第19話 新たなる旅路
六角氏との同盟作戦。
これを実行するために、俺たちは動き出した。
信長は、藤吉郎さんから進言を受け、六角氏との提携を許諾。
俺たちへ、ただちに南近江に出向いて六角氏と話し合うように告げたのだ。
「前年、公方(足利義輝)とよしみを通じておいたのが、ここに来て生きそうだな」
まだ体調が全快しておらず、青白い顔をしている信長は、しかしはっきりとした声でそう言った。
そう、足利義輝と六角氏は関係が深い。
足利義輝が元服したときの
言うまでもなく信長は、前年、足利義輝に拝謁して、交友関係を結んでいる。
この状態ならば、六角氏のもとに織田家が登場しても、無下に扱われることはないだろう。
……おそらくは、だが。
「余がみずから南近江まで出向きたいところだが、この身体と尾張の情勢では、動くこともできぬ」
「もちろんです。殿様はお身体を大事になさってください」
「六角家との同盟。わしと弥五郎がきっちりなしとげてきますでよ!」
俺と藤吉郎さんは、力強く言った。
信長は、微笑を浮かべてうなずいた。
こうして俺と藤吉郎さんは、信長の命を受けた形で南近江へ向かう。
滝川さんと佐々さんは、信長の護衛として尾張に残ることになった。
旅立ちのメンバーは、俺、藤吉郎さん、伊与、五右衛門の4人だ。
「これまでも、窮地は何度もあった」
熱田を旅立った直後、藤吉郎さんは言った。
「しかし今回は最大の窮地かもしれんの」
「……確かに。織田家が滅亡するかどうかの瀬戸際です」
六角氏は足利義輝と関係が深い。
織田家が出向いても無下には扱われまい。
だがだからといって、織田家と同盟し、今川家と戦ってくれるかというと。……そこまでは難しいかもしれない。
それを成し遂げられるかどうかは、俺たちの手にかかっているのだ。
「うふっ」
ふいに、藤吉郎さんは破顔した。
「……なにがおかしいんだよ、藤吉郎さん」
五右衛門は、怪訝顔を見せる。
「おかしいではないか。わしはたかが足軽組頭。いやさらにもとはといえば、尾張中村の百姓の出。ほんの数年前まで、弥五郎や伊与と、1束20文の炭を、買うの買わないので話し合っていた程度の男よ。……それがいまや、織田家と尾張の命運を背負って南近江に向かっている。これが笑わずにいられるか」
「炭、か。……そんなこともあったな」
伊与が、懐かしそうに空を見上げた。
俺も、あの時代がすでに懐かしい。
この時代の両親と、伊与と共に、加納の楽市で炭売りをしていた時代。
もうあれから9年になるか。思えば遠くへきたもんだ。
「汝ども。……これァ、神がかりじゃぞ」
藤吉郎さんは、不敵な笑みを浮かべ、俺たちを見回しつつ言った。
「水呑み百姓と炭売りと泥棒。これらがたったの4人だけで、尾張一国を救おうというんじゃ。聞くものが聞けば気がふれたと思う。それほどの難事業よ」
「覚悟の上です」
俺はうなずいた。
「これからの俺たちの踏ん張り次第で、織田家が、尾張が、そして天下が救われるかどうかが決まる」
伊与が、わずかに眉を動かした。
俺からのちの歴史を知らされた伊与は、信長を救うことが天下の歴史を動かすことを知っている。
大げさでなく、ここからの俺たちの動きは日本史を決める動きになるのだ。
「天下とはよかった」
藤吉郎さんは、げらげら笑った。
憎いほど晴れ渡った空に、のちの天下人の笑声が轟く。
「弥五郎、今日のお前はいつにもまして頼もしい。気合を入れてやろうと思ったが、その必要はなさそうじゃのう。……よろしい。それではいくぞ、皆の衆。我らが殿と尾張の民と、これからの天下を救うために」
藤吉郎さんの宣言に、俺たちは大きくうなずいた。
熱田を出た俺たちは、まずは津島に到着した。
神砲衆の屋敷に寄り、俺の生存を知らせ、かつ旅の準備をしなければならないからだ。
「あっ、アニキ!」
屋敷に戻るなり、俺を出迎えてくれたのは、甲賀の次郎兵衛だった。
田楽狭間の敗戦後、散り散りになった彼は、しかしなんとか生き延びて、ひとまず津島に戻ってきたらしい。
「次郎兵衛、無事だったか」
「アニキもよくご無事で。心配しておりやした」
「ああ。……生き残ったのはこれだけか?」
俺は屋敷の中を見回した。
次郎兵衛に、自称・聖徳太子ら山田五人衆も、その場にいた。
加藤さんにがんまく、一若もいる。主だったものは生きているようだが、しかし見えない顔もいる。
「はっきりと分かっているだけでも、11人討ち死にしやした。又兵衛、右近、吉兵衛、おぎん、左ノ助――」
次郎兵衛は、次々と名前をあげていく。
いずれも神砲衆の面々で、気のいいやつらだった。
「……皆、立派な最期でした」
「……そうか」
俺は頭を垂らし、首を振った。
仲間の死は、何度経験しても慣れない。
「カンナは? ……カンナはどこにいる?
伊与が尋ねる。
しかし次郎兵衛は、首を振った。
「こっちには戻ってきておりやせん。あっしはてっきり、アニキたちと一緒だと思っておりやしたが」
「…………そうか」
伊与は、くちびるを噛んだ。
藤吉郎さんと五右衛門も同様だ。
「……次郎兵衛。俺たちはこれから、お役目を帯びて近江へ行く。その間、きっと生きているはずの神砲衆の仲間たちを探してくれ。……もちろん、カンナもな」
「承知しやした!」
次郎兵衛は、大きくうなずいた。
それからさらに聞くところによると、信長討ち死にの報は津島にもすでに届いており、町人のうち何十人かは逃げ出したとのことだった。あかりちゃんも、海老原村に疎開したらしい。
この時点では賢明な判断と思う。
俺はうなずき、それから自称・聖徳太子たちに、
「上総介さまは生きておられる。俺がこの目でしっかりと見た。……津島中に触れ回れ。織田上総介はなお健在であり、織田家も終わってはおらぬ、と」
「「「「「ういっす!」」」」」
聖徳太子たちは、平伏した。
そして、それからさらに話を聞くと、やはり柴田さん、前田さん、丹羽さんらは行方不明。大橋さんや小六さんも、まだ戻ってきてはいないという。……俺の知っている歴史ならば、全員、この時点で死ぬ人物じゃない。柴田さんたちは、無事だと思うが……。
「カンナ……」
俺は思わず独りごちた。
彼女だけは、歴史上に名が残った人物じゃない。
この時点で生き残るかどうか、分からないのだ。
「俊明」
伊与が、そっと俺の手を握った。
そのまなざしは力強かった。――大丈夫だ、カンナならきっと生きている。私たちは私たちのやるべきことをしよう。そう言っているようだった。
俺は、首肯した。
「よし、行こう。南近江へ。俺たちがやるべきことをやるために」
俺たちは、南近江へ向かう。
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