第22話 転生者の使命

 その後、俺は和田さんの家来である甲賀忍者を使って、清洲城の信長に手紙を送った。

 六角氏との交渉は、万事、とどこおりなく進行したので、安心してほしい、と。


 すると、翌日の午後には返事がきた。

 その手紙には、


「六角氏との本格的な同盟交渉については、丹羽長秀を送るので彼に一任せよ」


 とのことだった。

 彼もまた、田楽狭間の戦いのあと、行方不明だった。

 だが、無事に生き延びて、清洲に戻ってきたという。


 史実でまだ死ぬ人物でないだけに、恐らく大丈夫だろうとは思っていたが……。

 こうして無事を知らされると、やはりホッとする。


 とにかく、丹羽さんなら外交仕事は充分に任せられる。

 なぜ、丹羽さんをわざわざこちらに寄越すのかというと、足軽組頭の身分である藤吉郎さんや、織田家に所属しているだけの商人である俺では、決定的な同盟交渉役としては身分が足りないからだ。


「丹羽様への連絡役には、わしひとりがここに残れば充分じゃ。弥五郎、汝はいったん尾張に戻れ」


 藤吉郎さんが、そんなことを言った。


「なぜです?」


「そろそろ今川が、動き出してもおかしくない。これに対抗するには汝の力が要る。一足先に尾張に戻って、神砲衆を再編成し、武器や道具を揃えておけい」


「なるほど、確かにその通りです。――では、ここはお任せします」


 俺は藤吉郎さんとうなずき合った。

 確かに、時間はもうあまりない。


 大将の今川義元が負傷したことで、一時的に動きを止めている今川軍だが、それもそろそろ限界だろう。

 俺は伊与と共に、尾張に戻ることにした。そして、藤吉郎さんは「ひとりで」と言ったが、観音寺城はしょせんは六角氏の領地。護衛役が必要だ。その役には五右衛門を当てることにした。彼女なら、万が一があっても、うまく藤吉郎さんを引き連れて観音寺城を脱出してくれるだろう。


「石川五右衛門が、藤吉郎さんを守るのも皮肉なんだがな……」


 近江から、尾張に向かって進む道の途中、俺は小さくうめき声を出す。


「皮肉? なぜ皮肉なんだ、俊明」


「ああ、そこらへんはまだ言ってなかったっけ。つまりさ」


 俺は、いったん深呼吸をしてから言った。


「石川五右衛門は、最終的には藤吉郎さんに――豊臣秀吉に殺されるんだ。釜茹でにされてな」


「………………」


 伊与が、息を呑んだのが分かった。


 どんより雲が、空を支配している。

 ぽつり、ぽつりと、小雨が空から落ちてきた。

 雨具もないまま、俺たちは早足で進んでいく。


「俊明。私は、お前の知っている未来を聞いた。――正直、いまでも信じがたい部分がある。上総介さまが天下平定に励んでいく、まではまだ分かるが……藤吉郎さんがそのあとを継ぎ、日ノ本の王者となる……天下人になるなど、未だににわかには信じがたい。……それに」


「…………」


「藤吉郎さんは天下を取ったあと、朝鮮にまで兵を繰り出すという。それだけではない。自分の甥っ子一族を大量に殺戮したり、さらには五右衛門まで釜茹でにするというのか。あの藤吉郎さんが? どういう理由で? ……私には、あの木下藤吉郎が、そんな殿様になるなど、とうてい思えない……」


「俺もそう思うよ。だから戸惑っているんだ。――ただひとつ言えるのは」


「言えるのは?」


「この乱れた戦国乱世をまとめるには、上総介さま……織田信長と、藤吉郎さんこと、豊臣秀吉の力がいる。そしてそのあとには、あの徳川家康の力も。彼らを助けて、本来の歴史通りに日本を泰平に導くのが、俺の使命だと思っているんだ」


「…………」


 人気のないけもの道をひたすら歩きながら、俺たちは言葉を交わす。

 眼前では、赤茶けた草が、風によって波打っていた。

 やけに物憂い気分になる、薄暗い草原が広がっている。


「私は」


 伊与は、風で乱れる黒髪を抑えながら、続けた。


「私は本来、俊明と再会したあの戦場で――7年前の萱津の戦いで死んでいるはずだった人間だろう?」


「いや、それは分からない。未来に残った史料にそう記されているだけで、実際には……」


「違いないさ。きっとそうだった。いや、私だけじゃない。カンナも恐らく、お前と出会わなかったら、ならず者に殺されていたに違いない」


「…………」


「お前がこの時代にやってきたおかげで、私とカンナは助けられたのだ。きっとそうさ」


「伊与」


「俊明。私はお前と運命を共にすると決めた。お前がどういう道を行こうと、堤伊与は女として侍として、いっしょに歩んでゆくだけだ」


「……ありがとう」


 風は、ますます強く吹く。

 隣を歩く、伊与の長い黒髪が舞う。

 白いうなじが、やけに印象強く、俺の網膜に焼き付いた。


 俺の使命は、三英傑を助けて歴史が誤った方向に行かないこと。


 だけど、それだけじゃない。

 俺を慕って集まってくれた仲間たちを守りぬくのも大事なことだ。


 特に、堤伊与と蜂楽屋カンナを。

 このふたりだけは、なにがなんでも守り抜き、幸せにしてやりたい。絶対にだ。


「カンナ……」


 未だ行方知れずの彼女のことが、気がかりだった。




 歩き続けていると、雨はいよいよ激しくなった。

 雨具がないのが、あまりに痛い。これ以上動くと、風邪を引いてしまうかもしれない。


「俊明。気付いているか? ここはもう、海老原村の近くだぞ」


「ああ、分かっているさ」


 伊与に言われて、俺はうなずいた。

 ここは、あのあかりちゃんの親戚がいる海老原村の郊外だ。

 清洲にも津島にも、まだもう少しかかるところだが……。


「この雨と、いまの俺たちの体力を考えれば、海老原村で一泊したほうがよさそうだ」


 もう、空も暗くなってきているしな。

 この村なら、宿泊と食事くらいはなんとかなる。


「よし、八兵衛翁のところに行こう。あそこで休んでから、明日、改めて清洲に向かう」


「分かった。明日も雨が降るようなら、雨具も借りていきたいな」


「だな」


 二人揃って、八兵衛翁の家におもむく。

 雨のせいか、村人はまったく外におらず、人と出くわすことはなかった。

 しかし、八兵衛翁の家に行くのも久しぶりだ。最後に顔を出したのは京の都に行く前だったか? 忘れられてなきゃいいけど。


 そう思いながら、八兵衛翁の家の前に立つ。家屋は雨戸で閉ざされていた。

 雨はいよいよ土砂降りだ。早く屋根の下に移動して、身体を拭きたいところだ。


「よし、尋ねるぞ」


 そう言って、ドンドン、と家の雨戸を叩く。


「すみません。どなたか、いませんか? 津島の山田弥五郎です!」


 大声で、叫ぶ。

 家の中から返事はない。……留守か?


「雨宿りに参りました。……お留守ですか?」


 我ながら、滑稽なことを言っていると思った。

 返事がなけりゃ、そりゃ留守だよな。自分で苦笑してしまう。

 しかし参ったな。まさか八兵衛翁が不在とは――そう思ったときだった。


 目の前の戸が開き、雨戸の間から、瞳が覗く。

 青く美しい、その見慣れたまなざし。それは紛うことなき――


「「カンナっ!?」」


 俺と伊与が、揃って素っ頓狂な声をあげた。

 そう、八兵衛翁の家から顔を出したのは、なんとカンナだったのだ。


「弥五郎! 伊与! アンタたち、無事やったとね……!!」


 ずいぶん久しぶりに聞く気がする、彼女の博多弁。

 まさかカンナが海老原村にいたなんて。過程は気になるが、とにかく無事でよかった!


「カンナ。本物だな。怨霊とかじゃないよな?」


「当たり前やし。オバケやなかよ! 伊与も元気そうでよかったぁ……!」


「カンナ。とりあえず、中に入れてくれないか? 雨に打たれて寒いんだ」


「あっ、そうやった。ごめんね、気が付かんで。はよ中に入りんしゃい」


 カンナに言われて、俺と伊与は家の中に入る。

 すると家主の八兵衛翁も現れて、すぐに手ぬぐいを出してくれた。

 俺と伊与は、その手ぬぐいで濡れた身体を拭きながら、衣服を整えたわけだが――


 さしあたって俺は、豪雨から逃れられたことにホッとしつつも。

 カンナの金髪を眺めながら、ある事柄を考えていた。

 すなわち。――彼女にだけは、伝えねばならないことを。


 そう、俺と伊与が結ばれたことと。

 俺が、未来から生まれ変わった人間であることを――


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