第23話 告白

 カンナが海老原村にいる理由は、こういうことだった。


 田楽狭間の戦いに敗北したあと、カンナは神砲衆の面々に守ってもらいつつ、戦線から離脱。

 やがてひとりきりになってしまったあとは、とにかく津島に向かって走った。


 だがその途中、カンナは偶然にも旅人と出会い、


「どうやら織田の殿様はお討ち死にしたらしい」


 との噂に接する。


 こうなると、尾張がどのように荒れてくるか分かったものではない。

 かつてはうつけと呼ばれていた織田信長のことを、快く思っていない人間が、尾張中にはまだ無数にいる。


 そうなると、清州も熱田も津島も、完全に安全だと思えなかった。

 神砲衆の副リーダーである自分の首を獲って、今川氏に寝返ろうという人間が出てくるかもしれない。そう思ったのだ。


 そこでカンナが思いついたのが、海老原村だった。

 尾張国の重要拠点でもないこの村ならば、まず今川氏の勢力はまだ来ていない。

 ひとまずこの村に身を隠して、情勢を判断してから動こう。それが一番だ、とカンナは思った。




「この村やったら知り合いも多いけん、隠れとくには一番やち思うたとよ。……ねえ、あかり」


「はい。カンナさんを守るためなら、何年だってこの村で隠れてもらうおつもりでした」


 八兵衛翁の家の片隅で、俺と伊与のために温かい白湯を出してくれたのは、あかりちゃんだった。

 彼女は今川の兵が来るかもと聞いて、旦那や母親と共に、津島からこの村に疎開してきた。

 そのとき、偶然にも同じタイミングで海老原村にやってきたカンナと再会し、事情を聞いて――

 カンナを、この家に隠すことにしたのだという。


「さすがはあかりだ。よくカンナを守ってくれた」


 伊与が、満足気にうなずく。

 俺も同様に、首を縦に振って、


「ああ、とにかく本当によかったぜ。カンナもあかりちゃんも無事でいてくれて……」


「それより弥五郎、上総介さまはどうなんね。生きとるのか死んどるのか、さっぱり分からん」


「津島では、殿様ご生存の噂が流れていますが……本当のところはどうなんですか?」


「安心しろ。上総介さまは本当に生きておられる。多少、手傷は負われたが、じゅうぶん元気だ。士気もまったく衰えていない。今川氏を相手にもうひといくさ、するつもりさ」


「ほんとね!? やったぁ!」


 俺がそう言うと、カンナは両手を挙げて喜び、あかりちゃんも笑顔を作る。

 そして、俺たちの会話を黙って聞いていて八兵衛翁や、この家の他の住人も、安堵の顔色を見せたのだった。


「私たちは、今夜、ここに宿泊し、明日には清州に向かう。そして上総介さまと今後のことを打ち合わせてから、津島に戻って準備を整え、再戦に臨むつもりだ」


「分かった。やったら、あたしも、もちろん行くけん。今度こそ負けん。今川治部を尾張から追い出しちゃろう!」


 カンナは両手を拳にして、ふんふんと鼻息を荒くさせた。

 相変わらず明るい博多弁が飛ぶことに、俺は心から安心したのだが、


「それじゃ、今夜はいっぱい眠っておかんとね。疲れを取って、明日は朝から清州に行くけん」


 と、カンナが言ったとき、俺は真顔になって、


「カンナ」


 と言った。

 ちらりと、伊与の顔を見る。

 彼女はわずかに目を伏せた。


 気まずそうな顔だった。気持ちは分かる。

 だけど俺たちは伝えなきゃいけない。言うべきことがある。

 カンナにだけは。――他の誰を差し置いても、彼女にだけは教えるべきことが。


「どうしたん、弥五郎。そんな真面目な顔ばして」


「話がある。俺と伊与とカンナの、3人だけで。……あかりちゃん、奥の部屋を借りていいかい?」


「あ、はい。どうぞ」


 あかりちゃんの許可を得て、俺たち3人は奥へと向かった。




「――ふたりして、なんの話なん。あかりにも話せんような話題なん?」


「…………」


「…………」


 奥にある、四畳半ほどの狭い部屋の中で。

 俺たち3人は向かい合った形で、板張りの床の上に座っている。


 俺はくちびるを開きかけ、しかし閉じて、また開こうとして――閉じる。

 どう切り出したものか、迷っていた。そもそもどちらの話題からするべきなんだろう。

 俺が未来から来たことか、それとも――俺と伊与のことから話すべきか。


 時間にして、10秒かそこら。

 俺が、最初のセリフを脳内で選んでいるうちに、伊与がずばりと話し出した。


「カンナ。すまない。――先日、私と俊明――弥五郎は、結ばれた」


「………………え?」


 その言葉の意味が分からないといったように、カンナは、何度かまばたきをした。

 青く、大きな双眸そうぼうが、キョロキョロ動く。


「伊与」


「事実を告げたまでだ。どうせ言うつもりなら、早く言ったほうがいい」


「それは……そうだが」


 俺は、重苦しく呼吸を繰り返しながらそう言った。

 カンナは、俺と伊与を交互に見比べている。

 まだ、なにを言われたのかよく分かっていないようだ。


 ……伊与は、伝えた。

 次は俺が伝える番だ。


「カンナ。伊与の言っていることは本当だ」


 静かに、そのことを伝えた。


「田楽狭間の戦いのあと、俺と伊与はふたりで逃げた。そして逃げている途中、小さな小屋の中で。……一夜を共にした」


「…………」


 カンナは、無言。

 表情にも動きが見えない。

 感情豊かな彼女とは思えないほど、能面のような顔をしている。


「……悪い。……こんなときに、こういうことになって。ただ、カンナにだけはまず伝えなきゃいけないと思った。俺は伊与を求めたし、伊与も俺を求めた。――そういうことになったきっかけは……きっかけは、いろいろあるんだが……」


 過程に触れるには、俺が転生者であることを話さねばならない。

 俺が転生者であることを打ち明け、その後の流れで、伊与とそういうことになったのだから。


 だが。

 俺が未来の人間であることを明かすには。

 いまのカンナは、あまりにも――呆けた顔をしすぎていた。


 なぜ。

 どうして。

 意味が分からない。

 俺と伊与が、どうしていきなり、そういうことになったのか。それが分からない、といった様子で――


いてっ!?」


 俺は叫び声をあげていた。

 左手の甲に、激痛が走ったのだ。

 見ると、カンナが。……無表情のままのカンナが、何気ない動作で、俺の手の甲をつねっていたのだ。

 なまじの力ではなかった。伊与でも五右衛門でもない、腕力だけをいえば普通の女性とさほど変わらぬ彼女が、しかしものすごい力で、俺の左手をつねりあげていて――


 しかし顔だけは、無表情のまま。

 ゆっくりと、桃色のくちびるを開きだす。


「なんで、伊与が先なん?」


 淡々とした、低い声音だった。


「――ねえ、伊与。……あたしは伊与のこと大好きよ。家族みたいに思っとうし、同じ神砲衆の仲間やと思っとった。それに元々、弥五郎と幼馴染やったのは伊与やし、やから――もし夫婦めおとになるとしても、伊与なら、伊与だけなら、弥五郎といっしょにおってもいいって、そう思っとった。いまでもたぶん、そう思っとる。――でも」


 カンナは、その瞳にうっすらと涙を浮かべて。

 薄い笑みさえ浮かべて、告げたのだ。


「どうして、伊与が先なんよ……!!」


「…………」


 カンナの声音は、悲痛そのものだった。


「あたし、あたし、もう何年も前に弥五郎に伝えたよね!? あの温泉の中で、大好きやって、ずっといっしょにおりたいって、夫婦になりたいって。やけど、やけどあんた、それには答えてくれんで、伊与とあたしを天秤にかけるみたいにして、ずっと夫婦になろうとはせんで。……そりゃ伊与ならよかけど、伊与やったら、許せるけど……やけど……! 先にあんたのことを好きやって言ったのはあたしやん!? それやのに何年もあたしの気持ちに応えてくれんで、だけど先に結ばれるのが伊与やなんて、あんまりやないの!? それもこんな、大戦おおいくさに負けたあとに、ふたりだけでこっそりと……。あたし、あたし、あたし……せめてあたしを……先に……! あたしと先に……」


「カンナ」


「あたしのなにが足りんかったん!? この何年間であたしはなにをしとったら、弥五郎と先に結ばれたん!? なんで伊与が先やったん!? 伊与のなにがあたしより良かったん!? なんで、どうして……!!」


「…………」


 俺は、黙りこくった。

 伊与も、なにも答えず、ただ目を伏せている。

 左手の甲はますます痛みを増していき、その部分は真っ赤に膨れ上がっていた。


「なんとか言って! あたしやなくて、伊与を先に選んだ理由はなんなん!? なんか言うてよ! なんでずっと黙っとうと!? 嘘でもいいからあたしのことを納得させてよ!!」


 カンナの声音はさらに強く甲高くなる。

 その激しさに、俺と伊与は黙りこくり――

 そのとき家屋の屋根が、バタバタバタ、と激しい音を立てた。


 外の雨だ。

 天候は、ますます荒れていく。

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