第57話 相克の女

 信長がゆく。

 馬に乗り、南に向かって、まっすぐに。

 前田利家以下、信長軍団はそのあとに続いていく。


「又左ッ、藤吉郎ッ。余に遅れを取るでないぞ!!」


「「承知っ!!」


 呼ばれた利家と木下藤吉郎は、大声で応えた。

 向かう先には、林美作守の軍団700が待ち構えていた。


「殿様、お下がりください。ここから先は我々が」


 いつの間にか、信長に追いついていた丹羽長秀がもっともなことを言った。

 が、信長は、うんともすんとも言わず、無言で駆ける。こうと決めたら、もはや他のものは見えない。みずから陣頭に立ち槍を振るい、敵将の首をあげんとしている。長秀は諫言を諦めた。


 いっぽう林美作守は、信長みずから先頭に立って突っ込んできたことに仰天し、


「者ども、あれが三郎じゃ。戦え、首取れ」


 と、慌てて叫ぶのだが、しかしその声は震えていた。


「かかれッ!!」


 信長の甲高い声が響く。

 わあっと、信長軍がいっせいに、林軍へと襲いかかった。

 混戦になった。敵味方が入り混じり、チャンチャンバラバラと金属音が轟いて、どこかから矢弾も降ってくる。馬鹿野郎、味方に当たるぞ、なにをやってる、と、誰かが騒ぎ誰かが吼えて、しかし時には「お前、もう逃げろ」「ここはいったん退いとけ」という声も聞こえた。もともと織田弾正忠家同士の戦いなので、知り合い同士、友人同士、身内同士が多いのである。


 こうなると、林軍が不利だった。

 主君の信長を相手に弓引くことを、良しとしない人間は、やはり多かったのだ。


「馬鹿者、退くな、退くな」


 林美作守は、叫んだ。


「三郎を倒せ。三郎の首を取ったものは、褒美は思いのままぞ。三郎を殺せっ!」


 その声は。

 確かに戦場中に轟いた。


 ゆえに。

 実に目立った。


「美作、そこかッ」


 戦場で槍を振るっていた信長は、目ざとく敵の大将を見つけると、


「覚悟!」


 短く叫んで、馬首を巡らし、林美作守のほうへと向かった。

 林美作守は、いよいよ仰天した。まさか信長みずからが、自分のところへやってくるとは。

 これだからあんたはおかしいというんだ。大将が、織田弾正忠家を継ぐ者が、下郎のように戦場に立って槍働きを務めるなんて。頭がどうかしているぞ、この――


「この、うつけ者――」


 声は、最後まで発せられなかった。

 信長の槍が、鋭く動く。林美作守の首が、飛んだ。


 うつけが勝った。


「敵将林美作守。織田三郎がみずから討ち取ったり。――」


 何度目だろうか。

 信長の声が、響く。

 それで、勝敗は決した。

 おおおおお、と敵味方を問わず声があがった。


 そこへ、殿様の勝ちじゃ、殿様の勝ちじゃ、謀反人は討ち取られた――と、ひときわ大きな声で叫んだのは木下藤吉郎だった。林軍の士気は崩壊していた。大将は負けた。殺された。そこへ「謀反人」と改めて道徳的に責められたことで、林軍の兵はいよいよやる気を失ってしまい、次から次へと信長に降伏を始めたのだ。

 むろん藤吉郎は、そこまでの心理的効果を考えて叫んだのであるし、信長もそんな藤吉郎を見て、ニヤリと笑った。

 林美作守と、柴田勝家は、敗北した。




 ――信長がそんなことになっているとは露知らず。

 俺たちは神砲衆は、銭巫女軍団と対決していた。

 大砲を、ガンガンガンと撃ち込んでいく。


「それ、撃て、撃て。もっと撃て!」


 石が空を飛び、森の中に落下する。

 そのたびに、わああ、と大きな声が林の奥から聞こえてきた。

 いいぞ。このまま銭巫女たちをもっと混乱させるんだ。――そう思ったときだった。


 ――殿様の勝ちじゃ!


 そんな声が、はるか遠くから聞こえてきた。……なんだ?


 ――殿様の勝ちじゃ、殿様の勝ちじゃ! 謀反人は討ち取られた!!


「あの声は……」


「弥五郎、どうした?」


「藤吉郎さんの声がする」


「なに? 私には聞こえないぞ」


「間違いない。藤吉郎さんの勝どきだ。三郎さまが勝ったんだ。三郎さまが勝利したんだ!」


 俺は、大声で叫んだ。


「三郎さまが……?」


「おれたちが勝ったのか?」


「大将が言ってるんだ、間違いねえだろう!」


 神砲衆の士気は、ますます上がった。

 三郎さまが勝った、三郎さまが勝った。

 我らの勝ちだ、ここにもいずれ、三郎さまが来られるぞ。我々の大勝利だ――

 神砲衆の面々は口々に叫び、逆に森の奥はしいんと静まって、明らかに士気の低下が感じられた。




「三郎が勝った?」


「負けたのか、勘十郎さまは」


「我らの敗北なのか……」


 森の中にいた銭巫女軍団は、ざわついていた。

 神砲衆の連中が口々にわめいている信長勝利の報道に、さすがの銭巫女軍団も絶望を開始したのだ。


 だが。


「うろたえるんじゃないよ、お前たち!」


 銭巫女は、そこで吼えた。


「まだ勘十郎さまが死んだわけじゃないだろう。かの御仁さえ生きてあれば、挽回はいくらでも可能だよ! あたくしはそう考えている。それともお前たちは、この銭巫女が信じられないのかい!?」


 一喝。

 軍団の士気は、それでわずかに回復した。

 そうだ、おれたちにはまだ銭巫女さまがいる。銭巫女さまがおられる限り、我らは必ず最後には勝つ――


(単純なやつらだ)


 我が配下ながら、兵士たちの無邪気さはなんだかおかしくなる。

 この状態から勝つなんて、そうそうできることじゃないのに……。

 それにしても織田勘十郎信勝、柴田勝家、林美作守。どうやらやつらは敗れたらしい。なんてざまだ。もう少ししぶといと思っていたが、ここまで早く負けるなんて。


「肩入れするところ、間違ったかね……」


 銭巫女は舌打ちしつつ、首を上げた。

 神砲衆が、わあわあと叫ぶのが見えた。


「馬鹿みたいにはしゃいじゃって……。ほんと、阿呆じゃなかろうか……」


 吐き捨てるように言った。

 とはいえ。その阿呆どもを蹴散らさなければ、撤退さえできそうにない。それは紛うことなき現実だった。


「お前たち、いくよ。あたくしについておいで。やつらをぶっ飛ばそうじゃないか」


「し、しかし銭巫女さま。また、空から石が飛んできたら」


「そのときは死ね」


 銭巫女は冷たく言った。


「石が降ってきたからって、全員が一度に全滅するわけじゃないだろう。大岩に直撃したって、せいぜい数人しか死なないんだ。それなら別に問題じゃない。喜んで死ね。前に向かって走りながら死にな。死人の仇はあたくしが討つ」


「そ、そんな――」


「心配すんな」


 銭巫女は、妖艶に微笑んだ。


「あんたたちがもしおっんだら、その死体を、あたくしが抱いてあげるからさ」


 その言葉に、家来たちは、おおお、と興奮して叫んだ。

 彼ら彼女らにとって、銭巫女の優しさと魅力は絶対だった。

 そうなるように調教してきたのだから、当然だ。


「ほら、いくよ、お前たち。あたくしのために、やつらをぶち殺しておくれ」 


 銭巫女の呼びかけに、軍団の兵たちは「応」と叫んだ。




「弥五郎!」


 伊与が叫んだ。なんだと尋ねるまでもなく、状況がつかめた。

 銭巫女の軍団が、こちらに向かって突進してくるのだ。

 銃を構え、槍を構え、それぞれがわあわあと声をあげながら――


「来たか、銭巫女!」


「大砲に撃たれ続けるくらいならと、突っ込んできたのか?」


「いや、おそらく――勢いで一気に俺たちをもみつぶすつもりだ」


 銭巫女軍団は、鉄砲を撃ち、さらに弓矢や石つぶてを放ち、こちらを攻撃してくる。

 射石砲しゃせきほうは、例え石が直撃してもせいぜい数人しか殺せない。それに遠距離の敵には強いが、接近戦を仕掛けてくる相手には弱い。ああして突撃してこられるとどうしようもないのだ。


 反撃だ。

 連装銃やリボルバーで反撃して、銭巫女を倒す。それしかない。


「神砲衆、撃ち返せ! 銭巫女を粉砕するぞ!」


 神砲衆は「応」と叫んだ。……いよいよだ。

 神砲衆と銭巫女軍団の対決は、最終局面を迎えようとしている。

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