第55話 稲生の戦い

 稲生にて、戦争が開始されていた。

 兵1000人を率いた柴田勝家が、稲生の村はずれの街道を突き進み、信長軍を襲ってくる。さらに林秀貞の弟、林美作守の軍勢700も、攻めてくる。こちらは柴田軍よりも南から回り込んで、信長軍の背後を突こうという作戦だった。

 信長軍は数が少ないので、分散作戦は取れない。まずは柴田軍を倒し、次に林軍を倒す。そういう流れにするしかなかった。


「見ろよ、おい……」


 前田利家は、眉をひそめた。


「柴田のオッサンの軍が来るぜ。なんて動きだ。まったく乱れがねえ」


「さすがは権六(柴田勝家)どのですな」


 丹羽長秀は、淡々と言った。

 しかしその額には、わずかに汗が浮かんでいる。


「中市場の武名はマグレではなかった、ということでしょう。まったくお見事」


 丹羽長秀が言ったのは『中市場の合戦』のことだった(安食の戦い、ともいう)。

 まだ信長が清州城を奪っていないころ、織田弾正忠家と清州城の織田信友家が戦になったことがあった。それが『中市場の合戦』である。

 そのとき、まだ信長と信勝は(少なくとも表面上は)まだ争っていなかったので、柴田勝家は織田信長の家来でもあったが、この戦いで勝家は、清州勢をさんざんに打ち破り、手柄を立てたのだ。勝家の武名が尾張の国中に、初めて轟いた瞬間だった。

 その柴田勝家が信勝についたのだ。尾張の国衆の多くが信勝についた一因はこれだった。


「敵を褒めてる場合じゃないぜ、五郎左さん(丹羽長秀)よ。さあ、どうする。柴田のオッサンと戦うか?」


「ここで逃げるわけにもいかないでしょう。かくなる上は覚悟を決めて戦あるのみ。三郎さま、如何」


「五郎左の言やよし」


 信長は、うなずいた。


「まずは権六を破るべし。者ども、銃刀槍を構えよ。敵に弾薬たまぐすりをお見舞いしてやれ」


「「承知!」」


 信長の命令が、丹羽長秀と前田利家を通じて、兵たちに伝えられた。

 信長軍は銃に弾と火薬を詰め、発射準備を整える。やがて柴田軍がやってきたところへ、


「撃て!」


 信長の高い声が響く。

 弾丸が次々と発射され、柴田軍の先頭を襲った。




「撃て、撃て、撃ちまくれ! あとのことは心配するな、とことん弾を浴びせてやれ!」


 稲生の南部の森林にて。

 俺たち神砲衆は、津島衆、甲賀忍者たちと力を合わせ、熱田の銭巫女たちに弾丸を浴びせまくっていた。

 連装銃が火を噴いた。敵の一部が崩れかかる。そこへリボルバー組がさらに砲撃、そうかと思えば甲賀忍者が炮烙玉を放りなげて、敵の陣形を粉砕した。


「連装銃を無駄撃ちするなや。一点に砲火を集中しろ!」


「あそこだ。あそこに炮烙玉を放り投げろ。森を火だるまにしてやるんだ!」


 小六さんと滝川さんの采配もいい。

 森の中に隠れている銭巫女軍団。木々が盾になり、銃弾を防いでいるのだが――

 しかし連装銃の威力と、炮烙玉から発せられる炎は、森林の防御力を貫いていた。

 銃弾は、樹木や枝を撃ち倒し、炮烙玉の炎はそのまま、林への砲火に繋がった。森の中から火が立ち上り、銭巫女たちがその身を焼かれる。


「ここまで火で攻められたら、普通は森の中から出てくるのだが……」


 俺の横で、伊与がつぶやいた。

 敵が森林から出てきたら、刀を構えて斬りこむつもりだった彼女は、しかし銭巫女軍がまったく外に出てこないので、活躍をする機会がない。


「やはりやつらは不思議な連中だ。熱さや痛みを感じないのか?」


「銭巫女のためならなんでもするって連中だからな。……不気味だよ」


 俺は伊与の疑念に回答した。

 かつて――村木砦を偵察したあと、銭巫女の家来たちに囲まれたときのことを思い出す。

 やつらの無機質な、かつ狂信的なまなざしは、これまで出会ったどんな敵とも異なる、気持ちの悪いものだった。

 なぜ、あの家来たちは銭巫女に、あれほどの忠誠を尽くすのか? 分からない……。


「アニキ」


 次郎兵衛がやってきた。


「あの森、案外深いッスよ。ここから鉄砲や火薬で攻めても銭巫女を倒すことはできないッス」


「そうか……」


「少しばかり接近して攻め立てようっていうのが、滝川さまの意見ッス」


「……そうだな」


 多少危険だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。銭巫女を倒すためだ。


「よし、兵をもう少し前に出すぞ。森をすべて焼き払って、丸裸にしてもいい。銭巫女たちを倒すんだ」


「承知!」


 神砲衆は、前に進み、さらに森の奥へと銃弾を浴びせた。

 いっぽう、先ほどまで弓矢を撃ち返していた銭巫女軍団は、ぴたりと反撃を止めた。

 さらに奥へと引っ込んでいるのか? 次の動きが読めない。……どうする?


 一瞬、悩んだ。

 そのときである。




 だだだだだだ、だだだだだ、だだだだだだんっ!!




「うぎゃあっ!」


「あぐう!」


「きゃあああっ!」


 森の奥から、すさまじい量の砲弾が放たれてきた。

 な、なんだ、この量は!? 普通じゃないぞ! 何百発もの銃弾だ!

 これじゃ、まるで連装銃じゃないか!


 ……連装銃?


「鉄砲か……! それも100丁か200丁かはあるぞ!」


「……違う、伊与。100丁とかそういうのじゃ、ない……」


「なに? どういうことだ、弥五郎」


「これは……まさか!?」


 銃弾が、一時、止んだ。

 その場に伏せていた俺は、顔を上げる。

 神砲衆の仲間たちが十数人、その場にぶっ倒れていた。銃弾の餌食にされてしまったのだろう。

 早く助けなければと焦ったが、それと同時に、恐怖が俺を支配した。――なぜなら。


「れ、連装銃!」


 そう、森の奥にいる銭巫女軍団。

 数はおおよそ100人程度だろうが、やつらがなんと、連装銃を構えていたのである。


「な、なぜだ。どうしてやつらが、あれを……!」


「馬~鹿だねえ、山田弥五郎!」


 銭巫女が、姿を現した。

 ニヤニヤと、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「連装銃があんただけのものだと思ったのかい? うふふふっ。……あんた、連装銃を作って何年になる? どれくらい作った? うっふっふ……。あんたが作ったこの武器は大したもんだよ。だからねえ、あたくしたちも、ひそかに手に入れて、分解、研究し……作ってみたのさ!」


「なん、だと……?」


「山田弥五郎、あんたはまったく天才だ。見事だよ。こんな武器を作っちまうなんて。……リボルバーっていったね。あれも作ってみたかったけど、さすがにあっちはうまくいかなかった。でもね、この連装銃は、作れたよ! あたくしたちの手でもねっ! あっはっはっは! ……さあ、勝負はこれからだよ! お前たち、連装銃を神砲衆にお見舞いしておやりッ!!」


「まずい! みんな、逃げろ!!」


 俺が叫んだ、その次の瞬間――




 だだだだだだ、だだだだだ、だだだだだだんっ!!


 だだだだだだだだだ、だだだだだ、だだだだだだんっ!!


 ずだだだだだだ、だだだだだっ! だだだだだだだだだん――




 数多の銃弾が、俺たちに襲いかかってきた。

 転生して初めて。――未来の武器が、敵の手に渡り、量産された瞬間だった。




「お、ぐああああッ!」


「……兄上……!」


 悲鳴が、稲生に轟いていた。

 佐々成政の顔が、悲痛にゆがむ。

 成政の兄、佐々孫介が、敵兵の手にかかり、その場にぶっ倒れたのである。


「兄上、しっかりしてください。……兄上……っ……!」


 冷静な佐々成政が、慌てふためく。

 佐々孫介は、しかしその声にも反応せず、突っ伏したままだ。

 しかし佐々兄弟のことを気にかける者はいなかった。なぜならば、


「……馬鹿な……」


 前田利家が絶望的な声があげる。

 そう、柴田勝家の軍勢は、その一部が、銃刀槍を持っていたからだ。

 信長軍と柴田軍の争いは、当初、互角だった。むしろ士気の高い信長軍のほうが優勢だった。

 しかし、ある段階で――柴田勝家は一部の兵の武装を変え、信長軍に反撃したのだ。その武装こそ、銃刀槍であった。

 言うまでもなく。山田弥五郎が開発し、信長軍に持たせた新兵器。それを柴田軍が保有していたのだ。


「銭巫女に預けられた武器など、使いたくはなかったが……」


 戦場のど真ん中で、柴田勝家は吐き捨てるように言った。


「しかし敗北よりはいい。……それ、いまこそ勝機。者ども、かかれっ! ――三郎さま、お命頂戴しますぞ!!」


 柴田勝家は手勢を鼓舞し、信長軍へと再び襲いかかってきた。

 信長軍は、浮足立った。自分たちには銃刀槍がある。それが自信の根拠のひとつだった。その根拠が崩壊した。――敵もこちらと同じ武器を持っている! しかも兵数は敵のほうが上! その上、まだ林美作守の軍勢もまだ来るかもしれないのだ!


「てめえら、ビビるんじゃねえよ! 頑張れ! ここが踏ん張りどころだぜ!」


 前田利家が必死に激励の声を飛ばす。

 しかし一度低下し始めた士気は、容易に回復しなかった。信長軍は次第に崩壊を開始する。兵が、特に金で雇われた兵士は、忠誠もへったくれもなく、ひとり、またひとりと、こっそり離脱し始めた。


「…………」


 信長は、無言のまま、戦場を見つめている。




 山田弥五郎と織田信長。

 ふたりの軍勢はまったく同時に、窮地に陥った。

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