第14話 雨中に吼える

「上総介討ち死に!」


「織田三郎信長討ち死に!」


「織田の殿様、鉄砲に撃たれる!」


 情報が、一気に戦場を駆け巡る。

 うそだ、うそだ、と織田軍の兵がわめき散らす。

 それは嘘だ、それは虚報だ。あるいは敵の作戦なんだ、我らが殿が死んでたまるか、と。


 しかし。

 今川方の士気は、どこまでも天高く上がっていき、織田軍の士気は下がりまくる。

 誰かが言うのだ。殿様は確かに撃たれたのだ、おれは見た、このいくさは我々の敗北じゃ、と。


「ちくしょう、ちくしょう……!」


 俺は叫びながら、倒れこんだ信長のほうへと走っていく。

 しかし今川の兵士たちが、こちらの行く手を阻んでくる。


 俺はときには戦い、ときには逃げて、なんとか信長のほうへ行こうとした。

 しかしどうにもならない。敵が次々と現れて、攻撃を仕掛けてくる。俺は必死の抵抗を続けたが……


 がつん。

 と、なにか強い衝撃を後頭部に感じた。

 殴られた? いや、違う。乱戦の中、敵の得物が頭に偶然当たったのだ。


 とはいえ。

 それでもダメージは大きく。

 俺はその場でゆっくりと意識を失っていった。


「……みんな……」


 最後に小さく、そうつぶやいて。




 ――どれくらいの時間が経ったのだろう?


 数十分か?

 数時間か?

 

 よく分からないが、俺は気絶していた。

 そしていま、目を覚ましたのだ。


 ずきずきと痛む後頭部をさすりながら。

 それでも、ゆっくりゆっくりと立ち上がる。


 生きている人間は、そこにはもういなかった。

 ひたすら死体が転がっている。戦闘は、まだどこかで続いているのか?

 はるか遠くから、叫び声が、わずかに聞こえた気がした。


 しかし。

 なにはともあれ。


「……負けた」


 俺はその事実を、ぽつりとつぶやいた。


 信長は撃たれ、織田軍は崩れ、仲間たちは行方不明。

 なんでこうなるんだ。『桶狭間の戦い』が、まさかこんなことになるなんて。


「……ちくしょう!」


 悪い夢を見ている気がした。

 いや、むしろ、これは天罰なのかもしれない。


 思いあがっていたのだ。

 自分ならば、歴史の先行きを知っている転生者の俺ならば、負けることはないと。


 この世界は、細かいところが違っていても、大筋では史実通りになる世界だ。

 自分が、つまりこの山田弥五郎俊明が獅子奮迅の活躍をすれば、すべての筋書きは歴史通りの流れになる。

 そう思っていた。……思い込んでいたんだ。――それなのに、ああ、それだというのに!!


「三郎さまあああああああああっ!!」


 土砂降りの雨の中、咆哮する。

 織田信長の名前を呼ぶ。しかし返事はない。

 目の前は、ただひたすらに死体、死体、死体。死体の山。死屍累々。


 桶狭間の戦いで、今川義元の軍に戦いを挑み――

 そして敗北した、織田信長軍の兵士たちの骸が、みじめなまでに転がっていたのだ。


 俺の部下――神砲衆のみんなの遺体も、この山のどこかに転がっていることだろう。

 それほど見事な惨敗だった。




 嘘だ。

 これはやっぱり現実じゃない。

 俺の脳みそが必死に訴えている。


 これは夢だ。幻だ。

 こんな結末、俺は絶対に認めないぞ――


「藤吉郎さん! 前田さん! 滝川さん! ……丹羽さん、佐々さん、小六さん……! ……伊与! カンナ! 次郎兵衛! 五右衛門!! みんな……みんなぁ……!!」


 誰の返事もない。

 声もまるで返ってこない。


 ……いや。

 声は、する。雨の中、はるか遠くから――


「いま、声がしなかったか?」


「織田家の生き残りか!?」


「おう、それなら手柄の立てどころじゃ。織田家の者の首を獲るのだ!」


 声は、どうやら今川軍の兵が発するものらしい。

 まずい。今川軍なら敵だ。俺は雨の中、身を低くしながら、その場から離脱する。


 ああ……しかし。

 逃げて、どうなるものでもないだろうぜ。

 もうこの戦いは、終わったのだから。……負けたのだから。


「……ちくしょう」


 歯を食いしばりつつ、吐き捨てた。

 どうしてこうなったんだ。桶狭間の戦いといえば、細かい説の違いはあれど、大筋としては『織田信長が今川義元を打ち破る』戦いなのは間違いないのに。それなのに織田家が負けるってのは、どういうわけだ!? 俺はどこで選択肢を誤ったんだ……!


 俺は、考える。

 考えて、考えて、考え抜いて……。

 そうだ……おそらくすべての始まりは、1年ほど前……。


 1559年。

 あそこから、今日という物語への伏線は、張られていたような気がするんだ……。

 そう、あのとき、俺は。――そう、この山田弥五郎は――

 斎藤義龍の部下たちに奇襲をしかけ、そして、そして……


「ちくしょう!」


 まさかあの戦いが、今川軍の動きに影響を与えるなんて。

 バタフライエフェクト。ささいな行動でも、のちの歴史は変わってしまう。

 分かっていたはずなのに。それなのに。


 だからって、こんなこと、想像できるかよ。

 こんな、こんな絶望的な終わり方……。


 俺はふらふらと、あさっての方向に向けて歩きだす。

 どこにいけばいいのか、どうしたらいいのか、見当もつかない。

 とにかく、ここから離脱しよう。このままじゃ、死ぬ。

 いまの俺にはもうろくに、武器も道具もないのだから。


 何歩か、歩いた。

 そのときであった。


 ガサガサッ!


 突然、足音がした。

 後ろからだ。……誰だ!? 敵か!?

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