第16話 『俊明』と伊与

「……なにを言っている?」


 伊与は、大きな瞳を見開かせ、驚愕の面持ちで俺の顔を見つめてきた。


「未来……数百年後の未来から、転生? ……どういう、どういうことだ……?」


「…………」


 俺はしばし沈黙を保ってから――

 ゆっくりと、ゆっくりと語りだした。


「文字通りの意味だよ。……俺の名前は山田俊明。いまから何百年も先の日本から、この世界に生まれ変わった。サムライなんかとっくに滅んでいなくなった、遠い遠い時代から、この時代の人間に……弥五郎に生まれ変わったんだ」


「…………」


「なぜ、そうなったのかは俺にも分からない。……雷に打たれて、死んだと思って、気が付いたら、弥五郎になっていた。大樹村の弥五郎になっていたんだ」


「……なんだと……?」


 伊与は、くちびるを震わせて、瞳をさまよわせる。

 とても信じられない、といった様子だ。……無理もない。

 俺だって、時おり自分のことが信じられなくなるんだ。


 過去の世界への転生なんて、本当にありえるのか?

 もしかしたら、21世紀の自分の人生はただの夢だったんじゃないか?

 そんなふうに考えるときが、多々あるのだ。


「……未来……はるか遠い先の時代から……生まれ変わった……?」


 伊与は戸惑った顔であたりを見回している。

 必死に、頭の中を整理しているようだった。

 俺はそんな彼女から、目をそらしながら、震える声で話を続ける。


「これで分かっただろ? 俺がすごい武器や道具を作れたり、敵の行動の先読みができる理由。それはすべて、未来の知識なんだ。未来の時代からやってきた俺は、数百年後の武器や道具を――この時代で再現できるレベルでなら、作れるし、いろんな戦いや事件の過程や結果も知っている」


「…………」


「もっとも、知らないこともあるけどな。例えば大樹村を襲ったシガル衆。あいつらのことは未来の世界に伝わっていない。だから俺でも先読みができず……大樹村をああいうことにしちまった。駿府で今川義元に捕まったときも、そうだ。あんな事実は未来に伝わっていないから、ヘマを踏んじまった。……そういう失敗をすることもある。だけど……」


 俺はそこで、小さく首を振った。

 次を、どう語ろうか迷いつつ、少しずつしゃべっていく。


「……うん。まあつまり……そういうことだ。俺は知っていた。織田信長や、松平元康。今川義元に武田晴信……。主だった大名たちが今後、どう動いていくかを俺は知っていた。歴史の流れを知っていたんだ。だからそこを突いて、金儲けをしたり、戦いに勝ち残ってきた。……そういうことなんだ」


「…………」


「そして、だから……だからこそ俺は、戸惑っているんだよ。織田信長の桶狭間の戦い。これは本来なら、信長が今川軍を打ち破って勝利するはずだったんだ。それがこんな結果になっちまった。……これから先の未来がどうなるのか、想像もつかない。今川義元が尾張を支配するのか、それとも――」


「そんなことはどうでもいい!!」


 伊与が、絶叫した。

 瞳に、涙を浮かべている。


 声は――

 声は、この上なく震えていた。


「大名がどうとか未来がどうとか、私にはもう、なにがなんだか分からない。……こんな結果になった? 織田家が勝つはずだった? そんなこと……分からん。私はお前が……お前がなにを言っているのか……」


 伊与は、目を真っ赤にさせていた。

 無理もない反応だと思う。未来の世界から生まれ変わったなんて話は、21世紀人でも容易に信じまい。

 まして、SF映画も小説もないこの時代の伊与に話しても、意味不明だと反応されるのはもっともなことだ。


「……伊与。俺は……」


「弥五郎!」


 伊与は、ますます喉を震わせる。

 その声音の鋭さに、俺は思わず身を弾ませた。


「……弥五郎」


 伊与は、改めて小声を出した。


「お前の言っていることが、私にはほとんど分からない。先の時代から生まれ変わったなんて話も、やはり意味が分からない」


「…………」


「ただ、ひとつだけ。……ひとつだけ聞きたいことがある」


「……なんだ?」


 俺が、努めて優しい声で問い返すと。

 伊与は薄い笑みを浮かべながら、やはり涙を流しつつ、問うてきた。


「お前は誰だ?」


 改めての問いかけ。

 何度目だろう。伊与のこのセリフは。


「お前は私の幼馴染の弥五郎。そう思っていた。……だけど先ほどからのお前の話を聞いていると、お前は遠い時代の人間だという。……だとしたらお前は、お前は弥五郎ではないのか? 私の知る……私の愛している、大樹村の弥五郎では――」


「俺は弥五郎だ」


 そこだけは、きっぱりと答えた。


「俺は大樹村の弥五郎。父は牛松、母はお杉。これは本当だ。……これだけは揺るがない。……伊与。分かりにくくて本当にすまない。だけど――俺は弥五郎なんだ。はるか遠い未来の男、山田俊明が死亡した。その魂が、この時代の男、弥五郎に生まれ変わって――そして天文20年の冬に、山田俊明の記憶が目を覚ました。……そういうことなんだ」


「…………」


「伊与。……ごめん」


 俺は頭を下げた。


「これまで隠していて、本当に悪かった。事実を話しても、とても信じてもらえないと思ったから、これまでずっと黙っていた。それについては、本当に謝る。……悪かった、本当に悪かった……」


 それは偽らざる本音だった。

 自分が転生者ということを、俺は誰にも伝えなかった。

 誰にも信じてもらえないと思ったし、いまの伊与みたいに混乱させるだけだと思ったからだ。


 だけど。

 本当の自分を出していなかったのは事実だ。

 ある意味、嘘をついていたことになる。隠し事をしていたことになる。


 それだけは、本当に悪いと思っていた。

 だから俺は、俺はいま、打ち明けた。……山田俊明の真実を。


「ずっと……黙っていた……」


 伊与は、俺のセリフをおうむ返しに言った。


「お前が……その、遠い時代の人間だということは、誰にも言っていなかったのか?」


「ああ」


「藤吉郎さんにも?」


「うん」


「……カンナにも?」


「……ああ」


 俺はうなずいた。


「カンナにも言ってない。父さんたちにも言っていなかった」


「…………」


「打ち明けたのは、お前が最初だ。……伊与」


「……………………………………」


 それを聞いた伊与は、黙ってうつむいた。

 雨に濡れた黒い前髪が、たらりと下がって彼女の表情を隠してしまう。

 伊与がどんな顔をしているのか、見えなくなった。


 ――かと思うと。


「……あ」


「…………」


 俺の手が、握られた。

 俺たちふたりは、藁の中にいる。

 だから感触だけが伝わってきた。伊与がいま、俺の右手を両手で握ってくれている。


 細い指先の感触が、体温と共に伝わってくる。


「以前、お前が銭巫女にやられて意識を失っていたとき」


 伊与は、ふいにそんなことを言った。


「お前のことを、私は名乗りで呼んだ。俊明、と。するとお前は目を覚ました」


「ああ、覚えている。あれは心強かった。伊与が俺を呼んでくれているって、そう思った」


「……そういうことだったのかな。お前がはるか未来の人間の……山田俊明の魂だから。だからこそ、その名前で呼んだらお前は戻ってきた。そういうことなのかな」


「……かもしれない」


 答えると、伊与がますます強い力で俺の手を握った。


「痛いよ、伊与」


「……すまない。だけど……」


 うつむいたまま、彼女はつぶやく。


「……私は……お前の言っていることが、まだ完全には分からない。だけどひとつだけ分かったことがある」


「……なんだ?」


「お前は弥五郎でもあり、山田俊明でもあり。……そしてやはり、私の――大切な人だということだ」


「…………」


「私の気持ちは……やはり変わらない」


 伊与は、初めて顔を上げた。

 幼馴染は、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。


「愛しているよ。……俊明を」




 なにかが、砕けた。




 爆発のようだった。

 心の奥底で眠っていた、自分の中の根源的な欲求が覚醒する。


 大粒の涙を流していた。――情けないことに、涙が止まらなかった。

 どうして、俺は泣いているんだろう。どうして俺は、こんなに震えているんだろう。


 これに近い気持ちになったことがある。いつだったか。――そうだ、カンナに告白されたときだ。信濃の温泉で、カンナに愛を打ち明けられたときも、近い気持ちになった。だが俺は、そのとき以上に震えていた。喜びが止まらなかった。俺みたいな男が、前世で負け組だった人間が、女性に愛されていいのか? ……ああ、いや、それだけじゃない。


 転生者であることをみんなに隠し続けている俺が、この時代の人間と愛し合ってもいいのか、という疑問。

 そもそも愛し合う資格があるのか、という懊悩。


 だが伊与は。……堤伊与は。

 それでも俺を大切なひとだと言ってくれた。


 この時代の弥五郎も。

 未来の世界の俊明も。


 なにもかも知ったうえで、愛していると言ってくれた。

 その事実が、俺の中のすべての壁をぶち壊してくれた。

 伊与のぬくもりが、愛情が、言葉が、繋がりが、嬉しかった。






 雨が、小屋の屋根を叩いている。

 風が、ゴウゴウと吹き荒れている。

 だがそんなものは、俺たちにはもう関係なかった。

 愛情が、夜通し交錯した。もはや言葉など微塵もいらず、互いの気持ちを伝え合った。


 少なくとも、この瞬間だけは。

 俺はすべてを忘れて、愛する女性のことだけを考えていた。






 夜明けを感じた。


 小屋の中が、ぼんやりと明るい。

 朝だ。……いつの間にか、眠っていたらしい。

 いつ今川兵が来るかも分からないのに、我ながら不用心なことだ。


「ん……」


 隣で、伊与が目を開ける。

 小さく、可愛いあくびをしながら首を振り――そこで俺と目が合う。


「あ……」


「……おはよう、伊与」


「お。……おはよう」


 伊与は、ちょっとだけ顔を赤くしてから微笑を浮かべる。

 その身を藁の中に沈めたまま、視線をあちこちにさまよわせていた。……可愛い。


「伊与」


 昨日までとは違う存在になった彼女を、俺は藁の中でぎゅっと抱きしめた。

 きゃ、と甲高い声が上がる。その反応さえ、なんだか以前の彼女とは別人のようだ。


「愛してる。……伊与」


「……私もだ。……俊明」


 魂の名前を、耳元でささやかれるのが本当にくすぐったい。

 そして、たまらなく嬉しい。俺には伊与がいる。いままでとはまったく違う意味で、大切な存在となった彼女がいるのだ。


 もう、負けるわけにはいかない。

 絶望も苦しみも、もはやいらない。

 伊与のためと、自分自身のために、俺はこれからもこの時代で戦い抜いていく。……新しい決意が、自分の中に誕生した。


「伊与。まずは熱田まで戻ろう。そこで情報を仕入れて、次の行動を決める」


「ん。……分かった」


 伊与は、小さくうなずいた。

 俺も、首肯した。


 よし、と俺は藁の中から立ち上がり、生乾きの衣服を身にまとう。

 それから、かたわらの伊与を見ようとして――彼女はまだ、藁の中にいた。


「どうした、伊与。早く着替えろよ」


「……小屋の外に出ていろ。ここで着替えたら、お前に見られるだろう」


「見られるって……だ、だめなの? 見られたら」


「当たり前だっ!」


 伊与は、吼えた。


「え、え、え。……いや……別によくない? 外にいたら、敵に見つかるかもしれないし、なるべくここにいたほうが」


「冗談ではない。……あれとこれとは話が別だ。俊明は外に出ていろ。私がいいというまで、絶対に中に入ってくるなよ」


「えー、本当に……?」


「本当にだっ! さあ出ろはよ出ろすぐに出ろっ!」


 幼馴染は顔を真っ赤にしつつ、藁の中から叫んでくる。

 俺は慌てて小屋の外に出た。……ますます明るい日差しがまぶしい。


 なにやらまた、生まれ変わったような心持ちで、俺は戦国の夜明けを見つめていたわけだが――

 伊与のさっきの言葉! ……女性の考えていることって、どうもよく分からない。……ううん、あれとこれとは、やっぱり別……。

 そ、そういうことなんかなあ……。


「……だけど……」


 そこで俺は、ふっと考えた。


「……カンナには……どう言おうか……」


 田楽狭間で敗走してから、行方が知れない彼女のことを思い出す。

 神砲衆のみんなのことはすべて気がかりだが、カンナのことはいっそう気がかりだった。

 生きているとは思う。五右衛門や次郎兵衛だっていっしょだったんだ。それにカンナだって、何度も修羅場を潜り抜けてきているんだ。そうあっさりとやられはしないだろう。そこは信じている。


 だが、問題は――


「待たせたな、俊明」


 衣服と鎧を着込み、腰に脇差を差した伊与が出てきた。

 俺は深々とうなずいた。――伊与とのことを、カンナにどう伝えるべきか。


 彼女にだけは、やっぱり伝えるべきだろう。

 伊与とのことも。……そして俺が転生者であることも。カンナにだけは。


 そう思っていた。




 俺と伊与は、熱田に向かって歩みを進めた。

 途中、今川の兵と遭遇しないよう、裏道を通りつつ。……そのおかげで俺たちは、誰にも会わずに熱田までたどり着けた。


 到着した熱田の町は、とにかくざわついていた。

 織田信長の敗北は、この町にも伝わってきたのだろう。

 これから尾張と織田家がどうなるのか、誰もが想像もつかないようだ。


「やはり上総介さまは、お亡くなりになったのか」


 伊与が言う。


「……お前の知っている歴史では、こんなことはありえないんだろう?」


 伊与は片眉を上げながら、くちびるを動かす。俺はうなずいた。

 道中、伊与には、改めて、未来のことや戦国時代の歴史のことを伝えておいた。

 伊与は驚き、何度も「信じがたい」を繰り返しつつも、最終的にはすべてを信じてくれた。


 なお伊与が一番驚いていたのは、藤吉郎さんが豊臣秀吉として天下人になるという部分で、


 ――いくらなんでも、それは冗談だろう?


 と、笑みを浮かべつつ否定していたが、やがて事実だと分かると、


 ――信じがたい。


 話の中で一番愕然としていたものだ。……無理もない。

 だがその藤吉郎さんも、いまや行方不明だ。今後の歴史がどうなるのか、想像もつかない。


「熱田ではやはり、今後のことが決められそうもないな」


「どうする、俊明。津島にまで戻るか? カンナたちもあっちにいるかもしれないぞ」


「そうだな。そうするか――ん?」


 そのときだ。

 俺と伊与は、ふと目を留めた。

 熱田の群衆の中に、見知った顔を見つけたからだ。


 相手も、俺たちの顔を見つけた瞬間、駆け寄ってくる。

 むっつり顔のその人の名は、


「佐々さん!」


「山田、堤。無事だったか」


 そう、佐々成政さんだったのだ!


「佐々さん、ご無事でしたか。なによりです」


「お前たちもな。……そうか、山田が無事だったか。それならばまだ勝機はあるか」


「勝機? どういうことです」


「いや、詳しくはあとで話そう。……それよりも、会わせたい人がいる」


 佐々さんは、俺と伊与の顔を交互に見比べつつ、いつもの淡々とした声音で告げた。


「ついてこい。……あとを尾けてくる者がいないかどうか、よくよく後ろに気をつけろよ」


 そう言った佐々さんの目は、鋭く光っていた。

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