第19話 新たなる旅路

 六角氏との同盟作戦。

 これを実行するために、俺たちは動き出した。


 信長は、藤吉郎さんから進言を受け、六角氏との提携を許諾。

 俺たちへ、ただちに南近江に出向いて六角氏と話し合うように告げたのだ。


「前年、公方(足利義輝)とよしみを通じておいたのが、ここに来て生きそうだな」


 まだ体調が全快しておらず、青白い顔をしている信長は、しかしはっきりとした声でそう言った。


 そう、足利義輝と六角氏は関係が深い。

 足利義輝が元服したときの烏帽子親えぼしおやは、六角氏14代当主の六角定頼ろっかくさだよりだし、さらに1558(永禄元)年には、義輝は、六角氏15代当主の六角義賢ろっかくよしかたの支援を受けて、畿内を牛耳る三好氏の勢力と交戦している。さらにはその後、義輝は、六角氏の仲介で三好氏と和議も結んでいるのだ。


 言うまでもなく信長は、前年、足利義輝に拝謁して、交友関係を結んでいる。

 この状態ならば、六角氏のもとに織田家が登場しても、無下に扱われることはないだろう。


 ……おそらくは、だが。


「余がみずから南近江まで出向きたいところだが、この身体と尾張の情勢では、動くこともできぬ」


「もちろんです。殿様はお身体を大事になさってください」


「六角家との同盟。わしと弥五郎がきっちりなしとげてきますでよ!」


 俺と藤吉郎さんは、力強く言った。

 信長は、微笑を浮かべてうなずいた。


 こうして俺と藤吉郎さんは、信長の命を受けた形で南近江へ向かう。

 滝川さんと佐々さんは、信長の護衛として尾張に残ることになった。

 旅立ちのメンバーは、俺、藤吉郎さん、伊与、五右衛門の4人だ。


「これまでも、窮地は何度もあった」


 熱田を旅立った直後、藤吉郎さんは言った。


「しかし今回は最大の窮地かもしれんの」


「……確かに。織田家が滅亡するかどうかの瀬戸際です」


 六角氏は足利義輝と関係が深い。

 織田家が出向いても無下には扱われまい。


 だがだからといって、織田家と同盟し、今川家と戦ってくれるかというと。……そこまでは難しいかもしれない。

 それを成し遂げられるかどうかは、俺たちの手にかかっているのだ。


「うふっ」


 ふいに、藤吉郎さんは破顔した。


「……なにがおかしいんだよ、藤吉郎さん」


 五右衛門は、怪訝顔を見せる。


「おかしいではないか。わしはたかが足軽組頭。いやさらにもとはといえば、尾張中村の百姓の出。ほんの数年前まで、弥五郎や伊与と、1束20文の炭を、買うの買わないので話し合っていた程度の男よ。……それがいまや、織田家と尾張の命運を背負って南近江に向かっている。これが笑わずにいられるか」


「炭、か。……そんなこともあったな」


 伊与が、懐かしそうに空を見上げた。

 俺も、あの時代がすでに懐かしい。

 この時代の両親と、伊与と共に、加納の楽市で炭売りをしていた時代。

 もうあれから9年になるか。思えば遠くへきたもんだ。


「汝ども。……これァ、神がかりじゃぞ」


 藤吉郎さんは、不敵な笑みを浮かべ、俺たちを見回しつつ言った。


「水呑み百姓と炭売りと泥棒。これらがたったの4人だけで、尾張一国を救おうというんじゃ。聞くものが聞けば気がふれたと思う。それほどの難事業よ」


「覚悟の上です」


 俺はうなずいた。


「これからの俺たちの踏ん張り次第で、織田家が、尾張が、そして天下が救われるかどうかが決まる」


 伊与が、わずかに眉を動かした。

 俺からのちの歴史を知らされた伊与は、信長を救うことが天下の歴史を動かすことを知っている。

 大げさでなく、ここからの俺たちの動きは日本史を決める動きになるのだ。


「天下とはよかった」


 藤吉郎さんは、げらげら笑った。

 憎いほど晴れ渡った空に、のちの天下人の笑声が轟く。


「弥五郎、今日のお前はいつにもまして頼もしい。気合を入れてやろうと思ったが、その必要はなさそうじゃのう。……よろしい。それではいくぞ、皆の衆。我らが殿と尾張の民と、これからの天下を救うために」


 藤吉郎さんの宣言に、俺たちは大きくうなずいた。




 熱田を出た俺たちは、まずは津島に到着した。

 神砲衆の屋敷に寄り、俺の生存を知らせ、かつ旅の準備をしなければならないからだ。


「あっ、アニキ!」


 屋敷に戻るなり、俺を出迎えてくれたのは、甲賀の次郎兵衛だった。

 田楽狭間の敗戦後、散り散りになった彼は、しかしなんとか生き延びて、ひとまず津島に戻ってきたらしい。


「次郎兵衛、無事だったか」


「アニキもよくご無事で。心配しておりやした」


「ああ。……生き残ったのはこれだけか?」


 俺は屋敷の中を見回した。

 次郎兵衛に、自称・聖徳太子ら山田五人衆も、その場にいた。

 加藤さんにがんまく、一若もいる。主だったものは生きているようだが、しかし見えない顔もいる。


「はっきりと分かっているだけでも、11人討ち死にしやした。又兵衛、右近、吉兵衛、おぎん、左ノ助――」


 次郎兵衛は、次々と名前をあげていく。

 いずれも神砲衆の面々で、気のいいやつらだった。


「……皆、立派な最期でした」


「……そうか」


 俺は頭を垂らし、首を振った。

 仲間の死は、何度経験しても慣れない。


「カンナは? ……カンナはどこにいる?


 伊与が尋ねる。

 しかし次郎兵衛は、首を振った。


「こっちには戻ってきておりやせん。あっしはてっきり、アニキたちと一緒だと思っておりやしたが」


「…………そうか」


 伊与は、くちびるを噛んだ。

 藤吉郎さんと五右衛門も同様だ。


「……次郎兵衛。俺たちはこれから、お役目を帯びて近江へ行く。その間、きっと生きているはずの神砲衆の仲間たちを探してくれ。……もちろん、カンナもな」


「承知しやした!」


 次郎兵衛は、大きくうなずいた。

 それからさらに聞くところによると、信長討ち死にの報は津島にもすでに届いており、町人のうち何十人かは逃げ出したとのことだった。あかりちゃんも、海老原村に疎開したらしい。


 この時点では賢明な判断と思う。

 俺はうなずき、それから自称・聖徳太子たちに、


「上総介さまは生きておられる。俺がこの目でしっかりと見た。……津島中に触れ回れ。織田上総介はなお健在であり、織田家も終わってはおらぬ、と」


「「「「「ういっす!」」」」」


 聖徳太子たちは、平伏した。

 そして、それからさらに話を聞くと、やはり柴田さん、前田さん、丹羽さんらは行方不明。大橋さんや小六さんも、まだ戻ってきてはいないという。……俺の知っている歴史ならば、全員、この時点で死ぬ人物じゃない。柴田さんたちは、無事だと思うが……。


「カンナ……」


 俺は思わず独りごちた。

 彼女だけは、歴史上に名が残った人物じゃない。

 この時点で生き残るかどうか、分からないのだ。


「俊明」


 伊与が、そっと俺の手を握った。

 そのまなざしは力強かった。――大丈夫だ、カンナならきっと生きている。私たちは私たちのやるべきことをしよう。そう言っているようだった。


 俺は、首肯した。


「よし、行こう。南近江へ。俺たちがやるべきことをやるために」


 俺たちは、南近江へ向かう。

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