第5話 明智光秀登場

 捕らえた斎藤家の面々については、兵蔵さんに一任し。

 あらためて、京の都を見て回る。――俺と伊与とカンナの3人。


 大路を、人々が、行き交っている。

 武士に、商人に、町人に、職人に。

 道路の両脇には立派な壁が立ち並ぶ。

 その奥には、誰か公家か武士かは知らないが、有力者の邸宅があるのだろうか。

 有史以来、あまたの戦乱を潜り抜けてきた王城は、応仁の乱でもおおいに焼け、近年も争いが絶えないはずだが、それでもこうして生きている。


 都である。

 雅な空気が漂っている。

 しかし、力強い町だと俺は思った。

 何度も何度も、戦があっても、立ち直る町。――あるいは住んでいる民が強いのか。


「さすがに賑やかやね。もう何人の人間とすれ違うたか分からん」


 と言ったのは、ひらりとした布をまとったカンナだ。

 彼女の金髪は、どこに行っても目立つので、旅先では、特に市街地に入ったときは髪を隠すことが多い。――たまに忘れているときもあるが。


「商いも盛んに行われているようだ。――あそこにいる商人が持っているのは油か?」


「やね。荏胡麻えごまから作られた油よ。あれは儲かるとばい。京の都だけやのうて、播磨や近江や大和、尾張に美濃のほうにまで売りにきよる」


「ふむ。――神砲衆も、扱ったら儲けが出るかな?」


「どうやろね……。油商いは激戦区よ。昔は山崎座っていう座が特権を握っとって、公方様(室町幕府)に許可を得てから油を独占販売して儲けよったけど、もうそれも過去の話やけんね。新興の商人がどんどん自分たちで油を作ったり、生産地と直接結びついたりして、勝手に油を売るようになってきよる。うまくいけば儲かるやろうけど……」


「好んで争いに参加していくこともない、か……?」


 俺は腕を組みながら答えた。

 織田信勝と熱田の銭巫女を蹴散らしてからこっち、神砲衆は尾張各所の商人と結びつき、生活必需品から武具馬具まで手広く扱っている。油も、当然売ったことがある。だがそれはあくまで尾張国内、織田信長の勢力圏内での話だ。そこから飛び出して、京都の油販売戦争に参加するのは、まだ時期尚早な気がする。


「むしろ京や堺にある珍しいものを仕入れて、尾張に持っていって売るほうが儲かるやろうね」


「だな。そのあたり、なにが特産品でなにが売れそうかをよくよく調査していこう。――お?」


「ん? どうした、弥五郎――あ」


 俺と伊与、そして少し遅れてカンナも目を見開いた。


「いよう、弥五郎。伊与にカンナも、待たせたのう!」


 大きく手を振りながら、俺たちの前に登場したのは、藤吉郎さんだったのだ。

 藤吉郎さんだけじゃない。前田さん、滝川さん、丹羽さん、佐々さん、その他、織田家の兵たちもいる。

 そしてその集団の中央にいるのは、


「上総介さま、お待ちしておりました」


 俺と伊与とカンナは、その場で頭を下げた。

 その人物は、無言のまま、しかしわずかに笑ってうなずく。

 いうまでもなく、俺たちが頭を下げた相手は、織田信長であった。彼が京に到着したのだ。




「たわけどもめ!」


 甲高い声で、信長は叫んだ。


「この上総介を討つために上洛した、と聞いたぞ。だが貴様ら程度の分際で、余の命をつけ狙うとは、かまきりが馬車に立ち向かうようなものじゃ。できるものか! それともいまここで、余と一戦交えるかどうか! どうだ!!」


 怒鳴りちらしている相手は、美濃斎藤家の面々である。

 俺と兵蔵さんから、斎藤家を捕まえていると聞いた信長は、直々に彼らと対面し、以上のような罵声を浴びせたのだ。――斎藤家の面々は返答に窮し、押し黙った。


 斎藤家の者たちが、京から追い出されたのは、その日のうちだった。


「よろしいのですか、あれで」


 信長にそう言ったのは、丹羽さんだった。


「今後の憂いがないように、斬っておいたほうがよかったのでは」


「構わぬ。あの程度の輩が何度立ち向かってきたところで、余の敵ではない。――ところで山田弥五郎、それに丹羽兵蔵。よくぞ斎藤家の刺客を捕えた。上総介、礼を言うぞ」


「滅相もない」


「恐縮でござる」


 俺と兵蔵さんは、揃ってその場に平伏した。

 そんな俺たちを見て信長は、ニタリと口角を上げる。


「それにしても、都に着いたと思ったらいきなり騒がしいことよな。ゆるりと京見物もできぬ」


「まったくだぜ。オレっちなんざ、今日のうちに白粉おしろいのひとつくらい買っておこうと思ってたのによ」


「前田。お前がなんだって白粉などを――ああそうか、前田は妻を娶ったばかりだったな?」


「そういうこったぜ、滝川殿よ。可愛い奥さんのためにお土産を買おうってハラよ、ヘヘヘッ」


「ちっ、ノロけやがるぜ」


 滝川さんと前田さんが、笑顔で冗談を交わし合う。

 信長は無言のまま、しかし目を細めてその様子を見ていた。ほんと上下関係だいぶんユルいよな、ここ。

 しかしそうかと思うと、信長は、丹羽さんのほうに目をやった。


「五郎左 。公方様にお目通りする件は、抜かりないな?」


「手抜かりはございません。明日の昼、対面する手はずになっております」


「で、あるか」


 信長はうなずいた。

 そう、今回、信長が上洛した目的は、室町幕府の将軍、足利義輝に出会い、その繋がりを深めておくことにある。

 美濃の斎藤家と戦うためにも、駿河の今川家と戦うためにも、室町幕府とのパイプは重要だ。


 室町幕府こと足利将軍家は、いまや実力においては吹けば飛ぶような存在で、日本全土どころか山城国一国さえ保てないような有様だが、しかし権威だけは生きている。おおいに繋がりを深め、『尾張は織田上総介に任せる』というお墨付きをもらえば、それは大義名分となる。織田弾正忠家は、


「われわれは将軍様の命令を受けて尾張を守っている。それに逆らう者は、室町幕府に逆らう反逆者だ」


 と、公言することが可能になるわけだ。

 もともと尾張の守護でもなく、守護代ですらない織田弾正忠家の信長にとって、これが公言できるかどうかは非常に大きい。信長とまだ敵対している岩倉織田家。これは守護代であり、室町幕府が認める尾張の副リーダーだが、これを倒せば名目上は信長の謀反になってしまう。だから、岩倉織田家を倒す理由付けとして、足利将軍家とのパイプは重要になるわけだ。


 一見、面倒なことに見える。

 バカバカしいことにも見える。

 しかし権威は実力あってこその乱世だが、それでも権威がまったくなければ、人々が尊敬してくれないのもまた事実である。中世の人間は、のちの時代の人々が想像している以上に、血統や権威をありがたがるものだ。


 信長の舅、斎藤道三を見てほしい。

 彼は智恵も勇気も兼ね備えていた英雄だったが、しかしただひとつ、庶民や家来の尊敬だけは得られなかった。

 群衆がありがたがるだけの権威を、備えることができなかったからだ。彼はどこまでやっても、人々からは成り上がりとしか見られなかった。「すごいやつだね、でも品がないね」としか思われなかった。だから、最終的には敗北してしまった。


 力だけではだめなのだ。

 人々が認めるためには、既存の権威からのお墨付きが必要なのだ。

 信長はそれを知っている。あるいは斎藤道三の死から学んだのかもしれないが……。


 とにかくそういうことで、信長は足利義輝に会いに来たのだ。尾張を征するために……。


「弥五郎。将軍家に献上する品のほうは、問題ないか」


 ふいに、信長が言った。

 じつは俺は将軍家に献上する金子きんすや、刀、鉄砲などを準備するお役目を頂いていた。

 足利義輝は武芸に達者だという評判があるが、鉄砲にも関心が深い史実がある。そのため俺は、足利義輝に連装銃などを贈るつもりだ。そしてそれらの道具はすべて、上洛するときに持ってきている。


「むろん、すべて手抜かりなく用意しております。公方様がお喜びになる姿が目に浮かぶようです」


「言いおる。藤吉郎の大言癖がうつったか」


 信長はニヤニヤ笑い、藤吉郎さんも「ありゃ」と舌を出した。

 全員が、どっと笑った。――足利義輝との対面を明日に控えた夜。織田家のメンバーの空気は、かようにどこか牧歌的であった。




 そして、翌日――


 信長と足利義輝が会う日だ。

 宿の入り口にて、俺と藤吉郎さん、それに伊与とカンナを加えた4人は、将軍家に献上する品々に間違いがないか、ひとつひとつチェックしていた。


「感無量だな」


 伊与が言った。


「私が選んだ刀が、公方様の手に渡るなど」


 そう、足利義輝に贈る刀は、伊与に選んでもらったのだ。

 尾張で購入した名刀だ。伊与の目利きならば問題ないと思って任せた仕事だが、伊与は少し涙ぐんでいる。


「泣いておるのか、伊与。緊張ゆえか?」


「いえ……」


 藤吉郎さんの茶々にも、伊与は乗らず、首を振っただけだった。


「あの世の堤さまが、お喜びかもしれない、と思いまして」


「……そうか。汝の義理の父は、公方様にお仕えすることを望んで、近江まで来ておったの。そうか」


「それなら確かに感無量だな。……うん、堤三介さまもきっとお喜びさ」


『堤伊与』の生みの親である堤三介氏。

 伊与の剣術の師匠であるその人物も、こんな形で弟子が将軍家に関わることになろうとは、予想だにしていなかっただろう。

 伊与の喜びは俺にも分かった。藤吉郎さんとカンナにもだ。俺たちは、黙って伊与が泣きやむのを待った。


 そのときだ。


「御免」


 冷たい声がした。

 感情がこもっていないような、不気味な声音。聞いた瞬間、なぜかぞっとする声だ。


 俺たちは、そっと振り向いた。

 宿の入り口に、中年の武士が立っていた。

 頭の禿げあがった、しかし異様に鋭いまなざしをした、やせぎすの男。

 一見しただけで只者ではないと思わせる、その空気。藤吉郎さんもカンナもまなじりを鋭くし、涙ぐんでいた伊与でさえ、すでに表情を険しくさせている。


 なんなんだ、こいつは……。


「御免。私は公方様よりの使いでござる。織田上総介さまの宿はこちらでよろしいか?」


 男は、にこりともせずに、しかし物腰だけは慇懃だった。


「……上総介さまの宿は確かにここじゃが……貴殿は……公方様よりの使いじゃと?」


 藤吉郎さんは、あえて明るい雰囲気で話しかける。

 しかし男は、やはり眉ひとつ動かさぬまま首肯した。


「左様。公方様のお住まいまで、上総介さまの警護を務めるために参ったもの。……表にはさらにあと5人、私の同輩が控えてござる」


「――それは……わざわざありがとう存じます」


 俺は思わず、頭を下げた。

 藤吉郎さんも、伊与も、カンナも、頭を下げる。

 男は、やはり笑わない。……なぜだろう。嘘をついているようには見えないのに、この男のなにかが信用できない。直感としか言えないが、くさい。この男の目は、なにかをたくらんでいるような……。いや、なにかを憎んでいるような……?


 だめだ。

 感情が読み取れない。

 蛇のようなまなざしだ。こんな顔の人間、初めて見た! 本当になんなんだ!


「それでは上総介さまにお取次ぎいたしますが……さて貴殿、お名前をお伺いしても、よろしゅうござるかの?」


「これは失礼仕った」


 藤吉郎さんの問いかけに、男はやはり語り口だけは丁寧に――その名を名乗った。


明智十兵衛光秀あけちじゅうべえみつひで、と申しまする。……お取次ぎのほど、お願いいたす」

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