第2話 上洛の途

 近江国。

 街道である。

 旅人が、頻繁に行き交っている。

 陽の光は弱い。1559(永禄2)年2月の風が、容赦なく人々を凍えさせていた。空にもドンヨリとした雲が広がり、鬱々としたその光景は、旅をする者たちの心をいっそう、暗く落ち込ませるのであった。


 そんな寒空の下、あっけらかんとした男がふたり。

 へらへらと笑っていて、いかにも根性がなさそうで、しかし外見だけはなかなかに、水の滴る良い男たち。

 街道沿いの茶店で、酒を飲みつつ、道行く娘や若女房を冷やかしていた。


「お姉さん、いっしょにお酒飲まない?」


「もうすぐ夜だよ、暗くなるよ。オレらと宿に泊まろうよ」


「寒い寒い季節だからね~。しっかり温めてあげるからさ~……キヒヒッ」


 このふたり、近隣の農村に住む遊び人である。

 それなりに裕福な家で育った彼らは、農作業もせず戦にも出ず、ふらふらとあたりをごろついては博打をしたり女性と遊んだり。――そういう連中だった。


 そんな彼らの前に、女性がふたり通りかかる。

 思わず二度見するほどの美人だった。


 かたや、長い黒髪をひとつに束ねた、かつ、凛とした顔立ちをしている女。男装をしているわけでもないが、腰には二本の刀を差している。

 かたや、傘をかぶってはいるが、その傘の下から覗く青い瞳と金色こんじきの髪が印象的な、これは日本ではない別の国から来たのではないか、と思わせる女性。


 二本差しに、金色髪。

 変わったいでたちの女性たちだった。

 しかし美人なのは、間違いない。軟派な遊び人たちが、彼女たちに目を付けないわけがなかった。


「お姉さん、お姉さん」


 男たちは、彼女たちに声をかけた。


「どこに行くの? もうすぐ日が暮れるよ。ここから先は賊も出るぜ。危ないよ」


「そうそう。このへんで宿を取ったほうがいいって。オレら、このへんには詳しいからさ。宿、紹介するよ」


「……宿? 知っているのか?」


 二本差しの女が、立ち止まり、顔を向けてきた。

 匂うような色気の漂う、ちょっと珍しいほどのい女だった。

 さらに彼女の隣にいた、金色髪に碧眼の女も立ち止まって、肉厚のくちびるを蠢かす。


「教えてくれるなら、ありがたかね。あたしたち、このへんで宿を取ろうち思いよったけん」


 その外見からは想像もつかないような、どこかの方言を口に出す金色髪。遊び人たちは少々面食らったが、しかしそれは些末な問題だった。その異人風の女性も、隣の二本差しに負けず劣らず、透き通ったような白い肌と肉感的な身体が目立つ、圧倒的な美女だったからだ。


 ああ、なんにしても。

 遊び人たちは内心、舌なめずりをした。

 今日はついている。これほどいい女たちが、自分たちの誘いに乗ろうとしてくれているなんて。

 この機会を逃すわけにはいかない。遊び人たちはひそかに目配せをしあって、小さくうなずき合うと、


「そうそうそう、宿、宿、宿。知ってるよ。オレら、ここらへんの出身だから! いい宿を知ってるぜっ」


「ね、行こうよ。女のひとの二人旅は危ないって。さ、行こう。案内するからさっ」


 男たちはヘラヘラ笑いながら、女性たちの手を引こうとする。

 しかし女性たちは――すっと、その手を回避した。


「あれ?」


 男たちは、首をかしげる。

 女性たちは、笑っていた。


「あいにくだが、そういう誘いならお断りだ」


「あたしたちが宿を探しているのは本当やけどね。……実のところ、二人旅やないんよ」


「「……え?」」


「あとから次々と人が来る。とりあえず、私たちふたりも含めて10人ほど」


「そういうわけで、10人分の宿を紹介してくれたら助かるんやけどね~」


 金色髪が、無邪気に笑った。

 男たちはしばし呆然としていたが――

 やがて、ざ、ざ、ざ、と足音が聞こえてきたので、そちらに目を向ける。




 集団が登場した。




 ――俺こと、山田弥五郎と、仲間たちである。


「伊与、カンナ。宿は見つかったか?」


 伊与とカンナは、間もなく日が暮れるので、宿の手配をするために、俺たちより先行していたのだが――

 その伊与とカンナの姿を発見した。カンナは大きく手を振って、


「弥五郎、こっちこっち。このひとたちが宿を紹介してくれるち言いよる!」


「このあたりの出身だそうだ。いい宿を知っているらしいぞ。なあ?」


「「え。え、え、え……」」


 ……なんだ?

 伊与はニヤニヤ笑いながら、男ふたりの顔を見つめている。

 男たちは、困惑気味に、伊与とカンナと俺たちを交互に見つめている。


「なんだ? なにかあったのか?」


 それとなく尋ねる。

 すると伊与は「なんでもない」と言ってからさらに笑い、


「さあ、本当に日が暮れてしまうぞ。行こうではないか。……亭主殿?」


「「て、亭主ぅ……!?」」


 男ふたりは、目を丸くした。

 なんだ、伊与が俺のことを亭主と言ったらなにがそんなに問題なんだ。

 いや、っていうか……。


「伊与。亭主って言うのはやめろ。まだ……亭主じゃないんだから」


「そうたい! まだ婚約しかしとらんのに、亭主って言うのは言い過ぎやろ! ねえ、お前様?」


「カンナ……。お前もお前だ。弥五郎のことをお前様と呼ぶのはまだ早い。立場は私と同じのはずだ!」


 路上で、言い争いを始めてしまったふたり。俺は苦笑した。




 かつて、伊与とカンナのふたりから愛の告白を受けた俺は――結局、どちらかひとりを完全に選ぶことはできなかった。伊与もカンナも、同じくらい、俺の中で大きな存在になっていた。死の間際から救ってくれた伊与、心の傷を癒してくれたカンナ。ふたりとも、大事な女性だったのだ。


 だから、どちらかひとりを妻にして、どちらかと別れるということはできない。

 それが俺の結論だった。……はっきり言って、ズルいと思う。我ながら情けない。


 ただ――

 この状態も、藤吉郎さんに言わせれば、


『それならばふたりとも、妻にすればいいではないか。いまの汝の財力ならば、おなご二人を養うくらい、わけはなかろう』


 そういうことらしい。

 確かにこの時代、一夫多妻は問題じゃない。

 金や権力を有する人間は、複数の女性をめとっている。


 理由はある。

 権力者は家を盤石にするために、たくさんの子供を作らねばならない。そのために女性を複数、妻とする。

 むろんそれだけではなく、ぶっちゃけて言えば男の性欲とか支配欲という理由もあるだろうし、さらに言えば女性側の都合もあるのかもしれない。この時代は戦争続きで男が次々と死んでいるため、男性の絶対数が少ない。どうしても女のほうが余る。女性が食っていくためには、また子供を産むためには、どうしても金持ちの妾になるという選択肢が出てくる。それがいいか悪いかは別として、そういう世相になってしまっているのだ。


 ……だから。まあつまり、そういうわけで。

 この時代、伊与とカンナをふたりとも妻にすることは、悪行ではないのだ。


 問題は――


『で、弥五郎。汝、伊与とカンナのどっちを正妻にするんじゃ?』


 藤吉郎さんの言う通り。

 どちらが正妻になるのかという話。

 一夫多妻の制度の中でも、正式な妻となるのが誰か、それだけは定めねばならない。

 みんな平等に可愛い可愛い、愛してる、という話は成立しないのだ。誰が一番、身分が上の女性なのか、そこだけは決めねばならない。


 さらに言うなら、伊与とカンナの気持ちの問題。

 ふたりはなんだかんだで仲がいいし、揃って俺の妻になる、という状態については、


「他の女ならともかく……カンナなら、いいと思う」


「他の女がくっついてくるのは我慢ならんけど、伊与なら我慢しちゃるばい」


 と、いちおう承諾の意思を表明した。

 が、やっぱり、最後の最後には、


「「で、どっちを正式な妻にする のだ?」 と?」


 はい。

 そういう問題に行き着いてしまった。


 俺は結局、そこに対して答えを出すことができず――伊与とカンナ、ふたりに対して、婚約という回答を出した。

 必ず婚姻はするけれど、まだ正式な結婚は時期尚早――ということになり、現在に至るのである。




 だから、今日もふたり揃って「亭主」とか「お前様」とか呼ぶのはまだ早い、ということになるのだ。

 まあ、確かにまだ早いんだけど……。……婚姻もまだなら、なんていうか、子作りっていうか、そういうのもまったくしてないし……。

 宙ぶらりんの状態がよくないってのは、俺も分かっているんだけど。

 五右衛門からは「さっさとなんとかしなよ、なんかもうあんたのこと、見ていて殴りたくなってくるわ」なんて言われちゃったし。前田さんも「まだ手をつけてねえのかよ、あんな美人ふたりを腐らせとくとか、もはや悪徳だぜ!?」と怒鳴ってきた(ちなみにその前田さんは去年、おまつさんという女性と結婚した。おめでとう)。


「どうせ来年には亭主殿になるのだ。だったらいまのうちに亭主殿と呼んでおいたほうが慣れていいだろう!」


「だったらあたしだってお前様ってよかやん!? やんやん!? やんやんやん!?」


 伊与とカンナはなお、往来で口論を続けている。

 俺と神砲衆はその景色を呆然と見続けて――


 そして伊与たちと絡んでいた、遊び人風の男ふたりは、俺のことをチラチラ見ながら、


「うらやましい……」


「あんな美人ふたりと……婚約……」


「うらやましすぎる……」


「あんな美女ふたりと……さんにんで……夜通し……夜通し……」


 誰が三人で夜通しやねん。

 羨望の視線と独りごとを食らいつつ、俺は次の行動をどうしたものかと迷っていた。




 さて、その後俺たちはなんだかんだで、近江の街道沿いにある大きめの宿に宿泊したわけだが――

 そもそもなぜ、この場所に俺たちがいるのか? もちろんちゃんと理由がある。

 三郎さまこと織田信長が、上洛を開始したので、その露払いを務めているのだ。


 先日、信長は「京の都に参り、将軍・足利義輝公と対面する」と宣言した。


「余に逆らい続けている岩倉織田氏、また美濃の斎藤義龍、駿河の今川義元に対抗するべく、足利将軍家との繋がりを深くすることにした」


 乱世と言えど、足利将軍家の威光は、なお健在である。

 将軍とのパイプも強くして、その威勢を用いて「我こそは将軍家の命令で尾張を守っているのだ」と宣言すれば、他大名へのけん制になるし、また小勢力の国人や豪族を従える良い大義名分にもなるのだ。


 ゆえに、信長は京都に向かうことにした。

 藤吉郎さんや前田さんら、腹心の部下80人を連れて京都へと向かい始めたのだ。


 しかし道中は、どんな危険があるか分からない。

 そこで俺たち神砲衆が、信長チームより先に街道を行き、道が安心かどうかを確かる役目を果たしているのだ。

 これについては、伊与がかつて、養父の堤三介氏と共に近江を旅した経験があるのが大きかった。近江の地理について、伊与は実に詳しかった。


 さて、いまここにいるメンバーは、俺、伊与、カンナ、次郎兵衛、五右衛門の5人のほかに、信長の家来衆も5人いる。

 その5人の中に、丹羽兵蔵にわひょうぞうという人がいた。

 丹羽長秀さんとは親戚にあたるらしい、実直な性格のこのひとが、俺の部屋にそっとやってきたのは、深夜も深夜、まさに丑三つ時のことだった。


「山田どの、夜分申し訳ござらぬ。……ちょっとだけ、よろしいか」


「兵蔵さん。……どうされましたか?」


 俺が尋ねると、兵蔵さんは声を低めて言った。


「それがしが泊っている部屋の隣から、声がするのです」


「声……?」


「はい。――そこで、なにやら胸騒ぎがしたので、聞き耳を立ててみたところ……どうも隣に泊まっているのは、美濃、斎藤家の連中のようでござる」


「なんだって……?」


 俺は、わずかに目を開かせた。

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