第20話 対決、六角義賢

 尾張の国から北へ、北へ。

 いざゆかん、南近江へ。


 ――と言いたいところだが、その前に。

 俺たちは甲賀へ向かうことにした。


「藤吉郎さん。六角氏当主の義賢に、いきなり会いたいと言っても会えないでしょう。まずは甲賀に出向き、和田さんと会うべきです」


「おう、和田伝右衛門どのを通じて六角氏に会おうというわけじゃな」


 甲賀の和田家は、かつて六角氏の配下だったことがある。

 現在では、足利将軍家に属した形となっているが(かつて足利義輝が三好氏に追われて近江に逃げたとき、和田家は足利将軍家の奉公衆と化している)、それでも六角氏と一定の関係は保持しているはずだ。


 それに甲賀の名家である和田さんを通じていけば、六角氏だって無視はできないだろう。

 と、俺はそう思うのだが……。




 甲賀におもむき、和田さんに用件を伝えると、


「心得た」


 話は早かった。

 六角氏と織田家の同盟話、自分が仲介しよう、と言ってくれたのだ。


「山田うじにはずいぶん世話になったし、久助(滝川一益)との関係もあるからな。このくらいの仲介はたやすいことでござる。……しかし」


「しかし?」


 藤吉郎さんが、怪訝顔を作る。


「織田家と盟を結ぶかどうかは、けっきょくは四郎さま(六角義賢)が決めること。和田家としては仲介するまでしかできぬ。それでよろしゅうござるか」


「それは無論です。和田さんになにからなにまでやってもらおうとは思いません」


「おうさ。六角の殿様を説き伏せるのは、わしと弥五郎の仕事じゃ!」


 藤吉郎さんは、どんと胸を叩いた。

 その様子に、和田さんは無言のままニヤッと笑った。


 ……六角氏当主、六角義賢か。

 厳密にいえばいまの時点(1560年)ではすでに家督を嫡男の六角義治に譲っており、隠居の身なのだが、しかし実権はなお彼にあるはずだ。


 宇多源氏の流れを継ぐ名家、六角家。

 その当主である義賢は名家意識が強い人物だったという。

 例えば義賢は美濃の斎藤家を嫌っていた。なぜなら斎藤家は、本来の美濃の守護である土岐氏を追放して、美濃のリーダーにのし上がった成り上がり者だからだ。


 そんな義賢に、織田家との同盟話を持ち出すのだ。

 織田家は――そう信長の織田弾正忠家は、本来尾張の守護リーダーではない。

 それどころか守護代ふくリーダーですらなかった。尾張の守護の斯波氏や、守護代織田氏を乗り越えて、尾張の国主にのし上がったのだ。


 義賢は、この話にどう反応するだろう?

 俺は思わず、生唾を飲み込んだ。


 かすかに、ひざも震える。

 ……武者震いだな。




 六角氏の居城、観音寺城は標高400メートルを越える山の上にある。

 その城下町は、かつて六角義賢の父、六角定頼が天文年間に楽市令を施行して、たいへんな賑わいを見せた場所だ。

 その影響は現在でも色濃く、城下町には多数の旅人や行商人が行きかっており、なるほどこれは南近江一番の町だと俺は認識させられた。琵琶湖から獲ってきたらしい川魚の干物や、このあたりの特産品らしい瓜や大根が商店の軒先に並び、さらに京や堺から流れてきたのか、派手な柄の反物を運んでいる人もいた。


 この町も要チェックだ。

 うまく使えば、多大な利益をあげることができそうな観音寺の城下町で、俺は目を光らせた。


 だが、いまのところは商いよりも交渉。

 織田家と六角家の同盟を結ばせなければならない。


 俺たちは、和田さんの先導のもと、観音寺城の内部へと入っていき――

 山道を、わずかに息を切らしながら登ったものである。




 六角家の家来の案内により、俺たちは。

 山の中腹にある、小ぎれいな屋敷の中に通された。


 十畳ほどの、板張りの部屋の中である。

 廊下との間にある戸や、また庭との間にある戸も閉められず、そのまま外の景色が見える。

 太陽の光が射し込んでくる、開放的な空気の中で、俺たちはひたすら六角家の責任者を待った。


 この場にいるのは、まず和田さん。

 その横に、織田家の正式な使者として、藤吉郎さん。

 その後ろに、従者として俺と伊与と五右衛門が並んで座る。


 ――やがて。

 どすどすどすどす、と。

 大きな足音を立てて、何者かがやってきた。


 そして、室内に、近侍を従えて入ってくる。


「やあ和田どの、久しいな。尾張の織田家から使者を連れて参るとは、はっはっは。これは珍客でござるなあ……」


 気さくな笑い声をあげながら、中年男が登場した。

 和田さんは軽く平伏し、藤吉郎さん以下、織田家の使者である俺たちは深々と頭を下げる。

 しかし土下座をする前に、俺は見た。やってきた男は、月代を綺麗に剃り上げて、しかしもじゃもじゃ髭を口の周りにたくわえた、なかなかの良い武者ぶりだったのだ。


「堅苦しい挨拶はいらぬ。……ええ、木下藤吉郎どの、であるか? うむ、おもてをあげられよ」


 その男は、明朗な声で言った。

 その声音に従い、俺たちはそっと顔を上げる。


「わしが、六角四郎じゃ」


 男は、朗らかに言った。


「はるばる尾張からよう参られた。おうおう、皆、若いのう、うらやましい。……おう、綺麗どころもいるではないか。おなご連れとはいかなる意味かな? ……なに、家来? 織田どのはかように美しいおなご衆を家来にされておられるのか。なんとうらやましい!」


 ぺらぺらと男はしゃべりまくるのだが――

 俺は内心、仰天していた。……六角四郎!? 六角家の大将、六角四郎義賢なのか? この男が!?

 まさか六角氏の総大将がじきじきに来るとは思わなかった。俺たちは、同盟の話をするために、六角家中のしかるべき人物を紹介してくれるように和田さんに頼んだのだが――


「七面倒くさいことよ。わしが六角の意思そのものじゃ。わしに話をすればすべてがここで済む。そうであろうが」


 六角義賢はケラケラ笑った。

 名家の大名ということで、ずいぶん気難しい人だろうと想像していたが……

 しかし実際の義賢は、えらく気安い人柄だ。内心、ちょっと安心した。

 これなら、和やかな空気で同盟の話ができそうだ。

 藤吉郎さんも、そう思ったらしい。


「いやはや、さすがは天下に名高き六角さまじゃ! このように直々に参られるとは、木下藤吉郎、感服いたしてござりまする」


「はっはっは、おだてがうまいのう、木下どの」


「なんの、おだてではございませぬぞ。かように殿様みずから采配を振るう大名家は当節少のうござる。いや、この藤吉郎もいろんな侍大将と会うてきましたが、近ごろの侍は公家のまねなどをして、やれ蹴鞠だのやれお歯黒だの、くだらぬ輩が実に多い! やたらと見栄だけ張りまくって、実際には屁のツッパリにもならぬ武士が多いのでござる。そこをいくとさすがは六角さま。いきなり他家の使者に顔合わせとは、肝がお太い!」


 ぺらぺらと、舌がよく動く。

 藤吉郎さん得意の弁舌だ。

 公家のまねをする侍なんて、誰のことやら。少なくとも俺は知らない。

 だが架空の人物を作り上げてまで、目の前の人物を恥ずかしげもなくヨイショする手腕はさすがだった。


「はっはっは、そうか、そうか。当節の侍は軟弱が多いか。いや、わしも噂はよく聞くぞ。三好の侍は弓もろくに引けぬとか、今川の侍は男のくせに化粧をしているとか、その手の噂じゃ!」


「左様、左様。殿様のおっしゃる通り。惰弱な男が昨今は実に多いでござるなあ。乱世というのに悲しゅうござるよ!」


 六角義賢と藤吉郎さんは、笑い声を出し合った。

 実にいい雰囲気だ。胸筋を開き合っているとはこのことか。


「しかし木下どの」


 そのとき六角義賢は、にこにこ顔で言った。




「その軟弱で知られる今川の兵に、織田上総介どのは、田楽狭間で大敗したと聞きおよぶがの」




 妙に、低い声だった。

 目は、笑っている。口元も、歪んでいる。

 しかし――声だけは、笑っていなかった。


 藤吉郎さんも、笑顔を固まらせる。

 ……六角義賢は、知っていた。信長の敗北を、すでに知っていた……。


「――はっはっは。さすがは東海一の弓取り、今川治部。織田どのの奇襲策を見事に看破し、逆に叩きのめしたそうではないか。見事よのう。それに比べて織田上総どの。どうやら一命はとりとめたようじゃが、いまのままでは今川家の大勢力を前に、その命運は風前のともしび。……ではないか、木下どの?」


「は……ははは、左様でござるなあ……」


 さすがの藤吉郎さんも、六角義賢のふいうちを食らい、二の句が継げない。

 六角義賢は、相変わらずニコニコ笑いつつ、


「そのような折に、織田どのはなにを思うて、この四郎に使者を送ってこられたのかな? まさかとは思うが」


 しかし低い声音で続けた。


「自分の尻がぬぐえなくなったので、このわしに泣きついてこられたのかな? ……援軍がほしい、と。…………ふふ、ふふ、ふははははっ、はーっはっはっはっ……!!」


 陽射しが射し込む六角屋敷。

 その中に、義賢の高笑いが轟いた。


 六角義賢。

 笑顔の下に、敗者をあざけるが如き光が見える――

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