第13話 悪夢の伏線

「神砲衆、逃げるな。ここで反撃するぞ!」


 俺は指示をくだした。

 こうなった以上、史実もくそもない。

 とにかく自分たちと、織田家の面々を守るのだ。


「弓衆、退くな。ここで腰を据えて射返すんだ!」


「弥五郎、無茶を言うな!」


 伊与が、金切り声で叫んだ。


「この雨で、しかもこちらは狭間の中だぞ。どう反撃するんだ。いったん逃げよう、それしかない!」


「し、しかし……!」


 俺はなにか言い返そうとした。

 だが冷静になればなるほど、伊与の発言が正しいのが分かった。


 とにかく神砲衆も織田軍も大混乱している。

 これじゃ、戦闘どころじゃない。

 どころか、退却さえままならない。


「くそっ、なぜだ? なぜこうもあっさりと、奇襲がバレたんだ?」


 疑問は尽きない。

 だが、ふと顔を上げた瞬間だ。

 俺はぎょっとした。知った顔がそこにあった。


 雨の中。

 十数メートル離れたその場所は、ひどく見にくい。

 しかし、それでもそいつの顔は分かった。


「石原甚兵衛!」


 その名を叫ぶ。

 すると石原甚兵衛は、にやりと笑った。


「久しいな。木綿針売りの梅五郎。もとい、神砲衆の山田弥五郎!」


 かつて三河に潜入したとき。

 岡崎城の城代として今川家から派遣されていた男、石原甚兵衛……。


 まさか、こんなところで出くわそうとは。

 俺は驚愕していたが、しかし相手はそうでもないようで、


「相変わらずご活躍のようでなによりだ。織田上総介の覚えもめでたく、上洛の旅にも同行したそうだな」


 などと、ペラペラ得意気にしゃべりまくる。

 なぜだ、なぜこいつが、俺の京都上洛のことを知っている?


「……まさか」


「そう、そのまさかだよ、山田弥五郎。この石原甚兵衛は、忍びを用いて、ずっとお前のことを調べていたのさ。お前たちが熱田の銭巫女を倒したころから、ずっとな!」


 石原甚兵衛は、げらげら笑った。


「特にあの、上洛の旅の最中。斎藤義龍の手下たちを奇襲したのは、面白かったな。おかげで我が殿に進言できたぞ。……神砲衆の山田弥五郎は奇襲戦術も使う。尾張攻めのときは、とにかく奇襲にご注意あれ……とな!」


「なん、だと……!」


 いよいよ驚く。

 まさかあの京での小競り合いが、こいつに知られていたなんて。


 だとしたら。

 だとしたら……

 あの奇襲戦の存在が、回り回って、今川義元に伝わり。

 そして桶狭間の襲撃を警戒させたってことなのか!?


「ふ、ふざけやがって! 石原ぁ!」


「おっと」


 俺はリボルバーを取り出して構えた。

 が、石原甚兵衛はすぐに後ろへ下がり、距離をとりはじめる。


「こわい、こわい。油断はせぬよ。これ以上、そちらに近付いて撃たれるのはごめんだ」


 くそっ。

 この雨の中だ。

 いくら俺でもリボルバーでやつを撃つのは無理だ。

 そもそも雨が酷すぎて、リボルバーがちゃんと稼働するかも怪しい。

 正式なリボルバーじゃなくて、戦国時代の材料で作った代物だからな。


 そのときだ。

 背後から声が聞こえた。


「山田……」


「と、殿様!?」


 振り返ると、そこに信長が立っていた。

 混戦の中で、何人か敵を倒したらしい。

 その鎧は返り血を浴びている。豪雨の中だというのに、血がべったりと付着していて、なかなか流れ落ちていく様子がない。


「あの者、今川の侍大将か」


「は。……石原甚兵衛といって、今川家臣です」


「で、あるか。ならばやつを討ち取れば敵の士気も下がるか」


「……かもしれません」


「ならば、よし」


 信長は、刀を抜いて構えた。


「余がみずから、かの石原甚兵衛の首を獲る。今川方の士気を下げ、混乱させたうえで、我らも退き、いったん体勢を整えるぞ」


「承知!」


 信長はまだ、最終的な勝利をあきらめていないらしい。

 さすがだ。とにかくここは彼に従おう。

 石原甚兵衛を倒して、この場を打開する!


「ゆくぞ、山田!」


 信長は、石原甚兵衛に向かって突っ込んだ。

 すると、させるか、とばかりに今川方の兵が集まる。しかし、


「うぬらに興味はないわッ!!」


「ぎゃうっ!」


「あぐはっ!」


 信長は、刀を振り回し、敵の雑兵を次から次へと斬り倒していく。

 今川の兵士たちは、断末魔と共に殺されていった。


 ……強い!

 信長は個人的な武勇にも優れていたとされるが、こんなに強かったとは。


 何人もの敵が、一瞬で骸と化していった。

 伊与や前田さんよりも、さらに強い。一騎当千とは、まさにこのことだ!


「上総介さま、お助けします!」


 俺も無論、サポートする。

 懐に入れていた棒手裏剣を、投げまくる。

 甲賀にいたころに習った忍術だ。初歩レベルの腕前でしかないが、それでも雑魚ならば充分に通じる。


 俺と信長は、道を開いていく。

 混戦になっていた。奇襲された織田軍は、しかしまとまりを取り戻し、襲ってきた今川軍を弾き返そうとしている。

 敵味方が入り交じり、さらに雨が降っているのもあって、どこに誰がいるのかも分からない。伊与もカンナも藤吉郎さんも所在不明だ。


 とにかくいまは、信長を助けるしかない!


 石原甚兵衛の姿が見えた。

 信長が、やつに迫っている。

 その距離、わずか3メートル。


 石原甚兵衛は、思いもがけぬ信長みずからの登場に、驚いているようだ。


「か、上総介……!?」


「石原甚兵衛。その首、もらった」


 信長が、冷徹な声音と共に、刀を降りおろそうとする。


 勝った。

 もう、避けられない。

 石原甚兵衛は信長にやられる。

 確実だ! ……俺はそう思った!


 だが、そのときだ。






 たあーん……






 乾いた音が、あたりに響いた。






「……なに?」


 信長が、目を見開いている。

 その正面には、地べたに尻餅をついている石原甚兵衛。


 しかし石原甚兵衛は、右手になにかを持っていた。

 その右手を、突きだすかっこうのまま、地面に座っているのだが。


 ぐらり。

 信長が、前のめりに倒れていく。

 なにが起こった。俺には理解できなかった。


 石原甚兵衛が、なにかをしたのか。

 そうとしか思えない。だが、なにをした……?


「は、は、は。……ははは」


 石原甚兵衛は、変な笑い声を出しながら。

 その右手を開き、持っていたものを、左手に持ちかえる。

 それは、それは。……なんてこった。俺には見覚えがある、その道具!






 パームピストル、だった。






 飯尾豊前守さんや、松下嘉兵衛さんとと共に、先代石川五右衛門と戦ったときの武器。




 直感した。

 俺と藤吉郎さんが、今川屋敷に囚われたあの日。

 俺はパームピストルを奪われた。それが隠し武器であることは、今川家中の飯尾豊前守さんが知っている。


 だから、だから。

 俺のパームピストルは、今川家に奪われて、きっと義元が手にして。

 そして飯尾さんから使い方の説明を受けて。そしてなんらかの理由で、石原甚兵衛に与えるか、貸し出されるかして。


 そしていま。

 信長の、いのち、を……。


「わはは、はは、ははははは! やった、やったぞ。石原甚兵衛、織田上総介信長を、討ち取ったりぃー!!」


 絶望的な叫び声が、戦場に轟いた。

 信長は、倒れたまま、ぴくりとも動かない。

 こんな、こんなことが、そんな馬鹿な。馬鹿な!


 俺の奇襲戦術が。

 俺のパームピストルが。

 俺の今川領潜入の旅が。


 すべて、この日の悪夢の伏線だったのか!?


「う、うおおおおあああああっ!!」


 俺は、吼えた。

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