第6話 織田信長、足利義輝と対面す
明智光秀以下、将軍家に遣わされた護衛の兵たちに守られて足利屋敷に出向いた織田信長――
彼と、足利義輝が対面したのは、その日の真昼間。
ちょうど、太陽が中天に差しかかったころだった、という。
尾張からやってきて、刀剣や鉄砲、尾張の特産品や金子を献上した信長。
足利義輝はおおいに喜んだ、という。
このときまで義輝は、むしろ美濃斎藤家とのつながりが深かった。
斎藤義龍は、室町体制下の名家、一色家とのつながりが深く、その縁から、常々足利義輝に対して、
「織田信長は尾張の野蛮なうつけ者。どうか相手にされませぬように」
と伝え続けていた。
信長は、これに対して、
「元来、この世でもっともうつけな者は、他人に対して他人の悪口を言う者でござる」
と、いかにももっともらしいことを言った。その上で、
「この織田上総介は、私利私欲をもって美濃斎藤家と戦っているわけではござらぬ。上総介の妻は、故、斎藤道三の娘であるので、美濃の斎藤義龍を討つのは、義理の父の仇でござる。上総介は人倫に基づいて、舅の仇討がしたいのでございます」
そのように主張した。
その主張に感動した(のかどうか。実際には信長が献上した金子や道具に心が動いたのかもしれない)足利義輝は、おおいにうなずき、
「上総介の言や良し。以後、そなたは尾張守を名乗るがよい」
そのように告げた。
この瞬間、織田信長は公式に尾張守護になった。
岩倉織田家も斎藤義龍も今川義元も、尾張に侵入して織田信長と交戦することは、室町体制への敵対ということになる。信長の朝廷外交の成功だった。信長は、義輝に向けて「ありがたき幸せ」と平伏した。
「ところで
義輝は、続けて言った。
「そちが献上してくれた武具の中でも、あの連装銃というのは、変わった武器じゃな」
「はっ。ひとりで3人の敵を倒せる、優れた鉄砲でござる」
「まさに、まさに。……尾張ではあのような鉄砲が流行っておるのか? 以前、九州の大友家から送られてきた鉄砲よりもはるかに優れておるが」
「はっ。流行っておる、といいますか……。ある男が鉄砲を改良し、あのような武器を作ったのでござる」
「ある男。ほう、そんな男が尾張におるのか」
「はっ。……尾張津島に本拠を置く商人。……神砲衆頭目、山田弥五郎俊明と申すものでござる」
「やまだ、やごろう、としあき……」
足利義輝は、その名前を口に出し、空中に指で字を書いた。
その名を、覚えようとしているらしい。
やがて、薄く笑った。
「名は覚えた」
「…………」
「いずれ余のために、また別の変わった鉄砲を作ってほしいものじゃ」
「……はっ」
信長は、平伏した。
――以上のやり取りは、のちに信長本人の口から、この俺、山田弥五郎に伝わった話だ。
俺はもちろん、公方様と対面はしていない。身分がまったく釣り合わないからだ。
足利義輝と直に対面するのは、信長ただひとりであった。……その信長から、聞いたのだ。
足利義輝が、征夷大将軍が、俺の名前を覚えたのか……。
謎の感動があった。このとき、なるほど、実力はなくとも権威はあるのだ、という室町幕府の現状が理解できた。
第13代征夷大将軍が自分を知ってくれている、という事実は、なぜだか誇らしく感じてしまうし、いずれ将軍家のために戦わねば、という気持ちになる。……権威ってのは、なかなか大変なものなんだな。俺はそう思った。
繰り返すが、これはのちに信長から聞いた話である。
さて、信長と足利義輝が対面しているとき、俺たちはなにをしていたかというと――
屋敷の蔵に、献上の品々を納めていたのである。
織田家から、足利将軍家へ。
金子や刀剣、茶器に工芸品に尾張の特産品。
そして俺が作った連装銃も、将軍家へと献上した。
足利義輝は、剣豪将軍としてのちの世に名高い。
現役の征夷大将軍でありながら、剣術に優れていた、と伝わる。
しかし火縄銃にも興味があったのだ。1554(天文23)年に九州の大名、大友宗麟から鉄砲と火薬の秘伝書をもらっているほどだ。だから、連装銃を贈るのは、きっと喜んでくれるはずだと俺は思った。
――ところが。
俺の前で実際に喜んだのは、将軍ではなく。
「…………」
明智光秀だった。
次々と蔵に運び込まれる品々の中で、連装銃だけは、一度手に取ると、じっと見つめている。その眼差しの中にある不気味な光は、尋常ではなかった。
「明智さま」
そんな明智光秀に、藤吉郎さんがにこやかに話しかける。
「その鉄砲が、ずいぶんと珍しいようでござるなあ」
「……いや、これは失敬。あまり見たことがない鉄砲なもので」
光秀は、にこりともせずに、持っていた連装銃をすぐに蔵の中に戻す。
藤吉郎さんはその様子を見て、さもあろうとばかりにウンウンうなずいた。
「その鉄砲は、連装銃。ここにいる山田弥五郎が作ったもの。一度に三発の弾が撃てる変わり銃ですわ」
「一度に……三発……」
「その鉄砲のおかげで、我が主は尾張での戦いに何度も勝利してきたのでございますよ」
「…………」
光秀は、無言のまま、俺の顔を見つめてくる。
俺は、微笑を浮かべて会釈することで返事としたが――
明智光秀。
のちに織田信長に仕え、手柄を立て――最終的には裏切る男。……そう『本能寺の変』を起こすことになる人物だ。
その前半生は謎に包まれている。美濃の明智家に連なっている血統ともいうし、足利将軍家に仕えていた下級武士だともいうし、朝倉家に仕えていたという説もある。だが、結局のところ、織田信長に仕えるまでの光秀の足取りは、どこでなにをしていたのかまったく不明なのだ。
その光秀が、とにもかくにも、1559年2月のいまは、京の都の足利屋敷で、俺の目の前にいる。
将軍家に仕える武士のひとりとして……。
「良いものを見せていただいた」
光秀は、そこでやっと、わずかに口元をゆるめた。
目は、笑っていないが。
「眼福でござった。さすが尾張の覇王、織田上総介さまのご家来でござる」
光秀はそれだけ言うと、再び、献上品を蔵に運び込む作業に戻った。
俺と藤吉郎さんは、その背中をじっと見つめる。
「鷹じゃな」
「え……」
藤吉郎さんがふいに発した言葉に、俺はまばたきを繰り返す。
「鷹の目じゃ。あの男。――明智十兵衛、といったか」
「はい。名乗りは光秀」
「あの男、尋常の者ではない。……うまくは言えぬが、下働きで終わる男とは思えぬわ」
さすがに藤吉郎秀吉である。
わずかに見ただけで、明智光秀の力と人格を見抜いたらしい。
誰が想像するだろう。あの明智光秀と、ここにいる藤吉郎さんが、のちに本能寺の変のあと、山崎の戦いで天下を分ける大合戦を行う未来を。――それは、この世界が史実通りに進んだ場合、23年後に起きる戦いだ。
……仮にいま、光秀を殺せば、少なくとも本能寺の変は起きないな。
その場合、やはり織田信長が、天下を征することになるのか……?
「弥五郎、どうした?」
「……え?」
「ずいぶん、怖い顔をしているぞ」
伊与から言われて、俺ははっとした。
顔を、撫でる。2月だというのに、俺の顔面は汗でじっとりと濡れていた。
「いや。――将軍様のお屋敷ってことで、緊張したのさ。ごめん、伊与。もう大丈夫だ」
「そうか? それならいいが……」
伊与に驚かれてしまった。
殺気が、顔に浮かんでいたのかな。
明智光秀を殺す、か。……それはちょっと無茶な考えだ。
仮に彼がいなくなれば、信長の仕事のペースは一気に落ちるはずだ。
光秀は信長の重臣となり、その天下布武の事業におおいに貢献するのだから。
いま明智光秀がいなくなっては、信長や藤吉郎さんも困ることになるのだ……。
「相変わらず、暗い顔をする男じゃのう、弥五郎。……ほれ、献上品を運ぶ作業はもうすぐ終わりじゃ。終わったら、こっそり京見物にでも繰り出そうぞ。せっかくの都じゃ、京美人ともお喋りしようではないか、のう!」
「こほん。……藤吉郎さん。あまり弥五郎を変な道に誘わないでいただきたい」
「おっと、こりゃ軽率。伊与の横でする話ではなかったのう、わっはっは」
藤吉郎さんは大笑いしたが――
実際のところ、藤吉郎さんは京見物など、あまり興味がないと思う。
悩み深い顔を見せた俺を、励まそうとしているのだ。それであえて、馬鹿話を口にしたのだ。その気遣いがありがたかった。俺は笑みを浮かべて、藤吉郎さんと伊与を交互に見つめたが――
しかし、明智光秀。
彼の表情にもう一度だけ視線を浴びせ――
その顔立ちを、記憶に刻み込むことを忘れなかった。
かくして信長と足利義輝の対面は終わった。
信長はこの後、丹羽さんや前田さんらを引き連れて、尾張に戻ることになった。
さて俺もそれについていこうと思っていたのだが――しかし尾張に帰るその前に、信長は、ある命令を俺と藤吉郎さんに下してきたのだ。
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