第7話 堺の町とカンナの過去
「いやはや! こいつは大層賑やかじゃのう! 聞いていた話以上じゃわい!」
「そうやろ~、藤吉郎さん! これが
賑やか好きの藤吉郎さんとカンナが、揃って高らかに声を上げる。
目の前には、人、人、人の海。
道の両脇には立ち並んだ商店の数々。
はるか彼方に見えているのは何十艘もの巨大船。
これだけ見ると、尾張の津島に似ているが、しかしその活気は津島の比ではない。
そう、いま、俺たちがいるのは
戦国時代屈指の商業都市。外国人から『東洋のベニス』と呼ばれるほどの街。俺たちはここにやってきた。
「噂には聞いちゃいたが、さすがの人出だな。これだけ人がいれば、銭の動きも活発だろうよ。……盗みがとってもはかどりそうだぜ、なあ次郎兵衛」
「五右衛門さん、冗談はよせッスよ。こちとら仮にも甲賀の忍びだ。盗人稼業はやらないッス」
「あっはっは、分かってる、分かってる。――だが楽しいなあ。こういう場所に住んだら毎日がお祭りだろうね!」
軽口を叩き合う、五右衛門と次郎兵衛であった。
いま、ここにいるメンバーは俺、藤吉郎さん、伊与、カンナ、五右衛門、次郎兵衛の6人だ。
俺たちは京の都から離れるとき、信長から「堺へ行って参れ」と命令を受けた。実は信長は、京に来る前に堺にも寄っており、その街並みを見物していたのだ。
「堺には面白そうなものが大量にあった。京への道を急いでいたゆえ、そのときはなにも買わなんだが――弥五郎、藤吉郎。余はこれより尾張に戻らねばならん。そこでだ。余の代わりに堺で買い物をしてきてくれぬか」
信長は、そう言った。
そこで俺と藤吉郎さんは、仲間と共に堺へ移動したというわけだ。
そういうわけで俺は、信長の買い物もしなければならないが、しかしそれはそれとして堺に来たのはよかった。
この時代最大の商都である堺を、一度この目で見たかった。その空気を肌で感じたかったのだ。そしてその目的は果たされた。この町では、見るものすべてが新鮮だ。素晴らしい!
俺だけでなく、藤吉郎さんも五右衛門も、堺を楽しんでいるようだ。良かった。
と、そのときだ。伊与がひとり静かな顔付きでいることに俺は気が付いた。
「どうしたんだ、伊与。なにか考え事か?」
「弥五郎。――ああ、いや、少しな」
「少し? ……気になることでもあるのか?」
「うん……」
伊与はちょっとだけ、はにかんだ顔を見せた。
「
「と――」
意外な名前の登場に、俺は若干面食らった。
「忘れたか? 弥五郎。お前が最初にシガル衆を追い払ったすぐあとのことだ。義父様の商いを手伝うために大樹村を出た。そのとき、堺について少しだけ話したじゃないか。そのときのことを思い出していたのだ」
そう言われて、俺は思い出した。
そうだ、確かに話した。シガル衆を倒すには、金を稼ぎ、人と武器を揃えなければ――
そんな話を、俺と伊与、それに両親の牛松とお杉の4人で話しながら、加納の楽市へと向かったんだっけ。
「そんなことも、あったな……」
思えばあの会話が、すべての始まりだった。
あのとき、父から「5000貫もあれば、シガル衆にだって勝てるさ」と言われなかったら――いまこうして俺たちが、ここにいることもなかっただろう。
「あれからもう8年だ。思えば遠くへ来たものだ」
「……だな」
「あのころは、まだ私も弥五郎も、無邪気な子供だったな」
「…………」
俺と伊与は、なんとなく遠い目をして、堺の街並みをじっと眺めた。
そんな俺たちを、カンナが隣でキョトンとした顔で見つめている。
さて、俺たち一行は堺のド真ん中にある宿屋に部屋をとった。
そして藤吉郎さんは、信長に頼まれたものを買い出しに出かける。
「こっちはわしに任せよ。弥五郎、汝は神砲衆のために見聞でも広めにいけばよい」
藤吉郎さんは、そう言った。
「いいんですか?」
「構わぬ。たかが買い物じゃ。なにも6人でゾロゾロ行くことはあるまい」
「しかし、単独行動は危険です。なにかあるかもしれません」
「心配性じゃのう、弥五郎は」
藤吉郎さんは、カラカラ笑ったが、そりゃ心配もする。
ときどき忘れがちになるが、彼は豊臣秀吉なのだ。
藤吉郎さんになにかあったら、今後の歴史が尋常でないレベルで変わってしまう。
「それじゃ、うちと次郎兵衛が護衛についていくさ。それでいいだろ?」
「おう、ふたりが来るなら安心じゃ。――そうじゃ、それならばついでに伊与も借りていいか、弥五郎?」
「私も、ですか……?」
「うむ。実は又左からこっそり、良い刀があったら買ってきてくれと頼まれておる。刀剣の目利きならば、伊与のほうができるじゃろう。どうじゃ、弥五郎」
「俺はいいですけれど……。じゃあ伊与も、藤吉郎さんのほうに行ってくれ」
「分かった。それでは、また後でな」
ということで、藤吉郎さんは、伊与と五右衛門と次郎兵衛を引き連れて買い出しへ。
俺はカンナとふたりきりで、神砲衆の仕事をすることになった。
仕事といっても、やることは、まず堺の町の相場調査。
米がいくらか、炭がいくらか、火薬はいくらか、などなど。
神砲衆の商いの基本である転売をやるために、各商品の品揃えや売値買値を調べていく。
「やはりすべての値が高いな。……ここに米やら炭やら運んで売りさばけば、存分に儲かりそうだ」
「やけどさすがに堺よ。商人同士の目が光っとる。こんなところによそ者がいきなり入ってきて、さあ商いをやろうってのは難しかばい」
カンナの意見はもっともだった。
堺は地元の商人たちが店を開き、商いをやっている。
そこに新興の商人がいきなり入ってきて商売を始めれば――当然、彼らに目を付けられる。
『お前、誰に断ってここで商売やりよるねん、おう』
というやつだ。
もちろんこの商人ルールは、堺に限らず日本各地に存在するものである。
よそ者が突如出現し、大儲けを始めれば、地元の人間にぼこぼこにされる。
「俺たちだって、津島で儲け始めたとき、小六さんに絡まれたしなあ」
昔を思い出すように言った。
あのときは、藤吉郎さんが偶然来なかったら、危うかったなあ。
でもまあつまり、そういうことだ。新興商人が芽を出すのはそれだけ難しい。
加納の楽市とか、あるいは地方の六斎市のように、抜け穴も一部にはあるのだが……。基本的に、既存市場に切り込んでいくのは、それだけいろいろと大変なのだ。
「堺でものを売るのは、まだ時期尚早だな。しばらくは、尾張で商いを続けるしかない」
「そうやね。……ふふっ」
「? どうした、カンナ」
ふいに笑った彼女へ、怪訝顔を向ける。
「ううん、ちょっと懐かしかっただけよ。小六さんに囲まれたとか、そういうこともあったなあち思うて」
「…………」
「あのときの弥五郎、あたしを守ろうち頑張ってくれたもんね。すごい素敵やったよ。いまでも覚えとる」
「…………そ、そっか」
にこにこ顔を俺に向けてくるカンナを見て、俺は少し照れてしまった。
だから目をそらしてしまったわけだが――しかしカンナは話をやめない。
「昔話は、伊与の専売やかなとよ」
「な、なんだよ、それ」
「だってさっき、伊与と昔のことを話しよったやん。お父さんがどうとか……。あたしと出会う前の話」
「そりゃ……まあ、そういう話もたまにはするさ」
「ちょっと悔しかったんやもん。伊与と弥五郎ってときどき、そういう――ふたりだけの世界、みたいなのを醸し出すときがあるけんくさ。……あたしだってもう、8年も弥五郎とおるのになーって」
「…………」
俺たちは、歩きながらしゃべっている。
なんか、雰囲気が微妙だ。妙に気恥ずかしい時間が流れているぞ。
……ええと……ここ、どこだっけ? 気が付いたら人気のない場所をふたりで歩いている……。
「ま、まずいんじゃないか。宿からずいぶん離れたぞ」
「ああ、このへん……。大丈夫よ。弥五郎は初めてやけん分からんかもしれんけど、宿からそこまで遠くやないし。そこの小道を抜けたら、もう港のほうやけん、人もたくさんおるばい」
「そうか、カンナって堺に来たことがあったんだっけな」
「まだお父さんが生きとったころに、何度かね」
妙な空気が雑談で消えた。
そのことに、少しほっとする。
俺と伊与とカンナとの関係って、相変わらず妙だよな。いちおうお互いの公認で婚約状態にあるのに、それからまったく先に進まないし。なんかそういう話題、タブーになっているところもあるし……。
港へ、出た。
磯の香りがぷんと漂い、船が無数に停泊している。
人が、積み荷を降ろしたり、逆に船へと運び入れたり。
その景色は、やはり津島に似ていたが、違いといえば、明の船が停泊し、かつ明の人間が港をうろついていることだろう。
明(中国)の商人が、堺までやってきて商いをしているのだ。
これだけで、なにやら異国の空気を俺は感じた。日本から遠く離れたような錯覚を覚える。
これでヨーロッパの船でもあれば、より異国情緒が溢れるのだが――そういう船はない。
これはまあ、当然だ。
南蛮文化に溢れていた堺の町だけに、南蛮船がやってきていたと思われがちな堺だが、しかし実はスペインだのポルトガルだのの船は、堺まではやってきていない。南蛮船は九州にばかりやってきて、商いをしていた。そして日本や明の商船が、南蛮の商品や、南蛮人、宣教師らを堺に送り届けていたのだ。だから堺に来ていたのは、基本的には和船か中国船ということになる。
「なんか、懐かしかねえ。お父さんといっしょにおるときは、この港でよう遊びよったし!」
カンナは興奮して、港町を歩き回る。
髪を隠していた布も、いつの間にか取ってしまっていた。
すると、その美しい金色髪が翻る。周囲を歩いていた人々が、おやっという顔でカンナを見る。
さすがの堺といえど、彼女の髪と容貌は、やはり目立ってしまうらしい――
「お、おい、カンナ。髪、髪を――」
と、俺が口を開いたそのときだ。
「カンナ!」
ふいに声が聞こえた。
俺とカンナは振り返る。するとそこには、20歳くらいと思われる、艶やかで長い黒髪をした女性がひとり。
日本人の服装ではなかった。淡い黄色の衣は、明らかに中華風の刺繍がなされているし、下半身は赤くて細い腰巻を――つまりズボンのようなものを履いているのだが、それも伊与が履いているような日本女性のそれとは形がしっかりと異なっていた。
その美女は、カンナに笑顔を向けている――
「やっぱりカンナよ。蜂楽屋の娘のカンナよね? 久しぶり……! ワタシのこと、覚えてる?」
「……
カンナもまた、目を見開き、その女性の顔をまじまじと見つめる――
どうやら、カンナとは顔見知りらしい、その明国の女性。
当たり前だが、カンナにも過去がある。俺がまだ知らない過去が……。
カンナとその女性は、距離を詰め、そして懐旧の微笑を互いに向け合うのだ。
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