第21話 同盟、織田氏と六角氏

「自分の尻がぬぐえなくなったので、このわしに泣きついてこられたのかな? ……援軍がほしい、と。…………ふふ、ふふ、ふははははっ、はーっはっはっはっ……!!」


 陽射しが射し込む六角屋敷。

 その中で、六角義賢の高笑いが轟く。


 織田信長の敗北を知り、かつ、その現状を嘲り笑う彼に、俺は思わず気圧された。

 俺だけじゃない。伊与も五右衛門も、さらには俺たちを仲介してくれた和田さんも、しばし呆然とする。


 だが、そのときだ。


「さすがは六角の殿様。なにもかもご存知であったか。さすがにお耳が早うござる!」


 すぐさま立ち直ったのは、藤吉郎さんだった。

 にこにこと笑いながら、叫びたてる。


「いやさ、なにもかもその通りでござるよ。我が殿は先日、大敗北を喫した。一命こそ取り留めたものの、このままでは迫る今川の大軍に蹴散らされてしまう。そこで近隣のその名が鳴り響いた六角のお殿様に、助けを求めに来た次第!」


 藤吉郎さん、事実を認めたか……。

 まあ、向こうがこちらの事情をすべて見抜いているのなら、変に嘘を言うより認めたほうがいいかもしれない。


 すると、六角義賢もまた、げらげら笑った。


「木下殿、そなたは面白いな。正直な男よ、気に入った!」


「ありがとうございまする。名高き六角様にお褒めいただき、嬉しきこと、この上なし……!」


 藤吉郎さんは、笑いつつ、その場で大袈裟に平伏した。

 六角義賢は、その様子を見て、また笑った。

 もっともこのふたり、先ほどから、笑顔のくせに、目尻はろくに下がっていないのだが。

 独特の、緊迫した空気は、部屋中から消えていない。


 それから5秒も経たぬうちに、話を切り出したのは六角義賢だった。


「よかろう」


 彼はそう言って、うなずいた。


「将軍家とも昵懇の仲だという織田上総介どのに助けを求められては、この六角四郎、いやとは言えぬ」


「おう、さすがは六角様。それでは――」


「むろん、援軍を送ろう」


 六角義賢は、笑みを浮かべて言った。


「織田どのの下で働いておられる、そこの山田弥五郎どのが、矢銭をくれるのであればな」


「「…………」」


 俺と藤吉郎さんは、揃って押し黙った。


 なるほど。

 金をよこせ、と来たか。

 まあ、当然と言えば当然か……。

 これまで特に友好関係でもなかった織田氏に、ただで援軍を寄越せとは、そちらのほうが、よほどがめつい話だ。


 しかし――


「六角の殿様は、俺のことをよくご存じの様子で」


 俺は、低い声でそう言った。

 六角義賢は、口角を上げた。


「そなたのことはよく存じておるよ、山田どの。甲賀の里のために炮烙玉を作った変わり種の少年……。織田上総介どのの躍進にも、そなたの功績は大だと聞き及んでいる」


 そう言われて俺は、ちらりと和田さんに視線を送った。

 和田さんは、ごくわずかにうなずいた。

 前に聞いた通り、六角義賢は織田家に注目していたようだが、まさか俺のことまで知っていたとはな。


「その若さで津島に屋敷を構え、大量の銭を動かしているとも聞き及ぶ。見事な手腕よ」


「ありがとうございます」


「ゆえに、よ。山田どの。……ここでこの四郎の助けが欲しいのであれば、銭くらいは欲しいところじゃ。そなたならば何千貫でも何万貫でも、ただちに用立てることができようが、はっは」


「……正直なところ、殿様は、いかほどの額をお望みで?」


 俺はずばりと聞いてみた。

 隣で藤吉郎さんが、何度かまばたきをするのが見えた。

 六角義賢は、大きくうなずき、


「まず、10000貫」


 10000貫か。

 以前、熱田の銭巫女との戦いのとき、甲賀忍者に助けてもらったときもそれだけの金を出した。

 いまの俺なら出せない金額じゃない。少ない金額じゃないが、この一大事のとき、金で済む問題ならば――


「ただし、今後毎年、その金額を我が観音寺城に送ってもらいたい」


「な……」


「なに……!?」


「…………!」


 その言葉に、俺はもちろん、背後にいた伊与と五右衛門も顔色を変える。

 しまった。六角義賢のあまりにもな要求に、度肝を抜かれてしまった。――隣の藤吉郎さんは、いかにも(困りましたなあ)と言わんばかりに眉を曲げ、しかし笑顔は崩していない。さすがだ。


 藤吉郎さんは、ニコニコ顔のまま、抗議の声をあげる。


「六角の殿様。それはさすがに無茶でござるよ。これから毎年10000貫など――」


「高いかのう? お家が滅ぶかどうかの一大事。それならば毎年10000貫も高値ではないと思うがの?」


 違う。

 高い安いの問題じゃない。

 いやむろん、高い安いの問題でもあるが――


 一番は。

 そんなことを約束してしまえば、織田氏は六角氏の支配下だと宣言するも同然になってしまうのだ。


 例えば10000貫をいま支払って、六角氏の助けによって今川氏を退けたとしよう。

 織田信長は助かる。しかし織田家の名声は地に落ちる。もはや独立勢力ではなく、六角氏の傘下の織田氏だと天下は判断してしまうだろう。それが当然だ。援軍を出してもらった上に、一種の安全保障代ともいえる金を払ってしまい、しかもこれから毎年必ず金を支払うと約束したのだから。


 この要望に、ハイとは言えない。

 失うものが大きすぎる。……隷属ではだめなのだ。

 織田氏と六角氏。あくまでも対等な形の同盟にしなければならない。


 今回限りの謝礼金ならば、まだいい。

 今後もずっと謝礼金、というのがいけないのだ。


 どうする……。

 この状態から、どうやって対等の形に持っていける?

 考えろ。俺の知っている史実から、なにか六角氏を動かせるものはないか。


 考えた。

 考えて、考えて――数秒ほどの間だったが、脳を回転させまくってから、そして俺は言った。


「毎年、銭を払うというのであればこの話、いささか苦しくなりますね」


 俺は涼しげな顔で言った。

 すると六角義賢は「ほう」と驚き、藤吉郎さんと和田さんも俺に目を向けてくる。


「苦しくなると? この四郎の申し出を受けないというのかな? まあそれでもいいが、織田上総介どのは、それでよろしいのかな?」


 六角義賢はニヤニヤ笑っている。

 俺は、その笑みを返すかのように口の端を上げてから「いいえ」と言った。


「苦しくなるのは、六角様。……そちらでございます」


「「「「っ……?」」」」


「なんと……?」


 俺のセリフに、藤吉郎さん、和田さん、伊与、五右衛門は怪訝顔を作り。

 六角義賢も眉を大きく上げて不思議そうな顔をした。


「どういうことかな、山田どの。この四郎がどうして苦しくなるのかな?」


「単純な話ですよ。織田としては、毎年銭を払うという話はとても飲めません。ということはこの話はなかったことになり――おそらく織田は亡びるでしょう。今川氏は尾張まで侵攻し、美濃の斎藤氏まで亡ぼすか、あるいは傘下に置くかもしれません。そうなれば、近江を支配する六角の殿様は危うくなる。そういうわけです」


 俺はいっきにしゃべった。

 すると六角義賢は、大きく笑った。


「なんだ、その程度の話か。……ふふん、今川が美濃まで下すのにどれほどの時間がかかるかな? それまでに我がほうも黙っていはいない。そのときは近江の全軍を集めて、今川治部と一大決戦に及ぶまで――」


「それが苦しいのです、殿様」


「なに……?」


「殿様はお忘れなのです」


「なにを!」


「浅井賢政殿の存在を」


 その名前の登場に、六角義賢は「なっ」と息を呑んだ。

 藤吉郎さんと和田さんは、意外な名前の登場に「浅井……?」と不可思議そうな顔を見せる。


 浅井賢政。

 彼の存在はいまこの時点、1560年4月の時点ではまだ大きく注目される存在ではない。

 だが、その存在は少し歴史に詳しい者ならだれもが知っている。


 そう、浅井賢政は、のちの浅井長政。

 織田信長の妹、市姫を妻に持つことになる男だ。


 北近江の戦国大名、浅井氏の跡取りの賢政は、このとき満年齢で15歳の若武者だ。

 浅井氏は六角氏の傘下にいるため、六角義賢の『賢』の字をもらい、浅井賢政と名乗っている。


 しかし彼は、六角氏の傘下であることを嫌がり、賢政の名前を捨てて新九郎と名乗る。そして六角氏に反旗を翻すのだ。


 その反旗を翻す最初の時期が、まさにいま。1560年4月なのだ。

 近江の肥田城城主、高野備前守が、六角氏から浅井氏に寝返りをうつ。


 そこで六角氏は裏切り者の高野備前守を討つために、軍を差し向ける。

 浅井氏も当然、高野備前守を守るために軍を出す。

 こうして、浅井氏と六角氏の戦いが幕を開けるわけだが――


 まだ、俺たちがこうして六角屋敷にいる時点では、ギリギリで、浅井氏は六角氏とまだ戦っていない。

 六角義賢も、まだ浅井氏の動きには注目していないのだ。


「ぜひ、近江肥田城の動きをお調べください。かの城がすでに浅井氏に寝返っていることが判明するはずです。……そこで殿様、先ほどの話に戻ります。今川氏が尾張、そして美濃にまで攻めてきて――もしも浅井氏と提携をされたら? いや、あるいは今川は、美濃の斎藤氏を傘下に組み込むかもしれません。そして北近江の浅井氏も! まるで、波が砂山を飲み込むがごとき勢いで! そうなれば殿様、六角のお家も決して安泰とは言えません! 苦しくなるとはそういうことです!」


「…………!」


「ゆえにいま、我々が手を組む必要があるのです! 織田上総介が尾張で今川を食い止める。その間に殿様は北近江の浅井と戦われませ。――この同盟、両家にとって得のある話と存じます!」


 俺は一気にしゃべりたてた。

 自分でも驚くほどの勢いだが――


 俺の舌の動きに、圧倒されたのかどうか。

 六角義賢は、しばし腕組みする姿を見せてから、


「……よく考慮しよう!」


 と、そう答えた。

 俺は内心、ほくそ笑んだ。

 これまでの経験から、六角義賢が同盟話に前向きであることを察したからだ。




 果たしてそうなった。

 3日後。六角屋敷に逗留していた俺たちのところに再び六角義賢がやってきて、


「近江肥田城の高野備前守、確かに浅井に寝返っておるようだ」


 と、認めた。


「四郎はこれより、兵を出して肥田城を攻略する。……しかし山田どの、そなたの言う通り、確かに今川氏を尾張で食い止めておかねば、我らとしては厄介なことになる」


「殿様、それでは」


「うむ……」


 六角義賢は、重々しくうなずいた。


「織田殿と対等の形で同盟しよう。今川氏を相手に、尾張でよく戦ってほしい。援軍も出す。ただし矢銭はいただくぞ」


「今回に限り、でございますね?」


 俺は念を押す。

 すると六角義賢は、やや不快そうな顔色を見せつつも、


「無論だ」


 小さく、うなずいた。




 織田氏と六角氏。

 同盟は、成った。




 信頼があるわけでもない、とりあえずの利害関係に基づいただけの同盟だが。

 しかし、援軍は確かに引き出せた。……これで今川軍と、また戦える!

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