元の首を取ろうと突っ込む。だが義元も、やられまいと必死に暴れる。
伊与は、そんな抵抗する義元の蹴りをまともに胸元に食らい、後ろに向かって吹っ飛んだ。
「ぐうっ!」
「伊与、大丈夫か!」
「へ、平気だ。……東海一の弓取りに、堤の苗字を呼ばれたか。あの世の堤三介さまもお喜びだろう……!」
「伊与」
「私はいい。それより治部を、義元を! 討ってくれ。俊明!」
「おおッ!」
俺は、改めて義元に目を向けた。
飛びかかる信長軍を次々と切り伏せてゆく義元。
俺は、その男に向けて、最後の武器を構えた。
リボルバーも連装銃も、もう弾切れ。
いま俺が持っている武器は、使える武器は、ただひとつ。
「父ちゃん、母ちゃん。力を貸してくれ」
9年前に引き継いだ、火縄銃――
銃口を、暴れる義元の首へと向けた。
さんざん力強く、血刀を振り回す戦国大名。
大したものだ。だが俺たちは負けない。必ず勝ってみせる。一度は負けた。だがしかし、ここからは――
「ここからは、俺たちの反撃する番だッ!」
――たあーん。
と。
乾いた音があたりに響く。
と、そのとき織田家の兵士の一人が、義元に斬りかかった。
俺の銃弾が義元に命中するのと、彼が義元を斬ったのは、全く同じタイミングだった。
その兵の顔には見覚えがある。確か織田家の毛利新助。……そうか、必死になって忘れていたが、桶狭間の戦いで今川義元にとどめを刺したのは、確かに毛利新助だったな。
「あ、ぐ」
確かに見えた。
義元は絶命の瞬間、俺を睨みつけた。
「おのれ、おのれ。……おの、」
それが末期の言葉だった。
義元は前に向かって突っ伏した。
そこを毛利新助が飛びかかり、義元の首を取る。
「織田家家臣、毛利新助、今川治部大輔が首、討ち取ったり!」
雲を切り裂き。
天を貫かんばかりのその声音。
……やった。
……やった、んだよな?
今川義元が倒れた。
あまりにも大きすぎるその事実に、戦場の誰もが、一瞬、呆然として。――やがて、
「お、おおおおおおおおおおッ!」
誰かが吼えた。
味方に喜びの声なのか、敵の絶望の雄たけびなのか。
それも分からない。ただ、誰かが叫び、誰かも吼えていた。
そして俺は――
俺は、いま、何かが報われたと思った。
なんだろう。言葉にできない達成感を感じていたのだ。
「わほお! 勝った、勝ったぞ!」
「弥五郎、あたしらの勝ちよ! 織田家の大勝利ばい!」
「…………勝った……!」
藤吉郎さんにカンナ、それに伊与の叫び声。
さらに続いて織田家の足軽と雑兵も、それぞれに勝どきをあげまくる。そしてそれとは対称的に、今川軍の兵達は、一気に逃げ腰になり、やがて散り散りになって退却を開始しはじめた。
「………………」
織田信長は無言のまま、毛利新助が掲げた義元の首を眺めつつ、しかし確かに目を細めた。
俺たちは、信長軍は、勝ったのだ。――尾張国、桶狭間山の
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