第18話 同盟作戦

 信長は、意識を取り戻した。

 なお、体の具合は悪そうだ。身体を横たえたままである。

 それでも彼は、俺たちが用意した割り粥をわずかにすすった。食欲があるのならひと安心だ。


 食事を終えてから。

 信長は、俺たちをそっと見回した。


「生きているのは、これだけか。……6人か」


 織田家の者では藤吉郎さん、滝川さん、佐々さん。

 神砲衆では俺と伊与と五右衛門。


 そう、生存が確実なのは、この6人しかいないのだ。

 信長は、そこで眉間にしわを寄せた。


「みじめなものよな」


 嘆息混じりに、つぶやく。

 それはかつて見たこともないほど、弱気な信長の姿だった。


「乾坤一擲の大合戦を挑んだはいいが、その結末がこのざまとは、笑い話にもならぬ。尾張の大うつけの面目躍如といったところか」


「上総介さま――」


 佐々さんが、なにかを言おうとする。

 だがその声を遮って、藤吉郎さんが「なんの殿様!」と叫んだ。


「なにがこれだけでございますか。ここに残った者はわずか6人、されど6人でござる。皆、一騎当千の者ばかり。すなわち6000人の大軍が残ったも同然にござるぞ。これだけの者が残っておれば、相手が鬼神であろうとも、決して遅れはとりませぬわい!」


 藤吉郎さんの、大言壮語……。

 励ますにしても、あまりにも大袈裟なものの言いように、佐々さんと滝川さんは露骨に顔をしかめた。

 だが、そんな彼らを置いて、俺もまた、藤吉郎さんに続く。


「藤吉郎さんの言う通りです」


「山田……」


「正直に申しまして、田楽狭間の戦いは大敗でございました。しかし、まだ織田軍団が滅びたわけではありません。殿様はこうしてご健在、そして織田家の未来を信じる者がこうしてここにいる以上、まだ敗北は決まっていません。柴田さんや前田さん、丹羽さん、小六さん……それにカンナたちも、きっと生きて戻ってきます。再び仲間を集めて、戦いを挑めばいいのです!」


「山田。悲観的なおめえにしては、えらく強気な言葉じゃねえか」


 滝川さんが、驚いたように目を見開いて言った。

 俺はちょっと笑って、視界の隅にいる伊与に目を向けた。

 彼女は場をわきまえて、先ほどからなにも言わないが――


 伊与という大切な存在を改めて知った俺だ。

 強気にもなる。ならなきゃいけない。絶望するわけにはいかないのだ。

 自分のため、伊与のため、仲間たちのため、未来のために……。


「……藤吉郎、山田」


 信長は、小さく息を吐いてから、俺たちの顔を見比べた。


「ふたりの言や良し。……余は弱気になりすぎていた。そちたちの言う通りだ。……戦いはまだ終わっておらぬ」


「殿様」


「ただちにあたりに触れ回れ。上総介は手傷こそおったが、なお健在だと。今川を相手に、まだ勝利を諦めておらぬと――。先の戦いを生き延びたものは清州に集え、次こそ必ず勝利する。信長の野望は決して潰えぬ。今川治部のその首は、信長が必ずあげてみせると叫ぶのだ……!」


「……殿様ぁ!」


 藤吉郎さんは、喜色を満面に浮かべて叫んだ。

 信長が戦う気を取り戻したのが、よほど嬉しいのだろう。

 こくこくと、その場で平伏しつつ何度も頭を下げたのだ。


 信長は復活した。

 気持ちというのは、不思議だ。

 確かにこちらに伝わってくる。

 強気を取り戻した信長の魂が、部屋中に充満するようだった。


 勝負はここからだ。

 この場にいた誰もが、そう思った。




 信長は、その後、睡眠を開始した。

 身体の疲れが、まだ残っているのだろう。

 いまはとにかく、信長の体力の回復が最優先だ。どんどん眠っていただきたい。


 だが残った俺たちは、睡眠どころじゃなかった。

 まず信長の生存を、熱田中に触れ回った。札も立てて、信長健在である旨を尾張中にアピールしなければならなかった。

 なにせこの時代の武士は、自分と家族が食っていくことが最優先だ。信長が死亡したと分かれば、織田の家来や足軽たちでさえ、一気に今川家に流れてしまうだろう。


 だが信長が生きていることさえわかれば、いきなりそういう行動はとらない。

 織田軍が敗北したといっても、信長と清州城はなお残っている。まだ戦えるのだ。

 それさえ通じれば、尾張の武士や民衆も、いきなり信長を見限ることはないと思う。


 俺たちは、夜通し、熱田の民衆に信長生存を説いて回った。

 噂は、広まりやすい。尾張国の一大拠点である熱田で噂を広めれば、自然と国中に広まるだろう。


「あとは上総介さまの体力だな」


 夜の熱田の町中で、佐々さんは、そう言った。

 俺と伊与、藤吉郎さん、佐々さん、滝川さんの5人は熱田を走りまわり、信長生存の噂を広めていたのだ。

 なお五右衛門は、信長の警護兼看護役として屋敷に残っている。


「上総介さまの体調が戻り次第、清州へとお連れする。そして改めて、上総介さまご健在を触れ回り、兵を集める」


「ごもっともです」


 俺はうなずいた。

 すると隣にいた伊与がそっと言った。


「だが正直なところ、どうだろうか」


「どうだろうって、なにがだ? 伊与」


「清州に兵が戻ってくるだろうか。上総介さまは今川軍に大敗した。もう一度戦うといって、果たしてどれだけの兵が帰ってきてくれるかというと……」


 伊与の言うことは一理あった。

 俺たちの士気は極めて高い。しかし下級の武士たちは――

 敵とじっさいに戦う足軽・雑兵たちは、どれくらいまだやる気が残っているだろうか。


 先ほども考えた通り、この時代の武士や民衆は現実主義だ。

 強いほうの味方をして、弱いほうはさっさと見限る。

 それが当然の時代である。


 おおいに負けた信長を、次も兵士たちは支持してくれるだろうか。

 その不安は、常にあるのだが――


「だったら、味方をさらに増やすしかにゃあで」


 そのとき、藤吉郎さんが言った。


「味方を? どういうことです、藤吉郎さん」


「そのまんまの意味じゃ。織田軍が少ないのであれば、味方の兵士をどこからか引っ張ってくるしかあるまい。そう、例えば先年、甲賀忍者を雇ったように」


「そうか、甲賀の忍びを!」


 俺はうなずいた。

 かつて雇用した甲賀忍者の軍団を、また金で雇えば、織田側はかなり有利になる!


 だが藤吉郎さんの提案に、滝川さんは眉をひそめた。


「金を使えば、甲賀は動くだろうが……。しかし今回は敵の数が尋常じゃない。数十人やそこらの忍びを雇っても大勢に変わりはなかろうぜ」


「そうかのう。しかしおらんよりはマシじゃろうが」


「いねえよりはな。だがその程度じゃまだダメだぜ。何百か何千か援軍を呼んでくるならともかく」


「それほどの援軍となると、もはや大名に来てもらうしかあるまい」


 佐々さんが、呆れたように言った。


「例えば美濃の斎藤氏と手を組んで、援軍を呼ぶ、とかな」


「それは無理だぜ。織田と斎藤は犬猿の仲だ。去年だって上総介さまを暗殺しようとしてきたばかりじゃねえか」


「その通りだ。だから厳しい」


 佐々さんは、むっつり顔で言った。

 すると伊与も滝川さんも、藤吉郎さんさえも黙りこんだ。

 援軍……。何百、何千人規模の援軍……。甲賀忍者以外で、いまの織田の味方になってくれそうな勢力……?


 俺も腕を組んだまま、夜空を見上げた。

 星が、降るようにきらめいている。


 そのときふと。

 俺の脳にも、星のようにきらめく案が浮かんだのだ。


「みんな。……六角氏はどうだろう?」


「六角氏……!?」


 伊与が、片眉を上げた。


「六角氏というと、南近江を支配している大名の六角氏か?」


「そうだ。あの六角氏と織田家を結びつかせ、援軍を要請するのはどうだろう?」


「なにをいきなり、そんな。……突拍子もない……」


 伊与は唖然としている。

 佐々さんたちもそうだ。呆然と口を開けている。

 だが俺は続けた。


「それが、そうおかしな話でもないさ。……このまま今川軍が織田家を蹴散らせば、尾張は今川のものになる。今川は駿河、遠江、三河、そして尾張まで支配する4か国の大名になる。こうなれば、もう京の都を手に入れるのも目前じゃないか。すると美濃の斎藤家と南近江の六角氏としては少し困ったことになる。このままだと今川に自分たちがやられてしまう……」


 斎藤家は前述の通り、織田家と仲が悪い。

 さすがにこちらは織田と手は組まないだろう。

 だが、六角氏ならば。……あるいは織田と手を組んでくれるかもしれない。

 今川が攻めてこないため、自分たちの領土を守るために。


「それに六角氏は、もとから織田家の動きを見張っていた。……藤吉郎さん、去年、堺から尾張に戻る途中に立ち寄った甲賀で、和田伝右衛門さんと出会ったとこのことを覚えていますか?」


「あ、ああ。覚えとる。……そうか、確かに和田どのは言っていた。六角氏は織田家の動きに注目していると(第三部第八話「ポルトガル、マカオに居留地を獲得する」参照)……」


「ですから、六角氏は尾張やその近くの動向をよく知っているはずです。このまま今川の勢力が伸びたら、六角氏にとっても厄介なことになると考えているはずです。それなら――」


「手を組んでくれるかもしれん。……そういうことか!」


 藤吉郎さんの顔に、ぱっと喜色が浮かんだ。

 伊与も佐々さんも、そして甲賀出身の滝川さんも、考え込む仕草を見せる。


 そう、ありえるかもしれない。……織田家と六角氏の結託!

 六角氏と織田家が同盟し、そして六角氏から援軍を呼ぶことができれば――

 今川軍相手でも、勝てるかもしれない!


 そう、実はあるのだ。

 桶狭間の戦いには、六角氏も参戦していた、という説が……。


 2017年に公開された資料『桶狭間合戦討死者書上』によると、桶狭間の戦いで討ち死にした織田軍の家来990人のうち、272が六角氏からの援軍だったとされている。

 織田と六角の同盟は、通説ではあまり指摘されない。のちに六角氏は織田信長によって滅ぼされるため、この両勢力の仲がいいはずがないという解釈によるものだ。


 だが、信長が六角氏を倒すのはまだ先の話。

 この時点においては、すなわち1560年の桶狭間の戦いの時点においては。

 織田と六角の同盟はありえる。利害は一致する!


「弥五郎、さすがじゃ、よくぞ六角氏の存在に気付いた!」


 藤吉郎さんは、ばしばしを俺の肩を叩いた。


「さっそく屋敷に戻り、殿様に進言いたそう。六角氏と提携し、援軍を要請しようと!」


「い、いや待て。だが木下。六角氏といえば宇多源氏の流れを汲む名家だぞ。それが、はっきり言って出来星大名の、しかも今川家に負けたばかりの織田家と、同盟なんかするとは思えんぜ?」


 滝川さんが、焦ったように言う。

 だが藤吉郎さんは、笑い飛ばした。


「滝川どのもそう思われるか、それならばちょうどいい!」


「ちょ、ちょうどいいだと?」


「おうさ。滝川どのがそう思うということは、敵の今川治部も、織田と六角の同盟なぞは夢にも思うておらんということじゃからの!」


「…………」


 藤吉郎さんの快活な笑い声に、滝川さんは呆然とするばかりだ。

 俺も、しばし唖然としたが――だがすぐに笑いが浮かんできた。

 これだ。この実現不可能な案を実行に移していくことこそ、豊臣秀吉の真骨頂。


 俺はちらりと、伊与を見た。

 大きな瞳を、ますます見開かせている彼女に向けて、俺は片目をつぶる。


 な、こういうひとなんだよ、藤吉郎さんは。

 これだから、のちに天下人にまで出世するんだ……!


「よっしゃ、いくぞ、弥五郎。六角との同盟じゃ、まずは殿様を説得するぞ!」


「合点!」


 俺と藤吉郎さんは、揃って信長の眠る屋敷へと疾走を始めた。

 俺たちのあとを、伊与と佐々さんと、滝川さんがついてくる。


 いくぞ。

 行動だ。

 桶狭間の戦い。

 必ず、最終的に信長に勝たせるために……!

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