第10話 あかりちゃんの結婚

「おめでとう」


「おめでとうよ!」


「とにかくおめでたい!」


 口々に祝福の声が飛ぶ。

 津島、神砲衆の屋敷である。

 俺たちは、ある女性の結婚式に参列しているのだ。


 その女性とは。

 ――あかりちゃんである!


「皆さん、ありがとうございます」


 艷やかな黒髪を伸ばし、ひとつに束ねた彼女の姿は、もう出会ったころのあかりちゃんじゃない。すでに二十歳を超えた、立派な大人の女性だ。


 彼女の横では、人のよさそうな若い男が微笑んでいる。

 彼こそが、今日からあかりちゃんの夫になる人物だ。

 海老原村の農家の次男である。あかりちゃんとは遠い親戚でもあるらしい彼は『もちづきや』の入り婿となり、これから妻と共に、宿を切り盛りしていくことになる。


「いい齢になるまでうちの仕事に使ってしまって、ねえ。悪い悪いと思っていたんだよ。それがこんなにいいお婿さんが来てくれて、あたしゃ感激さ」


 あかりちゃんのお母さんは、涙を流してこの結婚を喜んでいた。

 この時代の女性は10代で結婚することが多い。

 それを考えると、あかりちゃんは確かに晩婚なのだ。


 俺も、神砲衆の仕事でさんざんあかりちゃんに頼ってしまった。

 それで結婚できなかったら、俺の責任でもあったのだが、どうにかこういうことになった。本当に良かったと思う。


「あかり、おめでとう」


「ほんにめでたかね。あたしたちのほうが先になると思いよったのに、先を越されてしもうたばい」


 伊与とカンナも、あかりちゃんを祝福する。

 あかりちゃんは「すぐにお二人も続くでしょう」と笑った。


「さあ、どうかな。なにせあいつは腰が重い」


「ほんとほんと。こっちはいつでも準備万端やのに、なにをたらたらしとるんやか」


 伊与たちが、大げさに嘆く。

 すると場は、どっと笑い声にあふれた。

 俺の隣にいる藤吉郎さんも、げらげら笑った。


「弥五郎、汝が悪い。金もあるのにさっさと婚姻せぬからじゃ」


「いや、それはごもっともなんですが……なんというか、時機が」


「なにが時機じゃ。ぜいたくなことよ。わしなど、女房になってくれそうなおなごもおらぬのに」


「藤吉さんは口が多すぎるんだよ。少しはおしゃべりを控えたらいい、そうしたら、おなごにもてるよ?」


「なにをぬかすか、五右衛門。汝におしゃべりを咎められとうはないわ」


「おお、怒った。藤吉さんが顔を真っ赤にした。こわこわ! うち、逃げよ〜」


「待て、五右衛門……」


 藤吉郎さんが飛びかかろうとする。

 五右衛門はニヤニヤ笑いつつその場から逃げて、あかりちゃんのところに移動した。


 無礼講の結婚式。

 誰もが笑い、酒を飲み、場の空気に酔う。

 こんな平和がずっと続けばいいと思った。


「あの女泥棒め。あやつこそ嫁にもらわれるべきじゃ。少しはおなごらしくなろう」


「本人にその気がないから無理ですよ。……それより藤吉郎さん。少し外の空気を吸いに行きませんか? ちょっとここ、酒臭くなりすぎて」


「おう、名案じゃ。そうするか」


 俺も藤吉郎さんも、酒は苦手だ。

 屋敷に用意したものは、神砲衆の財力をあげて準備した一流の酒である。

 しかしそれだけに酒の臭いが本物で辛い。俺たちは、こっそりと部屋を出た。




「あかりも婚姻、か」


 屋敷の縁側。

 人気のないその場所にふたりで座り、茶をすする。


「時代も変わるわ。あのもちづきやのあかりが、ついにひとの女房とはの」


「滝川さんもびっくりしていましたよ。……そういえば滝川さん、今日、あとから来るんですよね?」


「ふむ。務めを終えてから必ず来るとは言っておったが。……ははは、わしとあやつはどうも、馬が合わぬゆえ、あまり詳しくは話しておらぬ」


「……そうでしたね」


 藤吉郎さんと滝川さんは、どうもあとひとつ相性が悪い。

 豊臣秀吉と滝川一益。史実ではのちに対立するふたりだが、すでにそのときの伏線がこの時代にあったのだろうか?


「あかりも、汝のことが好きだったのではないか?」


 藤吉郎さんはふいに、そんなことを言い出した。


「そんなバカな。なにを根拠に」


「根拠もくそもあるか。ただのカンよ。しかし汝には伊与もカンナもおるし、あかりはどこまでも宿屋のひとり娘。いずれは婿でもとる身ゆえ、そこは黙って身を引いた……」


「……」


「ま、本当にただのカンじゃがの。いまとなってはどうでもいい話じゃ」


 藤吉郎さんは、げらげら笑った。

 俺は少しだけ、うつむいた。……あかりちゃんが俺のことを、ね……。

 あの子は、あまり自分の意見とか意思を出すほうじゃないから、気付かなかったけど。


 ちょっと、空気が沈む。

 そんな雰囲気を吹き飛ばすように、藤吉郎さんは大声で叫んだ。


「あーあ、わしもいいかげん女房がほしいのう! 弥五郎、どこかよきおなごはおらぬか?」


「神砲衆なら、女性もいますけど」


「汝の家来は妙なおなごが多いから嫌じゃ。石川五右衛門は言うに及ばず、巴御前を自称するおなごもおるし、全体的に奇天烈ではにゃあか。――だいたい伊与やカンナでさえ、女侍に金色髪の博多弁という不可思議さじゃ。どうやったらこんなに妙ちくりんなおなごばかりが集まるんじゃ?」


「そう言われても、自然と集まったんだから仕方がな――おや」


 気配がしたので、左に顔を向ける。

 すると、よう、という声と共に男が登場した。


 前田さんだ。

 その横には、まだ中学生くらいの女の子が、赤ちゃんを抱いてほほえんでいる。


 その女の子の名は、おまつさんという。

 若いが、前田さんの奥さんで、すでに子持ちの人妻なのである。


「木下さま、山田さま、お久しぶりです」


 おまつさんが頭を下げるので、俺と藤吉郎さんも手を挙げて応じた。

 前田さんを神砲衆で雇用したとき、おまつさんもうちにあいさつに来たので、俺たちとはすでに顔見知りの間柄だ。


「久しぶり、おまつさん」


「おう、女房どの。又左を連れて参ったか」


「なにを言いやがる、藤吉郎。オレっちのほうが亭主なんだぞ。それなのになんで、おまつがオレっちを連れてくるんだ」


「ほう? 前田家は女亭主の家柄で、亭主はおまけと聞いておるでのう」


「ぬかせ。……っと、山田。とにかく遅れてすまねえな。娘がやたら泣きわめいてよ。まったく、泣く子と地頭にゃかなわねえとはよく言ったもんだ」


 前田さんは、おまつさんが抱いている赤ん坊の頭を撫でながら笑った。

 赤ちゃんは、おまつさんの胸の中ですうすうと眠っている。可愛らしい寝顔だ。


「あはは、それなら仕方ないですね。でもまだ宴は続いていますよ。奥の座敷に向かってください」


「分かった。オレっちたちも、あかりにあいさつしてくるかな。……ああ、それと今日は、ひとり朋友ともも連れてきた」


「朋友?」


 俺が片眉をあげると、前田さんは笑って、


「女房のおまつの幼馴染さ。宴は賑やかなほうがいいと思って連れてきた。……おーい、こっちだ。入ってこいよ」


 まるで我が屋敷のように、前田さんが廊下の奥に向かって声をかけた。

 すると、その奥から、やはり中学生くらいの可愛い女の子が登場する。


 昔の伊与に少し似ている。

 短い黒髪が印象的な、瞳のぱっちりとした、愛らしい美少女であった。


「はじめまして、山田さま」


 美少女は丁寧にあいさつをしてくれた。


「織田家弓衆、浅野又右衛門が娘、ねねと申します。以後、お見知りおきくださいませ」


 え?

 浅野又右衛門の娘、ねね?

 ねね、といえば……。


「んじゃ、まずは花嫁にあいさつだ。奥の座敷だったな? おまつ、おねね、行こうぜ」


 前田さんは、おまつさんとねねさんを連れて奥に向かう。

 おまつさんとねねさんは、ぺこりと頭を下げてから、前田さんに続いたのだが……


「………………」


 俺は。

 先ほどから無言の我が相棒に、ちらりと目をやる。


「……可愛い」


 藤吉郎さんは、なんというか。

 目が、ハートになっていた。


「か、か、か、可愛い! 見たか、弥五郎。いまの、ねねという娘! あーーーー可愛い! なんじゃ、あの人形のような愛らしさはっ! わしゃ、あんな可愛いおなごを見たことがない!」


「そ、そうですか」


「そうですか、じゃと!? 汝、なにをそんなに落ち着いておる! ええい、これだから若い頃からおなごに囲まれておる男はつまらん。わしのようにもてない男の苦労絶望をひとつとして理解しておらんっ!」


 藤吉郎さんは、鼻息も荒い。

 そして、叫んだ。


「惚れた。惚れたぞ、弥五郎・わしゃあのねねというおなごにぞっこん惚れ込んだ。あの娘を女房にする。これはきっと運命さだめじゃ。わしとあの娘は必ず夫婦になるのじゃ。そうに決まっておる! ヒャッホーイ、そうと決まればまずは仲良くならねばのう! ……待てぇ、又左、わしもゆく! ゆくぞゆくぞそれゆくぞ、おねねちゃんと話をさせろ! うおおおおおっ!!」


 藤吉郎さんは、ひとりで盛り上がりまくってから、奥の座敷へと突撃していった。

 ねねさんに接近しようというのだろうが――すごい。なんて勢いだ。その後ろ姿に日輪の輝きを確かに見た。こんなところで見たくなかったけど。


 ……いや。

 でも、まあ。

 いいんじゃないかな?

 だってあのふたり、本当にのちの夫婦だし。


 浅野又右衛門の娘、ねね。

 この時点では、どこにでもいる侍の娘に過ぎない。

 しかし彼女こそ――


 のちの豊臣秀吉の正室、北政所きたのまんどころ

 秀吉の覇業を、内助の功で支える女性となるのだから。


「しかし、まさかここで、藤吉郎さんとねねさんが出会うとはなあ」


 俺は、ひとりで苦笑していたが――

 そのとき、「山田」と知った声が聞こえてきた。


 振り返ると、そこには滝川さんが立っていた。

 今日は遅れてくる客が多い。


「遅れてすまんな、山田」


「本当に。――滝川さん、お待ちしていましたよ。あかりちゃんもきっと待っています。……行きましょう、今日のあかりちゃんは綺麗ですよ」


「そうか、綺麗か。そりゃよかった。無論、あとで寄らせてもらう。……だが山田。その前にひとつだけ。……話、いいか?」


 滝川さんの顔つきが険しいので、俺は思わず顔を引き締まらせた。


「なにかあったんですか?」


「ああ。……上総介さまの命で――俺はついさっきまで、熱田のほうで東の情報を集めていたんだがな」


 滝川さんは、低い声で言った。


「いよいよだぞ」


「いよいよって……なにがです?」


「決まってるだろう」


 滝川さんは、周囲に人がいないことを確かめてから言った。


「今川治部大輔が、尾張に攻めてくるぞ」

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